量子力学の知識を用いて、ビッグ聖句の解読をすすめよう。
聖句はこれだったね~。
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「諸君が私(の言葉)に留まり、私の言葉が諸君の内に留まれば、欲しいものは何でも求めなさい。それはかなえられます。
(ヨハネによる福音書、15章7節)
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~そのうち、今回は、「諸君が私(のことば)に留まり・・・」に焦点を当てる。
わたくし鹿嶋の解読を「イエスはこう言っているだろう」との言い方で述べるよ。
<小休止せよ>
イエスはおそらくこう言うだろう。
~私の言葉を受けても、すぐに解釈をはじめるな。
なぜなら、その作業は、既成の概念(言葉)、既成の知識を私の言葉に当てはめ、それでもってカバーして 理解しようとすることだからだ。
だが、わたしのことばは、従来諸君が考えなかった思いを伝えている。
それは、既成の概念でカバーしきれないものを、もともと含んでいるのだよ。
そして、それこそが、私が諸君に教えようとしていることなんだよ。
(だから安易に解釈に入っても駄目なんだよ)
ではどうするか。
言葉を受けたら、まず、小休止せよ。
きちんと小休止して心を鎮めよ。
これが第一レッスンだ。
<黙想に入れ>
第二レッスンはこう続くだろう~。
そして、私の言葉波動が形成する波動世界の中に、まずひたれ。
そのなかに、諸君の意識をうずめ置け。
(日本語聖書の「留まる」は、鹿嶋の英語聖書ではアバイド(abide)となっている。
アバイドは「住まう」で、こちらの意味がより的確そうだ)
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住まってどうするか?
黙想を開始せよ。
黙想の「黙」は「言葉を使わないこと」だ。
「想」は「想う」ことだ。
では言葉を使わないでどうやって想うか。
心の波動で創造神の言葉が形成する波動ワールドの波動を聞くのだ。
この場合の「聞く」とは、自分の意識波動を創造神の言葉波動に共振、共鳴させることである。
この共鳴が最も実在感の濃い認識になる。
哲学者ベルグソンの認識理論もそう言っている。
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この共振を得るのを待つ。
黙想しながら自分の意識波動が共鳴するまで待つのだ。
それも「共鳴させよう!!」と顔引きつらせて待つのではない。
わたし(イエス)を信頼し、親愛の情を持って、ゆったりと待っていたらいい。
それが「イエスの言葉のなかに住まう」ということだ。
ゆったりと黙想しつつ住まっていたらいい。
それが第二ステップだ。
<イエスの言葉波動に意識波動が共振>
イエスの教えはさらに続くだろう。
~黙想を続けていると、私の言葉波動に諸君の意識波動が共振する覚える時が来る。
すると、私の言葉が秘める意味が、諸君の感性、霊性に感知されてくる。
それは、概念から得る実在感よりも、遙かに濃厚な実在感を与える。
それまで体験することのなかったような、リアルな実在感だ。
これが第三ステップだ。
<理性が新概念を細断する>
第四ステップ。
理性が作動するステップだ。
人間には理性という能力が与えられている。
感性に受信されたものがリアルになると、この能力が自動作動し始める。
それは、感性内容にぴったり適合する新概念を作り始める。
あたかも身体にぴったりフィットする洋服を裁断するかのように、独自な新概念を細断する。
そして、それを用いて、イエスの言葉の「確かな」解読が形成される。
その作業には、他ならぬ自分の人生体験も照合される。
これまでに読み吟味した他の聖句も動員されてくる。
そして、この上なくシャープで確かな「自分の解読」が出来上がるのだ。
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以上のステップを「諸君が私(のことば)に留まり・・・」は含んでいる。
ビッグな聖句は内容もビッグで豊富なのだね。
今回はここまでにしておこう。