鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

11.<戦後の精神土壌は霊的な教えを枯らす>

2013年08月31日 | 聖書と政治経済学



「一億総懺悔」が作り上げた戦後日本の精神土壌は~、
「もう見えない世界の話は絶体に信じないぞ!」 という堅い決意と、
「これからは神とか霊魂とかいう話が出たら即座に逃げよう!」
~という強固なスタンスからなっている。

対して、キリスト教は霊的な教えをベースにする宗教である。
こういと日本の読者は意外な感じを抱くだろうが、本文の後半でその理由は明らかになる。



キリスト教の教典である聖書は、旧約聖書と新約聖書で構成されている。
旧約聖書はユダヤ教が唯一教典としているものだが、
そこでは、すべての教えが物質的に伝えられている。
祝福という言葉が出てくる。
それは旧約では、物質的、経済的に与えられる富と、肉体の健康に関するものとして語られる。

・・・だがイエスの教えはそうではなかった。
彼は「旧約聖書の話は霊的な祝福を比喩で示すもの」と教えた。
そしてイエスは、旧約聖書の言葉を霊的に解釈して教えた。
キリスト教は、この教えが広まったものである。

かくのごとくキリスト教は、霊的な教えを主軸とするものだ。
戦後日本人が、こういうものを受け付けるはずがなかった。




<だが人生の教えは必要になった>

だが、徴兵の赤紙も来なくなり、生命の恐怖から解放されるにつれ、
彼らは人生の教えを必要としていった。

戦後の彼らの思想もまた単純だった。
単純な人生観は、反転したって、単純なものにしかならない。
目標追求だけで構成された戦前の人生観は、戦後その目標が入れ替わるだけだった。

戦前の人生目標は「軍国日本への貢献」だった。
戦後はそれが「個人の欲望充足への貢献」に入れ替わっただけだ。



だが、人生観を単純にしても、人生の方は単純になってくれない。

平和で自由な世界でくらせば、人生の多面的な要素が生活に浮上してくる。
これらを心の中で処理しないと、人は心のまとまりが弱くなり、
精神分裂的な苦しみに陥ることになる。

多くの国民がその状態に陥り、処理方法を求めた。




<倫理道徳教団の隆盛>

その需要に直接応じたのが「倫理・道徳を教える教団」であった。
道徳なら直接霊的要素を含むことはない。
道徳教は、実践を強く促すので、効果に即効性がある。
教団に入って行えば、集団の縛りが日々の実践を助けてくれる。

「早起きしてますか? してないでしょう? 仲間で互いに声かけ合って実践しましょう」
「人に明るく挨拶していますか? すればあなたの心も明るくなるでしょう。
では、仲間で声を掛け合って実践しましょう」
「人生、思いやりと愛が大切ですよ。日頃他人を思いやっていますか? 
そうすれば社会も良くなりますよ。 これも仲間で声を掛け合って実践しましょう」

~このように、素朴な道徳思想も、仲間で縛り合うようにしてあげれば、
実践は促進される。

こういう場を提供する教団が、隆盛するようになった。
実践倫理校正会はその代表である。
会員数は、公称、5百万人という。

小林正観の「うたし会」というのもある。
教祖の小林氏は最近なくなられたが、この会ではただ「ありがとうございます」を
一日何万回も繰り返す。
「実践が結果を生む」という。
「なぜ?」などと考えている暇があったら、1分でも2分でも早く実践した方がいい~と教える。
「運は動より生ず」ともいう。

ここでは「そ・わ・か」の実践を勧める。
「そ」は「そうじ」、「わ」は「わらい」、「か」は感謝である。
ありがとうをとなえながら、これを実践せよ、と言う。

なお「うたし会」というのは、「うれしい」「楽しい」「仕合わせ」の会という意味である。
そしてそれらは「ありがとうございます」を唱え続けていれば得られるというのだ。

これで会員数は公称30万人。
教祖の死後、夫人が運営しているという。




<キリスト教も道徳教に>

この現場を心あるキリスト教会牧師が観察したら、仰天するだろう。
彼らの教会は日本では、会員が10~20名が通常だから。

戦後の精神環境の中で、キリスト教も変質していった。
道徳の部分だけを取り出して、ほとんどもっぱらそれを教えるようになる。
明治以来日本のキリスト教もそういう傾向があったが、戦後、それが加速されていった。
これをニッポンキリスト教と鹿嶋は呼んできている。

だが、ほとんどの日本人は他を知らないから、それがキリスト教だと思っている。
だから、冒頭で鹿嶋が「キリスト教は霊的な教えの宗教」というと、
一瞬ポカンとしてしまうのだ。

ともあれ、だから、日本では知的なビジネスマンなどがたまたま
「妻に引かれて教会参り」をすることになっても、すぐに失望してしまう。
奥さんと教会に来て、クルマの中で待っているご主人がいる。
中に入って隣に座っていて、説教が始まるとグウグウ寝るご主人もいる。

あたりまえだ。
神学校で浅薄な道徳教解釈を学んだだけの、人間的に未熟な牧師の道徳教など、
会社の上司のものの方がよっぽどましなのだから。





<倫理道徳は宗教性ももつ>

それでいて倫理道徳というものは、一定の宗教性ももっている。

そもそも宗教の教典が一定の道徳倫理の教えも含んでいる。
道徳倫理を意識すると、人は一定の崇高感を抱ける。

だから、倫理道徳の教えで救われた人は、宗教的感慨もうる。
日本民族は当面、この状態で予定調和的均衡に落ち着いている。



<規範だけで事実情報がない>

だが、道徳教はなすべき行動を、直接、題目のように教える。
そこには結論だけがあって事実の「探究」がない。
一昔前の戦後に流行った学問用語でいえば、言ってることにゾルレン(当為、規範)のみがあって
、ザイン(事実)がない。
事実としての世界を広く考える要素をもっていない。

政治というものは、人間の幸福全般に関わるべき性格を持っている。
政治見識には、広い人間観、世界観がいる。

実践倫理を主軸とする教えには、これを考えさせ育成する要素がない。
それ故、倫理道徳主軸の教えは、政治見識を育てる力が無い。

かくして戦後も、日本の政治能力は低いままで推移することになる。









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10.<戦後の「一億総懺悔」がもたらしたもの>

2013年08月26日 | 聖書と政治経済学



マッカーサーの好意でキリスト教を導入の努力がなされたにもかかわらず、日本人は受け付けなかった。
なぜか?

日本人は、戦後、まず一億総懺悔をしたのだ。

日本は第二次世界大戦で負けた。
学校でも隣組でも軍需工場でも、「絶体に負けることがない」と教わっていたのに負けた。
神風が吹くといわれていたのに吹かなかった。

いま思えばなんと「空しい戦」だったか。人民は栄光の戦と教えられて戦地に赴いた。
多くの人々のいのちが、空しく散った。

父親には守るべき家族があったのに。
学徒たちには生きてしたいことがいっぱいあったのに。

学徒より若い多くの少年たちも、神風特攻隊という自爆テロに参加して死んだ。
死んだら霊魂は靖国神社に宿り、国を守る常勝の神々になれると言われて死んだ。

なのに、米国の物量の前にまさかの敗戦をしてしまった。
神国日本なのになぜだ?

一瞬呆然とした後、日本人民は考えた。




<クソッ、騙されていた!>

俺たち国民は欺されていたのだ!

何故欺されたか? 
「魂がどうこう]というような「見えない世界の話」を事実として信じたからだ。
「天皇は現人神(人の姿を取った神)」などといわれて信じたからだ。

「もうこういう見えない世界の話は絶体に信じないぞ!」 
そして、「これからは神とか霊魂とかいう話が出たら即座に逃げよう!」~と堅く心に決めた。

こうして一転、対極に走ったのだ。




<戦前も異例に単純な人生思想>

単純な思想の対極もまた単純にしかならない。
もともと終戦時に青少年だった世代の人生思想は単純そのものだった。

戦前の軍国国家は、小学校から人民に「国体への献身」という単純な行動目標を与え、
国家的ヒロイズムでそれを装飾した。
本屋の店頭には「軍神」のものが満載され、ちまたにはヒロイズムに満ちた軍歌が流れ続けた。
こうして全情報環境が、それ一色に染め上げられたのである。

受け手は子供だ。
彼らは英雄的感動と共に、何の疑念もなく苦も無く没入した。
青少年になっても、その国家目標に向かって邁進する、ということだけが彼らの人生観となった。
そういう単純きわまりない人生観、世界観だけをもった人間に育成されたのだ。

自由で多様性に満ちた社会環境ではそうならない。
そういう情報環境なら、子供でも子供なりに、人生や世の中に疑問を持つものである。
「オレはなぜ存在しているのか」「何のために生きるべきなのか」
「そもそも人間は生きるに値するものなのか」 「社会とは何なのだ」・・・等々を漠然と意識する。

だが、軍国教育のなかで育った子供たちの人生思想は明快だった。
教唆される国家目標に貢献する人生以外に、人生を考えることはなかったのだ。

この状況は、いまも、共産主義国の子供たちにみることができる。
日本の戦前・戦中派もまた思想的には純朴そのものの人間として造られたのである。
(だから日本軍の現場的戦闘力は強力だった)



<坊主は縁起が悪い・・・・・>

人間というものは、単純な思想を信じ続けていて、あるときそれが事実と違うと知ると、その思想を反転させる。
心のバランスを保つのに必要だからである。
戦後青少年の思想は単純に反転した。

戦後日本に一斉に花開いた「一億総懺悔」ブームはそういうものであった。
その主軸は「もう霊魂などの話は絶対に信じないぞ!」であった。

+++

この怨念含みの情念が生む社会事象は、当時幼年だった鹿嶋の記憶にいまも残っている。

たとえば、戦中派の青年たちは仏教のお坊さんを徹底して馬鹿にした。
「今日は縁起が悪い。坊主を見てしまったから・・・」といった会話が当たり前のようになされた。
で、子供たちもそれをまねて、同じ台詞を口にしていた。

+++

余談だが、それでも、人が死ぬと彼らは僧侶にお経を頼みにいっていた。
戦中派の霊魂理念には、理念などといえるほどに「知」は介入していなかったからである。
それは学校で反復教唆されるスローガンにすぎなかった。

だから、反転してもそれは「理念」にはならず、情念・情感のままであった。
情感にすぎなければ、そこには矛盾した慣習も簡単に混入するのだ。

そんなわけで、お寺の収入はゼロにはならなかったが、終戦後、仏教僧侶の経済生活は極貧を極めた。
(これが高度成長期にみごとに復讐されることになる。
仏教僧侶は、葬儀への出演に何十万円、戒名をつけて何十万円と請求し、それを受け入れさせた)




<戦後日本の欲望文化>

話を戻す。

一億総懺悔は、戦後日本に特異な精神文化を形成した。

目に見えるもの(物質)だけしか信じない。
確かなのは個人個人の心に湧く欲望だ。
それを素直に追求して何が悪い。

学歴も生涯所得のため、オカネのためだ。
働くのは、テレビ、クルマ、マイホームのためだ。
セックスブームもオーケー。

欲望バンザイ!

その路線上でいまだに「野心の勧め」などといってもうけている欲望女もいるが、
つまるところは、こんなのをセンセイといって崇拝するマスコミと人民の方に責任はある。

ともあれ戦後日本にはそういう精神(?)文化が濃厚にできあがった。
ラジオ、テレビ、新聞をはじめとするメディアでのメッセージ、ドラマ、情報は、
みなこの精神文化の上に形成されていった。

このなかで、マッカーサーが日本人の精神改造のために植えた苗は、またたくまに枯れてしまった。
こういう土壌には、キリスト教精神は根付かないからだ。

次回、その事情を、キリスト教の思想構造に焦点を当てて考えよう。









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9.<マッカーサーの「民主主義資質政策」>

2013年08月24日 | 聖書と政治経済学



民主主義制度(民主制)は、人民を自由におくには最適な制度である。
ありがたいが、同時にそれは厄介な制度でもある。
それは人民のすべてに、一定の、君子資質を具備することを求める。



<孔子の政治システム思想>

孔子は、人間を君子と小人に分類した。
君子は全人民の幸福を常におもんばかり、それを実現する資質を持つ人物である。

彼は君子のもつべき精神的資質を、
「仁、徳、義、礼、智、信」の徳目で示した。

他方、小人は、全人民への関心は持たない。
自分と一族の幸せに関心を限定し、生きる庶民である。

この君子が小人を愛し、小人は君子を信じ、愛していくのが
国家社会の理想だと孔子は考えた。

+++

君子は、結果責任を明確に取る姿勢で統治を担当する。

対して小人は、たまたま政治に関与することになっても、
責任を取らなくていいように振る舞いつつ関与する。
それでもって、美味しい汁はいただく、という小狡い行動様式を取る。

小人はこうであるからして、政治からは遠ざけ、
君子のみで統治を行うというのが孔子の理想であった。




<等身大を超えたイメージ形成力>

だが、マッカーサーが日本に導入しようとしたのは孔子とは別の政治システムであった。
これは民主主義制度と呼ばれる。
これは孔子の言葉を使えば、「全員が一定の君子資質を持たないと機能しない」
社会システムである。

前述のように、マッカーサーは、当面、日本人に武力を持たせないことにしたのは、
人民にこの能力があまりに幼稚だったからである。

彼は13歳の子供に爆薬をもたせる危険を回避した。
憲法9条はその具現化であった。

+++

だが、マッカーサーは、そのまま日本人を政治的子供にとどめおこうとはしなかった。
他方で、日本人の統治能力を育成する政策も実行したのである。
アメリカ人はお人好しでもあった。

彼は、政治資質の必須条件に、「等身大世界を超えた世界のイメージ形成力」
があることを、洞察していた。
そして、そのためには日本人の理念的に単純にして、情感主導で生きる姿勢は障害になるとみた。

実際、戦前以来日本人は、浪花節や浄瑠璃などにみられるような、
人間個々人間での情的な絡みに、最大の快感を得て暮らしていた。
こういうものに全精神エネルギーを使いはたすような人生では、
政治能力は生まれないとみた。

キリスト教的人生観、人間関係觀を持たせねばならない。これが彼の洞察であった。

彼は、軍人的直截さを発揮して、母国に、キリスト教宣教師を1500人派遣してくれ
と要請した。(『マッカーサー大戦回顧録』中公文庫)
実際には、占領期間中の昭和26年までに、総計2500人の宣教師が来日したという。
(、袖井林二郎『マッカーサーの二千日』中公文庫)

米国では各キリスト教派は政府の要請とは別に、自ら自発的に宣教師を送るからである。



だが、この政策は実を結ばなかった。なぜか?
日本人は、聖書の思想を素直には受け止めなかったからである。

そんなことからは、あまりに遠い精神状態にあったのだ。
その事情を次回に記そう。





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8. <「政治的13歳」を踏まえない日本政治論は妄想>

2013年08月18日 | 聖書と政治経済学



米国の対日本政策の話を続ける。
平和ボケの日本人には、きついことも含まれていると思うが、しかたがない。



<政治的無能は軍隊統率無能に直結>

戦後の日本政治を見るとき、その出発点の基盤認識を見逃してはならない。
看過すれば、以後すべての思考が妄想のなかを遊ぶことになる。
事実、日本人は知識人、一般人をあげてこれをしてきている。
ではその基盤哲学は何かといえば、これがマッカーサーの「日本人は政治的には13歳」である。

なぜこの基盤を踏まえねばならないか。政治的13歳、はそのまま軍隊の統率不能に直結するからである。




<5.15事件、2.26事件は政治テロ>

日本民族は、現場的戦闘マシンとしての軍隊形成には、卓越した資質を持っている。
彼らは明治維新後、短期間に西欧列強に匹敵するマシンを作り上げた。
西欧の科学的軍事技術を驚くべきスピードで吸収し大国である中国(清国)を倒し、日露戦争にも勝利した。

敗れたりとはいえ、第二次大戦においても多方面にわたって脅威の戦闘力を発揮した。米国は対日戦争の勝利者なので、その被害はあまり取りざたされないが、実際には失った兵士や設備への被害は甚大だった。「♫ 父よあなたは強かった・・・」 日本軍は現場的には強い戦闘力を発揮するのである。

+++

だが、それは政治的に統率できないと暴走してしまう。
軍隊はダントツの物的暴力手段の保有者だ。国内的にも強引にやろうと思えば何でも出来る。

実際、暴走し始めた軍人たちは5.15事件(1932年:昭和7年)を起こして政治要人を殺害した。
この事件の政治家への心理効果を見誤ってはならない。これは政治家へのテロなのである。
テロの主目的は恐怖を与えることだ。これをされると政治家は~少数の例外を除いて~生命の危険におびえるようになる。

軍人は、さらに4年後に2.26事件(1936年:昭和11年)を起こして駄目を押した。
これで軍部の意向に沿わない政治を敢えて行う勇気を持った政治家は消滅した。

この二つの事件は、軍人による政治家へのテロなのである。これが与える心理効果を見逃すのもまた、政治的13歳の故であるが。





<暴走は止められない>

ともあれもうこれで軍部の思うままとなった。彼らは政治決定権を手中に収め、さらなる中国支配に向けて暴走した。
2.26事件の翌年、昭和12年に日中戦を引き起こして中国全土の蹂躙に突入した。もとより帝国内に収めていた朝鮮半島も蹂躙した。
フィリピンなど東南アジアの支配にも突入した。そして突然真珠湾攻撃をおこない、対米宣戦布告にも暴走したのである。

日本軍の暴走は、当初の一年ほどは夢の成果を上げた。だがすぐに指導者層の無能が馬脚を現す。
それでも暴走は続き、全アジアの住民に地獄の苦しみを与えた。
最後にはまた、特攻隊という自爆テロでもって4500人の有為の若者を自爆死させ、終戦を遅らせた。
暴走は本土に原爆を食らうことでもってようやく終了した。




<憲法9条は「まずは軍備なしでいく」政策>

戦後、マッカーサーが抱えた緊急課題は「この民族に軍備をもたせるべきかどうか」だった。
結論は「ともかくまず軍隊はもたない状態でいく」であった。

憲法9条の「戦争放棄」「軍隊、武力の不保持」「交戦権不認可」などは、その結果なのである。

ところが「政治的13歳」の基板哲学を認識できていないと、
この条文の評価からして、もう妄想の夢に入っていってしまう。

「日本人は戦争がいけないことに心底目覚めた」「反戦の重要性を悟った」「軍隊は必要ないことを悟った」
「世界に冠たるこの美しき非戦精神」等々となる。

~だがこれはすべて妄想なのだ。

+++

マックス・ウェーバーに教わるまでもなく、国が維持されるためには、
①人民が為政者を正当と見る意識(人民の一体性を形成するため)、 および 
②物的暴力手段(警察と軍隊)~が必須である。

警察は、理屈で納得しない一部人民を従わせ、国家社会の秩序を維持するために必要だ。
軍隊は、理屈で納得しない外国からの攻撃を退けるために必要だ。

前者は対内的手段であり、後者は対外的手段である。国を維持するにはこのどちらも必要なのだ。

+++

「軍隊の不保持」はこのうちの対外的物的暴力手段を保持しないことだ。
しなければ国家運営としては片肺飛行そのものになるのだ。

なのにGHQはこの体制で戦後日本をはじめさせた。「政治的に13歳」だからである。
フリーハンドで再軍備させれば強い軍隊が出来てしまい「人民はそれを統率できずに暴走させる」のが明らかだったからだ。





<憲法で制約をかけながら>

だからとりあえずはもたせない。
そのために、憲法に戦争放棄と軍備の不保持をうたわせる。

そして、憲法で制約条件をかけながら、徐々に軍備をもたせていく。

最初は警察予備隊。
次にそれを自衛隊にする。

さらに次には、武器使用を制限したPKO目的なら海外派兵できるとする。
(1992年、PKO協力法制定)

次いで「後方地域」の概念を導入し、戦闘領域外の後方地域なら同盟国の戦争にも協力できるようにする。
(1999年、周辺事態安全確保法制定。これで2004年にイラク復興支援を行う)

このようにすべてを憲法解釈の枠内でやらせ、憲法の制約はかけ続ける。

その間、日本の安全保障が不足な点は、米国が担ってあげる。
安全保障条約を結んで担ってあげる。

これらはみなマッカーサーの敷いた日本軍備政策路線上のものである。
当然その路線は今日まで続く。

その中で今は、安倍政権に集団的自衛権のいま少しの前進を実現させようかな、という段階なわけだ。

なんと見事な統御なことか。
米国は日本を再軍備化させてきたのでなく、基本的に統御してきているのだ。
その中でわれわれは、70年という異例の平和を享受できてきたのである。

だから、集団的自衛権と聞いたら、「すわ戦前の軍事国家帰り!」とおびえる必要など全然無い。
米国がそんなことさせない。





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7.極東と対日本政策の哲学

2013年08月13日 | 聖書と政治経済学




さて、米国の対日本政策に入る。
今もそうだが、実はこの問題を扱うのは気が重かった。

このブログの記事は、フェースブックに自動的に転記掲載されるようになっている。
フェースブックで鹿嶋が友達となっている人は、ほとんどが「米国=悪」の図式で
頭が占められている人たちである。

この人たちは~根はいい人なのだが~政治問題に関してあまりにナイーブだ。
米国の極東政策、日本対策を米国はフリーハンドでもって好き勝手にやっている
という先入観~敢えて言えば妄想~に頭を占領されてしまっている。

だから、日本に課してくる制約はすべて「日本隷従化の手段」と見えてしまう。
米国が担っている世界大戦回避のための努力、苦闘が全く見えない。
その必要性から対日本政策を眺める目を全くもたないのだ。

そういうい人たちは、必然的に鹿嶋の説明に怒りを抱くだろう。
自虐史観という人、愛国心が欠如した非国民と非難する人も必ず出るだろう。
それが見えるだけに、気が重かったし今も気が重い。
だがもうやることにする。やらないわけにいかないだろう。




<日本人は政治的には13才!>

戦後の世界運営を請け負った米国は欧州地域でも防共壁を運営せねばならなかった。
北大西洋条約機構(NATO)は当初は英国とフランスの主導で設立されたが、
まもなくこれも自らが主導せねばならなくなった。
これでもって、ソ連の主導するワルシャワ条約機構勢力ににらみをきかせる必要があった。

同時に米国はまた、極東地域でのソ連、中国拡大の防波堤を造らねばならなかった。
日本、韓国、台湾を含めた防共壁を形成せなばならなかったが、
その中核課題は、日本をどういう国にするかであった。

日本にとって米国は実質上の占領統治国であった。
GHQは名前は連合国総司令部だが、「連合国軍」とはいっても、
その大半の職員は米国の軍人と民間人で構成されていた。
それに英国軍人が少数だけ加わっているという体制だった。

GHQの司令長官マッカーサー元帥は日本をどういう国として再び独立国にするかを、
重要課題としていた。

そしてその基底哲学はかれが日本国土を踏んだ後、早期に発した一声が示唆している。
「日本人は政治的には13才」~Japanese are politically thierteen years old ~ がそれであった。

彼は太平洋戦争の指揮官として、日本人の政治的無能を知り尽くしていた。
特に、軍部の上層部の政治的無能、その軍部を統率できない政治指導層の無能を
いやというほど観察してきた。

日本の軍隊は西欧列強に匹敵する戦闘力を持っていた。
だがそれを統率する能力が欠如していた。
そういう日本軍を相手にして、彼は東南アジアと極東の戦線で戦ってきた。
日本の軍隊をダンプカーに喩えるならば、国家の政治指導者は
「ダンプカーのハンドルを握った幼児」だった。これが彼の日本観だった。



<マニラ市街戦の悲劇>

特に自ら軍を直接指揮したフィリピン戦線で、彼はそれを如実に体験認知していた。
米軍に追いたてられた日本軍は、マニラ市内での防戦を選んだ。
市街戦に巻き込まれた一般市民の悲劇は、次の戦死者統計でもわかる。

米軍、1000名
日本軍、5000名。
マニラ市民、50,000人。

戦争当事者ではない市民の死者数が著しく高い。これには子供が多数含まれている。
撃ち込まれる砲弾のなかを泣き叫び逃げ惑い傷つき死んでいく、無力な幼児子供を思うだけで、
胸がつぶれそうになる。市街戦とはこういうものである。

日本軍は、戦うのなら市街地を撤退して山地で戦うべきだった。
最後の一兵まで戦いたいのなら、そこでやるべきだった。
人様の一般住民が住んでいる都市で市街戦するしかないのなら降伏すべきだ。

戦争にはゲームの面も少なくない。
過大な犠牲が確実視されたらば、降伏調印に持ち込み国の再建を期すべきだ。

だがそんな決定も出来ないで、だらだらと抗戦を続けた。
のみならず日本兵は、紛れ込んではいけない赤十字病院内にも紛れ込むという違法を犯し、
そこにいる多くの市民や医師、看護婦までを犠牲にしたりもした。

マッカーサーは戦の現場でそれに直接対面していた。
だから~Japanese are politically thierteen years old ~ なのである。

+++

沖縄戦も同じだ。
戦闘員でない県民を多数巻き込む状態になっても、降伏決定が出来ない。
その状態で政治指導層は「本土決戦だ」などと言って、人民に竹槍の練習をさせていた。

本土決戦の泥沼の中で軍部の統率機能が失われたらどうなるか。
もう国家としての降伏決定は出来なくなる。

さすれば各地の現場で、軍人が闇雲に戦を続行し、大量の人民を犠牲にすることになる。
竹槍でもって市街地に潜んで本土決戦したら、沖縄戦や硫黄島戦の映像に見るように、
日本人民は各地で火炎放射器でもって火だるまにされていくしかないではないか。





<ジャパンバッシングの哲学>

鹿嶋は原爆という武器による攻撃は、いかなる理由を持ってしても肯定できないものと信じている。

広島・長崎の原爆の死者は合計220,000人という。
他方もし本土決戦をやっていたら、人民犠牲者は百万人を優に超えていただろう。

この百万・二百万に上る人民の犠牲を回避する手段としても、原爆投下は正当化できない。
いかなる状況においても原爆という武器の使用は悪なのだ。

+++

だが、このこともまた確実に言える。
政治指導層の無能がなかったら、原爆投下は起きなかった。

広島に原爆投下がなされたのが1945年8月9日の午前である。
そしてその日の夜、政治指導者たちは御前会議を開いてポツダム宣言の受諾を決めているのだ。
張り倒されないと妥当な政治決定が出来ない。
後の日米経済交易問題への米国の解決思想となるジャパンバッシング哲学の始まりである。

そもそも、日中戦争への突入、日独伊三国同盟の締結、太平洋戦争への突入、
等々からしてすでに、日本指導者の統治能力の幼稚が現れていた。

だからマッカーサーは言ったのだ。

~Japanese are politically thierteen years old ~ と。

これへの対処が、彼とGHQの日本統治の第一課題となった。

(続く)




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6.中東紛争の泥沼に引き込まれる

2013年08月07日 | 聖書と政治経済学





共産圏が加速度的に強大化する中で、戦後米国の世界運営にもう一つの難題が発生した。
中東のパレスチナ問題がそれである。

第二次大戦後に、ユダヤ人が彼らのいうカナンの地~パレスチナ地域~に、イスラエル国家を建国したのだ。
彼らは古く紀元後70年頃までは、国家を持っていた。ローマ帝国の属領ではあったが、それは王国であった。

だがこの民族には、ユダヤ国家独立を目指してテロを繰り返す、熱心党と呼ばれるグループがいた。
この運動が過激化したために、ローマ政府はこの属領国家を攻め滅ぼした。
エルサレムの神殿も破壊した。
以後ユダヤ人は、国家なき民として、パレスチナ地域を追われ、世界に散っていった。




<シオニズム運動>

だが中にはシオンとも呼ばれるこの地に残り、ユダヤ人国家の再建を目指して運動を続ける者もいた。
これをシオニズム運動という。彼らは代々パレスチナの地に紛れ住み、機会をうかがってきた。

そして第二次大戦後の混乱が好機となった。
シオニストたちはパレスチナ地域に住んでいたアラブ民族を武力で追い出し、
イスラエル国家を建設したのである。




この地には、ユダヤ国家の消滅以来1900年にわたってアラブ人が居住してきた。
彼らはパレスチナ人とも言われた。
これをユダヤ人革命家たちは、武力で追い出した。
土地を買い取る場合もあったようだが、それも恐怖による強制買収だったと言われている。

ともあれその結果、イスラエルに居住地から追い出されたパレスチナ難民が、多数発生した。
彼らは復讐心に燃えて土地の奪回を志した。イスラエルは得意の科学的武力で応酬した。
こうして両者の間に熾烈な戦いが始まった。




<強固な民族アイデンティティの故に>

この紛争は、和解をほとんど不可能にする深い根を持っている。
まず、パレスチナ難民側にとって、ほとんど許しがたい事情がある。
彼らはその地に、すでに2000年近く居住していたのである。
それをあるとき、「ここは2000年前に俺たちが住んでいたから」という理由で追い出されたのである。

この言い分は世界常識的にも、受け入れるのが困難である。
事態を日本に写し代えてみたらわかる。
いま、北海道のリザベーション(隔離居住地域)に追いやられているアイヌ人が、
あるときロシア国家の助けを受け、東北、関東地域に乱入したと想像しよう。
住民を武力と恐怖で西日本地方に追い出したとする。

その理由を「1500年前俺たちはここに住んでいたから」だと応えたら、大和民族はどうするだろうか。
とうてい受け入れられない、というだろう。

それでも後ろ盾のロシアの武力にはかなわず、西日本に難民として流浪せざるを得なかったらどうか。
東北・関東人の恨みは永く残るだろう。
彼らの子孫は「復讐せずにおくものか。彼の地は必ず取り返す」と誓うだろう。



だが、実際アイヌ人はそれをしない。彼らの民族アイデンティティはさほど強固でないからである。
ところが、ユダヤ人は、これが人類史に希なほどに濃厚でかたくなだった。
旧約聖書(彼らはそれを律法書という)にはユダヤ人の民族史が詳細かつ長大に記されている。
彼らは居住地にかならずシナゴーグ(ユダヤ教の教会)を点在させて、子孫にそれを学ばせた。

これは他国に移住したユダヤ人たちにも異例の団結力をもたらしていた。
彼らは自らの民族アイデンティティの強固さの故に、移住した国家社会に溶け込むことができなかった。
彼らは世界の国々の中に、~もちろんドイツでもロシアでも~いわゆるユダヤゲットーを形成して存続してきていた。
そしてそのアイデンティティが、パレスチナの地での国家再建を目指すシオニズム運動をも
根強く存続させてきたのであった。




<悪魔の仕組んだ地獄の紛争>

だけど、そんな理由が、追い出されたアラブ人には通用しするわけがない。
彼らとしては「それはお前たちの歴史観じゃないの。自分の民族思想を他人に押しつけるなよ」ということになる。

この問題の根深さを洞察し、かつて英国がユダヤ人シオニストたちにこういう提案をしたという話を
鹿嶋は聞いたことがある。
英国はアフリカに広大な土地を所有していた。
それを提供するから、「君たちそこに民族国家を作りなさいよ」と勧めたという。
もちろん彼らはそれを断った。

そして第二次大戦直後に世界秩序の混乱が起きた。
ユダヤ人はこの千載一遇の好機に、パレスチナ人を武力でもって追い出し、イスラエル国家を再建した。
追い出された側には、永遠の憎しみと復讐心が残った。

だから以後の泥沼の紛争は続くべくして続いていくのである。
紛争の間にも殺し合いがなされ、さらに新たな憎しみが生成し積み重なっていく。
もうこの葛藤は解けない。まるで、プロレスで十文字固めを互いにかけ合っていて、
レフリーが解こうとしても解くことの出来ないような、悪魔の泥沼戦争が形成された。
この地獄に生まれ落ちていく両国の子孫たちへの同情はつきない。




<米国を抱き込む>

この紛争は、当初はパレスチナ地域でのユダヤ人と追い出されたアラブ人の戦いであった。
だが、ユダヤ人はアメリカにも沢山移住していた。
この民族には科学的思考に優れた者、商業に卓越した者、富をなした者も多かった。
その彼らが米国の民主政治システムの寛大さにつけこんだ。
ロビー活動などを展開し、米国政治をイスラエル側に取り込んだ。

これによってパレスチナ難民の怒りは全アラブ民族に広がった。。
イスラム教民族でもあった彼らには、心情的にも共鳴するところが多かった。
こうして、紛争はイスラエルと米国に対するアラブ諸国との戦いへと拡大した。

アラブ、イスラム諸国は、科学技術面でイスラエルや米国に後れを取っていて、
科学的な軍事力においては劣勢に立った。
こういうとき、復讐の執念が根強いと、テロという闘争手段は自然に発生する。
夫婦げんかで、知力と腕力で劣る妻が夫の顔を爪でひっかくようなものである
アラブ側は、自爆テロという不気味な武器でもって、イスラエル、米国に立ち向かった。

ともあれかくして、アラブ民族の抱くイスラエルへの憎しみは、米国への憎しみに連動した。
こうして米国はもう一つの大戦要因をほとんど当事者として抱え込まされることになった。
悪女の深情けに取り込まれたと言うべきか。

この要素は当初、対共産圏問題より規模においては小さかったが、
時間が経つにつれて拡大傾向をたどっていった。


(続く)






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5.新たな地獄危機の出現:共産圏の強大化

2013年08月03日 | 聖書と政治経済学




米国は世界の貧困を無くすれば、人類が二つに分かれて殺し合うとう地獄の危険性は、
あらかたなくなると思って世界運営に着手した。
ところが戦後すみやかに、新たな世界戦争要素が出現した。共産圏勢力の強大化と敵対姿勢がそれである。
米国は貧困打開に加えてこれにも対処せねばならなくなった。

共産主義国は、すでに第一次大戦時にロシアにおいて出現していた。
ロシアは周辺地域を取り込んでソビエト連邦という共産圏を形成した。
そしてこの勢力は第二次大戦直後のどさくさに紛れて、東欧州諸国も共産陣営に取り込んだ。
さらにまもなく中国も毛沢東の共産党によって共産国化した。
1958年にはキューバでも社会主義革命が起き、共産圏は世界を二分する強大な勢力になった。




<暴力革命による世界共産化を志向>

この勢力は、全世界を共産国化するという強い志向をもっていた。
その志向は搾取のない平等社会を実現するという、正義感に裏付けられていた。

同時に、その変革手段として、暴力革命を正当としていた。
この暴力革命思想は世界共産化に当てはめると戦争による他国の共産化になる。
ソ連を頭とする共産圏諸国は、戦争をもってしても世界の共産化は実現さるべきという基底思想をもっていた。

つまり、共産圏は攻撃的・敵対的だったのである。
このあたりの思考構造はもう少し詳しく把握しておく必要がある。




<マルクス経済学の思想>

社会主義思想は、マルクスという経済学者に造られた経済学から生まれている。
ここでこの思想の概略を示しておこう。

+++

彼の経済理論のほとんどは、資本主義の矛盾分析で構成されている。
彼はいう~。

~資本主義経済では、資本家が機械設備、原料を私有し、労働者を雇って生産をしていく。

その際、資本家は労働者が生産に貢献した価値の分(これを投下労働価値という)だけの支払をしない。
労働者の弱みにつけ込んで、過少支払いをし、残った分(これを搾取分という)を我が物にする。
そして、その一部を贅沢な生活に使うが、残った分を機械設備に再投資する。

すると、生産効率は上がって、従来と同じ量の生産をするのに、より少数の労働者で済むことになる。
失業労働者は増大し、これが失業者のプール(産業予備軍という)を大きくしていく。
さすれば労働者は賃金交渉にますます不利になり、資本家はさらに大きな搾取をすることが出来る。
そしてそれを再び再投資して生産効率を上げる。

・・・以下、このサイクルが続いていき、資本家はどん欲に富を増やし、労働者はますます困窮していく。




だが、この過程は長くは続かない。
なぜなら資本家は一握りの人々だ。かれらが贅沢するといってもその商品消費量は知れている。
結局商品の大半を買うのは労働大衆だ。ところがこれが窮乏化していくのだから、売れ残り商品が増えていく。
売れなければ生産が出来なくなる。生産力が有り余っているにもかかわらず、生産活動が出来ない。
これを「豊富のなかの貧困」という。

これが資本主義の矛盾だ。なぜこんな事が起きるかというと、生産手段の私有を認めているからだ。
これが矛盾の根源だ。これをとりはらえば、矛盾はなくなる。
生産手段を公有化すれば搾取も不平等も、資本家のどん欲もなくなる。

だが、私有財産制度は既得権として資本家によって守られている。
彼らは政治権力をも手中に収め、私有財産を手放さない。
だから、生産手段の公有化は、力による政治革命によるしかない。
力による革命、すなわち暴力革命である。
これだけによって、貧困に苦しむ大衆もなくなり、平等の正義が実現されるのだ。

・・・マルクスは、こういう経済理論で人類世界に社会主義思想を導入した。
そしてこの思想は、人々の社会正義、平等への渇望に激しくかみ合った。
庶民大衆の貧困を省みず贅沢生活を続ける資本家階級への憎しみもかき立てた。
心揺さぶられた人々は、正義と平等の理想と富裕者への憎しみに燃えて、社会主義革命に身をなげかけるのであった。




<核爆弾技術も盗まれる>

そして社会主義革命が、1917年ソビエトにおいて実現したのである。
のみならず、ソ連は他国にも社会主義革命を輸出していった。
そして、第二次大戦後間もなく、世界の半分近くが社会主義国になってしまった。

世界は、社会主義圏と資本主義圏とに二分された。社会主義者はそれに飽き足らず、残った資本主義国においても暴力革命を起こし、全世界にみずからの正義のシステムを力でもって実現しようと熱望した。

力とはすなわち暴力であり、国家のもつ暴力手段とはすなわち武力であり軍隊だった。
だが、戦争直後には米国の軍事力は圧倒的だった。核兵器という軍事手段をもっていたからである。

だが、共産圏の主導国ソ連は、スパイ活動によってそのノウハウを楽々と盗み取った。
これをやられやすいのが、人民の自由な思想と行動を宝にしている国の弱点であった。
そしてこの兵器技術は、中国を初めとする他国にも広がってしまった。

米国の圧倒的武力優位は消滅した。
この状況のなかで米国は、世界大戦なき世界運営の重荷を担わなければならなくなったのである。


(続く)









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