鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

(臨時版)人生観比較・再論

2015年09月26日 | 米国への無知を正す



この2~3回に、米国人と日本人の人生観についてのべた。

フェースブックにて孤軍奮闘で日本に警鐘を鳴らし続けておられるkozue yamamotoさんの問いに応えるためもあって、ここでもう一度この二つを比較しながら、~繰り返しを含めながら~、人生観についてまとめてみようと思う。





<統治者は社会の安定を志向する>

人は集まって社会を形成する。

一旦出来あがると、その統治者は、社会の安定のために自らの価値観に人民を染め上げようとする。

それは本能のようなものであって、人民の方にこれといった価値観がなければ、どこまでも染め上げを進めようとする。




<個人の喜びに最大価値を置いていた人々>

だが、聖句自由吟味活動者は、自らの喜びを持っていた。

それは、聖句の奥義を、自由吟味を通して見出したとき、味わえるものだった。

この喜びは、知性と精神の神髄に至る深いものであった。

彼等は、それを何ものにも代えられなかった。
それ故、統治者の統一志向に従順することなく、聖句自由吟味活動を守り通した。

+++

英国に大量移住した彼等の姿は、英国人に深い感銘を与えた。
その結果、英国人にもこの喜びを密かに取り入れようとするものが、増大した。





<王権神授説に取って代わる思想>

ときあたかも英国には、王権神授説が流布していた。

王の統治権は、創造神によって直接与えられたもので、絶対だとする思想であった。

そして、この思考枠が聖句吟味をするものにも、自然に取り入れられていった。

人間一人一人に、聖句の自由吟味をする権利が、創造神から与えられているのだ、との思想が自然にわき上がった。

この権利こそ絶対的なもので、それは「王権にも勝る」との思想であった。

そこから、国家社会の統治というのは実は、人民との契約によって成り立つものだという思想も萌え出た。〔「社会契約論」はその代表)





<燎原の火のごとく>

この思想は速やかに広がった。

それは、「人民には、聖句自由吟味にだけでなく、個々人の思考全般の自由も、ひいては言論の自由も権利として与えられている」と拡大した。

また、「国王も国権も、これを犯すことは出来ない」「国政も人権に支障を与えないようになすべきだ」という論理も展開した。

のみならず、「国の統治者は、この自由な人権を最大限に発揮させるようにして、国政を行うべし」という思想も生じた。

そして、これが西欧一般の人権思想となった。





<英国知識人の思想革命>

英国の知識人にも、この思想は強く訴えるものがあった。

その結果、トーマス・モアはこの思想をベースにして社会が運営されている架空の島「ユートピア島」の物語を書いた。

ジョンロックもこの思想をベースに「人間知性論」「寛容について」などを著した。

デビッド・ヒュームも『人間本性論』『英国史』などを書いた。

+++

この思想は、国王の従来の権威を崩し、利益を失わせる力を持っている。

そもそも、王権神授説は国王と一族の益になる思想だ。
だが、彼等の数は少ない。

他方、天賦人権思想は、人民個々人をいい気持ちにするものであり、彼等の数は圧倒的に多かった。

天賦人権思想は、欧州大陸のフランスにも伝わり普及した。

それは植民地米国の人民にも、当然のごとく普及していった。




<日本に人権思想は芽生えない>

いまのべた、欧米の状況から日本史を照らしてみよ。
日本には人権思想など生成しようがなかったことが、よくわかるだろう。

日本の人民の間には、なんとしても守るべき、という活動が、個人の暮らしの中になかった。
聖句吟味活動のようなものは、なかったのだ。

代わりに、江戸時代を通して、武士道という人生観が武士の間に出来上がっていた。

これは「自分が属する藩のために、自分のいのちをなげうつ覚悟を常時定めているべし、という滅私奉公の自爆人生観」であった。

+++

個々人が、自らの喜びのために、肉体の死を賭してでも守ろうとするものを持たなければ、この全体主義の極のような武士道精神は、際限なく個人の人生に浸透していこうとする。

そしてこの思想は、明治の版籍奉還・廃藩置県政策の成功によって、国家武士道に変異した。

さらに日露戦争に辛勝したのを契機に、統治者がこの人生観の浸透に入れ込んでいった~愚かなことに~のである。

大正、昭和期にはこの動向はもう止めようがなかった。
日中戦争、太平洋戦争の時期になると、人民の楽しみである音楽でさえ、多くが敵性音楽のレッテルを貼られ制限された。

言葉すらもそうであって、野球におけるストライクは「本球(ほんきゅう)」、ボールは「外球(がいきゅう)」でとなった。
こう言わないは「非国民」となった。(誰ですか! 吹き出し笑いした人は)

こうして、人民の思考の隅々にまで、滅私奉公・自爆人生観は浸透させられていった。

>何のために?・・・戦争に勝つため。



>では戦争に勝つのは何のため?・・・人民が豊かで自由な暮らしが出来るため・・・

~これはなかった。こんなこと言ったら「非国民」となった。



・・・今思えば「狂っている」と言うほかないが、指導層に参入した人間は、そう思い当たることもなかった。





<敗戦でも新しい人生観は生み出されなかった>


敗戦も、この思想の進路に煉瓦ブロックを置いたに過ぎない。

その結果「もう自分の生命以上の価値など絶対に信じないぞ!」という情熱だけが生まれた。

滅私奉公・自爆人生に取って代わる積極的な人生観を、人民は造ることが出来ないままで前進した。

生まれたとすればそれは~

「命が一番大事だよ。人間元々裸じゃないか。それ以外の価値など、捨てて進もう。♫みんな捨ててこ、ステテコシャンシャン♫」

~という人生姿勢であった。

今日まで、基本的にその状態で日本人は来ている。







<自衛隊は弱い?>

余談である。

「(肉体の)生命が一番」という人生姿勢は、戦場には全く適さない。

適さないどころか、人間を死への恐れでさいなみ続ける。

筆者は、日本の自衛隊は予想外に弱いのではないか、と思っている。

幹部はとにかく若い隊員は、戦場に四六時中置かれたら、死の恐怖で精神・人格が破壊されてしまうのではないか。
特に、囲い込むようにして入隊させられた若者には、精神疾患が続発するのではないかと懸念する。

+++

敗戦は日本人を様々な「縛り」から解放した。

その大半は、GHQがしてくれたものだが、とにかく解放された。

だが、従来の自爆人生観に代わる人生観・世界観は産み出されなかった。

集団的自衛権は、この問題に本格的に取り組ませる契機となるか。
見守っていきたい。

幸か不幸か、70年間の徴兵なき社会の中で、たまたま、徴兵年齢を通過し得た世代としては、勝手ながら、見守っていきたい、という外ない。

若者たちよ、ごめんなさい。














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米国への無知を正す38 ~日本人の人生哲学~

2015年09月23日 | 米国への無知を正す




前回、自由吟味者の人生観と、それに影響されて抱いている米国人一般の人生観をみた。
今回は、それと比較して日本人の人生観を眺めてみよう。

「自分の肉体以上に価値あるものを心に抱く、という型」の人生観は、日本人には結構昔からあった。
だがそれは武士という階級にあった一部の人々のものであった。



<武士の人生観>

昔とは、江戸時代である。
この時期、庶民は人性「観」といえそうな理念を持つには至っていなかった。
それなしで、家族の団らんや男女間の性愛を味わって日々生きていた。

他方、武士階級は、子供時代から「論語」をまなび、儒教の人生訓を学んでいた。

だがこの人生思想は、家族や国家の中での個人の行き方を述べるものであって、人間自然の情を確定する性格の強いものである。
個人を理念によって、自然の情を乗り越えさせるタイプの人生観ではなかった。


+++

けれども武士たちは、儒教由来とは別に、強力な人生理念をもっていた。
武士道がそれである。

江戸時代、武士は藩に分かれて住んでいた。

隣接する藩は、常時潜在的な敵国であった。
これは多民族が国境を接して国家を運営する、近代欧州を緩やかにしたような状況である。

武士たちは、ひとたび他藩との戦になったら、最大の戦力を発揮する心構えで暮らしていた。

各藩では、戦争技術や人員は互いに似たり寄ったりだった。
こういう場合、戦士が「死を恐れない度合い」が戦力を決める。

そこで彼らには、常時「死を覚悟」して暮らすことが求められた。
それが「肉体の生命以上の価値を持つ人生哲学」を形成した。

それが武士道であって「武士道とは、死ぬことと覚えたり」はその核心を示している。





<自分の生命より藩主を上位に置く>

武士道において、自分の肉体の生命以上に価値あるものとは、自藩であり、藩主であり、藩主の栄誉であった。

そのために恐れずに、「自らを戦のための用具とする」人生思想をもって武士たちは生きていたのだ。




<明治新国家の人生観>

明治新政府の為政者たちにとって、これは問題であった。
西欧列強に植民地にされないためには、藩ではなく国家に忠誠させねばならない。

そこで、武士道精神の「型」を利用して、藩と藩主を国家と天皇に移し替えることを考えた。

新政府がいち早く進めた、版籍奉還、廃藩置県がそれであった。

+++

これには藩主の大抵抗が予想された。
彼等は自軍〔武士)をもっている。
これがあちこちで叛乱を起こしたら、西欧列強の思うつぼだ。

西郷隆盛ら明治政府の為政者は、まず、天皇を警備するという名目で、1万の近衛兵つくった。
反抗する藩は、これでもってたたきつぶすという構えでもって、版籍奉還を実現した。

大村益次郎〔村田蔵六)は、広く国民が応募する、西欧式の国軍を創成していった。

このなかで従来の武士道は、国民道となって人民全体に普及していった。

こうやって日本は国民国家の形を整えていったのであった。




<日清戦争>

国民軍を確立した新政府は、手始めに弱体化した清国との戦を起こした。
清国は当時、日本の幕藩国家のような構造になっていて、国家としての一体性は弱かった。

これとの戦争は、ある意味で促成栽培した国民軍隊の練習でもあった。
そして、ここで、国家武士道は有効に働いた。





<日露戦争>

ついで、ロシアと開戦した。

当事この国は、日本の存続をあやうくする国際行動をとってきていた。

日本は恐怖の中で、国の存亡を賭けての戦をした。

そしてかろうじて勝ったが、ここでも国家武士道は有効な機能を果たした。




<国家武士道思想がエスカレートする>

それ故もあって、この勝利は、武士道的国民思想がエスカレートする精神土壌をつくった。

国家の戦のための自爆武器となる人生観を、さらに強化しようと為政者は動いた。

国家武士道を、神社信仰の中に収納することを試みた。

明治天皇死去の際に、乃木希典夫妻に殉死してもらうこともした。
これがまた自爆人生観を増幅させ、日本人の人生観はますます単純化した。

これは明らかに「やりすぎ」であったが、この頃日本の指導層には能力劣化がすでに始まっていた。




<自爆人生観の自爆>

自爆人生観は、小学一年生から教えられるようになっていった。
日本国民の人生観はこれ一色に染められた。

日本国家には、対外戦争を求める動因が不気味に蓄積していった。

+++

明治期の武士道国家人生観は、列強の侵略から身を守るという防衛動機に押されて働いた。

だが、第一次大戦で勝利国側に加わっていたのを契機に、明治期の恐怖を与える国はなくなった。

そいて対外戦争志向は、弱い国への侵略に向かっていった。

朝鮮を併合し、満州国を建国することでもって、中国から満蒙地域をもぎ取った。

国際連盟の国際法は、これを否定した。
すると日本は、国際連盟を脱退して「我が道を行く」と宣言までした。

日中戦争を始め、東南アジア諸国を侵略した。

戦争志向はさらにエスカレートし、ついに、自分より強い国家アメリカに宣戦を布告した。

+++

今回は詳論する余地はないが、日本指導層の劣化は留まることなくすすんだ。

太平洋戦争末期の指導層には、戦争を終わらせる能力はまったくなかった。

各地の戦線で、軍部指導層が勝手に、兵士に自爆テロを繰り返さすのみだった。

この惨劇は、米国が鉄槌を下し、ソ連が参戦し、天皇が一肌脱ぐことで、ようやっと停止した。




<戦後の世界指導国の苦慮>


戦前・戦中を通して、国民は小学校時代から「天皇のために戦って死ぬことに最高の価値を置く」人生観で染め上げられていた。
一度教え込まれた人生観は、降伏してもなかなか、変わらない。

加えて日本人には、それにとって代えられる人生観の素養が育っていなかった。

これはもう決定的なことだった。

日本民族は軍隊を持たせれば、また、同じことをし始める性質に満ちていたのである。




<憲法九条と日米安保条約>

戦後の世界指導国は、この日本をどう扱うかに苦慮した。

そして、ついに、とりあえず軍隊は持たせないことにした。
それを憲法九条にうたわせた。

そそて日本の防衛はアメリカが担うことにした。
憲法九条は日米安保とセットとしてスタートしているのである。




<英霊の犠牲を反省してつくったという妄想>

ところがこの憲法九条を、しばらくして、日本人は「生きたいのに死なされた若者への哀悼」の結果、出来たものとの妄想を抱き始めたのである。

三等国意識〔戦後、日本人は自らをそう評した)から逃れるためか、とにかく、そういう説明が急増した。

それが「反戦」思想と結びついて、妄想が固定化してしまった。


戦後、日本民族は、憲法を自分で作る立場になどなかったことなど、少し考えたらわかることなのに・・・。





<戦後の人生観>

連合国がつくった平和の中で、日本民族は従来の「戦争用具人生観」を反省し、否定し始めた。

かといって、別の人生観など持ち合わせていないので、結局、真逆の方向に進むのみだった。

~「もうとにかく、自分の生命以上の価値をもつのはごめんだ」という思想だ。

国家も、天皇もくそくらえ。
皇国の神などいない。
そんな「見えないもの」を信じさせられたから、戦争に行ってしまったのだ。

霊魂がどうこう言うヤツはあぶない。
遠ざかれ。

+++

その結果、戦後日本人は、自分の肉体の生命が最高に価値あるもの、という価値観に転換したのだ。

生命〔肉体の)尊重だ。

後に「人命は地球より重い」との台詞を発する総理大臣もでた。




<欲望充足で行こう!>

「反戦!」「生命尊重」の思想になだれ込んだ戦後日本人は、結果的に、本能、欲望を素直に発露しよう、という人生姿勢に走った。

知識人ぶる者は、サルトルの実存主義に浸ったりした。
「実存は本質に先行する」
つまり、何のために生きるか(本質)などより、今生きている実存が先だ、というのだ。

これも本能発露主義に他ならなかった。

人々は、スポーツ興奮主義にも走った。
フリーセックスにも走った。

+++

映画会社、日活が、石原裕次郎に欲望発露を躊躇なくする若者を演じさせた。
若者たちは一斉にそれに心酔して裕次郎ブームが起きた。

日本人は純朴の民なのだ。




<若者フォーク文化>

だが、こういう生活を送れているのは、憲法九条と米国の全面保護体制のおかげであった。

ベトナム戦争が起き、米国でヒッピー(意図的な若者乞食)が発生した。
それは戸籍を持たない乞食になって、戦場行きから逃れようとする、若者の必死の行動であった。

彼等からフォークソングなど、独自な文化も生まれた。

日本の若者はその文化だけを真似た。
そして、日本独特のフォーク文化が豊かに花開いた。

だが、それは、徴兵の恐れが皆無な土壌での花だ。
そしてそれは、米国が防衛軍備を全面的に肩代わりしてくれた状況で可能になっていたのだ。

+++

いまこの体制が、集団的自衛権が通過することよって、ついに崩れた。

当面自衛隊員だけでも、他国の戦争に協力して戦わねばならなくなった。

戦場では、生命の危険が常時伴う。
その状況には、自分の生命に最高価値を置く姿勢は、適合しない。

そこでは肉体の生命以上の価値を抱く、人生哲学が必要になる。
それがないと、人は恐怖で、精神疾患になってしまう。

戦場で「生命尊重!」などと叫んでいたら、弾丸が当たって死んでしまうのだ。

+++

だが日本人は、戦後70年間、反戦、平和だけの一本で来た。

そこに突然の集団的自衛権・・・。

若者は仰天した。
そして、「死にたくない」「殺したくもない」と叫び始めた。

これが現状である。






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米国への無知を正す37 ~ 聖句自由吟味者の人生哲学~

2015年09月19日 | 米国への無知を正す





第35,36回に提示した解読問題に面食らった読者も多いと思う。
日本の教会に通っている人でも、歯が立たないのではないかな。

クリスチャンはイエスの生涯を知っているので、例題1はとけるかもしれない。
(イエスの生涯は、31~新約聖書の大枠~の中でも述べている)

けれども、一般人は、こんな複雑そうな問題など、解くヤツがいるのか、と思うだろう。




<常時、神学をする人々>

実際、これらの問題を解くには、新約聖書に収録された書物の聖句にも通じていなければならない。
一見繋がりそうにないそれらの聖句をつなぎ合わせて、妥当な解読を探っていくのだ。

この聖句をつなぎ合わせて論理体系を見出していく作業が、いわゆる「神学」である。
それを職業神学者だけでなく、一般信徒も毎週行っているのが米国でバプテスト教会と呼ばれる教会の人々である。

南部のバプテストをサザンバプテストという。
この数が、推定4000万人いる。

北部のバプテストは、アメリカンバプテストという。
この数が推定、1000万人。

両者をあわせると、韓国の全人口を超えることになる。

+++

これだけの数の大人が、毎週スモールグループに集まって、聖句自由解読を続けている。

それを通じて、強靱な知力を養っている。
これが米国なのだ。

米国では一定の知力を要する本、簡単に言えば「知的な本」は日本の10倍売れるという。
人口は日本の2倍だ。
なのに、倍ではなく、十倍売れる。

これは、それだけ「知力の強い人」の比率が多いことを意味している。
その知力が、聖句自由吟味活動によって、育成されているのである。




<人生観は人生の価値理念>

さて今回は、この自由吟味者たちの人生哲学を見ておこう。

人生哲学とは人生観ともいう。
人生観は広く価値観ともいわれる。

つまり、「人生において、何にどの程度の価値を認めるか、という価値の序列」・・・これが人生観の中身だからだ。

「観」というのは、感慨ではない。
理念である。

感慨は漠然としている。
理念は明確な筋道を持っている。

人生観は、人生における価値の序列の「理念」である。

+++

米国のバプテスト自由吟味者たちは、万物の創造神からのメッセージ受信記録が聖書にあるかどうかについて、客観的な姿勢を持っている。

つまり、見えない世界のことは基本的に、否定、肯定両面の認識が成り立つことを承知している。

その自覚の上で、肯定の立場からメッセージ吟味を進める。

そして「これぞ全知の創造神からのメッセージ受信記録!」と確信させられる奥義に遭遇する。
(実際の話、これは深い精神的喜びが感じられる体験である)


奥義を悟った聖句には、癒しなどの「しるし」が伴うこともある。
それによって人は、「創造神は、いまも、生きて働いている!」と確信する。

(この体験はさらに強い喜びを与える)






<念ずるだけの神>

ちなみに、創造神の存在を肯定する立場に立っても、聖句がそこからのメッセージ受信記録である可能性を否定する人は、聖句吟味などしない。

せいぜい神一般に、何かを念ずる程度だ。
思い出した折りに、祈念を繰り返すのみである。

そこには理念がないから思考がない。





<言葉で探っていく神>

聖句が創造神からのメッセージである可能性を肯定する側から進んでみている人は、違う。

その言葉を手がかりにして創造神がいかなる方かを知ろうとする。

彼等は、言葉の吟味は自由な精神で行う方が、効率的であることを体験で知る。
その体験から彼等は聖句自由吟味に大きな価値を感じる。

彼等はまた、スモールグループで交信しながら行う方と効率が飛躍することを知る。
そこで、自由なスモールグループにも、高い価値を与える。

彼等は、自己の小グループをとても大切にし、その仲間と家族のように暖かく交わる。






<自由吟味活動者の人生観>

そうしたなかで彼等は、親しい小グループのメンバーと、日々聖句を自由に吟味することを、人生で最高に価値あるものと考えるようになる。

この価値観は深く、固く、それが彼等の人生理念、すなわち人生観となる。


+++

幸か不幸か、欧州中世史は、そうした彼等が襲撃、逮捕、処刑されるという方向に展開する。

だが、生き残った人々は、聖句自由吟味活動を続行した。
また迫害にもかかわらず、この活動に加わる人も後を絶たなかった。

彼等の多くは、欧州中央部の山脈地域に隠れ住んだ。
〔北欧地域に逃れた人も多かったと推定される)

そして小グループでの自由吟味活動に人生の最高価値を置くという人生哲学を持ち続けていった。




<英国近代バプテスト>

蛇足ながら、英国に生まれた近代聖句吟味者〔近代バプテスト)についても述べておこう。

彼等は、欧州大陸の自由吟味者が抱く最高価値に、もうひとつの価値を加えた人生観を持っていた。

自らが自由吟味を続けるだけでなく、聖句自由吟味が攻撃されずに自由に行える国家社会の建設をも本気で夢見た。
その建設にも、最高価値を与えたいたのである。

他人の精神活動に干渉しない国家、その国家社会を、彼等は驚異的な忍耐力と、鋼の知力でもって、北アメリカ大陸の地に実現した。
これがアメリカ国家であった。


   

<米国人の人生哲学>

自由国家の建設がなると、その建設に邁進するという最高価値のビジョンはもういらなくなる。

すると、小グループでの聖句自由吟味の生活が最高価値として残る。
これが米国バプテストの人生観となった。

そしてこの人生姿勢が、米国の他の人々にも模倣されていった。
自由吟味者たちが言うところの、いわゆるバプテスト化(Baptistization) が広範に起きた。

それが結果的に、アメリカ人一般に
「自由の中で創造神との交流に最高の価値をおく」人生哲学を抱かせるに至っている。





<天賦人権思想>

しばらくして彼等は、こういう人生を送ることを「人間が天から与えられた、天与の権利」と考ていった。

かくして人権(human right)思想が誕生した。




<英国知識人の人権思想>

ちなみに、天賦人権思想は、英国の「知識人たちには」先駆的に形成されていた。

従来、欧州では王権神授説が普及していた。
「王の持つ統治権は、創造神によって与えられているもの」とする思想である。

人民はこの思考に慣れていた。

この土壌の中で、知識人たちは自由吟味者の生き方に強く影響されていった。
その結果、人生最高の価値は、国王に献身することから、「個人が自由に聖句を吟味する生活を生きること」へと移動していった。

トーマス・モアを端緒として、ジョン・ロック、デビッド・ヒュームは人権神授説的な思考を展開した。
彼等は、「人間には、個々人が創造神と交流する権利が天から与えられている」、という感覚をベースに論理を展開した。




<アダムスミス「諸国民の富」も人権思想ベース>

ちなみに、アダム・スミスの『諸国民の富(Wealth of Nations)』もこの延長線上にある。
彼はヒュームに可愛がられて自らの学識を形成してきていた。

この本で彼が論じたのは、国民一人一人の経済的豊かさを実現する方法であった。
彼が焦点を当てたのは、国王や国家の富ではなく、個々人の豊かさであった。

だから、この本の題名を「国富論」と訳すのは、実は、誤りなのだ。
スミスが主眼を置いたのは、国家の富ではなく、「諸国家の中の個々の国民の富」だったからである。


+++

だが天賦人権思想は、人民の国王への献身姿勢を希薄化するものだ。
王は激怒する。
モアは、別の件でもって処刑となり、ロックは国外追放となった。




<人権がフルに満たされる社会のビジョン>

だが天賦人権思想は、人権をフルに満たす社会を理想とする社会ビジョンをも自然に生んでいく。

特に、社会的な有力者にはそれが強くなる。

これが英国近代バプテストの発生の土壌となったのだ。


   


<肉体の生命より上位に置いたもの>

蛇足が長くなった。

最後に、聖句吟味者たちの人生観を包括的にまとめておこう。

彼等は、自らの肉体の生命よりも、上位に置くモノを持っていた。

その第一は、「霊魂のいのち」である。

彼等は、聖句吟味を通して、「肉体は100年もすれば消滅するが、霊魂は永続する」というイエスの教えを肯定的に受け入れていた。
その事実認識から、霊魂が創造神との交わりを回復して「いのち」をえて永続することを、肉体の生命以上に価値あるモノとしたのである。

これは、この回には述べなかったが、暗黙の前提として認識しておくべきことである。

第二は、ここで述べたことだ。

それは、聖句自由吟味を通して創造神との交わりを実感することである。

彼等はそれを肉体の生命以上に価値あるものとしたので、カトリック国家権力に処刑される危険のなかで、聖句自由吟味の日々を守ったのだ。

第三として、その自由吟味を、お互いを完全に自由な立場に置いて行う小グループをも加えておこう。
自らの属する聖句吟味小グループも、実際上、彼等にとって、肉体の生命以上に価値あるものであった。

+++

そして、聖句自由吟味者がもっているこの価値観を、米国民一般も、漠然ながら共有している。

これが米国人人生観の風景なのである。







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米国への無知を正す36 ~聖書解読の例題(2)~

2015年09月13日 | 米国への無知を正す




もう一つ解読問題を出してみよう。

聖書解読とはどういうことかを感触するには、二題くらいは触れておいた方がわかりやすい。
また、手がかりとしては二題で十分なので、例題はこれでおしまいである。




<『創世記』冒頭部分の一事件>

旧約聖書の冒頭に収録されている書物は『創世記』である。

その2章から3章にかけて、こんな話が記されている。


+++

~創造神はアダムという人間に「いのちの霊」を吹き込んで、これをエデンの楽園に置く。

そして、この楽園の木の実を食べていいが、一つだけ、園の中央にある「善悪の知識の実」については「食べてはならない」と命じた。

聖書ではこうなっている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「『あなたは、園のどの木からでも思いのままに食べてよい。
          しかし、善悪の知識の木からは、取って食べてはならない。
          それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。』」
                     (創世記、2章16-7節)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・





また、創造神は、アダムには「助け手が必要」と、彼のあばら骨からイブという女をつくり、彼のそばに置いた。
アダムは「善悪の知識の木の実は食べるな」という命令も、イブにも伝えた。

ところが、このイブを悪魔が蛇を使って誘惑する。
イブは抵抗する。
聖書ではこうなっている。


・・・・・・・・・・・・・
「女〔イブ)は蛇に言った。『私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
      しかし、園の中央にある木の実について、神は <あなたがたは、
      それを食べてはならな。それに触れてもいけない。
      あなたがたが死ぬといけないからだ> と仰せになりました』」
                 (創世記3章3節)
・・・・・・・・・・・・・・・





だが蛇は誘惑を続ける。
聖書ではこうなっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・
「そこで蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。
      あなたがたがそれを食べるとき、あなたがたの目が開け、
      あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを
      神は知っているのです。』」
                  (創世記、3章4~5節)
・・・・・・・・・・・・・・・・


けれども、結局イブは誘惑に負けて食べてしまう。
そして、夫アダムにもそれを勧め、アダムもまた食べてしまう。

二人は、創造神の命令に従わなかったという罪の故に、エデンの楽園を追い出されてしまう。








そのとき、創造神から蛇〔悪魔)に向かって、次の言葉が発せられる。


・・・・・・・・・・・・・・・
 「私は、おまえと女との間に(between you and the woman)、
       また、おまえの子孫と女の子孫との間に
       (between your seed and her seed)、敵意を置く。
       彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
                          (創世記、3章15節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・






<二つ目の例題>

さて問題である。

「この最後の聖句 (創世記、3章15節)がイエスのことを述べているならば、
それはどのようにして、
いかなる比喩でもって述べられているか。
解読し、説明しなさい」

これについても読者は、解読をコメント欄に書いていい。








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米国への無知を正す35 ~聖書解読の例題~

2015年09月12日 | 米国への無知を正す





アメリカは聖句自由吟味者が、信じがたいほどの長期にわたって、奮闘努力して造った国である。

~そういわれても、読者はまだ、雲をつかむような気分の中にいるだろう。

これを脱却するには、やはり聖句自由吟味活動に、たとえ少しでも具体的に触れることが必要である。

そこで若干それを試みてておこう。




<吟味の「型」>

自由吟味といっても、思いつくまま好き放題に聖句を解釈することを意味してはいない。
スモールグループで自由い語り合う際にも、、そこには一つの型がある。

それは、「旧約聖書の記述(聖句)の中に、新約聖書に記されたイエスを浮上さす」という型である。

この枠の中で、聖句解読という知的・霊的作業を行うのだ。




<旧約聖書は私〔イエス)を述べた本?>

新約聖書に、イエスのこういう言葉が記録されている。

「諸君〔ユダヤ教の僧侶たち)は、聖書の中に永遠のいのちがあると考えて、聖書を研究している。 だが、聖書はわたしについて証言するものなのだよ。」
              (ヨハネによる福音書、5章39節)


イエスの時代、新約聖書はまだ出来ていなかったので、ここで聖書とは旧約聖書のみを指す。

イエスは「旧約聖書は私のことを述べた本だ、といっているのである。

自由吟味者の聖書解読とは、このイエスの言葉を受容して行う精神作業なのだ。


<比喩の解き明かしになる>

だけど、旧約にはイエスという名は一度も出ていない。

なのにイエスのことを述べているとなれば、これはもう、別のストーリーでもって、
つまり、比喩でもってイエスを述べている、ということにしかならない。

そこで聖句吟味の基本は、旧約で述べられている比喩を解き明かすこととなる。

そして奥義として埋め込まれているイエスを浮上さすことなのだ。

いまその解読課題を一つ示そう。






<解読例題>


旧約聖書に収録されている『民数記』という書物に、次のような出来事の記述がある。

モーセという預言者が、エジプトの地に奴隷として暮らしていたイスラエル民族を、いまのイスラエルの地(カナン)に引き連れていく。

そうせよと創造神に命じられてのことである。


人民はモーセに率いられて、目的地に向かって旅をする。

結果的に40年間に及ぶ長旅だ。

旅は苦しく、途中で、民は神とモーゼに逆らって不平を言う。

すると「燃える蛇」が天から降ってきて、民たちの多くは噛まれて死んでいく。

彼等はモーセと創造神を非難した罪を認め、蛇を取り去ってくれるよう祈ってくれとモーゼに頼む。

モーセはこれを聞き入れて祈る。
すると創造神はこう応答する。

「燃える蛇を造って、旗ざおの上につけよ。それを仰ぎ見れば、噛まれたものは、生きる」~と。

モーセはそれに従う。

すると、創造神の言葉通りのことが起きる。

聖句ではここはこうなっている~。、

「モーセは一つの青銅の蛇を造り、それを旗竿の上につけた。
        すると蛇が人を噛んでも、
その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」

(民数記、21章9節)

    
ーーーさて問題である。

この出来事はイエスがこの世に出現する1450年ほど前に起きたことである。

「この話がイエスのことを述べているとすれば、それはどのようにして述べていると考えられるか。

比喩を解読して、奥義を示せ」

読者は、解読をコメント欄に書いてくださってもいい。

+++

聖書を持っていない人は、手に入れて、解読を試みてられたい。
〔大きめの本屋でも、また、アマゾンでも簡単に手に入る)

この例題を解くためだけでなく、アメリカを知るにも、聖書を開かないでは無理なのだから。








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米国への無知を正す34 ~正しいキリスト教史~

2015年09月10日 | 米国への無知を正す




前回の知識を得ると、キリスト教史の本当の姿が初めて目の前に浮上する。

ホントのキリスト教史は、国家権力の一部となったカトリック教団と、初代教会以来の聖句自由吟味活動をする教会とが織りなす重層構造からなっている。


+++

ローマ帝国という、国家の宗教局となったカトリック教団は、欧州の全宗教活動を、自分の方式に統一しようとする。


ところが、自由吟味活動を中心に据えた初代教会方式の教会は従わない。
カトリックとは根底的に相反する方式だ。
水と油なのだ。

両者は、「これが同じキリスト教活動なのか!」と驚くほどに対極的だ。

聖句自由吟味者は、「これは不変不動の知識ではないか!」との感動を、日々得て暮らしている。

彼等は、この感動の日々を捨てなかった。
捨てられなかったのだ。




<国家権力教団、怒り狂う>

カトリック教団の怒りは、権力者の怒りとなって燃え上がった。

かれらは自由吟味者の拠点を襲撃した。

国家権力者だけが用いることの出来る軍隊、これに命じて自由吟味者たちをとらえた。

見せしめのため、広場で日ごと夜ごと火刑に処した。

この状況は、たとえば『聖杯の暗号』~箒木蓬生(はばきぎほうせい)著~という小説にリアルに描かれている。





<山地に逃れた人々>

自由吟味教会の人々は、ピレネー山脈、アルプス山脈の山地、あるいは、スイスの山地に隠れ住んで活動を続けた。

これを発見したカトリック軍隊が、かれらを周期的に襲った。

これら山地に逃れ住んだ人々の悲劇については、文献資料が切れ切れになって残っている。




<北欧に逃れた人々>

筆者は、このほかに、今日言うところの北欧地域にも多くの自由吟味活動者たちが逃れ住んだとみている。

今日の国名で言えば、デンマーク、スエーデン、ノルウエー、フィンランドなどの地だ。

これらの地域は、秋、春からして底冷えの深い寒冷地だ。
今は暖房設備が発達しているが、当時は冬などは極寒の地の果てだったろう。

しかも、カトリックの本拠地、イタリー、フランス、スペインから遠い。

カトリック教団も、この遠隔地にまで探偵に探らせ、軍隊を派遣することは出来なかったのではないか。

それ故に、襲撃、捕縛、処刑という事件は起きなかっただろう。

欧州中央の山脈地域に逃れたような自由吟味活動者たちが見舞われたような悲劇がなかった。

それ故にまた、彼等に関する文献資料はないのだろう。




<現地での直感>

けれども、北欧に多くの自由吟味者たちが逃れ住んだことを、鹿嶋は直感できる。

これらの地を巡り歩き、折々に住民と交わってみると、その英知がとても高いことが観察できる。

彼等の精神波動は、まぎれもなく、自由吟味者たちのものだと筆者は感知できる。

小学校の教育現場にも、そのスモールグループ活動の知恵が観察できる。

この地の大人たちの今現代の行動にも、聖句吟味活動によって得られる精神が如実に感知できる。

これらから、北欧が聖句自由吟味者たちの地であることが、鹿嶋には十分すぎるほど直感できるのだ。




<英国国教会は自由吟味者を動かした>


時代が下って、英国の豪腕ヘンリー8世が、英国国教会を設立する。

王は突然カトリック教会を廃止し僧侶たちを追放する。

これで、カトリック固有の、自由吟味者への執拗な追求、襲撃が英国からなくなった。

欧州の自由吟味者たちは、ひそかに、かつ、トータルとしては大量に英国に流入した。

彼等は、聖句吟味が自由に行えるところなら、どこにでも移住するのだ。

+++

英国民は、突然、聖句吟味活動に触れた。

彼等の知性は、異例な活性を得て、明晰、かつ、強靱になった。

以後、英国が七つの海を支配し、産業革命の発祥地となるのも、それによる。

自由吟味者の活動に触れ、かつ、多くの人がそれに影響されたことによる。

自由吟味方式に転向した人もかなりいたようだ。




<新大陸への移住の道が開ける>

その彼等に、さらに自由になれそうな新天地が開けた。

大西洋の向こうにある北米大陸だ。

自由吟味者は英国からそこに移り、その地で植民地独立戦争を仕掛けた。

植民地は勝利し、本国からの独立を実現した。

国家を作り、信教自由の憲法を確立した。




<第二次大戦後の世界運営を任される>

米大陸での自由吟味者の活動は、人民に色濃く影響し、飛び抜けた知的活力を形成した。

この国は時とともに強くなり、第二次大戦後は世界運営を引き受けてしまう。

戦後70年の間、世界は米国によって運営されてきているのだ。

だから、米国に無知では、世界を正確に認識することは出来ないのだ。




<歴史認識の落とし穴>

繰り返すが、キリスト教史はカトリック教団と聖句自由吟味者の教会とによる重層構造で出来ている。

そのビジョンなしでは、真の姿は認識できない。

ところが、歴史の説明とは、奇妙な性格を持っている。

自由吟味活動を知らなくても、一応の説明はできてしまうのだ。

それなしのストーリーが作れてしまう。


ここに落とし穴があり、人類はそれにはまった状態で今日まで来ているのである。







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米国への無知を正す33 ~自由吟味活動を覆うキリスト教の通念~

2015年09月06日 | 米国への無知を正す






「アメリカへの無知を正す」と言っておきながら、聖書の話を細々としてきた。

何故だ? とおもう人も多いだろう。

+++

思考の流れはこうだ。

米国の卓越した政治見識は、つまるところ、聖句自由吟味活動によって造られている。

その実状を知るには、吟味する書物の類例のない特性を知る必要がある。
内容の、深さ、広大さ、多様さの極致とも言うべき性格を知らねばならない。

でないと、それを吟味する活動が、人間の知力を異例に強化することが感触できない。
そこで結局、筆者がなにを言っているかわからなくなる。

だから、聖書という書物の特性を述べてきたのだ。





これを理解した上で、小グループでの吟味活動をある程度実地体験してみる。
すると、感触できるようになる。

だが、このブログの場でそれを試みるのは無理だ。

幸いなことに、これを通信教育でもって行いたいと申し出てくださっている教育機関がある。
実現するといいと思っている。

+++

しかし、今はともあれ、前に進もう。

多くの読者は、ここで説明された聖句吟味活動など、みたことないよ、というだろう。
そんなキリスト教知らないよというだろう。

代わりに、キリスト教活動には、こんなイメージを抱いているだろう。

~大きな教会堂があって、ステンドグラスの窓から神秘的な光が差し込んできて、カンタータ(賛美歌)が流れ、神父さんや牧師さんが華麗な衣装で登場し、礼拝行事をする。

キリスト教とは、そういう儀式をする活動だと思っているだろう。

いま、我々一般人の目に入るのは、それだ。

これと繋がらないじゃないか。
一体、この辺りはどうなっているのか、~となる。




<カトリック方式>

結論から言うと、あれはカトリックという教団の活動方式である。
それは初代教会の100年以上後にできた、初代教会の変異バージョンである。
現在プロテスタントと言われている教会も、カトリック方式の亜流である。

我々はそれをみているので、キリスト教活動とはああいうものだと思ってしまっている。

+++

カトリックとは、どういう教団か。
いまその成立過程を示そう。

こういう事象の文献資料はない。
あるかもしれないが、我々が見られる形では、存在しない。

だが、経営学を研究し、実際に数多くの企業に接触してきた筆者には、その経緯が映像を見るかのごとくにわかる。

前に述べたことの繰り返しも多くなるが、要約して再記しておこう。






<教会参加者の変質>

初代教会は成長を続けた。
教会開始後30年で、聖句吟味のスモールグループはローマ帝国全土に散在するようになった。

新らしい宗教運動が急成長すると当初、近隣者は恐怖を感じる。
怒りを抱いて信徒の集会を襲撃することも起きる。

だが、キリスト教会が普及して、100年も経つと、世間の教会へのイメージは変化した。
それにつれ、迫害も和らいでいった。

+++

初代教会では発足以来、参加者は生活面でも助けあっていた。
参加すればそういう利得が受けられる。
そして加わっても、もうそんなに迫害されなくなった。

さすれば、生活の世話や癒やしを受けられること主たる目的にして教会に参加してくる人が急増する。

すると教会員の質は変化していく。

このころ、イエスの直接の弟子たちは、もう死んでいなかった。





<担当指導者が聖書の要約を教える>

キリスト教会は「来る者拒まず、去る者追わず」の人間集団だ。
新参加者は増える一方だった。

こういう人々は旧約聖書への探究心はあまりもたない。
裕福だがビジネスが忙しく、教会活動に多くの時間を割くことが出来ない人もいた。

こういう人々には、聖句自由吟味活動はほど遠い。
だが、担当指導者としては、一定の聖書の教えは知ってもらわねばならない。
結局、指導者たちは教えを簡素に要約して、「これがキリスト教の教えだよ」と示すしかなかった。




<霊的感動を補填する>
 
こういう風な要約からは、聖句自由吟味活動で得られるような醍醐味は得られない。
聖句自由吟味を活動の中核に置く教会では、スモールグループで語り合って奥義を発見できる。
そのとき「真理を見出した!」という確信と、震えるような霊的感動がある。

だが、聖書の要約からはそれはえられない。

この霊感の充足不全を、担当指導者は様々なサービスでもって補填せねばならなかった。

+++


日曜日に厳粛な礼拝儀式を開催して敬虔な気分にしてあげる。

献金でもって荘厳な礼拝堂(聖堂)の建設して、気分を盛り上げる。

音楽は霊感を開く効果を持つので賛美歌の合唱も取り入れる。

礼拝には僧侶は壮麗な式服で、おごそかに登場してあげる。

+++

担当指導者たちは週日にも、儀式サービスを提供した。

近親者が死んだら葬送の儀式をしてあげた。

信徒が結婚する時には結婚式をしてあげる。

子供が生まれたら祝福の儀式をサービスする。

神秘感ある儀式サービスの中にいると、信徒はあらたまった霊的な気分になる。

それはなかなかいいものだった。

+++



もちろんそれは聖句の奥義を見出したときの感動には及ばない。

だがそんなもの知らなければ、これがキリスト教の神髄と、人は思えるのだ。

要するに、新教会を担当する指導者は、聖句吟味活動者が得ていた感動を、様々な演出でもって再現しようとしたのだ。




<大量処理が可能な方式>

この方式のもとでは信徒の教会生活は楽である。

日曜礼拝はみな担当指導者がお膳立てしてくれている。

信徒は日曜ごとに礼拝に出て座っていて、礼拝が終われば献金して帰ってくればいい。

教会はまた、結婚式や葬式も厳粛にやってくれる。
これは大衆にとって、とても属していやすい教会なのだ。

他方、担当指導者にとってこの方式は、一度に大量の信徒に対応しやすいものである。
加速度的に増大する大衆信徒は、こちらの教会に吸収されていった。

献金総額も膨大になり、教会は多国籍マスプロ大学のような大機関となった。

これがカトリック教会と、後に言われるところの教団となる。




<指導者が職業僧侶化>

新方式教会は急成長した。

担当指導者の仕事は膨大になり、指導者需要は急増した。

教会は、指導者を専門職として雇う体制をとらざるを得なくなった。
こうして指導者は、職業僧侶となった。

教会は彼等に、一般信徒とは別格の権威を与えた。




<初代教会との違い>

これは初代教会の方式とは対照的だった。

初代教会の聖句自由吟味方式では、グループリーダーが特別な権威を持つことを極力避けた。

もてば、彼等の見解が上位の権威を持ちつことになる。
さすればメンバー間の闊達な自由吟味が機能しなくなる。

この平等鉄則を明確に戒めるために、彼等は後に強烈な言葉を作り出す。
「万人祭司」がそれだ。

祭司とは、職業僧侶を意味する言葉だ。
彼等は「もし祭司が必要だとしたら、全員が祭司になるのだ」といって、身分的な権威の差異を徹底して避けたのである。

このもとには、「個人の聖書解釈自由(personal freedom of Bible interpretation」という大原則があった。
聖句自由吟味方式の教会では、教会員個々人の精神の自由を生命線としていた。

+++

これがカトリック方式では、真逆になるのだ。

職業化した僧侶に一般信徒よりも上位の権威をあたえる。

その僧侶たちが相談して、聖書に関して教団の正統解釈を一つ決める。
(これがいわゆる「教団教理」である)

これを大衆信徒に与えて、受容させる。

教団教理に従わせるのは、教会の一体性を維持する重要手段でもあった。
だから、一般信徒が聖書そのものを読んで、色々解釈を為てもらっては困る。

かくして信徒の聖書吟味を禁止にする。
これらの原則は、ごく自然に出てくるものであった。

(カトリックは今でも、「カトリック教理書」をもっている)






<僧侶も階層化する>

教会という人の集いには、集団が一体性を保つことが必要である。
それを維持するには、多数の僧侶自身も管理階層を形成し整然と行動する必要があった。

その命令系統の中でまず自分たちが統一的に行動し、信徒をその管理体制の中に組み込むのだ。
こうして教会はピラミッド型の階層組織となった。

+++

職業僧侶の管理階層の職位は、司祭、司教、大司教であった。

司祭の職務は、各地の教会の礼拝や聖餐(せいさん:イエスの肉と血を記念するため、パンと葡萄酒を口にする行為で、イエスはそれを命じていった)の儀式を執り行うこととした。

この職位は会社でいえば課長、係長に相当する。

司教の職務は、そうした教会や司祭を地区ごとにまとめて統率することであった。
これは部長だ。

大司教のそれは、司教の管理する地区をさらに複数集めて管理統率することであった。
これは会社では重役だ。

教団全体に関わる事柄は、当初は大司教の会議で決めた。

だが後年、教皇(法王ともいう)という職位を出現させる。
会社で言えばこれは、最終決定の絶対的権限をもった社長だ。

会議で意見が分かれても、この鶴の一声で結論が決まる。
かくして大司教会議で膠着状態が続くようなこともなくなった。

すっきりしたもんだ。




<僧侶の専門化と能力の洗練>

職業として専念させると僧侶の仕事能力は洗練され、専門家、多様化していくものだ。

あるものは、会堂設計に優れた能力を発揮した。

音楽編成能力に卓越したものも出た。

神学(聖書解釈学)能力に秀でた者は、神学校設立に貢献した。
そこで、後継僧侶が養成される。
カトリックでは僧侶の内部自己生産体制ができていった。




<五大教区と教皇の出現>

新方式の教会は布教地域を五つの大教区にに分けて広域運営をした。
ローマ、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムがそれで、五大教区と呼ばれる。

そのうち、ローマ大教区の大司教は、常にローマ帝国政庁と直接交渉する地理的状況にあった。

当時は、電子メールもファックスもない。
制度上は五大教区の大司教の会議で決定すべき事項も、実際にはローマ大司教がローマ帝国政庁と話し合って決定することが多くなる。

それを事後的に大司教会議が追認するのだ。

この状況を背景として、ローマ教区から、自らの大司教を教会全体の教皇にすべき、という案が出てきた。
もちろんそれには相応の聖書的な根拠がつけられていた。

他の大司教はそれを受け入れた。




<ギリシャ正教会>

だが、コンスタンティノープル大司教だけはそれを容認しなかった。

彼はそのような聖書解釈には無理があると主張し、最後に、他者と別れて独自な教団としてやっていく道をとった。
これが後のギリシャ正教である。

英語ではグリーク・オーソドックスだ。

グリークは主要テリトリーがギリシャだということを示している。
オードドックスは「正統」という意味である。
つまり、われわれこそが正統なキリスト教会、だと言ったのだ。




<ローマカトリック教会>

ローマ側も対抗した。

彼らは従来内々で用いてきたカトリック(普遍的)の語を使って、自らをローマ・カトリック教会と公言した。
「ローマ」はその中心的拠点が都市ローマにある、という意味である。

こうしてカトリック教会という語が一般に用いられる名称になった。

要するに、カトリック、ギリシャ正教は互いに「俺たちが正統」「俺たちこそ普遍的」と主張しあったのだ。

+++

以後アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムの大教区は事実上、ローマ大教区に吸収併合されていく。

他方、ギリシャ正教会は、後にイスラム教勢力に押されて、ロシアを本拠地にするようになる。
名前はギリシャ正教会のままで、今日までロシアをテリトリーにしてやっているのだ。

他方、ローマ・カトリック教会は後に、ローマ帝国に公認宗教とされる。

その後まもなくして、帝国の唯一国教となる。
欧州一円をテリトリーとして統率する、国家権力の一部となるのだ。




<カトリック方式は目立つ>

ローマカトリックもギリシャ正教も、教会堂や僧侶がよく目立つ。

建物は豪華だし、僧侶は階層をなして、それが一目でわかるような、豪華な僧服を着ている。

欧州では、カトリックがキリスト教の代表として見られるようになった。

これに比べると、初代教会方式の聖句自由吟味教会は、地味で目立たない。
形態としては草の根運動的なものになるからだ。

かくして、今日われわれのキリスト教への通念が形成された。
キリスト教と言えば、カトリックやギリシャ正教方式のようなものだという通念である。

これが本家本元の初代教会をオーバーシャドー(自らの影で覆い隠すこと)してしまい、今日に至っている。

そのカバーをかけられて隠された聖句自由吟味活動が、実は米国という国家、米国社会の精神基盤になっている。

それをわかってもらうために、筆者は聖書という吟味素材の性格を細々と述べてきた。

ある程度知ってもらわないことには、話にならないからだ。









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米国への無知を正す32 ~「信じる」が及ぼす量子的効果~

2015年09月03日 | 米国への無知を正す




ここで考えておかねばならぬ言葉がある。
「信じる」がそれだ。

前述したように、イエスの説く「救い」は、とても深く、詳細な論理をもっている。

だが、そこではイエスのこの贖罪の教えを「信じたものは、その通りに救われる」という言葉がでてくる。

これにぶつかると、我々は「やはり信じるものは救われるというのか」、「イエスの教えも結局は,いわゆる宗教なんだな」~と思う。

+++

もちろん、それでも相応の心理効果は考えられる。
当人の心に平安が生じるとか、また、それによって病気が治ることもあるかもしれない~とか。
だが、結局はキリスト教もまた、そういう気休めの宗教なのだ、~と我々は思うだろう。




<量子というとらえ方>


けれども、昨今、物理学の領域で量子力学という分野が発展してきている。
この知識のなかでは、「信じる」という意識にはもう少し手応えのある実体が伴っていそうに見えてくる。

(量子力学の思想は、我々に馴染みの少ない用語が多く、わかりにくい。
言ってることがピンと来ない人は今回はパスしてもかまわない)


+++

量子とは、最小の物質単位とされてきた素粒子の別名である。

物理学では、我々が目にする物質は分子によってできており、分子は、原子が組み合わさって出来ていることが明らかになった。

そして、その原子がさらに素粒子という小さな微粒子で出来ていることもわかった。

陽子、中性子、電子、光子などがそれである。

これら素粒子は、発見されたときには、粒子(つぶつぶの塊)だと思われてきた。
素粒子〔素になる粒子)という名はそのことに由来している。

+++

ところが後に、物質もこれくらいに微少になると、
従来考えられなかった不思議な現象をも起こすことがわかってきた。

理由はよくわからないが、どうもこれらの素粒子には波動のような性格もあって、それが予想されなかった現象を引き起こしているらしい。
物理学者はそう推定した。

そこで、これらの極小物質を新しく量子(りょうし:quantum)と呼んでとらえ直すことにした。
粒子と波動の集まりとの二つの面を重ね持つ存在と認識したのだ。

そしてこれを探求する学問を量子力学(りょうしりきがく)と呼ぶことにした。





<量子力学>

量子力学は、物理学の一つである。

物理学はニュートン以来、重力、磁力などの力の探求が主要課題になっている。
その意味で「物理学=力学」というう関係がほぼ成り立つ。

そこで、量子物理学と言わずに、むしろ量子力学と呼ばれることになった。

+++

量子力学が現れると、従来のニュートン物理学もアインシュタイン物理学も、古典物理学といわれることになった。
これらの物理学はみな、物質を、それ自体意識を持たない「モノ(物質)」として研究している。

ところが、量子力学は物質の最小単位を、波動という運動エネルギーと重なった量子としてみる。

すると、後述するように、それは人の意識活動の実体でもある可能性を持つことになる。
人の意識も波動を発する運動エネルギーだからだ。

これが最新の、いわば現代物理学だ。

けれども、ここまでくるとよくわからないことが多い。

「量子力学がよくわかっている人は誰もいない」とさえ言われることがある。

そういう不思議な物理学が量子力学なのである。




<粒子は波動の凝集体?>

そんななかで、「量子の粒子の面と、波動の面とは、どちらが根源的か」という問いも出てきた。

そのなかから結局、波動が根源なのだ、という思考が出た。

具体的には、波動を「ブルブルと高速で震えている超微小な輪ゴムのようなもの」イメージする。
そしてこれら超微小輪ゴムに、「超ひも」という名をつける。

すると粒子は、波動(超ひも)の凝集体で構成されている~とイメージできるようになる。

つまり、超微少な輪ゴムは、運動体であってブルブル震えて動いているのだが、それがあちこちで凝集することもあるだろう。
その凝集状態が、外目には、一つのかたまり(つぶ、粒子)にもみえる、というわけだ。

あるいは、波動の凝集体を手で感触出来たとイメージする。
するとそれは一つの粒子のように感じられるだろう。




<波動量子>


波動をベースとして量子をみていることを自覚するために、あえて波動量子という語を使ってもいいかもしれない。
ともあれ、ブルブル震えている波動量子はエネルギーでもある。

そして人の思い〔意識)もまた、エネルギー運動である。

すると、意識の実体は波動量子であるという認識も可能になる。
あるいは、意識は波動量子の凝集体ととらえることもできる。





<従来は電子の働きだった>

余談だが、人が意識活動をするとき、波動が出ている、ということは以前からわかっていた。
ただ、従来それは電子の活動によるという理解だった。

すなわち、人が意識活動をするとき、脳神経系に電子が流れることが、脳生理学でわかっていた。
他方、電子が流れるところでは波動が出ることが、古典物理学で明らかになっていた。

~それを組み合わせると、意識活動有るところには波動が出ている、となる。
従来、そういう思考でもって、意識活動をするとき波動が出ると、考えられていた。

アルファー波、ベーター波などの概念はこの思考の線上にある。





<言葉は波動凝固体>

だが、量子力学の世界では量子自体が波動である。

波動が凝集すると、まとまった波動体となる。

そしてそれは意識そのものともなるのだ。

すると、言葉〔概念)も波動量子群の凝固体となり、理論や思想はその連なり(体系)ということにもなる。




<光子での実験>

量子力学では、もうひとつ、驚くべき事象が発見されている。

「量子は認識されることによって変化する」というのがそれである。

ここで詳しくは述べられないが、光子という量子についてある実験がなされた。
光子(こうし)は 我々の目に入ってくる素粒子の一つで、それは量子でもある。

ここで、人に新しく認識される前の光子と、それが認識された後の状態とが比較された。
すると、人に認識される前の光子の状態と、認識された後の状態は、異なっていた。

つまり、光子という量子は、認識されることによって、変質することが確かめられたのだ。




<意識が対象量子に変化をもたらす>

さて、これからは筆者の推察である。

もし光子でわかったことが、量子一般についても言えるとなれば、こうなる。

つまり、意識を形成する量子群は、他者に認識されることによってその状態が変化するのだ。

ならばそれはまた、その認識のされ方によっても、異なっていくのではないか。

そこまでは実験で確かめられてはいないが、筆者には妥当であるように思われる。




<「信じる」という認識方法>

さてここでいよいよ「信じる」という言葉の意味を考えよう。
「信じる」とは何か?

認識論的に言えばそれは、「見えない存在に対して“存在する”と、肯定的に認識する行為」である。
人間は逆に、見えないものに対して「そんなものは存在しない」と否定的に認識することも出来る。

こうみると、「信じる」とは見えないものへの認識の一方法であることがわかる。

+++

これを筆者の認識、つまり、「量子は認識されることによって、その状態が変化するらしい」を組み合わせるとどうなるか。

おそらく量子は、それが肯定的に認識される場合と、否定的に認識される場合とでも、異なって変化するだろう。

イエスの贖罪の教えも、一つの思想であり、その実体は量子群である。

量子であるから、それが肯定的に認識されるか、否定的に認識されるか、で変化の状態が異なるはずだ。
つまり「信じられる」ときと「信じられない」ときとでは、この贖罪の思想の量子群は、異なったものになるはずだ。

イエスは「その信じられたことで変化した状態の量子群だけが、贖罪の力を発揮する」ことを示したのではないか。

こう受け取ると、「信じる」という意識活動も、量子的実体を持った物理事象だとますます思えてくる。


  

<「イエスの言葉が裁く」とは?>

余談だが、この量子力学的認識は、従来ハッキリしなかった一聖句にも明確なイメージを形成する。

イエスに~

「私を拒み、私の言うことを受け入れない者には、その人を裁くものがある。
私が話した言葉が、終わりの日にその人を裁くのだ」(ヨハネによる福音書、12章58節)

~という聖句がある。

この「言葉を受け入れない人を、その言葉が〔終わりの日に)裁く」という聖句の意味は、従来わかりにくかった。

「言葉が裁く」とは、どういうことか。
イエスは自分が話した言葉が裁きのルールになることを示すために、そういう言い方をしているのでは?~というような解釈が従来なされてきた。

+++

だが、量子力学の世界では解読はもっと率直になる。

イエスが語った言葉は、波動量子群という実体になっている。

それは肯定的に認識されれば、相応に変質する。

否定的に認識されれば、また別の様式に変質する。

二つの結果は、別物になる。

そして、否定的に認識された場合、その変質体は、人格を持った意識体として、受容を拒否したものを裁き、有罪判決をする。
~こういう認識になる。

他方、肯定的に認識された場合には、その量子群は、認識者の霊を活かす強力な量子群となって働くだろう。

このようにして、イエスの上記の言葉は、明確に理解できるようになるのである。




<物質と意識を融合させる>


量子力学は、「十分にわかっている人はいない」といわれるほどに、まだ発展途上である。

だが、そうした中でも、すでに量子コンピューターが実際に完成し作動している。

それは量子力学の理論で製造したもので、従来の、古典物理学理論をベースにしたスーパーコンピューターの何万倍という速度の計算能力を持っている。
そういう事象が実際に起きている。

量子力学は単なる、空想理論ではないのだ。

+++

アインシュタインまでの古典物理学では、認識される対象は、「認識のされ方」に影響されることのない、独立した存在と思われてきた。

そうであれば、「信じる」とは単なる当人の「思いよう、考えよう」となる。

さすれば、「信じれば救われる」は、当人の心に主観的で感情的な「気休め」を与えるだけの言葉となる。


だが量子力学の世界では、「信じる」という意識は、量子群という影響力を持った実体となるのである。






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