鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

米国への無知を正す45~日本的問題をのぞく窓は「神イメージ」~

2015年11月29日 | 米国への無知を正す






前回、日本の新聞社は大きくなって、若い社員を海外遊学に出せる経済的余裕が出来ても、出さなかった、と述べた。

先輩(上司)たちは「俺たちはやってもらわなかったのに」といった不公平の故に、出さなかった、といった。

+++

だが、先輩たちに、「世界の中での新聞社の役割を鳥瞰」する目があれば、不公平感に優越する明日のビジョンが心中に生じただろう。

後輩を海外に出そうというビジョンが。

問題は、そういう大局的な鳥瞰の目が、日本のマスコミ人に出来なかったことにある。


<見えない影響者>

そういう萎縮した心理状態をもたらす、最大の要因は、人間の意識にある神イメージである。

神とは、人間の立場から定義すれば、「見えない影響者」だ。

人は神が、意識を持っていると想像する。

見えない意識体を霊というから、神とは「霊的な影響者」ということができる。

+++

人間は、持って生まれて、そういう影響者に関する意識をもっている。

産まれて成長する中で、それを「物質の中に存在」するもの、とイメージしてきている。

筆者はそれを在物神(物質の中に存在するとイメージされる霊的存在)と呼ぶことにしている。

(いつものような神意識イメージ図を、ここでも掲げておこう)










<在物神意識は心の基底にある>

人は、物質を認識するとき、それに先行して存在するものとのニュアンスで在物神を意識している。

まさか、と思う人も多いだろうが、たとえば、暗い夜道を歩いていると、向こうから一人の幼女が歩いてきたとする。

近づいたとき、無表情な目で自分を見たとする。

ぞっとするだろう。

顔に髪の毛がぱらりとかかっていたりしたら、もう恐怖で頭が真っ白になる!

+++

もちろん、幼女には物理的に危害を加える力はない。

ぞっとするのは、幼女の身体以外の影響者、つまり、霊を意識するからだ。
幼女の背景に存在する霊的存在を意識するからだ。

ことほど左様に、人は、物質の背景に常時在物神を意識している。
それを、幼女に先行して存在している神とのニュアンスで、漠然ながら意識している。

(それを図示したのが、神イメージ鳥瞰図の右側部分だ)

+++

そして、それは感覚的には同居と言うより、物質の「ベースにある」と意識される傾向にある。

見えないものであるが故に、見えるものの基盤に、感覚的に意識されるのだ。









<創造神イメージの供給>

人間は自然なままなら、上記のような状態でいる。

だが、そこに、別の神イメージを導入する書物がある。

説明を今ここでは述べないが、聖書がそれだ。

この教典書物は、万物を創造した神、つまり、創造神のイメージを供給する。

そして、「実はまことの神は、在物神でなくこちらなのだよ」という。





<最初は実感が伴わない神>

ここで留意していくことがある。

在物神は、モノの中に、ベースとして実感されている神だ。

つまり、最初から、人間の実感が伴っている。

+++

その点、創造神は対照的だ。

このイメージには実感は、最初は伴っていない。

それは、外から「ことば」として供給される理念だからだ。

+++

だが、永遠に実感が伴わない神とは限らない。

この概念を、肯定的に認識する(「信じる」とはそういう認識方法)と、心に定着する。

すると、時とともに(事後的に)、実感がわき上がってくる。

けれども一定の吟味・探求をする前に実感が伴うことはない。

創造神は、そういう神イメージだ。







<論理能力をつくる>

創造神イメージは、このようにイメージを論理的に構築させていく。

この精神作業は人間に「知」を育成する。







<理念力も造る>

これを別の言い方で言うと、思いに筋道が入るということになる。

思いに筋道〔論理)が入ると、理念になる。

これを吟味検討すると、人の内には理念力が育っていく。

聖書文化圏〔主に西洋)の人間は理念で自らを動かし、社会を動かしてきた、といわれることがある。

それには、この理念力が大きくあずかっている。


<長期にして広大な意識空間を造る>


時間的にも空間的にも無限者といったごとき神イメージは、広大の極でもある。
このイメージは、人の意識世界をも拡大する。

人の内に大局観の目、鳥瞰の目を育成していくのだ。

もし、新聞社の先輩たちの心にこれがあったら、「俺たちは海外にやってもらわなかったのに」といった不公平感を凌駕する明日のビジョンも開けただろう。

「不平観はあるが、やはり、日本の明日のために、後輩たちを若い内に海外に出そう」という気持ちも生まれただろう。


   



<モデルとしている西欧社会の精神構造>

実は、日本が明治維新以来、国家作り、社会造りのモデルとしてきている西欧社会は、創造神イメージによって精神の構造変化を遂げたに人間が造り上げ、維持してきている社会なのだ。

その外枠だけを模倣吸収し、人間の精神構造がそれに適応していないのが、維新以来の日本社会である。

夏目漱石も指摘したその構造は、戦後の今も、全くといっていいほど、変わっていない。

+++

それが日本に奇異なる現象を生み続けている。

その種の現象に目が開けた日本人もいる。
米国在住のkozue yamamotoさんなどはその人で、フェースブックで、厳しく批判し続けておられる。

母国日本への愛情が深意が故に、指摘を止められない、といった観がある。

歯に衣着せぬ批判の厳しさは、打開策が見出せないが故の、いらだちにもよるだろう。

+++

だが、現代日本の、不可解な社会問題、人間問題の多くは、神イメージの窓から覗くと、よく見えてくる。

すると、その打開策も、浮上してくる。

日本人は、自らの神イメージについてじっくり考えてみる必要がある。

「ワァッ、宗教だ!」なんて、いつまでも恐れ縮こまっていてはいけない。

吟味を重ねていけば、必ずや目は開けてくるのだから。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国への無知を正す44 ~日本マスコミ人の惨状~

2015年11月04日 | 米国への無知を正す






前回、マルクス理論の「暗」の部分を、人々(特に日本人)は未だに認知していなくて、「マルクス=真理」気分が日本では大勢を占めている、ことを述べた。

マルクス思想の不気味な部分は、本来、新聞などのマスメディアは理論的に知らせるべきである。
だが、日本では、マスコミ人にその能力が伴っていない。

信じがたいことに聞こえようが、ここで、その事実を述べておく。

+++

筆者はその事情を前にも書いている。

~【日本のマスコミと政治的無能について】
2012年07月09日 | 「幸せ社会の編成原理」~

で述べている。
だが、これは見逃してはならないことなので、要約してここに再録する。




<新聞社生い立ちの貧しさ>

マスメディアの走りは新聞だ。
日本ではそれは明治維新以降に生成した。

維新後、日本政治の最大課題は「国の西欧化」だった。
そのためには為政者はとにかく「洋行して現場を見なければ」ければならなかった。
現場を見ないことには、具体的政策は浮かばないからだ。

そこで乏しい国費から指導者とその候補を海外に出した。
岩倉具視を団長とする西欧視察団に始まって、人材をふんだんに遊学させた。 
 
「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟も、ともに海外遊学に出してもらっている。

国民は、そのための重税に耐えた。
             
だが、新聞社を始めた人々には洋行するお金はなかった。






 <扇情的記事を中心にするしかなかった> 

西欧を中心とした国際社会の実情を肌で感じられるようになるには、最低限、2年くらい海外でゴロゴロする必要がある。
ところが新聞社は貧しくて、記者はもちろん、社主にもそれをさせられなかった。

西洋の現場情報がない彼らは、政府の政策に関して具体的な評論などなにもできない。

だから政治家の汚職とか女性スキャンダルの暴露記事などを中心とした紙面しか作れなかった。

そして『魔風恋風』といった類の、扇情的な連載新聞小説で読者の興味を引くしか出来なかった。

このように、もう出発点から、日本のマスコミは「低級」を宿命づけられていたのだ。

<俺たちが遊学させてもらってないのに>

だったら、新聞社も大きくなったら若い者を海外遊学させたらいいではないか、と常識的には考えられるが、そうならないのが「日本人」だった。

先輩(上司)たちには「俺たちはやってもらわなかったのに」といった不公平が強く、結局、特派員以外は出さなかった。

それが風習化・制度化して、戦後登場したTVメディアの世界にも及んでいる。
新聞社に始まった旧態がなんと、今日のマスコミ界全般にまで及んでいるのだ。

+++

その状況で歳を取るのだから、マスメディアの論説委員もインテリジェンスは低い。
論説委員なんていうと、聞こえがいいけれど、会って話してみると、信じられないほど凡庸だ。
NHKも**通信といった通信社も事態は同じだ。




<限られた観察経験だが>

筆者の限られた体験だが、そうした中で「これではいけない」と気づき、定年近くになって、早期退職して、遅ればせに米国暮らしなどをする人も、少数ながらいた。

彼らは、前職のイメージを活かして、どこか日本の大学の専任教員になりたいと望んでいた。
それで日本の大学教員とつながりをつけようと、米国の大学キャンパスをごろごろしてもいた。 

それで、うまくいった人もいた。
日本の大学は、依然として、大新聞とか通信社とかNHKとかの肩書きイメージに弱かった。






<一般企業の海外駐在員の方が優れていた>
                                 
他方、当時メーカーなど一般企業は、1980年代くらいになると、湯水のように海外勤務に社員を送り出していた。
その彼らの方が、大新聞やNHKの幹部記者より国際社会への見識をはるか豊かに持っていた。
その現象は、おそらく、今も続いていだろう。





<NHK政治情報の低級さ事例>

ことほど左様に、日本のマスコミ人は低級だ。

日本の大手マスメディアの低級さを例示している記事(2010年7月30日)を紹介する。
このチャーチに時々寄稿下さっているSabiaさんのブログから、記事の主要部分をコピペさせてもらう。




+++

(以下、引用)

昨夜、NHK9時のニュース番組を見ていると、民主党の勢力争いを「わかりやすく」解説していた。
要は総理を中心に、実力者の誰と誰を取り込んで、誰と敵対している云々という話だ。

したり顔の解説者と納得顔のアナウンサーを見ていて、どうも報道のありかたを勘違いしているように思われてならなかった。
なぜ、政治家としての理念や掲げている政策の違いなどに言及しないのか?

党内の勢力分布図というと、いかにも分析しているみたいだけど、実際は民放で昼間にやっているワイドショーと同レベルだ。

国民が政治家に願っているのは、誰が権力の座についてもいいから、経済を立て直し、外交ではメンツを保ち、社会を安定させてくれることのはずだ。

その過程で誰と手を組もうが、反目しようが二の次三の次の問題だ。

政治に関心があるというのは、政党内外の人間関係に興味があるということではないはずだと思う。

まして、野党ならまだしも民主党は与党なのだから、国のために何をしてくれるかだけが問題になるのでなければ、チャンチャラおかしい。

わざわざ天下のNHKが、ゴールデンタイムに、丁寧に解説することでもないだろうと、不審に思ってた次第でした。

(引用、以上)

+++





戦後、日本統治のため厚木空港に降り立ったマッカーサー、GHQ司令長官が日本で放った第一声は~

 「日本人は政治的には13才」

~だった。

戦後、テレビも加わったマスメディアは、この状況を変えるべき強大な情報散布力を持っている。

だが、その物理的機能は、上記のごとき知的無能に故に、有効に働いていない。

マルクス理論の正しい知識も、それ故に、人々に伝えられない状態に留まっているのだ。








コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする