鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

31<日本と欧米の神イメージ鳥瞰図>

2014年04月21日 | 聖書と政治経済学



<日本の神イメージ鳥瞰図>


前回には、世界の神イメージを鳥瞰するための物差しとはどんなものか、その概念を述べた。

今回はその物差しを具体的に図示し、その上に、具体的な神イメージ形成媒体を位置づける。
具体的神イメージ媒体の提示は、日本の事例から始めよう。





最初に図の矢印線の上部を右から左に見ていこう。

まず、巨木、巨岩が出ている。
これは日本では各地の田舎で巨木や巨岩の内に神がイメージされ、礼拝されていることを示している。

その左側は動物だ。

日本では動物にも神が内在するとイメージされている。
狐や蛇などが祀られ、礼拝されている。お稲荷さんは狐を祀った神社だ。


その左側は骨(人骨)である。

仏舎利とは釈迦の骨のことである。
東南アジア諸国には、これに神が内在するとイメージして拝む国があるが、日本人も同じ心情だ。
それに先祖の骨。
これに神(霊)が内在するというイメージは、日本人には極めて濃厚だ。

その左側は社殿だ。

日本の社殿礼拝は、在物神礼拝が発展したものである。
日本人は社殿を作り、その中に神が臨在すると考えて礼拝する。
だからその本質は在物神礼拝である。

社殿の中にイメージされる神は様々である。

各地の神社には、昔からその地の有力な豪族であった氏(うじ)が祀られている。
いわゆる氏神様がそれである。

武将の霊や知者賢人の霊も祀られている。
東京には日露戦争での戦勝将軍の霊を祀った神社もある。
全国の戦死した軍人集団の霊を祀った神社も九段にある。

さらに左には、仏壇を記した。

仏壇はいわば神殿の個人所帯版だ。
そこにはその家の先祖の霊がいるとイメージされて祀られている。

その左は彫像で、これはいわば在物神の容器である。

代表は仏像で、そのうちに神(霊)が存在するとイメージされている。
観音像は観音菩薩が内在しているとイメージされている像だ。

お地蔵さんは地蔵菩薩の内在をイメージする像だ。
これは石で造られている、日本の各地の道路や路地には地蔵が沢山ある。




<創造神ゾーン>

今度は左の端から、矢印線の上を右に見ていこう。
こちらは創造神を示す記号である。
具体的には言語(言葉)だ。

言葉自体が神を含むものとして拝されることはない。
それは創造神のイメージを人の心に形成させる信号である。

万物の創造神の神イメージは、言葉という記号を組み合わせ、連ねることによって示されるのだ。

言葉は造形的な形をもっていない。
それゆえ、「非造形記号」と赤字で記してある。

+++

造形的記号もある。
十字架やイエス像、マリア像がそれだ。

これらは像ではあるが、在物神の内在をイメージさせる像ではない。
本来は、万物の創造神イメージを形成させる信号たることを意図して造られる。

だが、聖書では創造神を像で示すことを厳しく禁じている。
「十戒」の第二の戒め「私(創造神)を像に刻むな)」がそれである。

おそらく一つには、人間の在物神形成本能を見通してのことだろう。
つまり「像にすると人は、時と共にその中に神が内在するというイメージを持っていく」という洞察があると思えるのだ。

+++

だがカトリック教団はゲルマン民族にキリスト教を布教する際に、それを使った。
教団は、言葉にとって代えて像で示すことを聖書が禁じていることを承知で、造形物使用に踏み出した。

カトリック教団は紀元後392年以来西ローマ帝国の唯一国教として統治に参加してきた。
だが帝国は476年、ゲルマン民族に征服された。
そこで教団はこの新支配民族への布教を志した。

ところが、当時、ゲルマン人は文字をもたなかったのだ。
口伝だけによるカトリック思想伝道ではその範囲に限りが出る。
出来れば、イエス像やマリア像、十字架などの造形物を使いたい。

だが、それは聖書が禁じている。
教団は大いに思案したあげく、ついに造形物使用に踏み切ったのである。

そして実際、以後カトリック配下のキリスト教徒の創造神イメージは、ゲルマン人に限らず在物神イメージ化していった。

そこで、もしマリア像などを図に書き入れるなら、右寄りの、在物神ゾーンに近いところに描くことになるだろう。
だが、話が複雑になるので、取りやめた。




<在物神ゾーンが圧倒的に大きい国>

左右に矢印をもつ線の下方には、在物神ゾーンと創造神ゾーンとを区分する縦の点線が描いてある。
図に描いてみると日本では在物神ゾーンが圧倒的に大きいことが改めてわかる。
在物神イメージ礼拝が繁栄しまくっていて、在物神の神イメージが創造神の神イメージを圧倒しているのだ。






<異民族に征服された経験のない民族>


日本で在物神イメージが圧倒的に生い繁ってきたのは、つまるところは、異民族に征服、支配される事態が起きなかったことによる。

在物神礼拝というのは、時の流れの中でその礼拝の様式が慣習化し、伝統となっていく。
するとその伝統が礼拝様式の存在感を増す。
人民は昔から続いている宗教として、理屈抜きにぞの様式を恐れ受け入れるようになる。
かくして在物神の神イメージの影響力は時と共に強くなっていくのだ。

さらにこの礼拝様式は社会文化の色彩を帯びていって、民族の宗教文化となって固定化もしていく。

+++

だが、宗教文化というのは、異民族に征服されると徹底的に破壊される。
征服者は、自民族の文化による精神支配を確立し、支配を安定化しようとするからである。

日本も、朝鮮を併合した後、その伝統的宗教文化を破壊し、全国にくまなく神社を造ってこの被支配民族に礼拝させた。
第二次大戦の終了と共に日本の支配から解放されると、今度は朝鮮政府が神社の破壊を行った。

+++

宗教心理上の理由もある。

かつては征服者が自らの神を信じて征服戦争をするのが普通だった。
彼らは、自分たちを勝利させた神が被征服地の神々と同居することへの怒りを恐れ、敗者の神を征服地から徹底的に取り除こうとした。
そこで既存の神々が内在すると信じられていた物体を徹底的に打ち壊した。

ともあれ、在物神礼拝によって形成される宗教文化は、征服されると破壊される運命にある。

+++

だが、四面を海に囲まれた日本国では、異民族に征服されるという経験をせずにきた。
その結果、在物神宗教は破壊されることなく、自然のままに繁殖していった。
かくして、在物神礼拝は日本中に蔓延するに至っている。

いまや日本人は「宗教」というとほとんど反射的に在物神宗教のみをイメージするようになっている。

「鰯の頭も信心から」というフレーズもそこからきている。

そこにはこういう思いがある。
・・・物の中に理屈抜きに神の存在を信じるのなら、その物はなんでもいいはずだ。
醜くて臭くて、すぐに腐っていく鰯の頭だって、そのなかに神の存在を信じれば、人はそれを拝するのだ・・・と。

こういう極端な例を挙げて、宗教なんてそんなものだといっているのである。




<境界線を動かしてみえてくる各国の神イメージ状況>

異民族に征服された経験を全くもたなかった国というのは、世界では極めて少ない。
一応の国を造った民族で過去に異民族に征服されたことのない例は、日本民族の他にないのではないか。

現代の国際社会に生きる日本人は、このことを、心して自覚することが極めて、極めて必要である。

その特性を神イメージ図の境界線で示してみたのが上の図だ。
日本の状況は、境界線が極端に左方向によったものとなっている。

では、欧州、米国はどうか。

欧州にも古代の昔には在物神礼拝は伸び伸びと生い茂っていただろう。
だが、紀元後になるとローマ帝国政府が全欧州を統治下に置いた。
そして392年にカトリック教団が、西ローマ帝国の唯一国教になった。

教団は、全人民をカトリック教徒にすべく、在物神礼拝を破壊し続けた。
それは、1517年にルターの宗教改革が起きるまで続いた。
その結果、欧州ではカトリック教団の教理(ドグマという)に則った創造神礼拝が圧倒的に優勢になった。

かくして欧州の神イメージ状況は、上の図に示すならば境界線は大きく右方向に移動する。
そして右端に近いところに位置することになる。


米国でも境界線は右端に近い。
だが、その内容は欧州とは異質である。

米国大陸には、カトリック教団に迫害された聖句主義者(個々人の聖句自由吟味を生命とするキスト教活動者)たちが近世に大量に移住した。
そして彼らの信ずるキリスト教活動方式の思想をベースにして国家を作った。

聖句主義の方式は、信徒のキリスト教活動を最も活発化し力強くする。
それ故、米国での状況を上の図に示すならば、境界線の位置は欧州に似て右端に近いものになるが、聖句主義者たちの生き方が、それを極度に右端に移動させているのである。




<創造神イメージがもたらすもの>

創造神の神イメージでは、神の属性が聖書の中の「言葉で」示される。
それらの言葉(聖句)を論理的につなげると、創造神は時間的、空間的無限者であることもわかってくる。

また、万物を創造した方であれば、全知全能の力を具備しているといいうイメージも出てくる。

さらに聖書には、創造神がこの宇宙と地球と人をどのように作ったかも「言葉で」示されている。
そこから人間はいかにあるべきか、そのためにいかなる社会、国家を作るべきか等に関する考えも自然に出てくる。

であるから、これらの政治課題を常時的に意識し、考える状態に、創造神の神イメージを持つものは自然になっていく。
それ故、この神イメージを多くの国民が持つような国家では、人民の政治資質も向上していくのだ。

国民個々人の政治資質が高いのは、民主制が機能するための必須条件である。
また、そうした人民の中からは、高い政治見識を持った政治家も多く生まれやすい。




<在物神イメージがもたらすもの>

他方、我々日本人は、世界的には異様な神イメージ状況の中で、それが当たり前のような気持ちで暮らし物事を判断している。
その結果、宗教とは在物神を拝むもの、との感覚が骨の髄にまで染みこんでいる。

在物神イメージの神は、その性格や属性が言葉でもって説明されることがない。
それは感慨としてのみ心に抱かれるものだからだ。

そして感慨としての神イメージには理念がない。
理念のないところからは、歴史観、世界観、人間観は出てこない。
心に世界観、人間観がなければ、政治意識や思想が常態的に存在することはない。
そういう意識からは政治資質は自然育成されない。

日本人はその典型であるから、そこには政治見識を持った人が多数生成することはない。





<米国からの脱却を望むなら>

日本人は、早くそのことに気づくべきだ。早く、早く気付くべきである。

気づけば、米国の統治下から脱却して日本は対等な政治行動をとるべき、といった幼稚な考えが、いかに危険なものかもわかってくる。

戦後70年間の日本の平和は、米国の世界統治の中にいたからこそありえたものだ。
その平和があったからこそ、大人は高度経済成長に没頭することが出来た。
狭いながらもマイホームを楽しむことも出来た。
若者も70年代フォークを頂点に創作活動に集中でき、若者文化を創ることができたのだ。

どうしても米国からの政治的独立が欲しければ、まず創造神の神イメージを身につける手立てを講ずることだ。






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30 <世界の神イメージを把握する物差し>

2014年04月18日 | 聖書と政治経済学


前々回、鹿嶋は次のことを述べた。
・人は全体観の中に、物事を位置づけその意味を定める。
・全体観は広範囲であるほど、影響力が強い。
・最大の全体観は「神」イメージを含む全体観である。

今回は、さらに進んで、世界の神イメージのありかたを鳥瞰しよう。
それは諸民族の世界意識・全体意識を知るに役立つはずだ。

世界の神イメージを鳥瞰するには、そもそも人間はどんな神イメージを抱きうるかを、あらかじめ原理的に考察しておくのがいい。
そして、すべての神イメージをその中に位置づけられる物差し・尺度を造るのだ。
するとそれをいわば公分母にして、その上に個別的な事象を分子として位置づけていくことができるだろう。





<在物神>

尺度の一方の極は、人が自然物の中に存在するとイメージする神とすべきだろう。
人間は神覚的動物といわれる。
自然なありのままの状態でいれば、物の中に神を覚えイメージしていく。

たとえば森の中で巨大な樹木に遭遇すると、その中に本能的に神を覚える。
日本ではそれの周囲にしめ縄を張って外部の事物と区別し、内側を掃き浄めてそれを礼拝したりする。
そういう様式はとらないにせよ、他の民族もこの種の巨木のなかには神イメージを抱くだろう。
巨大な岩にも同様な感慨を抱くだろうし、山や川や空にも同じ感慨を抱く。

これらは物の中に存在するとイメージされる神だから、在物神といっていいだろう。



<礼拝は崇高感をもたらす>

人は神イメージを抱くと、それを礼拝する。
真摯な礼拝姿勢は、人に崇高感をもたらす。
そして崇高感は、自分が存在するに値するという自価意識を高める。
すると、道徳・規律を守ろうとする感覚も強くなる。

その結果、人は自らの内に「統一感」を増していく。
それは快適であり、かつ、心身の健康に良い。

だから人は在物神としての神イメージを抱くと、それを礼拝しようとする。
この行為が宗教と一般に呼ばれる。
この場合は、在物神宗教である。



<創造神>

もう一方の極には何を置くべきか。
それは聖書が供給してくれる神イメージ、「万物を創造した創造神」だろう。

在物神は自然物の中に存在するとイメージされる神だ。
創造神はその自然物の外にあって、その全てを懐に含むとイメージされる神である。
物の内にあるとイメージされる神と外にあるとイメージされる神・・・形式的にも対極の条件を持つ。

人の心の内でのイメージの出来かたも対極的である。
在物神は人間の意識に自然にめばえる神イメージである。
創造神は外から言葉で与えられて初めて心に形成される神イメージだ。

社会的影響力においても対極だ。
在物神を礼拝する宗教は多くの人々の心を捕らえている。
創造神を礼拝する宗教は、具体的にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教だ。
今世界人口は、キリスト教圏とイスラム教圏をあわせると半数近くに達する。



<創造神イメージの生成と展開>

創造神という神イメージが、外から言葉で与えられて初めて人の心に形成される状況を少し具体的に見ておく。
それは聖書に詳細に記述されている。

聖書の記述では、創造神イメージは、万物の創造神自らが人間に導入していく。
その方法は次のようになっている。
まず、アブラハムという感性のとびきり豊かな人間を選び、彼に家族を引き連れて父祖の地を出よと命ずる。
彼の家族は、推定200人近くの奴隷やラクダなど動物ももった一大集団である。
父祖の地は、今のイラクの中の一地域である。

創造神は、自分が指し示す方向に移動せよ、と命じカナン(今のイスラエルやシリアのある地域)に導いていく。
途中の地点で定住もさせるが、また旅立たせる。
人は一地点に定住すれば、自然に在物神を造っていく。
それから周期的に脱却させる必要があったのである。

創造神は自分に忠実なアブラハムの子孫を繁殖させて一民族とし、それを自分のメッセージの受け皿にしようとした。
これがイスラエル民族である。彼らはユダヤ民族とも呼ばれる。

創造神はそこから自らの神イメージが全人類に普及するのを遠望していた。
聖書が描く歴史には、そう記されている。




<イエス、創造神イメージに民族の壁を越えさせる>

この神イメージは後にこの民族の中に出現するイエスによって、民族を超えて普及させられていく。
その主たる流れは、まず、発生地エルサレムから地球を西回りする形で今の欧州大陸への普及である。
ついで、近代になると今のアメリカ大陸に普及する。

日本には、戦国時代に欧州からの宣教者によって導入される。
カトリック教団の修道会、イエズス会の修道士が導入する。
その先駆者が歴史教科書に出てくるザビエルである。

明治維新期には米国大陸から来たヘボンを初めとする宣教師がやってきて創造神イメージの伝道に努める。
ヘボンはこの時、聖書の初の邦訳を実施した。
こうしてはじめて創造神の神イメージを記した書物(教典)を日本人は好きなときに読めるようになった。
これは画期的なことであった。



<在物神に満ちた国>

にもかかららず、創造神の神イメージは日本では素直に育たなかった。
全国にあまりに盛んに在物神イメージが生い茂っていたからである。


聖書でのイエスの言葉に似せて言うと、創造神イメージはイバラが生い茂る地に落ちた種のような運命をたどった。
人々は聖書の中から道徳や処世訓を中心的に取り出した。

そのなかで創造神の神イメージは、素直に人々の心に吸収されることはほとんどなかった。

この状態は今日まで続いている。
次回にはそれを神イメージの物差しを使いながら、見ていこう。






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29 <世界理念の不在は短期的利点を生む>

2014年04月02日 | 聖書と政治経済学



前回、日本には人民に深く共有される世界観、全体観がないと述べた。
だが多くの読者は、そう言われても、ピンと来ないと思う。
当然なことだ。人は自分の属する世界しか知らなかったら、その特徴を認識することはできない。
特徴とは、異なった世界と比較して初めて認識できるものだからだ。

世界には、人民に広く浸透した世界観を持つ国々がある。
一つは西欧国家で、これは創造神ベースの世界観をもつ。
この世界観が、究極的に安定した全体観を提供することは前回述べた。

こういう全体観は「ここは長期的・大局的にどうしよう・・・」と思案する場面で強力な思考材料になる。
そういう場面は、個人の人生でも国家の歴史でも実は数多く起きるので、世界観は判断材料として常時重宝される。




<儒教の世界観>

そうした世界観をもつのは、西欧諸国だけでない。
実は漢民族の中国にも人民に深く浸透した世界観がある。
孔子が教えた儒教思想がそれである。

紀元前の、漢民族が小国家に別れていた春秋時代末期のことである。
思想家・孔子は国家観、国際関係観の明確な理念を漢民族に提供した。

彼の世界観は家族関係をベースにしている。
孔子は家族がよく治まるには、家父長が徳を持って家人に対し、家人は孝を持って応えることが必要と説いた。

彼はまた、国家が治まる方策も家族統治から類推して説いた。
君主が人民に徳を持って対し、人民はそれに忠を持って応えるのが、国が治まる秘訣と教えたのである。

この思想は後に国家間の調和形成の手法にも適用されていく。統一後の漢民族国家・中国と朝鮮、日本の関係についてもまた、家族からの類推でもってあるべき関係が説かれていく。

いわく中国と朝鮮、日本の関係は親子のようなものである。中国が親で、朝鮮と日本はその子である。
中国は親としてこの二国に徳を持って対する。
朝鮮、日本には子として中国に忠を持って応じる。
そうすれば国際社会は調和すると考えられた。

ちなみに朝鮮と日本との関係は、朝鮮が兄であり、日本が弟だとされた。
子は親に対して貢ぎ物を持って朝見(臣下が参内して天子に拝謁すること)した。
それを受けた中国は親だから、貢ぎ物の何倍もの土産物を与える。
結局それは、経済的には貿易のようなものとなるので朝貢貿易とも呼ばれた。

それは子たる国家にとっては常に利益になる。だから朝鮮は、短い周期の朝見を甘え求めた。
一方中国はそう頻繁に経済的負担を負うことはできないので、要望にそのまま応じられなかった、という。

なお、日本は周期的な朝貢貿易を中国に対してしなかった。
その意味では可愛くない子だった。
そんな態度をとれたにつけては、四面を海に囲まれることによって形成された独立性の高さも、大きな要因だったろう。

ともあれ儒教では国家間の調和もまた家族との類比において考えられていた。




<儒教思想は超わかり易い>

儒教の思想は、一般人民にも非常にわかりやすかった。家族での親子関係は、庶民もまた日々直接に体験しているからである。
それ故に孔子の家族統治論はわかりやすく、その知識から類推していく国家統治論、国際関係論もまた、庶民にもわかりやすかった。
その結果、中国では孔子の儒教思想は、全人民の心に深く浸透した。




<儒教思想は農民の小作化にも歯止めをかけた>

前述のごとく、人民に広く深く、かつ長期的に浸透した世界観は、「これは長期的大局的にどうしよう・・」というような決定事項で人間の行動を方向付ける。
儒教思想は中国人の行動を力強く方向付けた。

たとえばそれは、小農民が小作化しないという事象も産み出している。
欧州史では、小自作農は時の流れの中で、窮乏化し、大地主に借金を積み重ねていく。
そしてそれが返済できなくなって土地を手放し、小作人化していく。

この動向は欧州では普遍的に進展した。
そして経済学は欧州で生成したが故に、他国の経済学徒これをユニバーサルな経済法則のようにして学ぶ傾向を持った。小農民の小作化はあたかも法則のようなイメージで学ばれたのである。


ところが、この事象は中国では生じなかったのである。
大地主は小農が土地を手放す一歩前で、貸金の返済を赦したからだ。

そこには儒教思想が強力に働いていた。
儒教では家族をベースに人間世界を思考する。それが家族を重視するく心理を形成する。
加えて儒教では、上位の強者が下位の弱者に「徳」を持って対することに至上の価値をおいていた。
この世界観が、大地主に小農民の所有地を取り上げる一歩前で、貸し金の返済を赦すという行動をとらせた。
この事態は、中国が西欧流の近代化を進めるための障害にもなっていく。
だから歴史は一筋縄では捕らえられないのだが、とにかく中国では儒教の世界観がかくも強い影響力を発揮してきているのである。




<日本人に強力な世界観はない>

これをみれば、日本には庶民レベルにまで浸透した強力な世界観がないことを納得できるだろう。
繰り返すが、全体観は「ここは長期的・大局的にどうしよう・・・」と思案する場面で、照応すべき強力なイメージとして働く。

ではそうした全体観を持たない日本のような国では、人民はどうなるか。
参照すべき世界観は、人の行動を制約する面も持つ。日本人にはそういう制約要因がないことになる。
すると人々は、重大局面で目先の実利をストレートに追う行動を取りやすくなる。

実際、日本の明治維新政府がそれだった。
彼らは、西欧の技術を躊躇なく取りに行かれた。

「今の国際社会では、物的暴力手段(軍隊)の強い者が結局他者を征服する。そういう弱肉強食の論理が露骨な社会だ」と彼らは観察した。
そして西欧の軍事技術が対外戦争に有効だと知ったら、迷うことなくいただきにいった。

その姿を司馬遼太郎は『坂の上の雲』の秋山兄弟に明快に描いている。
維新政府の軍事指導者は、兄の秋山好古に、「お前は脚が長いから西洋の騎馬戦術を学んでこい」と、簡単に決定してフランスに遊学させる。弟の真之は、「学問では上位に行かれないから」と、一高から海軍学校に明快に籍を移す。

司馬遼太郎のこの小説は、そうやって、軽々と実利的に動いて行く日本と日本人の姿も描写している。




<儒教は清国の足かせになった>

当時の清朝中国政府にはそんな行動はとれなかった。
彼らの意識には儒教思想による世界観が濃厚にあった。

西欧諸国は各々自らの然るべき立場を悟り礼節を持って中国に対応する。中国もまた彼らに徳を持って対する。
清国には国際諸国を調和させる方式は、これ以外にイメージできなかった。

つまり、清国が儒教の精神でもって行動する。そうすれば他の国にもしかるべき身分・立場を悟るだろう。これによって国際関係は治まっていくべきものだ。そうとしか考えられなかった。
だから西欧軍事技術をストレートに取りに行くことはできなかった。

それが日本との差を生んだ。
日本は、西欧技術を取り入れ、驚くべき迅速さで強兵国家を実現した。
そして列強の一員として、ついには西欧列強とともに中国の領土と資産の「かじり取り」に入っていったのである。

それが人道的にいいか悪かったかは別として、少なくとも、日本は西欧列強に征服される悲劇からは脱がれ得た。

人民に広く深く浸透した全体観がないことは、このように短期的には利点として働くこともあるのだ。




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