前回、聖句の自由吟味活動は、強大な自由志向を作り出し、近代世界に民主制国家を出現させた~と述べた。
今回は、その活動が人間の心に自由志向を強く形成する仕組みについての説明を始めたい。
話は少し抽象的になる。
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まず知るべきことがある。
聖句自由吟味活動のなんたるかを理解するのは、日本人には至難の業であることがそれだ。
<類似点を持つ経験素材>
そもそも人間、新しい事象の説明を理解する時には、心の内に多少とも類似の経験素材があることが必要だ。
それを手がかりにして、想像力を飛翔させて、一定のイメージを得ることが出来るのだ。
だが聖句吟味活動の場合、そうした経験的手がかりが、日本にはほとんど存在していない。
その種のものを見たことも聞いたこともないのだ。
だから、説明を読んでも聞いても、なにをいっているか、人はほとんどイメージを結べない。
<聖句自由吟味活動の基本原則>
具体的に見よう。
聖句の自由吟味活動の基本原則を箇条書きすれば、次の三つになる。
① 吟味素材は聖句(聖書の中の言葉)である。
② 個人に自由解釈を認める。
③ それにスモールグループでの自由吟味活動を加える。
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この箇条書きから、活動者の知性が強烈に活性化し、顔が輝く光景を想像できるか。
できない。
もし、多少なりとも共通した性格を持った活動を知っていれば、そういうイメージを連想することもありうるだろう。
箇条書きの言葉にどまらない事象を想像する可能性も出るだろう。
だが、類似した経験素材は心にないから、そういったイメージが伴って出てくることはない。
これが理解を著しく困難にする。
<怒り出す牧師センセイもいた>
聖句自由吟味メソッドの本場は今では、米国南部のサザンバプテスト地域だ。
鹿嶋はそこに一年間滞在し、この活動に自ら参加もしてしてやっと悟った。
そして日本でこの活動を言葉での説明を試みた。
数人以上の日本の牧師さんたちに説明してもきた。
だが誰一人として、言ってることを理解できた人はいなかった。
中には、聞いていて解らなくて、怒り出したボクシ先生もいた。
“私の牧会方法にケチを付けるつもりなのか!”~とでも言わんばかりに。
<本場の宣教師も日本ではスモールグループをさせない>
もっと端的な事例もある。
米国サザンバプテスト教会の連盟は、すでに100年にわたって日本にも宣教師を派遣してきている。
宣教の拠点としての学校も設立していて、九州の西南学院大学はその本拠機関だ。
宣教師は現在首都圏だけでも8名程働いている。
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宣教師は日本でも伝道活動して多くのバプテスト教会を開拓してきた。
教会では日曜毎に礼拝活動をしている。
彼らを派遣している母教会では、日曜礼拝においてスモールグループ自由吟味活動は必須メニューだ。
礼拝前にたっぷり1時間程かけて信徒はグループの小部屋に別れて相互吟味し合う。
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ところが彼らが日本で開拓した教会のほとんどは、そうした活動を信徒にさせていない。
日曜礼拝では、聖句朗読し、賛美し、説教して、献金して終わっている。
一般のプロテスタント教会と変わりない。
中には試みている教会もあるが、精神活性化はみられない。
自由吟味活動の真髄を、日本人にはどうしても理解させられないのだ。
<歴史をたどってみるか・・・>
こと聖句自由吟味メソッドの真髄については、日本では通常の説明では全く伝わらないのだ。
思案の末、わたくし(鹿嶋)は、この聖句自由吟味活動が出現した歴史の中で説明してみようと思い立った。
かなり迂回の多い説明になるだろうが、迂回する中に共通した経験素材も含まれるかも知れない。
次回から、試みてみよう。