鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

米国への無知を正す43 ~「マルクス=真理」気分の残存~

2015年10月17日 | 米国への無知を正す





前回、レーガン=ゴルバチョフという奇跡のコンビが、社会主義圏を早春の雪が解けるかのように、溶解させてしまった様を述べた。

今回は、その後のマルクス理論への、人々の気分について述べる。

「マルクス思想を正確に知る必要」の議論は、今回でおしまいである。





<知られざる「雪解け変革」の故に>


前回、前々回に話したような事柄は、特定の人々にしか知り得ないものである。

ジャーナリストにも、一般の経済学者すらにも、この情報は得られない。

その状態で、ソ連に率いられていた社会主義圏は、崩れていった。

その崩壊は自然現象のごとくであった。

+++


普通、社会体制の変革は、暴力革命となる。

資本主義体制から共産主義・社会主義体制への変革も、労働者を率いた指導者によって、暴力的に成し遂げられた。

それからすると、共産主義体制から資本主義体制への変革も、暴力の伴うものだと予想される。

だが、それは、雪が解けて川の水になって流れるかのように、変化した。

人々の受ける衝撃は少なかった。

しかもその変革の実情は、前述のように、特殊の人々にしか知り得なかった。

これらが重なって、人々は、マルクス理論の「暗」の部分に目覚めることのないままで、新時代を迎えることになった。

かくして、「マルクス理論は絶対正しい」との印象を抱いたままで、多くの人々は今日まで来ることになった。




<「アメ帝!」の時代>

戦後日本ではマルクス理論全盛期は、昭和40年代前半まで続いた。

筆者は、その昭和30年代後半に、経済学徒だった。
(いわゆる近代経済学ベースのゼミに属していた)

当時、法政大の今井ゼミなどは、マルクスゼミを代表する一つだった。

+++

ゼミ生は、こう確信していた。

~資本主義は必ず帝国主義に発展して、後進諸国を植民地化しようとしていく。

先進資本主義国は、植民地奪取争いを必然的にする。

だから、人類は常に世界戦争の危機に置かれる。

この動向の戦後のチャンピオンは、資本主義国の親玉、アメリカである。

+++

こういう認識から、「アメリカ帝国主義」という用語も造られた。

略して「アメ帝」と隠語化した。




<「国独資!」もあるよ>

その種の専門用語には「国独資」というのもあった。

曰く・・・。

~独占資本家は、労働者による革命を恐れて、国家権力を抱き込む。

こうして資本制社会の寿命を延ばそうとあがく。

+++

彼等は、資本主義のこの段階を「国家独占資本主義」と命名していた。

略して国独資である。

当時、全国ゼミナール大会などで、「アメ帝!」、「国独資!」なる用語が、一般語のごとくに飛び交った。

年配の諸氏には、懐かしい思い出かもしれないが。





<米国認識の目を覆う>


こうした風潮が、昭和30~40年代の社会気分を形成した。

社会主義圏崩壊がなし崩し的であったがために、その気分が残されたままで、現在まで来ている。

だから、いまだに、多くの人々が「アメリカ=悪の根源」的な気分から抜け切れていない。

それが若年層をも「教育」してしまう。

+++

「根源」となれば、やること全てが、悪意によるものと解釈される。

これが、米国に関する正しい認識の、茫漠とした目隠しになっているのである。

+++

〔アメリカが全ていいとは言わない)

(だけど、この認知状況は、やばいヨ・・・)








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米国への無知を正す42 ~レーガン=ゴルバチョフ、世紀の大芝居~

2015年10月12日 | 米国への無知を正す





前回、ハイエクの洞察が、まず、モンペルラン協会の発足・拡大と、マッカーシー旋風を引き起こしたことを述べた。

今回は、その後の出来事を記す。





モンペルラン協会は発展を続けた。

特に、その、国際会議は大規模化した。

大会には正規会員の何倍という人数が、彼等の推薦を受けて世界中から参加するようになった。

+++

筆者は1980年の大会に参加した。

(ある有力会員の推薦による出席だった。ハイエク、フリードマンの経済学とその行動を学ぶにつけ、筆者はこの方から多くの学恩を受けている)

米国・カリフォルニアで行われたこの大会には、1000人を超える人が参加していたと思う。

一般討論の会場には、前年に英国首相となったサッチャーの片腕のような人も出席していた。

+++

そういう風だから、それまでの大会には、ロナルド・レーガンやサッチャーも招待参加していたであろう。
彼等はすでに、ハイエクの洞察に共鳴し、世界を全体主義の悲劇から守ることに使命感を抱いていた。

1980年のモンペルラン国際会議には、レーガンを大統領にして、世界の社会主義化に歯止めをかけようという熱気も満ちていた。

フリードマンは『選択の自由(Free to Choose)』を出版して、援護射撃をしていた。

そしてレーガンはその年、1980年、この大会の後に、ジミー・カーターに地滑り的圧勝をし、翌年大統領に就任した。






<ゴルバチョフ>

他方このとき、ソ連にも変化が起きていた。

革命後60年がたったソ連では、ハイエクの予測どおり、全体主義の恐怖統制による生産停滞が、末期的状態にきていた。

ソ連も、革命後しばらくは、労働英雄(カトリックの聖人のパクリ)を造ったりして、労働者を鼓舞できていた。
たが、そういう子供だましは、長続きするものではない。

1970年代末期、ソ連の労働者の労働意欲は減退し、生活の喜びもなくなり、ウオッカがやたら売れる状況になっていた。

こうしたソ連に、ゴルバチョフという合理的精神に充ちた政治幹部への期待が高まっていた。

彼は教条主義とはかけ離れた、合理的思考の持ち主だった。

当時、ソ連に起きている生産機能不全を、西欧マスメディアが彼に指摘したことがある。
そのときなど彼は、「ソ連には経済発展段階の遅れがあって、社会主義方式をとったのもやむを得なかったのだ」といった旨の、応答をしていた。

こういう人物である。
教条主義者なら、「それは資本主義的害悪からでた毒のある指摘だ」とでもいうところだ。

ゴルバチョフの応答は、まるで近代経済学者のそれだった。


+++

けれども生産機能が末期的に低下してしまったソ連では、ゴルバチョフの明晰さへの期待は高まる一方だった。

1985年、ついに彼はソ連共産党書記長に選ばれるに至った。




<レーガンの洞察と行動>

そのゴルバチョフと、レーガンは、単なる外交的交流を超えた、親交を結んでいった。
レーガンの西部開拓者的おおらかさと、包容力ある人格、愛嬌に充ちた人柄が奇跡的にそれを可能にした。


+++

二人の間に具体的に、どんな会話が交わされたかは、知りようがない。
だが、レーガンとの親交に併行して、ゴルバチョフはソ連を漸進的に変えはじめた。

彼はペレストロイカ〔改革)とグラスノスチ(情報公開)というキャッチワードをかかげ、事を進めていった。

どちらもマルクス思想の教条主義からしたら、とんでもないかけ声である。

マルクスの社会思想では、問題はその本質を一層推し進めて解消すべきもの、となる。
「改革」など本筋を離れたとんでもない思想なのだ。

「情報公開」はもっともっと、社会主義方式に反するものだ。

全員を統制経済の中で働かせるには、情報を伏せて、共産党一党独裁でいくしかない。
情報公開などしたら、自由の気風が台頭し、様々な党派活動を容認せざるを得なくなる。
秘密主義は、共産主義体制の必須政策なのだ。

だが、ゴルバチョフのこのかけ声は、まるで当たり前であるかのようにソ連議会を通過していった。

それほどまでに、人民を国家権力で統制して行う生産方式は、悲惨な状況にあり、
このなかにあって、ゴルバチョフのあの明晰な知的資質は、ソ連の人々にとって、残された唯一の希望の灯火だったのだ。

彼が政策提案すると、市場システムも導入されていった。
それはマルクス方式を崩していって、ソ連はなし崩しに社会主義国家でなくなっていった。

+++

すると、従来ソ連に統制されて社会主義方式を維持していた周辺社会主義国家でも、共産党独裁体制は崩れていった。

この変化は、あまりになし崩し的で自然現象のごとくだったが故に、我々はその変革の巨大さを自覚できないできている。

世界はまるで夢を見ているような心理状況だったのだ。




<戦後人類は世界戦争勃発の危機の中で暮らしてきた>

だが、考えてみよう。
ゴルバチョフ以前のソ連は、マルクス思想を抱いて、全世界の共産化に使命感を抱き、資本主義圏に敵対してきた。

強大な核兵器を持って、市場経済諸国とにらみ合いを続けてきた。

その間、人類は「いつ終末的核戦争が起きるかわからない」という恐怖の中で暮らしてきたのだ。

レーガンは、ゴルバチョフの天才を洞察し、彼の変革を後押しし、この恐怖を解消したのだ。





<ベルリンの壁崩壊>

1989年11月10日、東西ベルリン市民は、ベルリンの壁をツルハシで壊し始めた。

この時点での米国大統領は、大ブッシュ(任期1989年1月20日~1993年1月20日。レーガンの副大統領任期は1981年1月20日~1989年1月20日。後のジョージ・ブッシュ大統領の父)だった。

けれどもこれは、すべてレーガン=ゴルバチョフの引いた路線上での出来事であった。

+++

この二人が米ソ両国で、同じ時期に指導者となったのは、不思議にさえ思える。

とりわけ、ゴルバチョフを後押ししたレーガンの仕事が大きかったことを、我々は知るべきである。




<レーガノミックス、新自由主義は大芝居の一環だった>

~余談である。

(「アメリカンドリーム」のスローガンを掲げ、急進的な規制緩和を進め、一時的に資本主義経済を過熱させた「レーガノミックス」も、実は、市場経済の効率をソ連に認めさせ、社会主義経済をやめさせるを主目的とする手段だったのだ)

(時の総理大臣、中曽根もそれを日本から「リゾート開発ブーム」で支援した。1980年代の過剰バブル景気は、人類滅亡の危機を解消するを主目的とする大芝居の一環だったのだ。 中曽根はそのことは語ることなく、墓場まで持って行くだろうが・・・)

+++

(ついでに言うと、いわゆる新自由主義経済政策というのは、実はこういう特殊な目的のための政策であった。 それを普遍の原理と誤解して、そもまま今も推し進めようとしているのが、日本の政権者である。民主党政権時代にもそれはあったが、今、自民党政権でそれがひどくなっている)

(自由市場制度には、短所もある。 
市場経済を推奨した「経済学の父」アダムスミスですら、すでにそれを指摘している)

(たとえば取引上の立場の弱い弱者に正当な労働価格を支払わせなくする、という性格を市場制度は持っている。)

(これらの短所を補修しつつやらないと自由市場経済は機能しなくなる)

(「市場原理主義」などというのは、マルクス教条主義と同様に、思考の浅薄な経済学者が主張する、妄想なのだ)

(安倍政権は特に、一日も早くそれを知らねばならない。でないと、知らず知らずのうちに弱者を苦しめていくことになる)





話を戻す~

こうした大芝居を打てる大統領を生み、人類滅亡の危機を取り除くようなことが出来る国は、米国をおいて外になかった。

こんなこと、他のどの西欧諸国にも出来はしない。
もちろん、日本など遠く及ばない能力だ。

われわれは、もっと米国を深く認識すべきなのだ。






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米国への無知を正す41 ~ハイエク「暗」の部分を明るみに出す~

2015年10月03日 | 米国への無知を正す





前回、マルクス理論の「明」の部分の扇情力が、わずか半世紀余の間に世界を二分したことを示した。

この動向が続いたら、世界全体が全体主義の暗黒時代に突入することもあり得た。




<『隷従への道』>

だが、そのなかで一人の学者がマルクス理論の「暗」の部分を明るみに出した。

経済学者ハイエクがその人で、彼はそれを著書 『隷従への道』("the Road to Serfdom”) の中で、論理的に順を追って明かしていった。

+++

この本は1944年に米国で出版された。

1944年といえば、太平洋戦争終結のわずか1年前である。

マルクス理論はすでに19世紀に世に出ている。

あまりに遅きに失した観があるが、それほどにマルクス思想の「明」の部分の扇情力が強かったということだろう。

がともかく、遅ればせながらこのハイエクの本が出た。




<モンペルランソサエティー>

ハイエクは高度に論理的な思考の人であって、その内容を理解できたのは、世界においても一部の人であった。

だが、その一部の人たちは学者や、知識があり行動的な資産家だった。

1947年、彼らはスイスの小さな保養地、モンペルランで「ハイエクセミナー」を開いた。

39人の参集者はモンペルランソサエティーという学会を形成し、ハイエクの洞察を広める決意をした。

彼等は世界のあちこちで研究会(カンファレンス)を毎年開くことで合意した。
また、個人的には日常にも様々な啓蒙活動を試みた。




<みんなが「社会主義的」に>


ハイエクは著書の中で、「いまや全ての人の社会思想は程度の差こそあれ社会主義的になっている」と嘆いた。

戦後米国の大学でもそうであって、東海岸のアイビーリーグと称された銘柄大学の教師はみなそうなっていた。

中西部のシカゴ大学だけが例外で、ハイエクは、戦時中ナチスの迫害を逃れて、この大学に身を置いていた。

+++

ハイエクの影響の中で、国家の危機を強く感じた上院議員もでた。

マッカーシー〔1946年当選)である。

この議員の予備調査では、公的機関の要職に就いている人々の多くが、すでに密かに社会主義的な思想を持って働くに至っていた。





<マッカーシー旋風>

彼は、1950年2月に「国務省には205人のスパイがいる」と宣言し、レッド・パージ(共産主義者追放)運動を開始した。

日本では赤狩り、とも呼ばれたこの運動は強烈だった。

それは全国的に展開され、マッカーシー旋風とも呼ばれた。

赤狩りはGHQという日本の支局にも及び、そこでも徹底した調査と追放がなされた。

米国ではそれは大学教員にも及んだ。

当時ハーバード大学にいた日本人経済学者・都留重人氏が、逮捕逃れのために仲間を売った、と噂されたのもこの頃である。





<今もワルモノイメージが強いが>

マッカーシーの運動で、米国の公職から、社会主義思想に染まった人物はほぼ一掃された。

だが、その運動の徹底ぶりが米国人に衝撃を与えたこともあって、彼には今もワルモノのイメージが強い。

+++

もちろん、評価の声もある。

たとえば後年、筆者が身を置いた米国のとあるシンクタンクでの、中心的研究者たちはそうであった。
彼等が「マッカーシーの働きがなかったら、米国はどうなっていたかわからない」と語っていたのを、筆者は憶えている。

+++

その一方で、筆者の友人だった別の研究者は「マッカーシーは凶暴・残忍な人物」と吐き捨てていた。

彼は、身の回りの公務員が過酷に調べ上げられたただ中にいた。
その時の心の傷が1980年代になっても残っていたのだ。

そしてこの心情の方が米国では一般的であった。
いまもそうだろう。

それほどに、赤狩りは全国的で、かつ、熾烈を極めたのだ。

+++

ともあれ、ハイエクの鋭い洞察は、まずは二つの動きを米国に引き起こした。

モンペルラン協会の発足・拡大と、マッカーシー旋風がそれであった。









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米国への無知を正す40 ~マルクス「明」の部分の強烈な扇情力~

2015年10月02日 | 米国への無知を正す





前回、マルクス理論には「明」と「暗」との二つの面があることを示した。

今回はその続きである。

+++

人類はマルクス理論の「暗」の部分がほとんど認識できなかった。

「明」の部分が、たぐいまれなる扇情力をもっていたからである。





<不平等への怒りと富める者への憎悪>

扇情力を構成するのは、第一に、この理論が人の心に生成さす不平等への怒りである。

それに、不平等で得をしている資本家への憎悪が加わる。

さらにそれは人の心に正義感をも燃え立たせる。




<理想社会を切望させる>

マルクス理論が示す、理想社会への道筋もまたわかりやすかった。

~市場制社会では、時と共に、生産活動の桎梏(手かせ足かせ)ができていく。

これが呪いとなって、生産機械も原料もあるのに、生産が出来ず人々は貧困に陥っていく。

だがその究極の原因である私有財産制をなくすれば、、生産活動はフル回転し、この世に生産物は増大の一途となる。

マルクスはその世界を~

「能力に応じて働き、必要に応じて取る」のが当たり前の社会、~と表現した。

実はこのフレーズは聖書のなかにある聖句(新約聖書『使徒行伝』のなかの聖句)なのだが、マルクスがそれをパクッたかどうかは実証されていない。

が、とにかくその社会では、もはや人々は生産物を巡って争うことはない。
社会の全員が愛でもって結びあえる。

マルクスのこの理屈は、一般大衆にも非常にわかりやすかった。
人々は理想社会の夢に、ほとんど酔った。

人類史において、これほどの扇情力を持った思想はあまりないのではなかろうか。





<知識人が革命を起こす>

知識人も同意した。
ロシア帝国のレーニンは、マルクス理論をさらに展開させ「帝国主義論」を著した。

彼は指導者となって、ロシアに初の社会主義国を実現させた。

指導者たちは~、
「この社会は人類の理想であって、全世界に広げ人々を救わねばならぬ」

~という使命感に燃えた。

「インターナショナル」という世界革命運動組織をつくり、まず、周辺国をなし崩しに社会主義化した。

そして、ソ連〔ソビエト連邦社会主義共和国)をつくった。




<中国では毛沢東が>

第二次大戦後、中国でも毛沢東が社会主義革命を成功させ、社会主義の中華人民共和国ができた。

従来、中国の統治権を手にしていた蒋介石は、共産主義思想の不気味な「暗」の部分を直感した。
そして、毛沢東の率いる共産党員をとらえ処刑した。

だが、当時の中国民衆を一体化させる力においては、マルクス思想が圧倒的に勝っていた。

時と共に共産党勢力が優勢になり、ついに、毛沢東が勝ち、蒋介石は台湾に逃れて独立政府をつくった。

<キューバ、北朝鮮、北ベトナムも社会主義に>

キューバもこの思想で革命を起こし、功労者チェ・ゲバラと共に、カストロが国家運営を始めた。

朝鮮も、北半分が共産主義国になった。

ベトナムでも、北は社会主義国になった。

これらの国もまた、南の共産主義化を自らの使命と信じた。





<世界を二つに割った>

こうして、世界の半分弱が社会主義国になった。

結果的には、マルクス思想が世界を二つに割ったのだ。

その扇情力の強さと広範さは恐るべきものであった。











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米国への無知を正す39 ~マルクス理論の「明」と「暗」を正確に知る~

2015年10月01日 | 米国への無知を正す





米国を知るためだけでなく、日本を知るにも、世界を知るにも、現代人はマルクス理論を正確に知ることが必須である。

だが実体はその逆になっている。

ほとんど全員がマルクスの理論と思想の正確な知識なしであれこれ論じているのだ。


+++

マルクス理論は、明の面と暗の面とを持っている。





<マルクスの経済理論>

まず、明の側面だ。

それは資本主義経済の性格を明確に示したことだ。

彼はその理論を、資本主義社会の「分析」から開始した。

+++

資本主義社会は、人民を自由にしておき、市場メカニズムの調整作用でもって生産活動を維持しようというシステムの社会だ。

マルクスは、このシステムは必ず行き詰まる,と考えた。

彼の論理は次のようになっていた。

~資本家は、生産手段を私有している。
彼らは労働者にしかるべき賃金を支払わない。
つまり搾取をしている。

資本家はその搾取分を独り占めし、その一部を自分たちの贅沢な生活に使い、残った分を、生産機械に再投資する。

すると、器械が増えて生産効率が上がり、その分労働者がいらなくなる。
削減された労働者は失業者となる。
すると、それだけ国家の総所得が減少し、商品需要も減る。

そうなればその分、生産も出来なくなり、また、雇用が減少し、需要が減る。

以下、同様のプロセスが進み、資本主義方式では、国家の経済はこういう縮小循環をしていく。

生産手段〔機会や原料)をたくさん持ちながら、それを発揮できない状態になっていく。

いわゆる「豊富の中の貧困」に陥っていく。





<根本原因は私有財産制度にありとする>

マルクスは、この動きは必然的であるとし、その真因を私有財産制度だと認識した。

資本家は、工場、機械を我が物にしているから、搾取が出来る。

そこで私有財産制をなくし、生産手段を公有化すれば、経済の桎梏(しっこく)はとりのぞかれ
生産力は全開する。

そうすれば人類は、豊かな理想郷に至ることが出来るだろう。

そのために労働者・民衆が革命によって生産手段を公有化すべきである。
そうすれば理想社会はオートマチックに実現される。

~これがマルクスの社会思想であり、歴史観だった。

マルクスは、「社会主義社会」という理想世界の夢を人類に供給した。

これが「明」の側面だ。




<「暗」の側面~革命後経済運営論の欠陥~>



マルクス理論の暗の側面に話を移す。

さすがのマルクスにも盲点があった。
それは革命後の組織運営面でのものだった。

+++

彼は、私有生産手段を公有化すれば、理想社会はオートマチックに実現すると思っていた。

だが「イッツ・オートマチック」は、宇多田ヒカルの歌の中だけの出来事であって、実際には国家社会は暗黒の全体主義に入っていくのだ。

+++

別の機会にもう少し詳細に述べるが、実体はこういうことだ~。

資本家から企業をとりあげ国有化すれば、実際には、国家や地方政府の役所の企業運営部門に、何百という企業を集めることになる。

これを運営するのは、並大抵ではない。

革命前に一つの私企業を運営するだけでも、経営者〔資本家)は四苦八苦した。
なのにそれらの生産活動を、中央政府で一手に運営しようというのは至難の業である。

担当官僚は全国生産計画をつくるだろう。
だが、これは本質的に大まかでずさんなものにしかなり得ない。

これでもってやろうとすれば、各生産活動にノルマを定めて、人民を命令=服従=懲罰の方式で管理するしかない。
社会主義方式では、そうするしかないのだ。




<恐怖で動かすシステム>

けれども、これは恐怖ベースで人を従わせる方式である。

恐怖感で動かされれば、労働者は、時と共に自発性を失っていく。

企業内でも企業間でも、臨機応変な相互連携がなくなっていく。

あちこちで原料不足が起き、欠陥生産物が発生する。





<秘密警察、思想警察>

だが中央政府は、いまさら後に引くわけには行かない。
そこで人民の不満をいち早く押さえつけるために、企業内に労働者の相互密告制度をつくる。

政治活動もそうだ。
社会主義以外の思想や政党活動を赦すと、人民がそちらにいってしまう。
そこで共産党以外の政党も認めないという、一党独裁制度も実施することになる。

この体制を維持するためには、各地点に思想警察を忍ばせねばならない。
極端な場合には、家庭内にすらも相互密告制をしかねばならない。

社会主義方式での生産活動を続けようとすれば、ごく自然に、こうなっていくのだ。

市場経済社会に生きてきた人間にとっては、この社会はほとんど地獄となる。

+++

悪口を言っているのではない。
マルクス思想の持つこの不気味な「暗」の側面を、人類はきちんと知らねばならないのだ。







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