鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

臨時版:イエス関係系譜

2006年08月12日 | キリスト教活動の歴史
~~面白いブログを見つけました。
イエス関係の系譜を説明したものです。

http://blogs.yahoo.co.jp/tenzinkuoshi/38744170.html?p=1&pm=l

これも鹿嶋のブログにはないものです。

鹿嶋はおもに福音の論理構造を探求しています。
特に、この世に生きる人間との関わりで調べます。
ですから、上記のような知識収集は他の方にしていただくお仕事になります。

天人皇士さんに感謝です。








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霊感の豊かな人

2006年07月30日 | キリスト教活動の歴史
~~また臨時版です。
・・・霊感の豊かな人っているんですねぇ。

http://blogs.yahoo.co.jp/kyo46912/14506086.html

こういう方が、みことばを深くやられたら大きな働きをする人になられるでしょうね・・・。 鹿嶋
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執事会は近代株式会社の取締役会

2006年07月15日 | キリスト教活動の歴史
(写真はハフマンバプティスト教会の執事会)


 執事会に選定され雇用された主任牧師が、執事会で基本方針の演説をしたり、財務状態をカイゼンしたり、音楽監督をスカウトしてきたりするというのは、聞いているとすっきりしないところがありますね。雇われ人がどうしてそこまで出来るのか、経営権を持つ執事会はどうしているのか、とか。

+++

現代の株式会社と照らし合わせて理解したらどうでしょうか。

<教会>  <株式会社>

会員総会 → 株主総会
執事会  → 取締役会
主任牧師 → 雇われ社長(オウナーでない社長)

教会の最終的な決定権は、教会員の総会が持っています。これは会社で言えば、株主総会に当たります。年に一回の株主総会で否決されたら、取締役も社長もどんなにいい案だと思っていても、実行できません。

しかし、全員が集まって審議する機会は多くとれません。多数で日常的な執行事項をいちいち議論するわけにもいきません。そこで、取締役という代表者を選んでそれに執行を委任するわけです。教会運営ではこれが執事会に当たります。

だが、執事さんもまた普段は会社などでの仕事に従事しています。毎日教会の仕事にかかわっているわけにはいきません。そこで主任牧師に日々の経営の多くを委任します。牧師は教会の事項に専念するのがその仕事ですから。これが会社では社長に当たります。

主任牧師は、副牧師や音楽監督を協力させて日々の教会運営に当たります。会社の社長が副社長、専務、常務らを協力させるのと同じですね。

だからティム牧師は、教会の財務状態を分析し、そのカイゼンのためにも動きます。音楽監督を交代させたりもします。どのような方針で教会業務を執行するかを、執事会で演説したりもします。

+++

しかしその主任牧師と再契約するかどうかは、取締役会である執事会が決めます。あるいは時として途中で解任することが議題になったときにはそれも、執事会が決めます。そしてその執事会の決定を承認するかどうかは、株主総会であるところの会員総会が最終的に決定します。


<近代株式会社組織は聖句主義教会のコピー>

なにやら近代株式会社組織のやりかたを模倣しているようですが、事態は逆でしょうね。この方式は、聖句主義の教会ではイエスの使徒たちがいなくなってからまもなくして、つまり紀元後1世紀の終わりには出来上がっていたのではないかと思われます。

使徒たちは長老と呼ばれていましたが、彼らは牧者でもありましたので、長老と牧師は同じ人をさしました。また、彼らは教会全体を監督する人でもありましたので、監督とも呼ばれました。つまり、長老、牧者、監督は同じ人の異なった呼び名でした。

使徒時代には使徒たちの発言権は大きかったでしょう。なにせ、イエスに直接教えを受けた直弟子ですし、彼らを通してしるしと不思議が現れていましたから。なので、初代教会時代には長老会議が取締役会のような業務を実質的に行っていたでしょう。

執事は「使徒行伝」では、教会員の生活の世話をする役柄として作られています。最初はそうでした。最初の殉教者ステパノはこの初代の執事さんでした。

しかし、時と共に長老が毎週の説教や日々の教会運営に時間やエネルギーの大半を注ぐようになります。また、イエスの使徒たちのような特別な権威は教会員からみとめられることはなくなります。それにつれて、教会員の総意を受けて教会運営をするのは、執事会のほうが適しているようになり、執事会が取締役会になった。そういう事態は、初代教会時代が過ぎたらまもなくできあがったのではないでしょうか。

このやりかたが近代株式会社に取り入れられたと思われます。
多くの人々から資金を集め、大規模な会社を運営したい。出資者に株券を与え、株主の総会が会社運営の最終決定権を持つようにしたらどうか。代表者として取り締まりを選び、取締役会が会社業務に専念する社長を選んで日々の執行を委任しよう。こういう方式を、聖句主義者の教会運営をヒントに学んだのでしょう。

                    



<教理主義教会では僧侶が決定権をもつ>

この方式はカトリックなど教理主義の教会ではとられておりません。
最終決定権はプロの僧侶が構成する教会本部が持ちます。
ここでは正統とする聖書解釈(教理)を僧侶の組織が決めます。そのことと最終決定権が僧侶に置かれているというのは表裏の関係をなしているわけです。

<カルヴァン派教会は教理主義なのに・・・>

ところが現実は複雑でして、教理主義の教会でも聖句主義教会に似たような運営形態をとるケースがあります。

英国ではカルヴァン派教会は長老派とよばれています。
宗教改革の立役者カルヴァンは教理主義者でしたので、この派の教会は基本的には僧侶が構成する教会本部が決定権を持っています。彼の教え子たちが英国で造った長老派教会が時の経過の中で聖句主義教会的な運営をするようになりました。ここでは信徒の代表を執事といわないで、長老といいますが、この長老会が会社の取締役会のような働きをするようになっている例が多くなっています。

春平太は、これを英国における聖句主義教会に触れて影響されたことによると推測しています。当時、英国には欧州大陸から聖句主義者が大量に流れ込んでいました。国教会からの圧迫が比較的緩やかだったので、彼らが地表に出て聖句主義教会活動をすることが多くなっていました。長老派の人々は、ここでの方式に感銘を受け、取り入れていったのでしょう。

               


それにつれて、他の教理主義教会でも、形態的にはそれをまねたような事象が広がってきています。けれども、会員総会に最終決定権を持たせるということは、個々の信徒に聖書解釈の自由をもたせるということなくして、完全には成立しがたいです。そのへんを曖昧にしたままでやっているのが、現代のプロテスタント教理主義教会の現状です。

カトリックは、それすらもしない。完全僧侶主義というか、教皇主義ですね。
こちらに所属する信徒さんも多いですから、信徒の好みも様々です。人間様々といったところでしょうか。

+++

カルヴァンと教会運営方式については、もう少し情報がありますが、機を改めて書くことにいたします。


                    

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音楽監督デニス

2006年07月12日 | キリスト教活動の歴史




同じ教会の音楽監督デニスです。

ある程度の規模のバプティスト教会には、有能な音楽監督(music director)がいます。礼拝などで歌われる聖歌の選択、ラインアップは彼がします。のみならず、聖歌隊の編成も、訓練も彼がするのです。

音楽は世界語(universal language)ですし、会衆の霊感を深めます。楽曲選択が自由なバプティスト教会では、音楽監督は牧師と並んで大切な存在なのです。

+++

デニスはとりわけ優れた人材でした。
会衆を「活気づける(animate)」能力にかけては、、鹿嶋はこれだけの音楽監督を見たことがありません。彼が講壇に登場して指揮を執り始めると、背後の聖歌隊も会衆もまるで魔法にかかったように元気になって歌い始めるのです。なにか、人々の目を覚ますような爆発的な明るさというか、そういうオーラを持っていました。

彼は、ティム牧師がスカウトしてきたそうです。

就任するとすぐに、ティムは音楽監督のレベルアップを求めて、従来の監督の交代を執事会に提案し承認をとりました。そしてデニスをスカウトしてきた。ノースカロナイナ州の教会で音楽監督していた彼をアラバマに連れてきたそうです。

どうやって彼を選び出したのか、以前から知っていたのか、については情報が得られませんでした。彼の奥さんもクラシックベースの聖歌歌手で、歌に移入する信仰感がすごく、ソロを聴いて感動の涙を流す人も幾人か見られました。この二人をセットでティムはスカウトしてきたわけです。

こうしてこの教会は、会員の満足度の高い教会になりました。


                

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スカウトされたティム牧師

2006年07月09日 | キリスト教活動の歴史
同じハフマンバプティスト教会のティム主任牧師です。
執事会で基本方針を述べているところです。

写真は2004年当時のものですが、その7年前に彼はこの教会に着任しました。
他の教会にいたところをスカウトされてきました。


                  


サザンバプティストの教会では、教会を経営するのは信徒の中から選ばれた執事さんたちです。

執事会では、現在契約して働いてもらっている牧師について、期限が切れたら再契約すべきかどうか、かなり前から審議します。そして、再契約しないと決めたら、新しい牧師のスカウトに乗り出すのです。

まず、牧師選考委員を数人選んで、選考委員会を造ります。選ばれた委員会は、なるべく近いサザンバプティスト連盟の支局に出向いて牧師の資料を見ます。支局には現在就任中の牧師や休職中の牧師の全資料がファイルされています。

                  

ハフマンバプティスト教会の委員会は、その中からまず60人を選びました。次にそれらを好ましい順番に序列付けしました。これと思った人については実際に働いている教会の礼拝に行って、その説教を聞いたりしました。

そして上位3人を候補者として、一位から順番に交渉を試みました。3人選ぶのは、上位の牧師がすでに次に行くところが決まっていたり、あるいは断ってきたりすることがありうるためです。

委員会は、他の教会で働いていたティム牧師を一位にノミネートしていました。彼らは、給与を始めとする諸条件を提示して交渉を開始しました。

                  

ティム牧師は、条件には満足しましたが、決める前にハフマンバプティスト教会で一度説教してみることを要望しました。自分の説教にその教会の会衆がどのように反応するかを確かめたかったのです。やってみてこれならいけそうだと判断して契約し、7年前に就任したのでした。

鹿嶋のみるところ、非常に気配りが細かく、説教も信仰心に充ちた情熱があって、リーダーシップもあり、優れた牧師でした。60人の候補者の中の第一位だっただけのことあるなあ、という印象でした。また彼は就任してすぐに、赤字だった教会財政の立て直しに着手し、2年の内に黒字化したということでした。

では、牧師を引き抜かれた教会はどうするかといいますと、これもまた新たに牧師のリクルートに入ります。引き抜かれたら自分らも引き抜く、というのが常識なようです。こうやって優れた牧師はだんだんと好条件な教会に動いていくことになります。

+++

逆に、お呼びのかからない牧師はどうなるかと言いますと、休職になります。教職者としては失業状態になるわけですね。その期間中、彼等は小売店の店員として働いたり、絵画のセールスマンをしたり、いろんなことをします。

ベトナムやイラクなど戦場で従軍牧師が募集されると、応募するのは多くはこの人々なようです。もちろん、信念で戦場に赴く人もいるでしょう。米国独立戦争時には、バプティストの牧師にこういう人が多かったと伝えられています。が、現代では、従軍牧師の多くは教職としては失業中だった人が多いようです。

鹿嶋は、この類の人で元ベトナム従軍牧師だった方に話を伺ったことがありました。現場の目撃者であった彼の話では、若い米国兵たちの状態は悲惨だったようです。

どういったらいいか、戦後の米国は豊かで自由ですから、その社会で育ってきた若者は、要するにボンボンなわけです。日本流に言えば、いいとこのボンボン。これが突然、殺戮のジャングルにぶちこまれるわけですから、もうなにがなんだかわからない。身体的だけでなく、精神的にも悲惨な状態になるわけです。

彼は、具体的に説明しようとして言葉を詰まらせ、描写しきれまませんでした。

「まあいい・・、彼等はああいう運命に生まれついてきていたんだ・・・」と、自分の気持ちを整えるのがやっとでした。従軍牧師は、軍医たちと同様に、前線から一歩下がった位置にいますので、前線現場のありさまが一番よく見える存在なのですね。

休職牧師とはいえ、この人は、聖書やその他の知識を多く持っていました。教会の牧師に求められるのは、知識の他に、リーダーシップとか教会員への愛情とか、人なつっこさとか、いろんな資質があるようですね・・・。

+++

話を戻します。
この教会では、主任牧師は7年間働いたら3ヶ月の研究休暇を与えることになっていました。ティム牧師は8月半ばから11月半ばまでをその研究休暇にあてていました。

                    

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海外宣教家族のための祈り

2006年07月08日 | キリスト教活動の歴史


同じシニアミュージカルの教会、ハフマンバプティスト教会、の礼拝後の一場面です。
教会が派遣している海外宣教師の家族ために祈っています。

                  

講壇の前に家族がいます。アフリカのタンザニアかどこかの国で宣教している家族で、活動報告をしに里帰りしていたのです。これからまた出かけるにつけ、教会員は彼らを囲んで祈っています。未開地で宣教師が殺害されたという話もこれまでに一度ならずあります。

講壇で祈りをリードしているのは、この教会の主任牧師、ティム・ロベットです。
彼のリードで全員が一斉に祈り続けると、霊感が濃厚に充ちました。

                  

日本とは別の文化圏だなあ・・・。
先回の少年も、教育訓練を受けて鉄の意志を持った宣教師家族を造るのかなあ・・・。

               


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「日本宣教デー」の続き

2006年07月07日 | キリスト教活動の歴史


しばらく中断しましたが、「日本宣教デー」の期間に教会の講壇の前に集まった子供たちを再び掲載します。今度は、立ち上がって唄を歌っています。


                


子供を異国の文化になじませる期間をもうけたり、そんなことして効果があるのか、と思いますが、サザンでは結果が出ることもあるんですね。以前、シニアのミュージカルをしていたバプティスト教会の写真をご紹介いたしましたね。そこの夕拝で、8歳くらいの子供が将来海外宣教師になると決意したことを、大人が講壇から会衆に伝えている場面に遭遇しました。

伝えていた大人は、子供たちに海外宣教の知識を教えている女性の教会員。決意をした当人(少年)を横において、感動の涙を流して状況説明をしていました。

以後、この少年は宣教師になるための教育を本格的に受けることになります。そういう機関があるんですね。たとえばWMU(ウーマンズミッションユニオン: 婦人宣教協会)といったかなあ、そういう団体の本部がアラバマ州にありました。そのビルの中に、宣教師になる子供を本格的に教育する部屋があり、そのための絵本テキストも完備されていました。市販本と全く同じカラフルな印刷と製本がなされたもので、編集も見事、そのまま書店に並べてもいいような本でした。

                

そんな幼いうちから子供に人生を決めさせていいのか、もっと成長してものごとを知ってからでないと可哀想ではないかなあ、と鹿嶋はつい思ったりしました。が、そこは信じるものをはっきりもたない日本人的な考えでしょうね。サザンの教会人には、福音を海外で宣教する人生は、疑いなく輝かしい人生です。もう海外宣教師用に徹底訓練して育て上げてしまっていいんでしょう。

「自分は日本と大きく違う文化圏にいるんだなあ・・・」 そうあらためて実感させられた出来事でした。

                


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日本宣教イエアーでした

2006年06月13日 | キリスト教活動の歴史

(写真はクリックすると拡大します)



日本風飾り付けをした講壇の前に座った子供たちが話を聞いています。
この教会では、海外宣教への関心を育てるために、毎年5月に2週間ほど異文化になじむ期間を設けていました。

礼拝堂の中だけでなく、スモールグループ室には天井から日本の絵日傘の小型のものがいくつもつるしてありました。
廊下にも日本文化を表すポスターが張ってありました。

こうして毎年、一つずつの異国を紹介していきます。

ことしは日本イエアーだったのでした。

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洗礼槽全景

2006年06月13日 | キリスト教活動の歴史



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正面から見た洗礼槽の全景です。


 (次ページに続きます)
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ここにも日本風飾り付け

2006年06月13日 | キリスト教活動の歴史

(写真はクリックすると拡大します)



では、答えを明かしていきましょうね。
この写真は、もうひとつの日本風飾り付けです。

というより、アンドンのようなものに漢字が書かれてありますし、回りに竹など飾ってあって日本そのものですね。

講壇の向かって右側にありました。
画面の左上方に、富士山と藤の花のある洗礼槽が小さく見えていますね。


(次ページに続きます)



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富士山と藤の間でバプテスマ

2006年06月12日 | キリスト教活動の歴史




(写真はクリックすると拡大します)


                

バプテスマが始まりました。
黒人の少年がいま水に沈められようとしています。

でも、背景を見てください。
何か見覚えある風景と違いますか?

後ろにそびえる山は日本の富士山にそっくり。

前方に飾られているのは、これまた日本の枝垂れ藤の花みたい。


                



この教会の洗礼槽もまた、舞台中央の説教壇の後方の上方に設置されています。
礼拝出席者は真っ正面の上方にてバプテスマを見るわけです。

それにしても、そこに富士山と藤の花・・・。
日本からしたら地球の裏側のサザンバプティストの教会に。
これはどういう事でしょうか?

答えを推察してください。
イメージ出来た方は、このページのコメント欄にどうぞ記してください。
正解の方には、春平太の著書を差し上げます。

(・・・といって書棚を見たら、余裕のある手持ち著書は2冊でしたので、限定2名様ね)

正解は次回にお知らせします。
お楽しみに・・・。

                

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洗礼を授けるための準備を完了した牧師

2006年06月12日 | キリスト教活動の歴史


(写真はクリックすると拡大します)

手前に座っているのは、洗礼を授けるべき準備を整えた牧師です。

ピントはぼけていますが、この教会の主管牧師です。
ここでは牧師が洗礼していました。

サザンのバプティスト教会といっても様々ですね。

 (次のページに続きます)

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洗礼を待つ子供たち

2006年06月12日 | キリスト教活動の歴史
(写真はクリックすると拡大します)


「ヨハネ伝」を考えてきまして、しばらく言葉ばかりのページでした。
今回から、写真付きをしましょう。



別のサザンバプティスト教会で行われていた洗礼風景です。

受洗を決心した子供たちが洗礼槽の前にいます。

(次のページに続きます)


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ネクタイもしない牧師

2006年05月31日 | キリスト教活動の歴史
(写真はクリックすると拡大します)



前回と同じ教会、名前はハンターストリート・バプティストチャーチです。
なんの記念日だったか忘れましたが、子供に本をプレゼントしています。
一人一人名前を読み上げて、写真の左手の方に集まっている子供が呼ばれた順に出てきていました。

後ろに座っているのは、コワイヤです。
コワイヤというのは怖い顔の人という意味ではなく、聖歌隊のことです。

+++

本を授与しているのはこの教会のなんと主管牧師です。
彼はいつもこういう服装で礼拝に登場し、説教します。
スーツもネクタイも身につけません。
ニットのスポーツシャツでやるときもあります。

それでいて、教会員は4000人近くいて、かつ毎月50人以上の新入会員が新しく参加していました。やってくるのは大半が若い人でした。

米国の教会では、ほとんどが乗用車で礼拝に来ます。
その駐車場は広大で、クルマを止めたところから教会堂まで、参会者を電気自動車で運んでいました。ディズニーランドとおなじ、車両を繋いでムカデのような姿になっているクルマですね。

+++

バプティスト教会はスモールグループでの聖書研究を礼拝前にしますから、たくさんの小部屋が必要です。だから4千人というメンバーは異例で、ハンターストリート・バプティスト教会の名は、アラバマ州でもかなり有名でした。

牧師の名前はバディ・グレイ。
彼は独自な政策を大胆に実行していく牧師でした。

礼拝でのカジュアルスタイルの服装もその一つでしょう。
前回示した洗礼を授ける人の服装と同じく、彼のウエアは万人祭司主義というバプティスト教会の鉄則を強い意志で表明しているようにも見えます。

+++

彼は、説教が始まる直前までは、一般信徒の座席に座って一緒に手をあげて讃美などしています。牧師だかなんだか、全くわからない。で、説教の時になるとさっと壇上にのぼって語り始めます。

司会者がもったいぶって説教を導入するということもありません。
司会者など置かないのです。

プロテスタントの教会でも、説教時まで牧師が壇上の椅子に仏頂面して座っている風景が多いですよね。カトリックでもないのにローブなんて着ちゃってね。で、司会者が重々しく「本日の聖書箇所」などを読んだ後に、説教者が登場する~~バディ牧師はこういうのを一切排除していました。

他にも彼は独自な政策を打っていました。
また、おいおい機会を得て紹介しますね。


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信徒による浸礼

2006年05月30日 | キリスト教活動の歴史

(写真はクリックすると拡大します)



 もう一つ、別のバプティスト教会での洗礼風景です。
この教会では、洗礼槽が講壇に向かって右手の方向の、高い位置にありました。
礼拝出席者が右上方の壁を見上げると、そこに洗礼の場面が見えるという風景ですね。

大きな教会でしたので洗礼槽が遠くて、ズーム写真がぼやけていますが、ここでは洗礼を授ける人が槽の外側に立っているのがわかると思います。前回の教会では、洗礼を授ける人も、水の中に入って立っていました。

<万人祭司の鉄則>

また、ここでは洗礼を授ける人が、シャツにネクタイという、普通のビジネスマンスタイルでした。いわゆる牧師でなく、一般信徒のようでした。聞くところでは執事さん(教会の運営を司る一般信徒)だろうということでした。

牧師の資格を持っていなくても、洗礼を授けていいのか、と思いますが、バプティスト教会では、いいことになっています。この教派では、牧師などの教職者と一般信徒との間に権威の差は基本的にない、というのが鉄則になってます。これを英語では~~

   "Priesthood of All Believers"

~~といいます。「信徒は皆聖職身分を持つ」といった意味でしょうか。もっと簡単に言えば「信徒は皆聖職者」といったところです。

<これがないと教理主義に流れていく>

日本語ではこれをちょっと格好つけて~~

     「万人祭司(ばんにんさいし)」

~~などと訳しています。要するに、一般信徒と聖職者(司祭、祭司、牧師といった聖職を職業とするもの)との間に、身分や権威の差などコンポン的にはないんだ、という原則です。

この原理がないと、「個々人の聖書解釈の自由」というバプティスト教会の大鉄則が崩れていくのです。だってそうでしょう。聖職者の権威が上にあれば、この階級の人々の解釈は、一般信徒よりワンランク上、ということになります。

そうすれば彼らの聖書解釈も、創り主よりワンランク上の啓示(インスピレーション)を与えられているんだからやっぱりアリガタイもんだろう、ということになります。そうしたら彼らの解釈を正統と受け入れることになります。


 ア~リガァタヤ、アリガタヤ・・・これすなわち教理です。

するともう信徒は、聖句に直接当たって考えるということをしなくなりますよね。代わりに教団の聖職者から降りてくる教理を学習することになる。だって、正しい解釈が決まっているのなら、聖句を考えたって意味が薄くなりますから。

<祖先は殉教の歴史を・・>

 バプティスト教会信徒の信頼(信仰)上の祖先は、イエスの弟子たちの教会時代から、万人祭司の鉄則を延々と守り続けてきました。ひたむきな努力が近代になって信仰自由の原則が憲法で認められるまで続いた。

 その間、彼らの原則を容認しない教団から殺戮を含めた迫害を受け続けてきました。彼らの信仰上の祖先の歴史は、すさまじい殉教の歴史でもあります。その事実は今日までのところ、覆いを掛けられてきていますが、いつか明かされるときが来るでしょう。

 そう考えるとビジネスシャツにネクタイで洗礼を授ける姿は、この教派が守り通してきた鉄則を強い意志と共に表明しているようにも見えてきます。

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