鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.13<中国論(4)>「驚愕の国際都市・唐の長安と日本への恩恵」

2012年08月27日 | 政治見識のための政治学





 中国の国家史を統治者に焦点を当ててみると概略~

 (春秋戦国時代)→秦→漢→隋→唐→宋→元(蒙古民族)→明→清(満州民族)
→中国共産党国(中華人民共和国)

~となります。

 始皇帝によって「中国は一つ」の民心が確立されて以来、
統治者は民族を一つにする仕事は少なくて済むようになりました。

以後、中国統治の野望をもつものは、その一つになっている民族集団の統治権を
奪取することを主に考えればいい状態になったわけです。

上記はその奪取者の変遷をも現しています。

隣接する異民族が中国の統治権を手中にすることもありました。

元は西方の蒙古民族が統治権を手にした状態での国家です。
清は北方の満州民族が統治権を手にした状態での国家です。




<西安での衝撃>

日本はこのうち唐の国際都市長安から、最大の恩恵を受けています。

長安は、唐の衰退と共に崩壊しました。
今ではその地の一角に、当時の有様を再現した模型都市があります。
名を西安(シーアン)といいます。鹿嶋はそこを訪れました。

西安は城壁に四角く囲まれた城壁都市でした。

これは長安が置かれていた環境に由来しています。
長安は蒙古など西方の騎馬民族に接していました。
彼らがいつなだれ込んでくるか判らない。
そこで高い城壁でもって周囲を囲み大都市を運営していたのです。

西安にも四角形の東西南北各々の辺の中央地点に城門がつくってありました。
その各々から街の中心部にメイン道路が向かっていました。


+++

各城門を起点にしたメイン道路は中心部のロータリーのような広場に流れ込んでいます。
ロータリーの中心部には鐘楼と呼ばれる高さ38メートルの建物がありました。
中に鐘がおかれています。昔は朝が明けると70回鳴らされたそうです。

長安ではこの鐘の音を合図に、朝になると城門を開けたと言います。
日暮れになると治安のためにすべての城門を閉じていたのです。

西安の鐘楼の建物には一般人も入ることが出来ます。
鹿嶋は建物の棟に上って、東西南北の四方にある城門に目をやりました。
黄砂のせいもあるでしょうが、城門は遠くに霞んで見えていました。

模型都市といえども西安は鹿嶋には、それほどに広大な都市でした。
奈良の平城京は長安をモデルにしてつくった都市と言いますが、
西安が縮小模型だとすれば、平城京はミニチュア版の箱庭に思えました。

筆者は、この西安の大きさに感嘆し、これが唐の時代の国際都市長安の模型であることを
しばし放念していました。

その鹿嶋に、同行の研究者は「長安はこの9倍の広さを持った巨大都市であった」と告げました。
「なぬっ?!!」
筆者は人口百万だったというその城壁に囲まれた都市をイメージしようと努めましたが、
ほとんどできませんでした。





<驚愕の国際都市・長安>


 この巨大都市・長安に唐の時代、日本から多くの留学生が来ていました。
空海も最澄も留学僧として学び、多くの成果を日本に持ち帰りました。
その知識をもとに空海は京都の高野山に金剛峯寺を、最澄は比叡山に延暦寺を建てました。

鹿嶋は空海が修行したという青龍寺に赴きました。
それは西安の郊外にあって、タクシーでしばらく走って到着しました。

青龍寺は宋代以降は荒廃し、建物の構成物の多くが土に埋まってしまっていたそうです。
これを、日本の真言宗の信徒さんたちが基金を募って掘り出し、寺を再現したという。
空海は讃岐の人だったので、四国は讃岐の真言信徒が中心になって再現したそうです。

この青龍寺の位置も、かつては城壁都市長安の内部の一点だったと聞いたとき、
やっとその巨大城壁都市のイメージが筆者のうちに湧いてきました。そして改めて仰天しました。

これは日本人の想像を超える巨大国際都市だったのです。

+++

今でも中国では、やること、起きることが日本より一桁大きいです。

日本には人口5百万を超える都市は、東京と大阪だけです。
名古屋も横浜も2百万台です。

ところが中国では、人口7,8百万の都市がざらにあります。
なにせ、総人口が日本の10倍ですから、すべてが一桁ずつ大きいのです。

中国で洪水で住民が一万人死んだ、というのは日本では千人死んだという感覚の出来事です。

太平天国の乱では、戦乱と飢餓で中国人は2千万人死んだと言われています。
当時の日本では、それだけ死んだら国がなくなってしまいそうです。

だが、日本の感覚ではそれは2百万人死んだとイメージするのが正解です。
この感覚変換がわれわれ日本人にはなかなか出来ないです。

+++

長安は膨大な国際都市でした。そこにすべての民族、文化が出入りしました。
異民族が出入りすると治安の危険がまします。
とりわけ日が暮れると危険は大きく増しました。
今のように、電灯やネオンサインが明々と街路を照らすことのない時代。夜は真っ暗闇です。

統治者はこれに対して、日が暮れる頃になるとすべての城門を閉じること、
かつ、内部に碁盤の筋目のように縦横に走っている道路の交差点を、すべて閉門すること
~でもって応じました。

日本の江戸でも、街の道路の結節点に番所をおいて治安を守りました。
長安はさらに門を造り、日が暮れるとそれを閉じたといいます。

すると夜の間には、人々は一つのブロック内だけで暮らすことになります。
もし犯罪や暴力沙汰が起きても容易に犯人をとらえることが出来ます。
ブロックを超えて人が渡り歩くことが出来ないという状態は、夜の治安を大きく高めました。

統治者はこの状態で、昼間には隣接民族の出入りや商売などの活動を自由にし、
人口百万という大都市を国際都市に保ちました。
この都市統治センスと能力もまた鹿嶋を驚嘆させました。

そこには諸外国の商品が持ち込まれ、商われ(その一端は西安にも見られました)、
儒教も仏教もキリスト教も互いに刺激し合い、発展しあっていました。

インドから玄奘三蔵(三蔵法師)が運び込んだ仏教の経典が、漢字訳され、導入され学ばれていました。
ネストリウス派のキリスト教僧侶も活発に伝道し、あちこちに教会を建てて大繁盛していました。

この思想を取り入れて、浄土仏教という中国独自の仏教も展開していました。
(善導という僧侶が集大成したこの仏教を、後の留学僧・法然が学んで日本に持ち帰り
浄土宗を開きます。それを学んだ親鸞は浄土真宗を開きます)

むろん、中国伝統の儒教も競って発展していました。




<毛沢東の指摘>

見逃してならないのは、こうした活動はみな漢字という成熟した文字があって可能になることです。
この文字によって多くの知識が記録保存できた。
それをもとにさらに思考を深く詳細に展開することも出来た。

この漢字が日本の留学生によって輸入され、日本に広く普及しました。
奈良時代にも漢字は一部で表音文字として使われ、
それによって「万葉集」「古事記」「日本書紀」などが書かれましたが、
意味を含めて漢字を輸入したのは平安時代の長安留学生たちでした。

これによって日本も文化国家に踏み出すことが出来ました。
のちに音記文字(ひらがな、かたかな)を考案し日本語での記録をさらに楽にしました。
ひらがなは「いろは歌」に納められ普及しました。空海がこれを考案したと言われています。

+++

話は飛びますが、後年1972年、当時の田中角栄首相が中国に出向いて日中国交回復を実現した際、
毛沢東主席に面会しました。
そのとき主席は、日本が漢字を輸入しそれに「かな」を加えて使いやすくしたことをとりあげて
「よくやった」と褒めたと報じられました。

これを大称賛されたかのように、日本人の凄さが認められたかのように、
日本のマスメディアは報じました。

だが、そうではなかった。毛沢東は別の意味でそれを指摘したに過ぎなかった。
30余年後に西安の現地に立つことによって、鹿嶋はそのことをしかと悟りました。





<「かな」文字などちょっとしたアイデア>

漢字は紀元前にすでに、孔子の深遠な思想を記録出来る知的道具になっていました。
唐代には、意味伝達機能もさらに発達していました。

デザインも洗練されていた。
最初は象形文字でしたが、これも紀元前に書道が造形美術の素材になるほどに改善されてきていた。
デザイン的にも素晴らしい姿になっていたのです。

中国のこの文化的先進性には日本人は驚嘆すべきです。
この頃日本は、やっと縄文式から弥生式土器の時代に移行せんとする未開地でした。

+++

また平安時代(中国の唐代)にもどります。
この時代に日本人がしたのは、輸入した漢字に少々工夫を加えて、
カタカナやひらがなという音記文字を付加したことだけでした。
これを漢字に混ぜ合わせると、日本語の思いを記録するのは容易になりはしましたが、それだけです。

日本国内にいると、これもまた大発明のように思えることもあります。
けれども「かな」の発明は、漢字そのものを作り出したオリジナリティに比べたら、
いただいたものを文字通り「チョット工夫しただけ」にしかすぎません。


+++

毛沢東はそれを言ったと鹿嶋は悟りました。
中国は長安に来た日本人留学生を寛大に受け容れ、この漢字を習得し持ち帰るのを助けた。
そういう恩を日本人は受けているのだよ、と。それを軽く言ったのです。

 
中国がこうした恩恵を日本に与える背景には儒教思想があります。
中国は親であり、朝鮮は兄、日本は弟なのです。
だから中国は、「親の正しい道」として我が子・日本に恩恵を施すのです。

実際日本は中国に多大なる恩恵をほとんど一方的に受け続けて来ました。
にもかかわらず、この息子はその恩義をさほど感じていない。
それどころか、ごく最近少し経済発展に先行したからといって、
中国を遅れた国のようにみている。

それはおかしいよ、と毛主席は軽く指摘したのです。
日本が西欧の科学文化を吸収できたのは、
漢字によって文化を記録、伝達する資質を養えたからではないのか。

その漢字を中国が寛大に与えたのは、親のつとめとしてなすべきことだからそれでいい。
だが、受けた方が、その恩を忘れてしまっているのは問題だよ。
のみならず、西欧科学の吸収において多少先行したからといって先輩面するのは、軽薄だよ~と。

毛沢東の日本に対するこの姿勢は、今も中国指導者の意識の根底にある基本スタンスです。
政治家だけでなく、日本人は、これをきちんと認識してないと、適格な対応は出来ないのです。






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Vol.12<中国論(3)>「陰陽(いんよう)の思想」

2012年08月21日 | 政治見識のための政治学





=兵馬俑、西安市郊外=








 中国には紀元前の古代から独特の存在論が出現しています。
陰陽(いんよう)思想がそれです。

陰陽説は中国最古の王といわれている伝説上の帝王・伏羲(ふくぎ:BC3350-3040)がつくったとされています。
そんな昔に王がいたかどうかはともかくとして、陰陽説は大変古くからの思想であることにはまちがいありません。

ちなみに、この思想は日本に輸入され、加工されています。
そしてそれは陰陽(おんみょう)道と呼ばれています。




<陰陽思想の骨子>

陰陽思想の骨子はこうです~

「天地万物は陰と陽から成っている。両者は互いに消長を繰り返す。
陰がきわまれば陽が萌し、陽が極まれば陰を萌す。こうして世界は発展していく」~という。

陰陽とは具体的には、男・女、天・地、火・水、表・裏、善・悪などなどの対(つい)です。
これらによって世界は構成されているというのです。

もう一段ベーシックなところまでもどっていいますと「すべての根源は太極(たいきょく)である」とする。
そして「そこから陰と陽という両儀(りょうぎ)がうまれる」と言う思想です。

太極は混沌としたどろどろにの状況という想像もありますが、わかりません。
まあ、要するに「根源」です。源です。
 
 韓国の国旗には、相組み合わわった二つの巴が描かれています。これは陰陽の両儀を示しています。
彼らはそれを太極旗という。二つの巴(陰陽)の源が太極である、という思想があるからです。

(韓国がどうしてこの中国の存在論思想を国旗にしたためたかについては、
機会が得られたら別記します。一部は前回の<臨時版>も示唆していますが)





<人の造った理論はどんどん展開する>

 人間が作った存在論は、展開します。
すべての存在の源は太極(たいきょく)でしたね。
そこから陰と陽が派生している、という思想でしたね。

次にその各々からまた陰と陽が生まれる、とされていきます。
陰からは「老陰」「少陽」です。陽からは「少陰」「老陽」です。
これをまとめて「四象(ししょう)」といいます。

+++

 理論はどんどん積み上げられていきます。
 この四象がまた各々陰と陽を生むという。4X2=8ですから、合計八つになります。
これらのおのおのが「卦(け)」です。八つだから八卦(はっけ)です。
日本でいわゆる「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の「八卦(はっけ)」はここからきています。

どうして「当たる、当たらぬ」が出てくるか。
陰陽説は最初は哲学の存在論です。
だがそれは事象の動きも説明する動態論にも展開させられます。
そこでこれをもちいて将来を占う理論、すなわち「易学」にもつながるのですね。

日本では特にその面を多く使用します。だから主として「占い」の用具になるわけです。
その結果、「当たるも八卦、当たらぬも・・・」と言う格言のようなものが出ることになりました。

+++

八卦にもまたおのおの陰陽が案出されて、さらに理論、理屈は積み上げられていきます。
前述のように、人間の作る理論はそうなっていくものです。

特に中国人はそういう積み上げを驚異的に行っていくんですね。
なにせ麻雀を造った民族ですからね。

でも、それは追いません。
我々が見ておきたいのは、この陰陽思想が中国人の現実の行動に影響している状況です。


 


<陰宅と陽宅は対応して動いている>

万物が陰と陽との一対で出来ているとう思想は、中国人の現実生活、人生観、家族・親族觀に濃厚に影響していきます。

 彼らは、今生きているこの世界を陽宅(ようたく)と考える傾向が大きいです。
そしてこれに死後の世界である陰宅(いんたく)が一対になって対応している、と考えます。
言い換えれば、「陰宅と陽宅とは常時組み合わさって働いている」ことになります。

+++

 話は始皇帝(BC259-210)から2000年近く後の、明代に飛びます。
陰陽の世界観は、始皇帝時代はもちろんのこと、この明朝時代にも
中国世界観の根底にあって働きました。

北方に北京という大都市があります。明朝時代、永楽帝以後ここが中国の首都でした。

この街の郊外には、明朝の皇帝の巨大な墓地がいくつも(12稜)あります。
墓は掘り下げられた地下にあります。そこに皇帝の死体が収納されています。

地下にあるのは「陰宅の世界」だからです。
これが皇帝一族の「生者の陽宅」と対になって存在していると考えるのです。
両者は常時相互に影響し合っているという思想です。

 死体置き場の前には、いま現在使用可能な中国政府発行の紙幣や硬貨が沢山投げられています。
陰宅の世界でも陽宅と同じようにおカネが要る。陰宅の皇帝にそれを与える、という思想からなされていることです。

そして陰陽の世界観は、今日でも人民意識の根底に横たわっている。

今では、一般人は通常、陰宅向けの紙幣を作って燃やすようです。
それによって陰宅で使うお金を提供した、と考えるわけです。

 馬の形の模型を作って燃やしたり、自動車の模型を燃やしたりもします。
これが陰宅で馬になったり自動車になったりすると考えてそうするわけです。





<陰陽説は完全二元論>

 こういうと「ああそれは聖書の思想も同じだ」と思われる日本人も多いのではないかと思います。
「キリスト教でも肉体が住む現実の物質界と、死後の霊界と二つの世界を考えているよ」と。

 一見同じに見えますが、根底的なところでは違っています。
聖書では肉体と霊を人間の構成要素とみますが、霊の方を永続する基底要素であり本体であるとしています。
肉体は百年もすれば消滅するもので、生きている間も霊の影のような存在という思想です。

「物質界での肉体の生活状態は、基本的に霊の状態が反映したもの」とみる。
 これはつまることろ、霊を基盤にした一元論です。

陰陽説は二元論です。そこでは、陰と陽とが対になっていて、両者は対等に影響し合っている。
「世界ではそれが交互に現れる。陽が極まれば陰が台頭し、陰がきわまれば陽が台頭する、
この運動法則で世界が展開していく」

~という。完全な二元論です。




<兵馬俑(へいばよう)は国力維持のため>

 北京からまた南に下って長安(今の西安・・・シーアン)にもどりましょう。
時は再び、秦の始皇帝の時代です。
この時代においても、陰陽の世界観は人々の意識の根底にあって
色濃く働いていました。

西安の街の郊外に、兵馬俑とよばれる巨大な埴輪の墓があります。
埴輪とは「貴人の死後のお供を陰宅でする」と考えられた人形です。

兵馬俑もそうです。それらは始皇帝が陰宅に行ったらお供をすると考えられている人形です。

だがこれには通常の埴輪と異なる点があります。
兵馬俑の埴輪は人身大なのです。そして、みな武装をした武人の人形です。

もう一つ大事な違いがある。
通常の埴輪は、貴人が死んだ後に造られます。

だが兵馬俑に納められている埴輪は、始皇帝が死ぬ前に造られているのです。





+++

いきさつはこうです。
帝を慕う武人の数は極めて多く、彼らはみな帝が死んだら陰宅にお供する(殉死する)つもりでいました。

だが、そうなると陽宅の秦国の武力が弱体化してしまいます。
ここで帝はこれを防ぐためまたまた跳躍力あるアイデアを出しました。

武人たちが生きている間に、各々に生き写しの埴輪を造らせたのです。
馬が必要な部下には等身大の馬の埴輪も造らせた。

そして自分が死んだら、それらの埴輪を地下に埋めて、武人たちには生きて国家を守るように命じました。
その結果できたのが、兵馬俑で、現在埴輪の墓地は掘り起こされて観光資源になっています。




<始皇帝の陰宅が発掘されるのはこれから>

 始皇帝は、自らの政庁や邸宅の広大な陰宅も造っています。
それを地下に造っている。驚くべきことではないでしょうか。
だがこれは、まだ、掘り出されていません。

発掘されたらこれ自体がまた凄い研究資料、観光資源になるでしょう。
世界中から研究者や観光客が大挙してやってくるようになる。

中国政府はそのタイミングを考えていると言われています。

国家財源が危機に陥ったら、観光収入のために掘り出すかも知れない、という
観測もある。
こう見る人からは「始皇帝は2000年以上たっても中国を救う資源を残している」
と称賛する見解も出ています。




<陰宅から陽宅の運気を変える!>

 陰陽思想は、明の皇帝の墓にも影響しているだけでなく、
現代においても中国人の意識のなかで色濃く働いています。

こんなエピソードがあります~。

ある公的な役職の選挙戦のとき、候補者の運動員は対抗馬候補者の先祖の墓地にひそかにいきました。
そこに埋められていた死体を掘り出し、頭の向きを変えてまた埋めて帰った。

ねらいは、対抗馬の陰宅の状態を変えることによって、
それと対になっている彼の陽宅の運気を変えてしまうことにありました。

この種のことはいまも結構あるそうです。
中国人の意識の底では、陰宅と陽宅の世界観はかくもリアルに動いているのです。






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<臨時版>「韓国、中国の日本領土攻撃は“弟いじめ”」

2012年08月18日 | 政治見識のための政治学





 ああ、また事件が起きたなぁ・・・。
韓国、中国による日本領土攻撃です。

脇道に入りたくないのですが、中国論をしていることでもありますし、
この実態をお知らせしておきます。






韓国、中国の相次ぐ日本の領土への敵対行為・・・これに苛立ちをおぼえた激論が
FBやツイッターに沢山出ています。

だけど、あまり心配することありませんよ。
韓国が日本への「いじめ」をしてるだけですから。

古くより中国、とくに韓国は儒教的世界観でもって、中国は親(父)、朝鮮は兄​、日本は弟、と考えてきました。
朝鮮にとって中国は陸続きの超大国ですから、「お父さん!」と恐れ甘えるしかありませんでした。

中国もまた、そういう朝鮮を可愛がってきました。

そうしたなかで、朝鮮民族は、「日本は至らない弟で悪い点の多いやつ」としてきました。
兄ですから叱ります。それは中国には「おとうさん!ボクいい子でしょ」といっていることになります。
そうやって甘えてくる朝鮮を中国は可愛がったのです。
その一方で、甘えてこない日本は「うい(可愛い)やつ」ではありませんでした。

ともあれその日本を「いじめる」のは、朝鮮(兄)が中国(お父さん)に対して示す、
甘え姿のアピールだったのです。
長い歴史の中で続いてきたその姿勢は、いまや、朝鮮人の心情の基底に染みこんだ
慣習になってしまっています。





たとえば、インフルエンザが朝鮮にやってくるというといううわさ​がたったとします。
それが香港経由の香港風邪だとなると、韓国人は平常心で応じます​。
ところがそれが「日本経由で来る」となると、「うわぁっ」と大げ​さに身震いします。

冗談交じりであっても、そういう冗談が韓国では当たり前のように​通用します。
いまでもそうなのです。

これはなんというか・・・、人間がもし水面下に暮らしているなら​ば、酸素欠乏にりますね。
すると周期的に水面に顔を出して酸素を吸いますね。
「日本いじめ」は、この周期的な酸素吸入のようなものなのです。
それでしばらく、彼らは安息します。






李明博さんは、その、韓国人の心情の底にある日本への軽蔑混じりの反感をよく知っているのです。
そこで、それを次期選挙用に使ったのです。

従軍慰安婦を持ち出したのも同じです。
基底にある「至らぬ弟心情」の上に乗っかっている占領時代への憎しみ​、これを追加しただけです。
要するに「日本いじめ」をすれば、国民の心情をすっきりさせてあげることが出来るのです。

暑い夏ですし・・・。
そんな発散もさせてあげます。
国民サービスですね。

ちょっとドギツイですけどね。

選挙までに、また使うかも知れません。
だが、そんなことは選挙が終われば終了します。
新大統領は何事もなかったかのように、また笑顔で日本に握手の手をさしのべるでしょう。




こういうと、では中国までなぜ魚釣島に乗り込むという同調行動をとったのか?
~という疑問を持たれるでしょうね。

これは、お父さんが兄を孤立させないように、暖かくバックアップしてあげただけのことです。

よく見てください。
韓国は大統領自らが竹島に乗り込んでいるでしょう。
これは明白な「国家の公式的な行動」です。

で、中国と言えば、いつもの国粋主義者の上陸を黙認しただけです。
国家として公式には何もしていないのですよ。

別の機会に書きますが中国のトップ為政者9人は、本当に賢いですよ。
彼らは国家として動けば、与えるインパクトが大きすぎることをよく知っているのです。

彼らが隣接諸国に対して与えている境界圧力は、基本的に、「けん制」です。
台湾に対しても、併合できなくても、けん制球はなげ続けます。
フィリピンとの海域境界線でのプレッシャーも、けん制球です。

そうしていれば、境界の自国側に相手が意識を向けることを、避けることが出来るのです。
そして相手の政府が無能化したら、さっと侵入したらいいのですから。

で今回の牽制球は、お父さんとして、韓国にしてあげたのです。
「このようにお父さんはいつも兄の側についているよ」という信号を送ってあげたのです。

中国のこの行動様式は、北朝鮮に対しても同じです。
そういう中国への甘えの意識と行動は、北朝鮮もおなじです。

金正日も、何かというと、特別列車を仕立てて
中国に行ったでしょう。
お父さんへのお願いに行っているのです。

+++

これたとえ話でも、ジョークでもありませんよ。
事実です。

こういう心情は、やはり、一定期間その国に滞在して、
かつ人々と深く交わってはじめてわかるものですけどね。

儒教思想というのは、中国人、とくに朝鮮人には意識の基底部分に染みこんでいます。
日本人にも結構染みこんでますけどね。
その日本人にも想像できないほど、比較にならないほど濃厚に染みこんでいますよ。
それが実情です。

今回の事件は、発散しておしまい、という事件です。





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Vol.11<中国論(2)>「日本は四面を“海水の長城”で囲われた例外国」

2012年08月15日 | 政治見識のための政治学




 前回の始皇帝の功労に話には、日本の方々はなかなかピンとこないのではないかと思います。

 それは中国が特殊だからではない。
日本という国の国民の方が地政学上、まれに見るほどに特異だからです。





<そんなものが功績?>

 日本は周囲を海の壁で囲まれています。この壁は万里の長城よりもはるかに高く厚く強固な海水の壁。
建築費、維持費ゼロの自然の壁です。

異民族がこれを超えて侵入するのは容易ではなかった。
船は造らねばならず、その船で海岸を取り囲んでも、予期せざる暴風雨(台風も)がやってくる。
早く上陸攻撃しないと、嵐が船を沈めてしまう。攻めにくいことこの上ないです。

日本列島に形成される統治空間は、いったん確立すると対外的にはそれほどに安定したものとなります。

統治者は、人民に「ここは一つの国だ、我々はその国民だ」という国家意識を
植え付ける努力ががきわめて少なくてすむ。
我々はそういう統治空間にすんでいますので、秦の始皇帝がなした功労が追体験できないのです。

中国大陸では異民族が陸続きで隣接しています。
境界線だってはっきりしていない。

国々は互いに隣国を収奪しようと目を光らせている。
現にチベットだって中国に併合されてなかなか解放してもらえないじゃないですか。

それがどうしてもわからないから「春平太さん、なにいうてはんの? 
国なんてどこでも同じじゃないの! あんた英雄崇拝者か?」となるのです。




<英国とは根底的に違う>

海に囲まれた島国というと英国だって同じじゃないか、とお思いの方もでるでしょう。
たしかに英国も島国です。四面海で囲まれている。
だが、地政学的な性格は日本と全く異質です。

欧州大陸からこの島国に船でいくにはドーバー海峡を渡ります。
だがこの海峡と言ったら、日本での本州と四国、本州と九州、
本州と北海道との間の海峡のようなものです。

簡単に往来できる。
欧州大陸と英国島とは地政学的には地続きのようなものなのです。
英国は昔から政治的には隣国とほぼ接していた。
これが統治にもたらす特質は、日本から見たら画期的です。




<民心分裂の危険が常在>

まず人心が統治者を離れ、国が分裂する可能性が、英国では断然高くなります。

国家に不満なことが多いと、人民は隣国に逃げ込むのが容易です。
人民がそういう状態にあると、隣国もまた英国民に政治的工作が仕掛けやすい。
思想的影響を与え、英国内にひそかにもう一つのアングラ政府をつくらせることも容易になります。

+++

最近になって、「沖縄は中国にとられるかも知れない」という話題が日本に出てきました。
どうやって取るか?

ビジネス、観光国際化の時代です。中国も工作員をビジネスマン、観光客として沖縄に滞在させて、
県内に不満分子をつくり、彼らに独立政府形成の準備させます。

それが一定の確立をみたら、独立政府宣言をさせて中国軍に保護を要請させます。
すると中国は合法的な形で、沖縄を軍事占拠することができます。
そのうえで反対分子を粛正すれば、沖縄を独立国家にしてしまうことが出来るのです。

もちろん日本には自衛隊もあるし、同盟国の米国軍もあります。
だから沖縄奪取はそう容易ではありませんが、大事なことは、
沖縄にはそういう危険があるということです。

こういう話は日本では通常現実味を帯びない話です。
だが、隣国と陸続きの国には(英国にも)その危険は常時現実的なのです。

国民も、それが常態だと意識しています。
そうやって暮らしていますし、現に、他国の工作員がいるなど当たり前のこととなっています。

それが日本で沖縄での話になると、突然降って湧いた脅しの話、となります。
「びっくりさせるなよ」「楽しくやってたのにそんな怖いこと言わないで。無粋だなあ・・・」
「変なこと言うから眠れなくなっちゃった・・・」となります。

これほど違います。
日本が特殊なのです。





<中国の南北分裂可能性は小さい>

 中国で民主化運動が起きるごとに、外部者は
「この国はいずれ二つに分かれるのではないか」と思ったりします。
日本でもそういう期待混じりの見解がマスコミに流れたりしました。

中国はいずれ北と南に別れるだろう。
広大な国土です。別れたって各々大きい国だ。
いずれそうなるだろう、と。

だが、その可能性は実際には小さいです。
その分裂を防いでいるのが、同一の文字「漢字」を使っているという状況です。

南北の人民は、互いに、漢字でもって意思疎通が出来る。
記録文書も共有できる。
それが「我々は一つ」の感覚を安定的に形成しているのです。

その常態を作り上げたのが秦の始皇帝です。
始皇帝の功績は巨大だったのです。






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Vol.10<中国論(1)>「始皇帝、広域国家中国の意識を創成」

2012年08月10日 | 政治見識のための政治学




=万里の長城=





 さて「政治見識のための政治経済学」、これから学説理論から一転して、現実の問題に入ります。
政治というのは、現実世界の現実の場で行うものです。

日本には関わらざるを得ない大国があります。
その最も大きなものが、米国と中国です。
これが現実の政治の場を形成しています。

この二つの国に関わらないで国家運営をしていくことは日本には出来ません。
そしてそのためには、これらの国をよく知ることは必須なのです。

まず、中国という国、国民性を考ることに突入しようと思います。




<国家の創成者、秦の始皇帝>

 大国中国は、いつからどうしてあんなに大きな広域国家になったのか。
ローマ大帝国もそうですが、昔は沢山ある地域部族国家の一つでした。
それがどうしてあんな大帝国になったのでしょうか。

ローマも興味あるテーマですが、まずは中国という大国について考えます。

中国もまた、最初は小さな部族国家が併存する空間でした。
各々が他者を恐怖して、戦争を繰り返していました。

戦国時代(BC403-221)と言われる時代には、「戦国の七雄」といわれる
七つの戦国部族国家が並立していました。

それらをすべて征服し、従わせて一大広域国家として成立させたのは、秦の始皇帝(BC259-210)でした。
帝は物理的に広域国家空間を形成しただけでなく、
その空間を「一つの国家空間」と人民に感じさせる政策を実施しました。





<漢字を共通文字にする>


その一つが「漢字という文字」を全域に普及させ共有させる政策でした。

 部族国家、諸侯国家が群立する中で、人民には民族統一を願う気持ちは常にありました。
だがそれには「我々は一つ」と人民に思わせる強烈な要素が必要でした。

始皇帝は、それを作り上げたのです。
彼がとった主要手段は全土に渡る文字の共有化でした。
その文字は具体的には漢字でした。


漢字は単純な象形文字から始まった文字でしたが持続的に発展し、
孔子(BC552-479)の時代にはすでに、彼の思想を表現するほどの記号として
成熟していました。

始皇帝は、これを征服地全土の共通文字にさせました。
この試みによって、人々の間には、
「我々は同じ言語を使う単一民族だ」という意識が確立したのです。

文字というものは、それ自体の中に、
その言語特有のものの考え方、思想を内包しています。
同じ文字言語を用いることは共通した思想を抱くことにつながっているのです。

始皇帝は武力だけでなく、国家運営センスにおいても飛び抜けた人でした。



  


<万里の長城の築城を開始>


 人民に国家意識を増す画期的手段を、始皇帝はもう一つ打っています。
万里の長城の築城開始がそれです。

万里の長城は、外敵の侵入を防ぐ塀である、という常識が普及しています。
だがそれは政治的に幼稚な見解です。

あの広大が国土のすべてを、あの高く厚い(広い)壁で取り巻くことなど出来ません。
実際長城の建設は、その何百年後の明の時代にも続行され、なお未完成の部分が沢山あります。

またもし完成したとしても、それが機能するようにメンテナンスするのが大変です。
国境を画する長大な城壁の上に、一定距離ごとに監視兵を置かねばならない。
かつ、有事の際に素早く駆けつけられる軍隊をすべてのブロックに配置しておかねばならない。

そんなこと、経済的に不可能です。




<中国という小宇宙空間>

だが始皇帝は築城を開始しました。
開始はしましたけれど、始皇帝の在位時代(11年間)に出来た長城など、ほんのわずかです。

だがそれでいいのです。

長城の建設プロジェクトで始皇帝がもくろんだ成果は物理的なものではないからです。
かれはそれが建設されていることを通して、
人民に「我々は中国という空間のなかの民である」という心理を創成しようとしたのです。

このプロジェクトを続行していると、人民は
「我々は対外的に防衛すべき独立空間の中にいる」という感覚をもてるのです。
「長城の内側に一つの閉鎖的な小宇宙」を感じ始められるのです。


漢字という文字の共有化と万里の長城プロジェクト、
~この二本柱でもって始皇帝は茫洋とした広大な空間に
国家アイデンティティ(National Identity)意識を創成することに成功しました。

わずか11年という短い在位期間のうちにこれをなした。
帝は比類なき政治天才だったのです。






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<臨時版>「谷垣君、国士気分出来上がり!」

2012年08月09日 | 政治見識のための政治学



昨日の、野田、谷垣会談の追体験をしておきましょう。
政治見識育成の素材になればと思って。

+++

昨日の一件は、こういうことだろう。
公明・山口は、もう国士気分になっている。

あとは、谷垣のび太君だ。
彼を国士気分にして支配することだけだ。

谷垣君は呼び付けられた。野田君と一対一で対面させられた。
最初は、「解散日を具体的に約束せねば、ヤダよ」といったでしょう。

ここが勝負どころ。
野田は一気にたたみかけた。口から炎を吹くがごとくにして。

「増税法案を通そう。こうして我々は国士になろう。
その正しさは歴史が証明する。救国の国士になろう!」
そう吹き込んだのだろう。

ここはもう、人間の器の問題。
中物(ちゅうもの)ののび太君、「ワッ!」と野田の
気迫の雰囲気に包み込まれたのでしょう。

これで決まり。

「・・・でも、解散の日を言ってくれないと・・・」と谷垣。
「それは首相としていえない、わかってるでしょう。
ここは信頼しかないところだ!」(アアッ・・・陰の声)

「ここは民主党のためでもない、自民党のためでもない、
日本のためだ!」とダメを押す野田。
「・・・・・」谷垣。

谷垣のび太君、いつのまにか「薩長連合時の、坂本龍馬、
桂小五郎、西郷隆盛の気分」になっていました。

一種の心酔状態ですね。

思想を吹き込まれて心酔してしまった人間に
共通の、高揚した赤い顔に、後の手打ち式の
ときにも彼はまだなっていました。

+++


「よし!これで決まった!決める政治を守ったのですよ、
我々は!」

こういって野田はすかさず、待機させていた山口や
樽床、石原息子らを呼び入れた。

・・・これでもう谷垣君、我に返っても後戻りできない。
こういうことが最初の一瞬の気合いで決まったのだろう。

結局、器の問題。

苦労人野田・対・

麻布、東大、弁護士試験合格と
スルスル来て、自民党代議士になった、ボクちゃんとの
器の差。 鳩山の時とそっくり。
(麻布出の人は、中物が多いんだ)

+++

鳩山の時と同じの、勝利の方程式で
勝ちを収めた野田君だが、自民党員は
このままで収まるだろうか?

小泉純一郎はもうサジを投げているだろうか?

いろいろ言っても結局「総裁が決めたことだから・・」と
収まるようなら、この政党はもうおしまいでしょう。

本日以降、それをじっくり観察させていただきましょう。
いい政治学の素材として、記憶に残しましょう。

+++

<追記>


「近いうちとはいつか?」をめぐってワイワイ言ってるマ​スコミのお粗末さ。

「解散を野田の思うがままにできる状態で、協力を​約束させられた」
谷垣のび太君の負けなのです。

そのままそ​れが自民党の負けになるかどうかが次のテーマなのです。



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Vol.9 「人類史は“魔術からの解放”の歴史か?」

2012年08月07日 | 政治見識のための政治学





 ここで慣習的統治だけでなく、ウェーバーが提示する三つの統治の形態すべてを眺めなおしてみましょう。

彼はこの三つを「慣習的統治 → カリスマ的統治 → 合法的統治」として
歴史的に推移するものとみました。

そして彼はここに、人類の意識が合理化されていく歴史をも見ています。




1.慣習的統治

 ~これを正当と容認する人民には、統治者に対する客観的観察の姿勢はありません。
ただその血統・家系を漠然と慣習的に正当だと意識しているだけです。

 そしてウェーバーは、このとき人民は現実にはその血統に何か「神がかった力」をも感じている
とも見ています。
 彼はそれを、人民が「魔術にかかっているような状態」とみます。

では~





2.カリスマ的統治

~は、その面から見たらどうでしょうか?

この統治を正当とする人民は、やはり統治者に「神がかった力」を認識しています。

その点、慣習的統治の時代と同じですが、違うところもあります。

その神がかった力を容認するのは、「当人に対してだけ」というのがそれです。

この統治を容認する人民は、その統治者の息子や孫には、もはや神がかった力は予想しないのです。
ナポレオンに対しても、毛沢東に対してもそうです。

それをウェーバーは、人類が、その分「醒めてきている」とみます。
これをまた、人類の意識がそれだけ「合理化してきている」とも捕らえます。
そして~




3.合法的統治

~になると、もはや人民の意識に、統治者の神がかった力への期待はありません。

彼らはただ、その法がよく現実に照応し、
それを担当するものがその法をよく活かして統治活動をしてくれることを期待します。

 そこには統治担当者に神がかった力があることを、人民はもはや期待しない。
そういう意識が人民にないのです。

ウェーバーはこれに着目します。彼はこれを人類の意識の合理化が進んだ到達点とみるのです。




<魔術からの解放>

人の意識の「合理化が進む」というのは、裏側から見れば
「魔術からの解放が進む」ということにウェーバーにおいてはなります。

そしてそれは彼の歴史観にもなりました。
「人類の歴史は魔術からの解放のプロセス」~彼の歴史観です。

こういうパースペクティブ(大局観、全体的透視図)の中に、
彼は、三つの統治類型を納めているのです。

この大局観と三つの統治類型の「どちらが先」に彼の心に生成したかをいうことは
出来ないのではないでしょうか。

両者は彼の心の中で対(つい)をなしているのです。

様々な政治の歴史事実を認識しているうちに、
両者は対になって彼の心に生成したと鹿嶋は見ています。

人間の「直感」という認識能力は、そういうわざをすることが出来ると鹿嶋は思っています。


+++

それにしても、格好いいなぁ~。

「人類の歴史は魔術からの解放の歴史である」
「それが時代時代の主たる統治類型にも現れる・・・・」

あるいは~
「主要統治形態の変遷は、人類意識の合理化の過程を反映している」

かっこいいなぁ・・・・。
若き日の鹿嶋は、こうしたウェーバーに魅了されたものでした。

まあそんなことはどうでもいいです。
このメガネをつけたら、日本の政治、世界の政治の新しい側面が見えてこないか?

目から鱗が落ちないか?

~それがここでは大切なことであります。






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Vol.8 「動機が自覚されてないのが“慣習的”」

2012年08月06日 | 政治見識のための政治学





前回の「慣習的統治」の説明は今ひとつ漠然としていたと思います。
ここに追加します。




<自覚されない動機が「慣習的」>

 ウェーバーが統治の類型を分類する基準は、人民の動機(心理)のありかたです。

第一の類型、「慣習的統治」では、
人々が「慣習的に」統治者の血統に正当性を認めていく、という点がポイントになっています。

そして、ウェーバーの場合、「慣習的」というのは、
当人が自らの「動機をもはや自覚しなくなっている状態」を意味しています。

我々はご飯を食べるときに、反射的に茶碗と箸を左右の手に持ちますよね。
敢えてそれについて自覚し考えることなくそうしている。
毎日繰り返しているうちに、そうなってしまっているのです。

彼は、こういう状態を「慣習的」といいます。




<合理的世襲もある>

すると、世襲が認められてなされる統治がすべて慣習的なわけではないことにもなります。

「あの一族の息子ならば、親のように我々を守ってくれるだろう」
という気持ちで世襲が容認されていたら、それは慣習的統治ではありません。

この場合は二代目も「社会を保全するという目的」をはたしてくれるだろう、
その目的に最も合理的な存在(手段)だろうと自覚されています。

こういう状態の動機は、ウェーバーは「目的合理的」と他の書物で言っています。
だから、こういうケースは目的合理的統治といっていいかもしれません。

けれども三代目、四代目と世襲による受け継ぎが進むにつれて、
人民がもはやそれを「無自覚に容認」するようになっていたらどうか。
それは慣習的統治だと彼は考えるのです。

+++

そして、その場合、人民がその統治者に漠然と正当性を感じる要素を敢えてあげるとすれば、
それは血統しかないでしょう。
その意味で、前回では血統を正当性の根拠とする、と説明しました。

ウェーバーはこの点だけから慣習的統治を説明しています。
だから、わかり辛いです。

今回、それを鹿嶋流に補填したわけです。




<世襲は慣習的になりやすい>

 そしてウェーバーは、この世襲は時の流れの中で慣習的になっていく傾向を持つと認識しています。

鹿嶋はVol.2で、部族社会に統治者が生まれていく状況を示しまた。

そこで社会の成員が、武力と知力と命知らずの勇気をもった一族が自分たちの社会を守ってくれると、
その一族に統治権をゆだねていく状況を述べました。

だが、当初人民はは、そうすることが自分たちの社会を保全するのに最も有効だと自覚してそうします。

社会保全という目的のために最も合理的な手段だと自覚して統治を委任する。
これは目的合理的な統治です。二代目を容認するときもそうかもしれません。

だが、三代、四代と続くにつれて、人民はもうその効果をあまり考えないで、
従来どおりの世襲を容認していく。そうすると慣習的統治になります。

ウェーバーは、古代にはそうなってしまった統治が多いと認識しています。

(でも、日本人の選挙行動などでは、
まだまだ、この古代的意識の人が多いように見えたりするんだけど・・・余談)

そこで慣習的統治を第一の類型として提示しているわけです。



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Vol.7 「統治には三つの類型がある」

2012年08月05日 | 政治見識のための政治学





 ウェーバー学説における「統治を成り立たせる二本柱」は~

①正当性意識
②物的暴力手段

~でした。そのうちの後者②について、これまで考察してきました。

 天才ウエーバー、そんな程度では終わりません。
彼は前者の①についても考究のエネルギーを注ぎます。

人民が当該統治者の統治を「正統だと意識する根拠」を考察するのです。
そして彼はその主たる根拠になる要素は歴史的に変遷することを見出しました。

それを旧い順に並べますと~

1.統治者の血筋

2.統治者の持つ天才的才能

3.法

~となります。以下説明しましょう。





<統治タイプは三つある>

1.慣習的統治~人民が統治者の血統に正当性を認めて成り立つ統治~

「血統に正当性の根拠を意識する」とはどういうことかといいますと、
例えば、「今の王様は先代の王様の子供である。だからこの方の統治は正当と受け容れる」
~というような意識です。

 では、先代の王様はどうして? というと、これも先々代の王様の子供だからである~とこうなります。

 つまり、まとめてみれば、そういう家系、血筋に正当性の根拠を感じているわけですね、人民は。

日本の昔の天皇も統治権を持っていました。
いまは国家の象徴という、わかりにくい存在となっていますけれど、昔はそうだった。
そして当時その天皇は天皇家の血筋の故に、正当な統治者と受け容れられていました。

ウェーバーは古代には人類は、ほとんどそういうところに統治の正当性を感じていたのだ、といいます。

こういうと、「あっ、それはウチだ! ウチの家族が地元の二代目、三代目政治家に
投票し続けて来たのは、そのミニチュア版だ!」と言う人もいるかも知れませんね。

(ウェーバによれば、そのお宅の政治的な精神レベルは古代水準となるかも知れません)

がとにかくウェーバーはこの類の統治を「慣習的統治」といっています。

(この統治類型の説明は、ここではわかりにくいところが残ると思います。
次の Vol.8 でもう少し詳細に説明します)





2.カリスマ的統治~個人の天与の才能に正当性を認めて成り立つ統治~

 天才とは文字通りには「天与の才能」です。天が与えた才能。

この「天」は、本来は万物の創造主、聖書で言うゴッドを意味しています。
このゴッドが賜物として与えた才能がカリスマだ。
カリスマは本来、聖書に出てくる用語なのです。

それが政治家の天才的な才能をさすようにもなりました。
ローマ時代のジュリアス・シーザー、近代フランスのナポレオン・ボナパルト、
そして現代政治史では中国の毛沢東などがそれに当たるのではないでしょうか。

ウェーバーはその政治的天才という意味で、カリスマという語を使っています。
だから結構重い意味の言葉なんですね、このカリスマも。
今の日本で使われる、カリスマ美容師、カリスマ料理人といった軽い乗りの語と
混同しないようにしてくださいね。

ともあれウェーバーは、この天与の才能の故に、
その人物の統治を正当と認めることが人民にはあるのだ、と考えます。

「ナポレオンがやってくれるならば、我々は彼を国主と容認する」
というかのごとくですね。

そしてその類の統治を「カリスマ的統治」というわけです。
彼はこれを近代になると出現する統治形態だと考えています。




3.合法的統治~人民が法に正当性を認めて成り立つ統治~

 最後の一つは、法に究極の正当性を認める統治です。
こういう国には国王、皇帝、天皇などがいてもいいです。
彼らの身分も権限も職務も、法が規定します。

憲法がすべてに超越し、すべてをカバーする。
だから国王も皇帝も天皇もその規定に従って振る舞うべし、ということになります。

この類の統治をウェーバーは「合法的統治」といいます。
こういう形態が時代が近代を超えて現代になるにつれて、進展すると彼は考えています。

+++

なお、日本の訳書では、この「統治」が通常「支配」と訳されています。
伝統的支配、カリスマ的支配、合法的支配、といったごとくです。
原語のドイツ語が英語のコントロール(統制、支配の意味)に当たるそうです。
ですから、支配としたのでしょう。

けれども、彼のこのあたりの理論は政治学理論ですから、
支配よりも統治の方がいいように鹿嶋は思ったのです。

もう一つ「慣習的統治」の慣習的、も多くの場合「伝統的」と訳されています。
これも鹿嶋は「慣習的」の方が適切だと判断してそう訳しています。

+++

ともあれ、いかがですか? 天才マックス・ウェーバーが提供してくれたこのもう一つのメガネは。
これをかけることによって、政治の一局面がまた新しく見えてくると思うのは鹿嶋だけかな?







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Vol.6 「明るい学校・松下政経塾」

2012年08月03日 | 政治見識のための政治学




 日本政治の無能化が目に余るようになるにつれて、松下政経塾の駄目さかげんが取りざたされるようになりました。
雑誌で特集され、本まで出ている。ここの卒業生政治家が無能だというのです。

 何処が無能なのでしょうか?
ウェーバーの「鋭い概念」はそれも浮上させてくれます。



<生の体験情報>

松下政経塾に関しては、筆者は生の体験情報を持っています。
この設立計画がマスメディアで報じられていたある日、
鹿嶋は神奈川県茅ヶ崎市に建設中だったこの塾を訪ね、情報収集をすることが出来たのです。

これにはお世話になった人も少なからずいます。
内情に触れるようなことを書くのは、恩義に反するのはよくわかっています。

だが、あれからもう30年以上たっています。
そろそろ時効です。
日本のためでもありますので、書かせてもらいます。




<えっ? この若い社員が?>

鹿嶋は当時PHPとの間に出来ていた関係をたどって、紹介してもらいました。

政経塾では二人の松下社員が設立準備を進めていました。
40代に至らないかのような若い人だったと記憶しています。

「えっ?」と思いました。
こんな若い人がこの一大政経塾を?・・・と。

だが、幸之助さんは会社経営においていつもこういうやり方をされるようでした。
素人的な人に責任を持たせて、やりながら成長していくことを信じます。
そして、彼らが成功するまであきらめずやりぬくのを待つのです。




<何かが足りない・・・>

お二人にはカリキュラム図も見せていただきました。

まだ未完成でしたが、その大枠を見せてもらいました。

そこには、演説術や会話術、交友術などの時間が設けられていた様に記憶しています。
英会話の時間もいくつか設けられてありました。

「演劇もやらせます」と自信ありげに言われたのが印象に残っています。
プロの演出家に指導してもらって、塾生に演劇をさせる、
それは政治家の技能として必要だ、ということでした。
今流に言うパーフォーマンス力ですね。

これから他の専門科目の時間を組み込んでいく、
一流の専門家を呼んで講義してもらう、ということでした。




 調査を終えて当時住んでいた逗子の自宅に帰った鹿嶋の心に、
何か根本的に足りないものがありそう、という気分がわき上がりました。

すぐ気づいたのは、哲学が薄い、ということでした。
技術・技法ばかりで、政治精神を根本的に培う哲学思想、これをじっくり吟味する科目がない。

当時鹿嶋はそれを軽く考えていました。
まあ、40才そこそこのメーカー会社員が思いつくのはこれくらいのものだ。
だが、彼らもいずれ成長して気づいていくだろう。そういう二つの気持ちが交錯していました。




もう一つあった。

それが、政治につきものの野獣的世界を運営する能力育成の領域でした。
この世界に物的暴力手段を用いて対処する、その能力育成のためのプログラムが設けられていない。

具体的なイメージのために敢えて端的な名前をつけるならば
、陰謀学、騙し学、裏切り学、諜報学、色香学、悩殺学ですね。
さらに、こんな名称は許されないでしょうが暗殺学のようなものも必要かも知れない。

実際、陰謀学・騙し学的な知識の欠如が、後に、卒業生に問題を引き起こします。

永田といいましたか若い国会議員がガセネタメールにだまされた。
それと知らずに政権与党の幹事長の責任をしぶとく追及しました。
当時同じ党の代表だった前川誠司が一緒になって執拗に追求した。

だがそれは騙しメールだったことがまもなく明らかになりました。
こんな問題で国会の場が紛糾したなどというのは国際的にも恥ずかしいことでした。

騙し学的知識の欠如がそれを生みました。
二人は共に、松下政経塾出身の国会議員でした。




<明るく「軽い」政治学校>

 政治哲学の吟味学と陰謀学、諜報学などが訓練科目にないことが、
この政経塾に明るい印象を形成していました。
鹿嶋にはそれが同時に「軽い学校」という感覚を与えていました。

 まあ、これも必然的だったかも知れません。

 そもそも松下さんが、政経塾の助走段階として政治に向けて持った関心のはじまりは、「無税国家」でした。
政治だってサービスだ。これを賢く制作し販売すれば正統な収益が上がるはずだ。
それでもって政治機関を運営すれば税金というのは要らなくなるのが道理だ。

それは経営能力の優れたものならば、出来るはずだ。

~そういう楽観論が松下政経塾設立の前段階にありました。
幸之助翁ははいろんな機会に、無税国家論を主張していました。

松下氏はこういう風に経営の面だけから政治を見ていました。
ドロドロの野獣的側面には目が開けていませんでした。

松下氏だけでなく、会社経営者の政治学は、概してこんなものです。
そしてそれは通常、ビジョンだけで終わります。

ところが松下氏には経営で成功を収め続け、経営の神様といわれてきたという自信がありました。
かつ幸之助翁は人生の晩年にさしかかっていました。

だからそのビジョンが実現するように思え、かつ、実現せねばという使命感も芽生えたのでしょう。

政経塾設立に踏みだし、いつものように若い社員にゆだねたのです。





<教育は電気製品のようには作れない>

だが、政治能力の育成というのは、電気製品のような物質商品を改善していくのとはかなり違っています。

物質商品は現状観察が容易ですが、人間の政治能力の実情は認識自体が難しいのです。

その結果、教育機関に幼稚さがある場合、それはそのまま残っていきやすいのです。




<獣性世界の認知は洞察力に必要>

 野獣的世界の知識は、人に現実洞察力を訓練させるにほとんど必須知識です。
政治世界では、野獣的領域もあるのが現実です。

暗く重い世界です。汚れたきたない世界です。
だがたとえ美観に反しても、これも含めて見ることは
政治社会の「現実実在」をリアルに見ることに繋がっています。

そして実在をリアルに見ることは、洞察力を養う大前提なのです。
獣性領域を視野に入れないと言うことは、意識が空想の世界に住むことです。
その意識状態では洞察力は育成されないのです。




<洞察力がなければ口先番長になるしかない>

政経塾OBの民主党・前川誠司が、「口先番長」と言われるのもそれによります。
洞察力がなければ、口先だけで渡り歩くしかないのです。

そして現在、松下政経塾出身の国会議員が、なんと、38名もいつのまにやらいます。

政経塾国会議員たちの「軽さ」と現実洞察の無能さは目を覆うばかりです。
そしてこともあろうに、この中から、ほとんど偶然に首相まで出てしまった。
小沢一郎氏の「二大政党の夢」の曲がり角から、ひょんな結果になってしまった。

それは国家に巨大な損失をもたらし続けています。
松下翁の無税国家の夢などとっくの昔に吹き飛んでしまっています。
逆に財務省に示唆されるままに、増税に走っている。
洞察力なき人間は、事務方の言うように動くしかなくなるのです。

幸之助さんの志は大とすべきです。
私財を投じるのもなかなか出来ることではありません。

だが、政治の世界では、人の行為は動機でなく結果で評価されます。
残念ながら、冷たいようですが、幸之助翁の晩年の夢は、悲惨な面を多く含む結果を生んでいます。

ウェーバーの天才的概念は、その構造をも浮上させてくれるのです。






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Vol.5 「会社運営と国家統治との本質的相違」

2012年08月02日 | 政治見識のための政治学



 京セラという企業は、創業者稲盛和夫の哲学を共有しつつ運営されていく会社です。
稲盛哲学は広範にして深いので、社員も消化するのが容易ではない。
彼らは哲学のエッセンスを集めた「京セラ手帳」で確認しながら活動しています。
システム手帳のリフィル用紙サイズのその手帳は、ポケットに入れて持ちあることことも出来ます。





<会社は君、ゴマンとあるぜ>

 この会社に新しく入ってくる社員には、これに面食らうものも少なくないそうです。
特に、銘柄大学を出てエリート気質満々の若者は、これを批判する。
のみならず、「こういう宗教団体のような会社は良くない」と思うのもいる。
民主主義思想を身につけた彼らは会社を変えてあげたいと願います。

 だがこういう若者は、会社の一体性にとっては害を与えて良くないわけです。
稲盛さんも「余計なお世話」といいたいのです。
そこで稲盛さん、あるとき彼に対面してこう言ったそうです。

「キミ、世の中には会社はゴマンとあるぜ。キミの哲学に合う会社に行ったらええやないか」

 その後この若者が出て行ったかどうかは鹿嶋には定かではありません。
でも、こういうことがいえるのは企業だからです。

国家ときたらそういうわけにはいかない。





<簡単に受け入れてくれる隣国はない>

 こういう異端分子を簡単に受け入れてくれる国家など、外部に存在しないのです。
だから不満分子も社会集団にとどまり、国内に蓄積します。
彼らのうちには同じ志の仲間を見つけて、同志となって国家改造を望むものも出ます。

そこでは現行法では認められない案も練られます。
だからこれはアングラで密かに行われることにもなります。
これすなわち陰謀です。

だから統治者側では警察に、これに対応する部門が必然的に出現します。
公安警察がそれです。

彼らもまた、密かな行動でもって対処せざるを得ません。
つまり、そちらも治安のために陰謀でもって対応します。
陰謀・対・陰謀の世界です。

陰謀は「騙し合いの世界」を形成します。
そこでは仲間うちでの裏切りもアリになります。
陰謀には偽りが含まれます。そして人間は偽りに満ちた世界にいると、
徐々に人間不信になっていって、仲間も簡単に裏切ることアリになっていきます。





<統治は「野獣の世界」も対象に含む>

野獣の世界です。ドロドロした泥沼の世界です。
そこでは命知らずの団員を持った暴力団も関与してきます。

他国の工作員も近づき、出来れば臨時政府をつくらせ、自国の軍隊に
援助を要請させたいと夢見る。
クーデターを起こさせて、自国の味方になる国家を増やすのです。

国家を統治、運営する仕事は、こうした世界も対象に含みます。

これが企業経営にない、国家運営の本質的な特徴です。
もちろん国家にも企業のような仕事、予算を立てたり、執行したり、役人の活動を管理したり、
調整したりする仕事はあります。サービス(公的)生産もします。

だが、それに加えてこうした野獣的世界も対象に含むのです。
企業運営と国家運営とは別と言ってもいいのです。




<トータルに有能な政治家とは>

 これらのすべてに通じて、対応できる政治家が「トータルに有能な政治家」です。
だが、現実には、こういう人材は少ないです。
少ないのですが、政府(統治者集団)にはある程度いなければなりません。

彼らはこの泥沼世界に通じていることによって、その目つき・表情にもドスのきいたところがでてきます。

かつての大野伴睦や田中角栄、金丸信はそうでした。
小泉純一郎にも彼らほどではありませんが、それがありました。
彼の祖父はヤクザの親分だったと伝えられています。





中曽根康弘は外務官僚上がりのエリート政治家でしたが、野獣世界は知っていました。
彼はそれを戦争での体験を通じて知ったようです。

彼の乗っていた輸送船が米国潜水艦に襲われて、可愛がっていた部下が死んだといいます。
はらわたをえぐられて大量出血で死んでいった。
「先輩(先に逝って)すまない・・・」という部下を抱いて、中曽根は国家運営の野獣性をしかと悟ったでしょう。

彼は総理大臣に選ばれ内閣を組織するとき、真っ先に官房長官を後藤田正晴に依頼しました。
後藤田は警察庁長官を歴任した政治家です。まさに国家の物的暴力手段の頂点に立って、これを運営してきた。
国家側の闇世界の帝王でもありました。

 後藤田は渋りましたが、中曽根は三顧・四顧の礼を踏んで、これを頼み込んだと言います。
彼は政治の最大責務は国家の非常事態に適確に対処することと悟っていたのです。
後藤田の顔もまた、ドスがきいています。

   http://www.youtube.com/watch?v=-w9AyFAyjMw




<対・国家世界では野獣性はさらに大きい>

 国対国の世界、つまり国際社会では、この野獣性はもっと激しい形で現れます。
だから軍隊の持つ武器も、警察の何倍と強力なものになっているわけです。

 そこでは陰謀も騙しも裏切りもスパイ・諜報活動も常時なされています。
中国の留学生とか商事マンが、実はスパイであったという記事が時たまマスコミで流れていますが、
あんなものは、氷山の一角どころか、ひとかけらです。

 国際社会は陰謀だらけです。
 
 もちろん、国際社会でも文化的・理性的な外交交渉の領域はあります。
だがそこには、暴力沙汰になる危険が常時はらまれています。

 だからまた、国家は軍備力を背景にして交渉するのです。

 こういう世界はこれに関わる当事者の官僚はかなり知っているでしょう。

だが、一般国民は自然な状態では知り得ません。
今述べたように、マスメディアに載る情報は氷山の一角ですけれど、
国民はそれが事実のすべてと受け取るしかないからです。

そして、その国民が、民主選挙制の国家においては、最終決定権を持ってしまうのです。
なんと危ないことでしょうか。

ホントに、中国のように、選び抜かれた9人の賢人に独裁権を与えて運営させた方がいいかもしれない。
でも、日本はすでにそんなこと簡単にはできなくなっています。

 そのなかで、我々一般国民に、この世界にかろうじて目を開かせてくれるものがある。
それがウェーバーの名概念「物的暴力手段」です。

このメガネをずばり与えられることによって、我々は、体験のない世界に、
知性でもってかろうじて認識の目を開けられるのです。







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Vol.4 「バカ暗記と必須暗記」

2012年08月01日 | 政治見識のための政治学






前回に示した、マックス・ウェーバーの名概念、「正当性意識」と「物的暴力手段」は、
その意味とともに暗記して下さい。

受験勉強批判とともに、暗記という行為事態が否定される傾向になって久しいです。
だが、暗記そのものが悪いのではありません。

有害なのは、意味を吟味・理解することなくする暗記です。

これを「バカ暗記」といいます。

+++

しかし、ものを考える上で、必要な暗記もあるのです。
優れた概念を、よく吟味した上で暗記しておくと、それが思考の役に立ちます。

思考の中で必要に応じて、意識から飛び出してくる。
そういう状態に知識を置くには、「ノートを見たら思い出せる」というのでは
ダメなのです。

そもそも、創造性なるものの大半は、暗記したものを縦横無尽に、
新しい方法で組み合わせることによって実現するのです。

鹿嶋はこれを、「必須暗記」と呼んでいます。

(これから小旅行に出ます。この後は、帰宅後書きます。それまでに、天才ウエーバーの
二つの概念、暗記しておいてね)

+++

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