<二種類の仏教>
宗教活動を支える資金への感覚をもっと身近にするには、日本の仏教でのケースを見ておくのがいい。
仏教は今日では釈迦が創始した①涅槃文教と、
中国・唐の時代に造られた②浄土仏教とがある。
涅槃仏教は
~「涅槃(ねはん)」という煩悩のない平安な心を獲得するのをゴールとする仏教である。
浄土仏教は、
~キリスト教のように死後の霊の救い(極楽浄土にいけること)を最大の関心事とする仏教である。
<浄土仏教>
浄土とは極楽浄土の略であり、「浄さと楽しさの極に満ちた所」という意味をもっている。
浄土仏教の中核は、「死後の霊が浄土に行かれる」極意を教え導こうとする教えと活動にある。
日本の仏教の活動費収集法の性格はこの浄土仏教に代表される。
<浄土仏教はネストリウスはキリスト教の簡略版>
浄土仏教はキリスト教と照応しながら眺めると明確に理解できる。
これはキリスト教(ネストリウス派)の簡略版だからである。
そのことは、中国、西安(唐時代の長安の9分の1レプリカ都市)の地に立つとわかってくる。
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この教えは、中国唐の時代の長安に生成した。
当時長安は世界最大の自由国際都市で、東西のあらゆる文化が流入していた。
そこではカトリック教団から異端として追われたネストリウス派のキリスト教団が、大繁盛していた。
仏教僧の中から、その信徒吸引力の核心を調べ、それをインド伝来の釈迦の仏教(涅槃をゴールとする仏教)のもつ理論思想に取り入れようとする一群が出た。
そして彼らの調査研究の成果を、善導(ぜんどう)という総合化力に秀でた僧が、仏教用語を用いて集大成した。
これが浄土仏教で、日本から留学した法然はこれを学んで比叡山延暦寺で講じた。
彼の教えは浄土宗と呼ばれる。
この講義に感銘を受け、ほぼ同じ教えを庶民にもわかるように説いたのが親鸞である。
彼の教えは浄土真宗と呼ばれるが、教えのエッセンスは浄土宗とほぼ同じである。
<南無阿弥陀仏の思想>
浄土真宗(浄土宗も同じ)の中核的教えのひとつに、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで「救い」(死後の霊が極楽浄土に行く資格)が得られる、というのがある。
これは「イエスの名を救い主の名と信じ、その名を呼ぶ者は救われる」言うのもキリスト教の教えを模倣吸収したものである。
<阿弥陀は「無量寿」>
南無阿弥陀仏の「南無」は「頼ります」という意味だ。
「阿弥陀」の意味は「無量寿」で、これは「寿(年齢)が無量(無限大)」という意味である。
それすなわち、永続者・永遠者でる。
ちなみに、これはキリスト教における「万物の創造神」の一属性を取り入れた概念だ。
英語でゴッドと呼ばれるこの神は、原点が「万物の創造者」である。
自分以外の万物を創ったのなら、それは「空間的に無限者」であり、かつ、「時間的にも無限者」であるはずだ。
「阿弥陀(無量寿)」というのは、この時間的無限者の理念を抽出していただいた概念だ。
このように本家本元の属性を漏らすのが、模倣理論、模倣思想の常である。
<仏は「覚者」>
「仏」は「覚者」という意味で、「覚」とは自覚し悟ることである。
そこで「仏」は具体的には「無量寿を悟った方」となる。
浄土仏教ではそれを釈迦(釈尊)としている。
そこでは釈迦は「無量寿なる神を悟った覚者」となっているのだ。
これは「創造神の子・イエス」の思想を模倣吸収した概念である。
善導は、ネストリウスはキリスト教が説くイエスを、キリスト教の神を悟った覚者だとしたのだ。
そしてキリスト教でイエスに頼るように、「無量寿を悟った覚者である釈迦(仏)に頼ります」と唱えよう、そうすれば死後極楽浄土に救われるという教義を造った。
そのエッセンスを表す唱名が南無阿弥陀仏なのである。
<読経力で「救い」の手段を占有>
浄土仏教では、南無阿弥陀仏に代表される教義を経文にした。
日本ではそれを教典として中国から輸入した。
そしてその経文には、極楽浄土に死後の霊を送る力が秘められていて、その力はこの経文を読むこと(読経)によって現れるとした。
経文は漢文で書かれていて庶民には読めない。
日本ではその読経を仏教学校で学び、卒業した者だけが寺の僧侶となれることにしている。
筆者の見るところ、音読できるだけでその意味をほとんど理解していない僧侶が多い。
が、ともかく、彼らだけが音読できる。
すると、専門僧侶だけが「救い」の手段を占有していることになる。
中世のカトリックの教皇や近世のプロテスタント教会の司祭と同じく、お寺と僧侶という人間が「救い」の権限を握ることになっているわけだ。
<「救い」の代価を「布施」という>
するとその読経行為(儀式)には、当然、見返り・代価が求められることになる。
浄土仏教ではこれを布施(ふせ:世に言う「お布施」)と呼んでいる。
布施というのは、もともとは涅槃仏教における修行者への自由献金を意味していたのだが、浄土仏教ではこの用語を拝借して「義務献金」の意味で使っている。
教義に涅槃仏教の仏教用語をふんだんに使うと、そうなるのである。
が、ともあれこうして寺と僧侶を養う費用が確保される。
<先祖の霊の「救い」に焦点を置く>
また、日本の浄土仏教では、「救い」の焦点が「今生きている自分」ではなく、彼の先祖の霊におかれている。
先祖の霊は、死後、折々になされる読経の力で、徐々に浄土に向けて上昇させられる、というのだ。
その期間は50年であり、子孫はその五十年の折々の日々に、先祖への読経を僧侶にして貰わねばならない、としている。
たとえば、死んだ直後の「葬式」、その七日後の「初七日」、一年後の「一周忌」、三年後の「三周忌」、・・・・以下「七周忌」「十三周忌」等々と続き、「四十九年忌」でその義務が終わる。
それらの法要を先祖の霊のためにするのは、子孫の責任とされている。
そして檀家はその都度、僧侶に何万円かを義務的にお布施献金する。
<命日読経(月参り)>
それに加えて、地方では寺院と僧侶は、信徒の家に仏壇を造らせる。
その中に入れるべき位牌(葬儀の時多額の代価で法名を作って貰い、それを木札に書いて収めた容器)に、毎月、命日に読経することも必要としている。
もちろんそれにも代価(布施)が求められる。
<永代司堂>
また、これらの年忌法要や毎月の命日読経が出来ない家庭には、永代司堂(えいたいしどう)というサービスも準備されている。
寺院はその名目で多くの位牌を預かって、本堂の一角に並べる。
そして僧侶が毎日本堂でする読経の功徳が、位牌たちにも及ぶというわけである。
永代司堂は、文字通り、永代にわたる供養とされる場合もある。
このサービスには、戦前の田舎では、田んぼ一反を布施することも行われた。
その結果、田舎の大きめの寺は、大地主ともなって小作に米を作らせていた。
寺は地主でもあったのだ。
この状態は、敗戦時の農地解放で消滅した。
<敗戦と旧没落>
現代の我々多くの日本人が置かれている現状を、さらに詳しく認識するために、敗戦によって起きたことをも記しておこう。
実は日本人の死後の「救い」には、戦前にはもう一つの手段が考えられていた。
それは軍人用のもので、国家のために死んだ軍人の死後の霊は、靖国神社の社の中で憩う、とした。
ところが敗戦によって、人民は一転してこれはインチキであったと認識した。
そしてもう「見えない霊などの話」はいっせつ信じないぞ、と決心した。
これに浄土仏教も巻き込まれた。
寺院も「霊という見えないもの」へのサービスを本業としていたからだ。
寺院や僧侶は軽蔑され、「坊主を見ると縁起が悪い」と子供までもがいうようになった。
布施も突然減少し、寺と僧侶は極貧にあえいだ。
<高度成長期に反動>
ところが平和の中で高度成長になって経済的余裕が出ると、反動が出た。
人々は魂の強い飢えを一気に自覚し始めた。
一転して、浄土仏教の僧侶の読経に、先祖の霊の「救い」を得ようという思いが復活した。
高度成長の中で都会に住むようになった者は特に、親族が死んだときには、僧侶の読経を渇望した。
寺と僧侶は、これにつけ込んで、多大な見返りを求めた。
住職だけでなく、伴奏坊主と呼ばれた多くの子分をも引き連れて、一座へのサービス対価を要求した。
伴奏坊主の数は、檀家の経済力に応じて増減された。
読経だけでなく、位牌に書く戒名をあたえるのに、何十万という代金をも要求した。
寺の僧侶がベンツを乗り回す風景が見られるようになったのも、この頃である。
<「やり過ぎ」の反動>
だが何事も度が過ぎると、商品ライフサイクルは短命になる。
度が過ぎた結果、一転して最近、葬式を親族だけで行う人が出てきた。
その理由を「故人の希望ですので」と明言して、人々に事後的に告知することが、最近、特に都会で急増している。
これが日本の浄土仏教の宗教活動を支える資金収集の有様である。
このように、宗教団体は通常、宗教税か義務的献金を求める。
両者の違いは、税では金額が決まっているのに、義務的献金では固定されていなくて、若干の自由裁量余地がある、ということくらいである。
だが実質的には、その違いは大きくない。
そうした中で、初代教会の聖句自由吟味方式をとる教会だけが、義務的色彩を廃した自由献金制を継続してとってきている。
これが大規模化した宗教団体の資金獲得状況の鳥瞰図である。
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次回には、バージニアの聖句自由吟味者たちが、再逆転して、政教分離、信教自由を実現する様を述べよう。