「ヨハネの福音書」の17章には、従来の読み方では 「?」となる言葉が記されています~。
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「わたしは、彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名のなかに、
彼らを保ち、また守りました」
(ヨハネの福音書、17章12節)
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~これも、御子の名に帯電している「いのち波動」を認識してはじめてわかる聖句です。
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「御子が着ていた名、イエス・キリスト」には、「いのち波動」が帯電していた、と解すると、それの量は着物など比較にならないことがわかるでしょう。
着物は来たり脱いだりされますけど、御子に着せられた名は、常時、御子に付せられています。
のみならず、その名は、ほとんど御子の代替認知物にもなっています。
(代替認知物、とは、それが本体に代わって認知されるもの、という意味)
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その御子には、父なる創造主に直結した「いのち波動」が流れ込んでいます。
それに「いのちエネルギー」が帯電しているならば、その量は、他を圧して膨大なはずなのです。
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この名に帯電している超大量な「いのち波動」の中に弟子たちを保つとどうなるか。
そこから放射されている大量な「いのち波動エネルギー」が、悪魔の支配下にある、この「世」の波動を、強烈にはねのけるでしょう。
だから、「御名のなかに保たれたら、弟子は完璧に守られる」はず、となるのです。
(続きます)
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