「イエスの血の権能」最終回です。
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イエスの血の主要なところは、天の創主王国における「いのちの川」に流入していると前回解読しました。
そしてこれは地上と呼応していると鹿嶋は考えます。
イエスの血を求めると、大きな問題にはいのちの川の「いのち(血)」が祈りに呼応して瞬間的に天国より下ってくる。
それはいのちエネルギーの凝縮体となって嘆願者の祈り求めるものを覆う。こう考えられます。
<地上で繋ぐものは天でも>
それを鹿嶋は聖書の次の思想から推定します。マタイ16章19節にイエスの次のような言葉があります。
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「私は君(ペテロ)に天国の鍵を与える。貴君が地上で繋ぐものはすべて、天においてもつながれている。
地上で解くものはなんでも天においても解かれている」(マタイによる福音書、16章19節)
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この言葉は次のような背景のもとにイエスの口から発せられています。
イエスは宣教の途中で弟子たちに「諸君はわたしを誰だというか」と問いかけました。これに対して弟子のペテロは~
「あなたは生ける神の子キリストです」と答えます。右のイエスの言葉は、これを受けて語られたものです。
「繋ぐ」とか「解く」というのは抽象的な言葉ですね。それ自体の意味を解読するには神学的考察がしっかりいるでしょうが、
ここではその問題はスキップしておきましょう。
そうしておいてこのイエスの言葉をみると、そこには「地上のものと天国のものとが呼応する事がある」という論理を読み取ることができます。
ですから、ペテロのようにイエスが創造主の子で救い主だと心から信ずる者の言動のある部分には天でも呼応がなされる、と考えられます。
<天のいのちが降りてくる>
そこで「イエスの血!」と天に向かって願い叫ぶと、大きな問題の場合は天のいのち凝縮体が瞬時に降りてきて嘆願者を覆うと考えられるのです。
そうした意味で、信じるものには「イエスの血(いのちエネルギーの凝縮体)」は
実質的には遍在(何処にもあまねく存在)することになりますね。
いのちエネルギーは栄光という究極の光をも発します。その光は悪魔の持ち物である闇に打ち勝ちます。
いのちは死にも打ち勝ちます。そうやって悪魔のわざをも追い出します。
(「人間は悪魔の敵として創られた」というのは聖書論理の大前提です。これを軽視したら真の福音理解はなりません)
いのち凝縮体は悪霊を追い出します。肉体のいのちを増幅し、病を追い出して癒しをもたらします。
目に見えない悪魔の攻撃をブロックします。その一端を外から見た人間はそれを「奇跡」というわけです。
どうも福音に力をもたらす実体は、イエスの血だったようです。
この世に肉体をまとって生きている人間にとって、「イエスの血」は奇跡を呼ぶみなもとだったようです。
前述の『イエスの血の力』の著者ホワイト師はこういっています。
「祈り、賛美、礼拝、静かな時・・・それらはみな創造主に近づくための手段であって、血の代用とはなりません。
腐敗に効く惟一の特効薬はイエスの血なのです。
だからこそ、サタンはなんとかして教会から血の教えを取り除こうとしてきました」(89頁)
鹿嶋はその「血」の論理を自己の聖句解読(神学理論)に入れてきませんでした。
真の福音は権勢を伴うべきものと思いながらも、実体験が得られなかった。宣教活動に力が伴わなかった。
反省したときから少しずつ状況が変わってきた感触があります。
(完)