鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

<SG用再録3> “いのち”はエネルギー

2009年02月01日 | 若者よ、聖書を知れ!
ハワイのISさんより第3回SG用の吟味テーマをいただきました。
最初のコメントもいただきましたので以下に掲載いたします。
ISさん有り難うございました!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                    


 若者よ。
 創造主が地球を創り、表面を海と陸とに分け、植物、動物をつくったんだったね。
そこに人間を創った。人間には、これらを支配せよ、といった。産めよ増えよ、地に満ちよ、といった。

 それから、ず~と時が流れた。そして今から6千年ほど前に、別の人間・アダムを創った。
このアダムの身体には、「いのちの霊」を入れた。そして彼のいる地、エデンを楽園に造った。

 聖書のイメージ世界を、そこまで紹介し、前回は、霊のことを話したよね。

 今回は、「いのちの霊」のうちの「いのち」を説明するよ。


                    


 「いのちと」いうのは、創造主から発射されているエネルギーだと思ったらいい。
創造主は、いのちエネルギーの源・総元締めだね。

 エネルギーは波を打ってやってくるけどいのちエネルギーもそうだ。つまり、波動をもっている。

アダムの霊は、この「いのちエネルギー」を吸収し蓄積できるように造られたんだ。
このあたりは、充電式の乾電池をイメージしたらいいだろう。

乾電池って、内部に電気を蓄積しているよね。
そして、この電気を放電して、ウオークマンやパソコンを動かしたり、
最近は自動車まで動かすようになってきた。

でも、使っていると、だんだんと蓄積されていた電気の量が少なくなる。
けれども、充電式は、コンセントにつないでまた充電することができるよね。


                    


 「いのち」というのは、この電気のようにイメージしたらいいよ。
 で「いのちの霊」は、この電気を内部に蓄積できる充電式乾電池だ。


                    

 「いのち」というエネルギーを蓄積すると、いいことあるか?
 あるんだよね。
 これが霊の内部にあると、創造主から発せられるいのちの「波動」がよく共鳴する。
すると、創造主の思いがよくキャッチできる。

 また、自分のうちにあるいのちエネルギーの波動を発信して、創造主と交信することもできるんだ。
 この発信が「祈り」だね。

 アダムは、そういうことができる、特別な人間として造られたんだね。

                    

 では、それよりズ~と前に造られた人間はどうかというと、これにも霊はある。
だけど、この霊は、創造主の思いを受信したり、自分の思いを発信したり(これが祈ること)は、できない。

 だって、「いのち」エネルギーがないんだから。
 創造主と同じ種類のエネルギーをもってないから、その波形の波動を発信することはできないわけ。

 人間同士でも、こういうこと多少はあるよね。
 愛し合っているもの同士は以心伝心という。

お互いに言わなくてもある程度、波動でわかっちゃう。
波の形が同じ波動を発信してるんだろうね。

♪ むーごん(無言)、色っぽい ♪

~~なーんちゃってね。


                     

 人間だけでなく、動物にも霊はあるよ。
 かわいがっていたペットが死ぬよね。
 その後、そのペット(の霊)を見たという証言は、た~くさんあるよ。
 こういうことを研究する科学も盛んだ。

 で、こちらの霊も、身体が死ぬとそこから出るんだ。
 正確に言うと、霊が出ると、身体は死ぬし、霊が戻るとまた生き返る。
 生き物はそういう風になっている。

 霊が出ると、肉体のなかの血液循環運動が停止する。
 すると、肉体は、腐り始める。
 そして、崩壊して消滅する。

 腐ると言うことは、崩壊していくことなんだよね。


                    


 動物は、霊があっても、自分を造った創造主なんて全然意識にないよね。
 その状態で、仲間うちで無邪気に生きている。

 アダムの前に造られた人間も、そうだったんだ。
しかし、アダムは創造主の思い、創造主の意識に感応する。
ビンビン感応する。

 そして、この人間の子孫が、現在の我々人類につながっている、と聖書は言うんだ。
さ~あ、どうやってつながってきていると、聖書は言うのか・・・・・。



                    





コメント (39)
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アフターメッセージ:「考える宗教」が必要

2005年09月20日 | 若者よ、聖書を知れ!
         



若者諸君。

 鹿嶋春平太おじさんが予定していた概略説明は終わったよ。
 説明を続ける途中で、よろこばしいコメントを一ついただいた。
 最後に、これを紹介して、若者に集中的に語りかけるページを閉じることにしよう。
くりまんさん、転載させていただきますよ。

+++

鹿嶋おじさん ありがとう (くりまん)

はじめまして。
いつも拝見させていただいております。

 二年前に私に起こったことがいわゆる「聖霊のバプテスマ」であると理解できたのは、何気なく図書館でみつけた先生の著書「神とゴッドとはどう違うか」によってでした。もし先生の著作と出会っていなかったら今ごろは・・・それほど私にとっては大きな出会いでした。


「キリスト教=道徳教」というイメージが教会内でも浸透している中で、鹿島先生の「いのち」「霊」をふまえた解説によって、私は本当に自由を知ることができました。

 私は港区の「宿命のマイナー校」(納得笑)の卒業生ですが、先生を知るのが卒業後になってしまったことをとても残念に思っています。

 これからも鹿嶋おじさんのご活躍を期待しております。 ありがとうございました。
 
+++


これは、大事な点を示唆してくれてるコメントだ。
「聖霊のバプテスマ」など上級編の項目が含まれていて、初心者の若者諸君にはわかりにくいこともあると思うけど、これは読み飛ばしてくれ。

ひとことでいうと、「考える宗教」がいかに今の日本に必要かということを示唆してくれているんだ。
これを読んで鹿嶋おじさんは、啓発を受けた。この機会に、すこしこの方向で追加議論をしておこうと思うようになったよ。

ただし、これからは、若者諸君だけに語りかけるものではない。
諸君も含めた多くの方々に向けて語ってみることにする。
新しく「考える宗教へ」というカテゴリーをもうけて、やってみる。
興味がある人は引き続き読んでくれれば幸いだ。


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人生で一番大事なことは?

2005年09月19日 | 若者よ、聖書を知れ!



 若者諸君。

 聖書の世界観、歴史観は概略、これまで示したようなものだ。
 これは真理だろうか?
 なかなか判断しがたいことだよね。

 だが、イエスの弟子たちは、このイエスの教えを真理だと確信した。
たくさんの奇跡も見たしね。
 彼らが、自分が「永遠の」幸福への道を確保した、と確信した最初の人々。

 これは永遠にかかわることだからね。
 世の中、永遠でないことがたくさんあるけど、それは、時が流れればいつか終わる。
悲しみも、苦しみも、いつか終わる。
時は流れを止めないからね。

+++

 だけど、永遠なものは終わらない。
だから、終わるものと永遠なものとのどっちが大事かというと、永遠だよね。

 そこで、まず、永遠の幸福を確保する。
 そして、その次に、終わることにも努力を注ぐ。
 イエスはそういう生き方を勧めた。

 この世のことは、すべて、いつかは終わって消滅するけれど、全く大事でないことはない。今、人間はこの世で生きてるからね。
 だから、そこでもがんばるが、それはまず、永遠な幸福を確保してからだ。
 弟子たちは、イエスの言葉に従った。

+++

 こういう世界観を真理だと思った人には、自然と使命感が生まれるようだ。
 イエスの弟子は、この知らせを、できるだけ多くの人々に知らせようとした。
 
 伝えられた人の中からも、「この知らせは真理だ」と感じる人たちが出た。
 彼らにもまた、それを伝えようという使命感が芽生えた。
 新たな弟子になったんだね。

 で、知らせる。
 と、また、真理だと思う人が出る。
 ・・・こうして、イエスの教えは、今日まで広がってきたんだね。

+++

 でも、諸君は、これを真理だと思う義務はないよ。
 それでも、この世界観を知ることは、有益だ。

 信じて無くても、それを知っていると違ってくる。
 何か他の教えを受けたとき、それを比較してみる材料になる。
    比較は客観的にものを見るために、不可欠な手段だからね。

 冒頭にも言ったけど、「心になにも世界観がない」というのが一番危険だ。
イブだって、一定の世界観、人生観が心にないからやられた。
 悪魔の提供する世界観が、心に残ってしまったからね。

 ~~以上で、聖書の世界観の概略説明を終わります。ず~と読んでくれた人がいたら、ありがとう。

                    鹿嶋春平太

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イエスがもたらした「救い」とは?

2005年09月18日 | 若者よ、聖書を知れ!




 若者諸君。

 今回は、イエスが造った「救い」の構造を示すよ。

  「イエスは神の子です」という言葉も、どこかで聞いたことない?
正確には、「創造主の子」だ。

 その理屈はこうなっている~~

+++

 イエスは処女マリアから生まれた。
 人間の男によってではなく、聖霊によってみごもった。

 聖霊というのは、創造主から無数に出た創造主と同質の霊だ。
だから、創造主と同じく、いのちエネルギーの源になっている。
これがいっぱいこの世にやってきている。
その霊によって、マリアは身ごもった。

 そうであれば、イエスはアダムから不完全充電の霊を受け継いでいない道理になるよね。
 イエスの身体の内には、聖霊があることになる。

+++

 さて、聖書には、もう一つの法則が書かれている。
人の肉体の状態は、根底的には霊の状態で決まる、というのがそれだ。

 アダムの霊が、いのちエネルギーによる充電度100%の時は、アダムの身体は死なないものだった。エデンの園で永遠に生きられるようになっていた。

 ところが、その充電度が不完全になった。
 100%のうちの何パーセントかの霊の部分は、いのちが欠ける状態になった。
 「いのち」の欠けた部分は聖書では、いのちの反対の性格を持った部分となる。
 いのちの反対、すなわち、「死」の部分だ。

 不完全充電になったとき、アダムの霊には、何パーセントかの死の部分ができたわけ。
すると、その肉体も、霊の状態を反映して、ある時死ぬようになるんだ。

+++

 でも、アダムもその子どもたちも1000年近く生きている、と聖書には書かれている。充電の不完全度が今の我々より遙かに低かった、ということになるのかな。
そうすると、人間の霊の充電度は、歴史の中でだんだんと低下してきていることになるか。
 が、とにかく、アダムが追放されて以後、法則として人間はみんな死ぬようになった。

+++

 ところがイエスの霊はそうでないからね。
充電度100%なのに加え、そこからはいのちエネルギーが放射されている。
聖霊はいのちの源泉だから。
泉から水がわき出るように、湧き出ている。

 だから、全然死ぬ法則の下にはないんだよね。
イエスの身体は・・・。

+++

 なのに、ユダヤ教の僧侶たちは、彼を十字架にかけて殺すわけ。
イエスの身体の循環運動を、物理的に力でできなくしてしまうわけね。

 すると、イエスの身体を活かしていた、いのちエネルギーがあふれ出るわけだ。
イエスは、これを「人間の霊の充電不完全部分を補うものをして使え」と生前言い残していく。

 この法則を心に受け入れたものは、最後の審判の時に、ホントに霊が補足充電されて完全充電になる。
 殺される前にイエスは弟子たちにこう言い残す。
そして殺され、復活し、天国に昇天する。

~~~少し長かったけど、そういうことになっている。これがイエスが人間に開いてくれた「救いの道」ということになっているんだよ。

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イエス「救い」の道を開く

2005年09月17日 | 若者よ、聖書を知れ!



 若者諸君。
 
 聖書といえばキリスト教、キリスト教といえばイエス・キリストだよね。
 イエスは、聖書の世界観、歴史観の中でどういう仕事をしてるだろうか?

 ここで推測してみよう。
エデンの園を追放されたときのままだったら、人間は最後の審判の時どういう判決を受けることになるだろうか?
これを考えたら浮かんでくるだろう。

+++

 人類はみんなアダムの子孫だったよね。
加えて聖書では、霊の資質は、父親を通して遺伝していく、という教えだ。

 一本の木から枝出て、その枝からまた小枝出て行くよね。
 人間の霊も、そういうイメージだ。
 アダムの霊から、子孫の霊が次々に枝分かれしていくんだ。

 だから人類の霊は、みなアダムの資質を持っていることになる。
つまり、最初から不完全充電になっているわけね。

+++

そして、ひとたび不完全充電になった霊は、もう完全充電には戻らない。
これは前に説明したよね。

 そこで、もしも、人間の霊がエデンの園を追放されるときのままなら、どうなるか。
 なんと、全員有罪で、火の湖行きだ。

 もう、お先真っ暗。

 +++

 イエスは、そういう絶望的な状態の人間に、希望の灯火をもたらす。
そういう存在となって、アダムから4000年後にこの世に登場することになっているんだ。 

 イエスは、人間が天国に行かれる道を切り開く。
霊が不完全充電になって、自らの力ではどうにもできない人間だ。
これが、最後の審判の時、その霊を完全充電に戻す道を切り開くんだ。

 次回それを、もう少し具体的に示すね。

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最後の審判

2005年09月16日 | 若者よ、聖書を知れ!



 若者諸君。

 我々の生きている今より後について、聖書の言うところを見よう。

 「ノアの箱船」の後にもこの地上にいろんなことが起きる。
 が、最終的にはこの宇宙は火で焼かれて消滅し、火の湖になる、と聖書は言っている。

 地球も宇宙の中にあるから、当然焼けて消滅する。

 そうするとどうなるかは、アドバルーン・天国と、サッカーボール・宇宙、ピンポン球・地球を思い出せばわかる。宇宙が消滅するのだから、残るは、火の湖と天国(天の創造主の王国)だけとなるよね。

+++

 そのとき、創主はそのどちらに行くかを決める裁判を行う、と聖書は言っている。 

これが「最後の審判」と呼ばれているものだ。
このときの判決によって行くことになる、天国と火の湖の暮らしは、どちらも永遠だ。
それがず~と続く。
もう裁判はない。
だから「最後の審判」なんだ。

 名前くらいは聞いたことない?
ミケランジェロの絵でも有名だけど・・・。

+++

 最後の審判をするところには、それまでに生きてきたすべての人間が立つことになる。

 もちろん、死んだ人は身体が消滅して無くなっているけれど、霊は消滅しないからね。
死後も、全員が霊として残っているわけ。

その霊が霊の身体、すなわち、霊体となって裁きの場の前に立つわけ。

+++

 裁きの基準は、単純明快だ。
 その霊が、いのちエネルギーで完全充電されているかどうか、だ。

 完全充電なら天国行きの判決を受ける。
 そうでなければ、天国には入れない。

 そのとき、宇宙はなくなっていて、空間といえば天国か火の湖しかない。
 だから、天国に入れない人は、火の湖行きということになる。

 天国は、永遠に続く楽園。
 火の湖は、熱い、熱いといって永遠に苦しみ続けるところ。

どちらも永遠だ。
時が流れたら終わるというものではない。

 そのどちらかに振り分けられるか、というのは大きいよね。
その最後の機会が、最後の審判となっているんだ。

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ノアの箱船

2005年09月15日 | 若者よ、聖書を知れ!



 若者たちよ。
 「ノアの箱船」、という言葉聞いたことない?

 これも聖書の中の言葉。
これからその話が出てくる。
 創世記の話が始まってすぐ出てくるから、聖書の物語としては、ずいぶん早い時期のものだ。

+++

 アダムとイブの子孫の男の子たちが、それ以前の人間の娘と雑婚した。
それで問題が起きたよね。

 だけど創造主は、対処するんだ。
 ノアという人を選ぶ。
 ノア家は創造主の教えをよく守る信仰深い家系だ。
 だから雑婚も全くない家系。

 彼に巨大な船を造らせる。
 そこに、ノアの家族を入らせる。
 のみならず、すべての動物を一つがいずつ入れさせる。

+++

 そして、延々と大雨を降らせる。
 すると、山の頂上も水に沈んでしまって、箱船の外のものはみんな死んでしまう。

 これが“ノアの洪水”。
 聞いたことあるんじゃない? この言葉。

+++
 
 そうしたら、創造主は、雨を上がらせる。
 そして、再び現れた地表に、ノアの箱船の中にいたものが出て行く。
 繁殖する。

 で、今の人類は、ノアの家系から再び繁殖を開始した人々となる。
 ということは、以後はみんな「いのちの霊」を肉体の中に持った人間になった、ということだ
 全員、アダムの子孫になったわけね。

 だから、創造主はもうこういうことをする必要が無くなる。
 それで、人類は今日にまできている、というのが聖書の世界観だ。

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アダムの子孫、雑婚する

2005年09月15日 | 若者よ、聖書を知れ!



 若者諸君。
 
 エデンの楽園を追放されたアダムとイブはどうなると思う?
まず、二人の間に子供ができる。
 最初は二人の男の子。 カインとアベルという。

 その後にも、次々と子供ができる。
 その子供たちが結婚して、また、子供が生まれる。

 こうして二人の子孫は繁殖していく。

+++

 それで“めでたしめでたし”か?
 ・・・そうはイカンザキ!

+++

 創造主は、アダム以前に、たくさんの人間を造っていたよね。
 それはアダムのような「いのちの霊」を入れられた人間ではなかった。
 エデンの楽園の外にはすでに彼らがたくさんいた。

 その娘たちの容姿が、非常に美しかったようだ。
 そこで、アダム、イブの子孫の若者たちは、彼女らと結婚したがった。
 だけど、それは創造主は、するな、と戒めていることだ。
 だが、結婚してしまう。

 すると問題が起きるんだ。
 生まれてくる子供にだ。

 「いのちの霊」を収容するに適さない身体に、アダム、イブの「いのちの霊」が入った子どもができることになる。

+++

 それで、その子どもたちの最長寿命は短かったようだ。
    
 といっても、120歳くらいだったけどね。

 アダムやその子孫たちの最長寿命は、当時、1000歳近かったと、聖書には書いてある。これと比べたらずいぶんと短いわけだ。

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エデンの園から追放される

2005年09月14日 | 若者よ、聖書を知れ!




 若者諸君。

アダムとイブのうちにある霊は不完全充電になってしまったよね。
 今回はその結果どうなるかの話だ。

 創造主は、彼らをエデンの園から追放しなければならなくなる。

 どうしてかというと、実はエデンの園は、天の創造主の王国のミニチュア版として創造主は創ったからだ。天国の模型だね。

そして、天国は、霊がいのちエネルギーで完全充電されている存在だけが暮らす空間だからだ。不完全充電な存在は、いることができないんだ。

+++

 よく「神様(創造主)は全知全能だから、何でもできる」というよね。
 だが、正確にはそうではないよ。

 創造主は、自分が造った被造界に秩序(ルール)をつくる。
 その秩序でもって、整然と被造界を運営する。

 その際、自らも、そのルールに反したことはできない。
 反することをしたらどうなるか。

    自分で造った秩序を自分で壊すことになってしまう。
    だからできない。 

 このように、創造主にもできないことはあるんだ。
 そこで、アダムとイブを楽園から追放せざるを得ないんだ。

+++

 楽園の外とはどこか?
 答えは、今我々がいるこの地上の世界。
    これが聖書の世界観だ。

 二人が追放されたとき、そこは楽園ではなかった。
いばらもあり、土地はやせており、人間は額に汗して働かねば食えない。
かくして、人類の苦難の歴史が始まるというわけ。

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悪魔、イブに働きかける

2005年09月13日 | 若者よ、聖書を知れ!






若者諸君、大変だ!
 悪魔はエデンの園にやってくるんだ。
そして、アダムではなく、イブに働きかけるんだ。

 「創造主が、“知識の木の実を食べるとあなたは死ぬ”と言われたそうだけど、そんなことありませんよ」
 「本当は、あなたが創造主のように賢くなって、自分で善悪の判断ができるようになるんですよ」
 「創造主は、それがいやなだけですよ・・・」

無垢なイブだ。
 悪魔が刷り込んでくるイメージに対して、対抗するイメージ世界が心にない。
 だんだん悪魔からのイメージが心の中でふくらんで、ついに、食べてしまう。
 そして、これを夫のアダムにもあげると、アダムも食べてしまった。

+++

 で、二人は創造主のように賢くなったか?
 全然ならなかった。
 つまり、だまされたんだね。

+++

 だが、気がついても“後の祭り”。
 とりかえしがつかない。

 なぜかというと、ここで、「いのちの霊」を入れて創られたことが効いてくるんだ。

 「いのちの霊」は、いのちエネルギーを充電できる、充電式乾電池だったよね。
 「いのち」は、創造主から放射されてくるエネルギーだったよね。

 乾電池は、常時少しずつ放電している。
 はじめ充電度が100%であっても、放っておけば時とともに低下していく。

 100%の完全充電状態にある中で、それを保つには、常時創造主に意識が向いていなければならない。そうして、創造主と意識が完全協和してなければならないんだ。

 ところが、今回、悪魔に働きかけられて、創造主から意識をそらしてしまった。
 その間、意識が創造主と協和状態でなくなった。
 そうして霊が不完全充電になってしまった。

 問題なのは、そうなると、もう完全充電に戻らない、ということだ。

+++

 、なぜか?
 これには前に紹介した~~

   「霊は意識の本体」

          ~~といったことが効いてくるんだ。
 
 創造主の意識の状態を「聖」という。
英語ではホーリー(holy)だね。
 富士山の頂上で朝を迎えたときのような、すがすがしい意識といったらいいかな・・・。
 創造主は、人間など被造物をしかったりもするけれども、その意識のベースはいつもホーリー。

+++

 人間の意識もホーリーになりうる。
だがホーリーになる度合いは、その霊がいのちエネルギーでどれほど充電されているかで決まるんだ。

 完全充電だと、完全ホーリーな意識が出てくる。
 不完全充電だと、不完全ホーリーな意識が出てくる。

 そして、不完全ホーリーだと、創造主の意識と完全協和しない。
 すると、いのちエネルギーを吸収し充電する力も不完全になる。

 だから、もう完全充電状態には戻らなくなってしまったんだね。

+++

 ややこしいから、まとめるね。

 要するに・・・
 
  アダムとイブの霊は不完全充電になってしまった。
→ そのために、意識が、不完全ホーリーになってしまった。
→ その結果、充電力が不完全になってしまった。
→ だからもう、完全充電に戻らない。
 
 ~~~こういうことになってしまったんだね。


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悪魔が登場する!

2005年09月13日 | 若者よ、聖書を知れ!




 若者諸君。
ドラマが始まるよ。
悪魔が登場するんだ。

 悪魔って言葉聞いたことあるよね。
 これはもともとは聖書の言葉のようだ。
 英語ではサタンという。

 これが早くもエデンの園に登場する。
 けど、悪魔ってなんだ?

 どうやって造られたんだ?
 実はこれは、天使として創られたことになっている。
 そして創造主に反抗することによって変質したものだと・・・。

 このあたりのドラマをのぞくと、聖書のイメージ世界が
予想外に壮大なものだとみえてくるよ。


+++

天使は、聖書の最初に出てくる「創世記」の話の前に造られているんだ。
だから、創世記にはそのあたりのことは記されていない。
創世記の「世」というのはこの地球上の「世」のことなんだよね。

 聖書の後の方を見ると、その話を推測できるようになっている。
 それで結論だけここで言うとね。
 天使は、いわゆる「天国」で造られている。
 
聖書に描かれている天国は、我々の住む宇宙や地球上の世と違う。
これがどういうところかをある程度イメージするために、次に、天国、宇宙、地球という三つの空間を示しておこう。

+++

 まず、三つの球体を想像してくれ。
 第一に、大きなアドバルーン。
 第二に、サッカーボール。
 第三に、ピンポン球だ。

 そして、アドバルーンの中にサッカーボールが浮かんでいて、さらにサッカーボールの中にピンポン球が浮かんでいるという状態を想像してくれるか。

 すると、こうなる・・・。
 天国はこの大きなアドバルーンだ。
 宇宙は、その中にあるサッカーボールだ。
 地球は、そのサッカーボールのさらに中にある、ピンポン球だ。

 ホントは、地球はもっともっと小さい。ピンポン球の変わりに、ビー玉をイメージしてもまだ、大きすぎる。
 だけど、まあ、イメージがしやすいように、ピンポン球としておこう。

+++

 この三つの空間のうち、一番最初に造られたのはアドバルーン、すなわち天国だ。
 天国は、創造主によって造られた空間だ。
 造られたのだから、被造空間といってもいい。
 一定の限られた範囲を持っているけど、とてつもなく壮大だ。

天国(Heaven)というのは、正確には、「創造主の王国」(Kingdom of Heaven)という。そこは創造主が王として統治する天の王国だ。それがまず最初に創られたんだ。

王国というのは、王様が統治する国だ。
民主国家ではないよ。
民主国家では人民に主権があり、人民が法を作って統治する。

 王国では王様に主権がある。
 かつてのフランス、ルイ王国のようにね。

そこでは王の口から出た言葉が、法律になる。
天国では王様は創造主だ。
だから、天国では創造主の論理が貫徹している。
 
+++

 天使はここにたくさん創られた。
天国に置かれた「創造主の名」を賛美するのがその使命だとして創られた。

 だが、ある天使長が、部下の天使に自分を賛美させようとした。
 そういう空間を作ろうとした。

 それは創造主の王国の中に、自分の王国を作ろうとすることだ。
 これすなわち、創造主への反抗だ。

+++





創造主は、これを自分の王国に置いておくわけにはいかない。
そこで天国の一すみに牢屋を造った。
そこは暗闇の空間だ。
そして、この空間が我々の住む宇宙ということになる。
アドバルーンの中にあるサッカーボールがこれだ。

ここは、光がほとんど無い、暗闇だ。
創造主は、反抗した天使をここに追い落とし、閉じこめた。

その天使が悪魔に変質して、いま、宇宙の中にあるピンポン球・地球上にやってきた。
エデンの園にやってきた。

もう、ドラマが始まらないわけないんだよね・・・。

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いのちの木と善悪の知識の木は食べるな

2005年09月13日 | 若者よ、聖書を知れ!





若者諸君。
 創造主はアダムに、食べるのによい木をいっぱい生えさせ、妻となる女まで造ってあげたよね。もうまるで猫っ可愛がりみたいだけど、反面そうでないところもするよ。

 創主はアダムとイブに厳しい戒めも与えているんだ。
 まず、エデンの園の中央の場所に、二本の木を生えさせる。

 「いのちの木」と「善悪の知識の木」がそれだ。
 
+++

 そして二人にこういう。
 「他のすべての木からは実をとって食べてもいいけれど、この二本からはとって食べてはいかんよ」

 「戒め」だね。
 恵まれた楽園でも、これがあると「ピリッ」とする。
「浮いた浮いた」の気分に流れることはなくなるよね。

+++

なお、この「善悪の知識の木」は、日本では「リンゴの木」になってしまっていることが多いようだ。
 「アダムとイブがリンゴを食べたんで・・・」とね。
 いつの間にやらそういう話になってしまっているが、正しくは「善悪の知識の木」だよ。

そして、この木を巡って、ドラマが展開するんだ。



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助け手、イブを造る

2005年09月12日 | 若者よ、聖書を知れ!



 若者よ。
 今回はたぶん君たちが知っているところもある話だよ。

 アダムに最高の環境を整えてあげた創造主は、それにとどまらない。
奥さんイブを造ってあげるんだ。
諸君もその名は聞いたことがあるだろう。エバと発音されるときもある。

 イブは女だ。
 創造主はこれを、「アダムにふさわしい助け手」としてつくった、と聖書に書いてある。
 どういう意味で「ふさわしい助け手」なんだろうね。
 とにかく、こうして、ご存じ、アダムとイブがエデンの園に誕生するわけ。

+++

 至れり尽くせりの環境を整えてもらったアダムも、このイブを与えてもらったときには歓喜するんだ。「これぞ私の分身・・・」とね。

 そりゃそうだろう。すばらしい環境として、鳥や獣を造ってもらっても、それらは自分とはかけ離れた姿をしているからね。
ところがこのイブときたら、頭が一つ、手が二本、二本足で立って歩く。
もう自分にそっくりだもんね。

 ともあれ、アダムはイブを見て歓喜する。
 そして、聖書はこういってるよ。
 
「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び会い、ふたりは一体となるのである」
(創世記、2章14節)

 現在、人類の多くは結婚して親元を離れ、家庭をもつよね。
 それは、この時点ですでにそうなるように造られていた、そうなっていた、と聖書は言っているわけだ。

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“いのち”はエネルギー

2005年09月11日 | 若者よ、聖書を知れ!




 若者よ。
 創造主が地球を創り、表面を海と陸とに分け、植物、動物をつくったんだったね。
そこに人間を創った。人間には、これらを支配せよ、といった。産めよ増えよ、地に満ちよ、といった。

 それから、ず~と時が流れた。そして今から6先年ほど前に、別の人間・アダムを創った。このアダムの身体には、「いのちの霊」を入れた。そして彼のいる地、エデンを楽園に造った。

 聖書のイメージ世界を、そこまで紹介し、前回は、霊のことを話したよね。

 今回は、「いのちの霊」のうちの「いのち」を説明するよ。

+++

 「いのちと」いうのは、創造主から発射されているエネルギーだと思ったらいい。創造主は、いのちエネルギーの源・総元締めだね。

 エネルギーは波を打ってやってくるけどいのちエネルギーもそうだ。つまり、波動をもっている。

アダムの霊は、この「いのちエネルギー」を吸収し蓄積できるように造られたんだ。
このあたりは、充電式の乾電池をイメージしたらいいだろう。

乾電池って、内部に電気を蓄積しているよね。そして、この電気を放電して、ウオークマンやパソコンを動かしたり、最近は自動車まで動かすようになってきた。

でも、使っていると、だんだんと蓄積されていた電気の量が少なくなる。
けれども、充電式は、コンセントにつないでまた充電することができるよね。

+++

 「いのち」というのは、この電気のようにイメージしたらいいよ。
 で「いのちの霊」は、この電気を内部に蓄積できる充電式乾電池だ。

+++

 「いのち」というエネルギーを蓄積すると、いいことあるか?
 あるんだよね。
 これが霊の内部にあると、創造主から発せられるいのちの「波動」がよく共鳴する。
すると、創造主の思いがよくキャッチできる。

 また、自分のうちにあるいのちエネルギーの波動を発信して、創造主と交信することもできるんだ。 この発信が「祈り」だね。

 アダムは、そういうことができる、特別な人間として造られたんだね。

+++

 では、それよりズ~と前に造られた人間はどうかというと、これにも霊はある。
だけど、この霊は、創造主の思いを受信したり、自分の思いを発信したり(これが祈ること)は、できない。

 だって、「いのち」エネルギーがないんだから。
 創造主と同じ種類のエネルギーをもってないから、その波形の波動を発信することはできないわけ。

 人間同士でも、こういうこと多少はあるよね。
 愛し合っているもの同士は以心伝心という。

お互いに言わなくてもある程度、波動でわかっちゃう。
波の形が同じ波動を発信してるんだろうね。

♪ むーごん(無言)、色っぽい ♪

~~なーんちゃってね。


+++

 人間だけでなく、動物にも霊はあるよ。
 かわいがっていたペットが死ぬよね。
 その後、そのペット(の霊)を見たという証言は、た~くさんあるよ。
 こういうことを研究する科学も盛んだ。

 で、こちらの霊も、身体が死ぬとそこから出るんだ。
 正確に言うと、霊が出ると、身体は死ぬし、霊が戻るとまた生き返る。
 生き物はそういう風になっている。

 霊が出ると、肉体のなかの血液循環運動が停止する。
 すると、肉体は、腐り始める。
 そして、崩壊して消滅する。

 腐ると言うことは、崩壊していくことなんだよね。

+++

 動物は、霊があっても、自分を造った創造主なんて全然意識にないよね。
 その状態で、仲間うちで無邪気に生きている。

 アダムの前に造られた人間も、そうだったんだ。
しかし、アダムは創造主の思い、創造主の意識に感応する。
ビンビン感応する。

 そして、この人間の子孫が、現在の我々人類につながっている、と聖書は言うんだ。
さ~あ、どうやってつながってきていると、聖書は言うのか・・・・・。


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アダムは創造主と交信できる人間として創られた

2005年09月10日 | 若者よ、聖書を知れ!





 若者諸君。
「聖書を知れ!」というのは、「アリガタヤ、アリガタヤ」とやるためではないよ。
いわゆる宗教を持つため、信者になるためでもないよ。

 世の中について、人間について、とにかく一つの考え方を、イメージを心に持つためだ。
それで、こころを、とにかく充たすためだ。
満腹にする。
するとね、心が空しくなくなってくるんだよ。

+++

 世界についてのイメージがなんにもない、という状態は、非常に危険なんだ。

君たちに薬物やその他の犯罪を勧める者たちは、まず君たちを説得しようとする。
そして、君たちが自発的にそれをするようにし向けていく。

そのとき、「世の中こんなもの」「人間こんなもの」といった話を必ずまじえる。
そのとき、世の中や、人間や、人生についての考えが、自分の中になんにもないと、
どうなるか。

知らないうちに、その話が心の中に残っていく。
知らないうちに、洗脳されていく。
 それで、時間がたつと、操られることになるんだ。

+++

大人になっても、まとまった「世の中観」、「人間観」が心にほとんどない人がいる。
我々の国、日本にはたくさんいる。

そうなると、ギャンブルにふらふらと足を踏み入れることを続けやすくなる。
お金を取られ、サラ金に手を出す。
借金取り立ての拷問にあって、神経を破壊され、精神的にも壊されていく。

人間や世界に関する考え、イメージが一つ心にあることは、とても大事なことなんだよ。

@      @      @

聖書のイメージ世界の話を続けるよ。
 創造主は、いまから6000年前にアダムを創ってその地を、楽園にしたんだったよね。

何でそんな特別なことをするんだ?
~~今日は、それを紹介しよう。

それはね。
アダムを特別な人間として創ったからだよ。

どういう風に?
創造主と心で交信できる人間としてだ。

そのために、アダムの身体を創ってから、そこに

  「いのちの霊」

      というのを入れている。
 創造主はそんなことをした、と聖書のはじめのところに書いてあるんだ。

+++

 う~ん、「霊」というのが登場するんだね。
霊ってなんだ?

幽霊(ゆうれい)って言葉聞いたことあるよね。
死んだ人の霊。
こわ~い話の中で出てくるよね。

「幽」ってのは、「くら~い」ということだ。
だから、幽霊は、「くら~い霊」ということだ。

 暗かろうが、明るかろうが、その人の身体はもう死んでいる。
ということは、霊はその人の体から、抜け出していると言うことだ。
そして、無くならないで、存続している。

+++

 聖書も、霊をそういうものだと教えている。
 人間が生きている間は、身体の中に入っている。
そして、身体が死ぬと、そこを抜け出て存続する。

+++

 霊については、大事なことがもう一つある。
 それは、人間の意識は究極的には、身体の方ではなく、この霊の方にある、ということだ。
「意識の本体は、霊にある」、といったらいいかな。

 これも、幽霊の話とあっているよ。
 だって、幽霊って「うらめしや~」というだろ?

「うらめしい」というのは「恨みに思っている」ということだ。
なんの恨み?
身体が生きていて、その中にいたときの恨みだよ。
生前の恨み。
生きている間に、恨みに思うことがあったんだ。

その意識は、霊が身体を抜け出ても、霊の中にとどまっていたんだ。
これが幽霊だ。
意識というのは、霊という場のなかにあるんだ。
だから、「怨めしい」んだろ。

+++

 聖書も同じ考えだよ。
霊は意識の本体だ。

コンピューターで言ったら、ハードディスクみたい。
そこに、考えたこと、感じたことなどの意識の記録、記憶はある。

で、脳とか神経とかいうのは、肉体の一部だ。
これは、モニターやキーボードだと思ったらいい。

つまり、脳は霊の中にある意識の記録を、モニターで見る。
そして、「これは、もう少しこうした方がいいな」
と思ったら、キーボードで修正を加える(これが、人間の「意志」にあたる)。 
そして、修正された意識はまた、霊というメモリーに記録される。
   上書きされる。

で、肉体が死んで、脳が活動しなくなったら、
霊は記録を持って外に出る。
   そういう仕組みだ。

+++

なお、ここで神経というのは、電線(コード)みたいなもんだね。
脳と霊とをつないで信号をやりとりさせる通路だ。

そして、この電線は霊のすべての部分に行き渡っているのではない。
だから、信号をキャッチしてモニターに映し出せない部分もある。

   この映し出せない部分が、頭脳で自覚できない意識の部分だ。
霊のこの部分にある意識が、いわゆる「潜在意識」だ。

聞いたことある? この言葉。
他方、モニターに映して、「ああ俺は今こんな意識なんだな」と
自覚できる部分が、「顕在意識」

+++
 
 潜在意識、顕在意識というのは、心理学の巨匠、フロイトという人の考え方だ。
この人が、精神分析学で教えている人間心理の構造は、聖書とそっくりだ。
 フロイトが聖書を勉強したのか、勉強して聖書の考え方をパクッたのか。
それは知らないよ。

 次は、「いのちの霊」の「いのち」について説明するね。

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