前回、日本の新聞社は大きくなって、若い社員を海外遊学に出せる経済的余裕が出来ても、出さなかった、と述べた。
先輩(上司)たちは「俺たちはやってもらわなかったのに」といった不公平の故に、出さなかった、といった。
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だが、先輩たちに、「世界の中での新聞社の役割を鳥瞰」する目があれば、不公平感に優越する明日のビジョンが心中に生じただろう。
後輩を海外に出そうというビジョンが。
問題は、そういう大局的な鳥瞰の目が、日本のマスコミ人に出来なかったことにある。
<見えない影響者>
そういう萎縮した心理状態をもたらす、最大の要因は、人間の意識にある神イメージである。
神とは、人間の立場から定義すれば、「見えない影響者」だ。
人は神が、意識を持っていると想像する。
見えない意識体を霊というから、神とは「霊的な影響者」ということができる。
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人間は、持って生まれて、そういう影響者に関する意識をもっている。
産まれて成長する中で、それを「物質の中に存在」するもの、とイメージしてきている。
筆者はそれを在物神(物質の中に存在するとイメージされる霊的存在)と呼ぶことにしている。
(いつものような神意識イメージ図を、ここでも掲げておこう)
<在物神意識は心の基底にある>
人は、物質を認識するとき、それに先行して存在するものとのニュアンスで在物神を意識している。
まさか、と思う人も多いだろうが、たとえば、暗い夜道を歩いていると、向こうから一人の幼女が歩いてきたとする。
近づいたとき、無表情な目で自分を見たとする。
ぞっとするだろう。
顔に髪の毛がぱらりとかかっていたりしたら、もう恐怖で頭が真っ白になる!
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もちろん、幼女には物理的に危害を加える力はない。
ぞっとするのは、幼女の身体以外の影響者、つまり、霊を意識するからだ。
幼女の背景に存在する霊的存在を意識するからだ。
ことほど左様に、人は、物質の背景に常時在物神を意識している。
それを、幼女に先行して存在している神とのニュアンスで、漠然ながら意識している。
(それを図示したのが、神イメージ鳥瞰図の右側部分だ)
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そして、それは感覚的には同居と言うより、物質の「ベースにある」と意識される傾向にある。
見えないものであるが故に、見えるものの基盤に、感覚的に意識されるのだ。
<創造神イメージの供給>
人間は自然なままなら、上記のような状態でいる。
だが、そこに、別の神イメージを導入する書物がある。
説明を今ここでは述べないが、聖書がそれだ。
この教典書物は、万物を創造した神、つまり、創造神のイメージを供給する。
そして、「実はまことの神は、在物神でなくこちらなのだよ」という。
<最初は実感が伴わない神>
ここで留意していくことがある。
在物神は、モノの中に、ベースとして実感されている神だ。
つまり、最初から、人間の実感が伴っている。
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その点、創造神は対照的だ。
このイメージには実感は、最初は伴っていない。
それは、外から「ことば」として供給される理念だからだ。
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だが、永遠に実感が伴わない神とは限らない。
この概念を、肯定的に認識する(「信じる」とはそういう認識方法)と、心に定着する。
すると、時とともに(事後的に)、実感がわき上がってくる。
けれども一定の吟味・探求をする前に実感が伴うことはない。
創造神は、そういう神イメージだ。
<論理能力をつくる>
創造神イメージは、このようにイメージを論理的に構築させていく。
この精神作業は人間に「知」を育成する。
<理念力も造る>
これを別の言い方で言うと、思いに筋道が入るということになる。
思いに筋道〔論理)が入ると、理念になる。
これを吟味検討すると、人の内には理念力が育っていく。
聖書文化圏〔主に西洋)の人間は理念で自らを動かし、社会を動かしてきた、といわれることがある。
それには、この理念力が大きくあずかっている。
<長期にして広大な意識空間を造る>
時間的にも空間的にも無限者といったごとき神イメージは、広大の極でもある。
このイメージは、人の意識世界をも拡大する。
人の内に大局観の目、鳥瞰の目を育成していくのだ。
もし、新聞社の先輩たちの心にこれがあったら、「俺たちは海外にやってもらわなかったのに」といった不公平感を凌駕する明日のビジョンも開けただろう。
「不平観はあるが、やはり、日本の明日のために、後輩たちを若い内に海外に出そう」という気持ちも生まれただろう。
<モデルとしている西欧社会の精神構造>
実は、日本が明治維新以来、国家作り、社会造りのモデルとしてきている西欧社会は、創造神イメージによって精神の構造変化を遂げたに人間が造り上げ、維持してきている社会なのだ。
その外枠だけを模倣吸収し、人間の精神構造がそれに適応していないのが、維新以来の日本社会である。
夏目漱石も指摘したその構造は、戦後の今も、全くといっていいほど、変わっていない。
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それが日本に奇異なる現象を生み続けている。
その種の現象に目が開けた日本人もいる。
米国在住のkozue yamamotoさんなどはその人で、フェースブックで、厳しく批判し続けておられる。
母国日本への愛情が深意が故に、指摘を止められない、といった観がある。
歯に衣着せぬ批判の厳しさは、打開策が見出せないが故の、いらだちにもよるだろう。
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だが、現代日本の、不可解な社会問題、人間問題の多くは、神イメージの窓から覗くと、よく見えてくる。
すると、その打開策も、浮上してくる。
日本人は、自らの神イメージについてじっくり考えてみる必要がある。
「ワァッ、宗教だ!」なんて、いつまでも恐れ縮こまっていてはいけない。
吟味を重ねていけば、必ずや目は開けてくるのだから。