鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

66.(臨時版)オウム事件の構造

2018年07月23日 | 安全なキリスト教の学び方

 


このところオウム事件の死刑囚の集団執行が話題になった。

明治の大逆事件以来の集団執行だという。

大逆事件は、社会主義者の一団が明治天皇の暗殺を謀議したとのかど逮捕、集団処刑がなされた事件だ。

これはでっち上げ事件の可能性が究めた高いが、オウム事件はそうではなかった。

教団員たちは、実際に弁護士一家(幼児も含めて)などを殺戮し、地下鉄内でサリンを撒いて集団殺戮をした。

 


<戦後無思想教育は世界の異常現象>


オウム事件には、戦後日本に出来た独特の教育背景がある。

敗戦日本には、戦時中受けた神国教育への強烈な反省と怒りが吹き上げた。

「天皇は現人神(あらひとがみ:人間の姿で現れている神様)」という思想を小学校入学と同時に吹き込まれはじめた。

「その神様のために戦死すれば、霊魂は靖国神社に住んで礼拝される毎日となるよ」

「戦争は、最後には神風が吹いて勝利できるよ」とも教えられていた。

だから若者の5000人余が、神風特攻機という軽量の飛行機に爆弾を積んで、飛行機もろとも敵艦に突入・自爆した。

中東イスラム教国の若者も尊敬する、自爆テロの先駆者だ。

彼らは神風特攻隊と、崇められた。




<一億総懺悔>


ところが、いつまで待っても神風は吹かなかった。

吹かないままで、南方の植民地や沖縄は玉砕した。

仕上げとして原爆を2発かまされて、広島長崎は地獄となった。

そして現人神天皇がなんと、玉音放送で敗戦宣言をしたのだ。




<もう絶対宗教なんか>


どうなってんだ?

天皇宗教に騙されたのだ!!

国民は一転して反省、懺悔した。

マスコミはこれを「一億総懺悔」といった。

こうして戦後、「宗教は危ない、宗教はもういらない」「正しいのは科学だったのだ」という思想転換が起きた。

こうして一大回天をした大人の文化は、教育制度をも直撃した。

もう神様がどうとか言うことは、絶対に、教育に持ち込まないぞ!!

これが加速して、価値観を教育は持ち込まない、となった。

かくして日本には、世界にも希な無思想教育ができた。

これは世界の先進工業国には異常なことだが、日本人はそれに気付かないでこれまでやってきた。



 


<他愛ない不思議事象>

 
だが、見えない影響者への関心は人間の本能にある。
 
これを徹底して避ける、という教育制度は本来無理なことなのだ。
 
その無理が、学問知識だけを詰め込む、という勉強を強いられてきた若者の心の内にくすぶり続けた。


そうした彼らにとって、超自然な不思議現象は他愛ないものであっても、見えない世界への関心を沸き立たせる。

その軽~い一つが空中浮揚だ。

これは他愛ないもので、あぐらを組んで、えいっと念を込めて、おしりの筋肉を動かすと、人の身体は一瞬飛び上がる。

修練すると、浮揚したように見えるところまでいく。

これをホッピングといって楽しんでいて、ホッピングで前進する競技会を定期的に開催していた宗教教団もあった。



<世界観工作の天才>


ところが、「超自然現象など絶対ない」と言う教育を徹底受けてきていた若者にはこれが衝撃だった。

そしてこれを契機にもちいて、独特の世界観に引き込む天才が現れた。

これが麻原影晃、本名、松本智津夫だった。

彼はキリスト教の終末論や仏教の修行理論を巧みに組み合わせた歴史観を造った。

この意識ワールドに、高学歴の若者たちは魅了され引き込まれた。

 
 

<世界観は人間に自価意識も供給する>



人間は世界観を求める動物でもある。

その中に自分を位置づけることによって、自分の存在意義のイメージを得ることが出来るからだ。

人間は、自価意識(自分が存在価値あるという意識、セルフバリュー感といってもいい)を渇望しつつ生きる動物でもあるからだ。

彼らは麻原世界観によって快感を得て、苦もなくそれに取り込まれ、目からうろこが落ちた感覚になった。

無思想教育で育ったから、そういう思想への免疫がゼロだった。

苦もなく、真っ赤っかに染まった。

 
 

<行為の正義感も提供>

世界観は、個人に「なすべきこと」をも与えてくれる。

彼らは、この世界は一度破壊して、麻原世界観の世界に再構成せねばならぬ、という考えに全意識を取り込まれた。

こうなると、そのために邪魔な弁護士一家を殺害しても、地下鉄にサリンを撒いて社会を混乱に陥れても、それは究極的には正義だ、となってしまう。

事実、その思想に全意識波動を取り込まれて、殺人行為に走った高学歴者たちがでたのだ。

その彼らは逮捕され死刑判決を受けて、執行を待つ身となった。

もともとは、純真な少年だった、と近隣者は述懐していた。

その刑の執行が集団に分けて行われたのが、最近のニュースだったわけだ。


 

<「安全な宗教の学び方」を知れば>


オウム事件の構造は、ここで述べている「安全なキリスト教の学び方」の知識に照らすと、簡単に理解できる。

ここで述べていることは「安全な宗教の学び方」と重なっているからだ。

人は「見えない影響者」への関心を抱かずして生きられない動物だ。

だが、高学歴若者たちは、それが自覚できなかった。

そこに、空中浮揚と(いう他愛ない)行為を示し、巧妙に合成した世界観、世界歴史観を語るのが現れた。

高学歴者たちの、それまでの人生で押さえ続けてきた、「見えない世界の探究衝動」が爆発した。

+++

そして、その世界との仲介者(を自称する教祖)に全面依存していった。

仲介者に全面依存すれば、それは危険を含んでいく~というのは、ここで述べたとおりだ。

彼らはその世界に全意識を取り込まれ、気がついたら弁護士一家などを殺戮し、サリンを造って大量殺戮をしていた。

こういう行為を、夢遊病者の如くにやっていた。

それがオウム事件の構造だ。

このブログを理解してきた読者なら、決して取り込まれることのない、他愛ない宗教教団の出来事だったのだ。

 

 

 

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65.ベルグソン認識論に助けられて

2018年07月17日 | 安全なキリスト教の学び方

 



創造神の波動ワールドを構成する意識波動体を、筆者は7つ述べてきた。

イエスの名の信号のもとには、他にも夢のような意識波動体が伴っている。

人の罪を許す「イエスの血」もそれだ。

とにかく、そのようにして意識波動体を具体的に述べた。

それによって、イエスの名という信号に伴う意識波動がイメージしやすくなったと思う。

 
 

その話の中で筆者はこうも述べてきたね。

その波動ワールドの中に自分(の意識波動体)を住まわせるのが、「信じる」の実体だと。

また、住まって黙想していると、自分の意識体の中に、創造神の意識波動体と同じ意識波動体が出来てくる、と。

これすなわち、創造神(の意識波動体)だ。

自分の身体が「創造神の宮になる」、という聖句はそれをいっている、と筆者鹿嶋はいったよね。

 
 
<ベルグソンの認識論>


だがこれらは筆者の私見だ。

そのうちで、創造神の意識波動体が、人の心の中での出現するという考えは、哲学者ベルグソンの実在認識論の助けをえている。

 
 
 
<実在は動態で個別的>

ベルグソンは、我々が認識しようとする実在それ自体は、個別的で動態的なものだとみる。

たとえば、自分の手をじっと眺めてみよう。

それは常時老化という動きをもった実体だとわかってくるだろう。

われわれが「自分の手」というときは、そのうちの一瞬の静止画像を想定して言っているのであって、実体は刻々と動いている。

一瞬前の手と一瞬後の手はちがう。つまり、自分の手という実体は、各時点で個性をもっているのだ。

+++

それを「手」という言葉(概念)を用いて認識するときには、すでに、個性的で動態的な面は捨象されている。

なぜなら、概念というイメージ体は、対象の個別性を捨象し、他の実在との共通性だけを抜き出して出来たものだからだ。

これを通して認識すれば、独特の個性は捨象されざるを得ないのだ。


 
 

<直感的同一化>

だがベルグソンは、実在そのものを認識する方法はあるとする。

それは、対象実在に心を寄り添わせて、感性を働かせて対象との同一化をすることだ。

人間に与えられている感性という認識能力を用いて、直感的同化をする。

これによって人は実在そのものを、自らの感性の内に再現するすることが可能だという。

 

<同情により悲しみを認識する>

心を寄り添わせての同一化認識には、他者の悲しみに同情する場面をイメージしたらいい。

われわれがある人の悲しみ聞いて同情し、ともに泣くときの心理はどうなっているか。

我々は、その人の心に自分の心を寄り添わせるだろう。

そして、その悲しみに自分の心が共鳴するのを待つ。
 
そのうちに、心が重くなっってきたとき、我々はその人の悲しみがわかった、と確信する。

その時同情者の心には、悲しんでいる人と同じ悲しみが、生じている。

これがベルグソンの同化認識だ。

 
 

<霊的領域でも共鳴箱作用がある>

筆者鹿嶋は、こうした心理作用は霊的領域に於いても働くと考える。

そしてそれに波動の概念を参加させてこう考えていく。

すなわち、創造神の意識波動体は波動を発している。 

ちょうど一つの共鳴箱が静かに波動を発しているが如くに、波動を発している。

+++

そして、我々がそれに意識を向けて黙想していると、我々の意識体の内に、同じ周波数を持った共鳴箱が出来上がっていく。

さらに黙想していると、自分の内の共鳴箱が「ウーン」と共鳴するときがくる。

このとき、共鳴箱の中に創造神の意識波動体(と同一の分身)が出来上がっている。

神と「同一」の分身というのは、すなわち神だ。

こうして「創造神が人の身体(宮)の中に住まう」事態は実現されるのだ。

そうなった当人が創造神になにかを願うとき、自らの内に住む創造神が、宮から出動して実現してくれる。

これが~



・・・・・・・・・・・・・・・
「諸君が私(の言葉)に留まり、私の言葉が諸君の内に留まれば、欲しいものは何でも求めなさい。それはかなえられます。
              (ヨハネによる福音書、15章7節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
~の鹿嶋解読だ。

そして、筆者はこの解釈に結構納得感を得ているよ。

今回はここまでにしよう。

 

 

 

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64.「永遠のいのち」は理解に労力がかかる

2018年07月15日 | 安全なキリスト教の学び方

 

 

創造神の波動ワールドを構成する意識波動体、今回は ⑦「永遠のいのち」だ。

前の六個の意識波動体は、言葉で説明して割合わかりやすかったが、この波動体は理解に労力を要する。



永遠のいのち、って聞くとこんな疑問が湧くだろう。

「いのち」ってなんだ。 いのちに永遠なものと永遠でないものとがあるのか? ~とかだ。

こうした疑問には従来、明確な答えが得られてこなかった。

だが、量子力学の発見で、筋道だった思考を展開できるようになった。


 

<存在の根源は波動>

量子論では、「存在の根源は波動」との発見をした。

これによれば、創造神も波動として理解できる。

他の被造物も波動体だが、創造神波動体は、波動を創出しているという点で一線を画する、と。

(この創造神イメージは、比喩ではない。実体そのものと受け取っていい認識だ)

 
 
 

<移動するバイブレーション>


波動とは、移動する振動(バイブレーション)という概念だ。

振動が移動すれば、振動の流れになるよね。

波動という語はそういうニュアンスをもっている。



<エネルギーと「いのち」>


その波動の集団が一定の秩序を持って運動しているとき、それはエネルギー(力)ともなる。

創造神が放射する波動は、そういう秩序を持っているので、エネルギーでもある。

正確に言うと、プラスエネルギーとなるが、単にエネルギーというときにはプラスのそれを通常指している。


+++


聖書での「いのち」という言葉は、そのプラスエネルギーを含む概念だ。

それは物理学で言うエネルギーを指すこともあるし、被造物の霊に吸収されて、霊に活力を与える力を指すこともある。

聖書では多くは後者の意味で用いられている。


 

<悪魔は混沌の波動を発する存在>


ここでは余談になるが、波動群に秩序がないとき、それは混沌の状態となる。

無秩序はすなわち混沌なのだ。

そして、無秩序で混沌となった波動群は、秩序ある波動群の秩序を相殺し破壊する性質を持つ。

これが悪魔の放射する波動の性質である。



+++

 
以上をまとめて言うと、こうなる~。

 創造神は秩序ある波動である「プラスエネルギー」を放射する存在であり、悪魔はそれを相殺破壊する性質を持った混沌の波動を発する存在、であると。


 


<永遠のいのち>

話を戻す。

「いのちエネルギー」波動は、宇宙の中では「聖霊」が放射している。

「父、子、聖霊」の聖霊だ。

それは創造神だから、いのち波動を放射し続けているのだ。

だが聖霊は天の創造神王国では、満ち満ちているが、宇宙では「風のように」ただよっている。

人の霊を覆って霊を活性化したり、去って行ったりする。

 
 


<イエス、昇天後に聖霊を送る>


けれども、イエスは昇天した後に、新たに「助け主」として聖霊を送ると約束した。

この聖霊は、イエス波動体の中に住まう人の意識体「の中に」入りうる。

そして一旦入ると、もう出ることはない。(ヨハネによる福音書、14章)


+++

いのち波動を放射し続けている創造霊だ。
 
人の内に入って住まえば、人の意識体の内部でいのち波動を発し続ける。

ゆえに、当人にとっていのち波動は「永遠のいのち」となる。

それは当人の霊を活性化するエネルギーを与え続ける。

イエスの名に伴う波動ワールドを構成する意識波動体の七番目「永遠のいのち」はそういうイメージだ。

夢のような話だ。

だから、これを伝える知らせも「よき知らせ、すなわち福音」となる。


+++

もちろん、この知らせも「すぐに100%信じないとばちが当たる」というものでは全くないよ。

自分の心の「意識共鳴箱」が創造神の意識ワールドの共鳴箱に共鳴するのをじっくり待てばいいんだよ。



今回はここまでにしよう。



 
 
 
 
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63.「悪魔のワザの破壊」も「救いの道」も復活の枝の一つ

2018年07月10日 | 安全なキリスト教の学び方

 

 

復活の論理の、もう一つの枝を宣べよう。
 
前述したように、悪魔は、人間の心理にある「イエスを十字架死させたい」という思いをあおって殺させた。
 
この時、悪魔の死の波動は、一旦、イエスのいのち波動を制する。
 
だが、まもなく創造神のいのち波動は、これを圧倒、逆転する。
 
御子イエスを生きかえらせる。
 
 
 
<破壊をもたらす権威を剥奪>
 
この事件は次のような側面(論理の枝)をももっている。
 
~悪魔は人間の意識を操作して、創造神の子イエスを殺させた。
 
これは、悪魔の本性が明るみに出たことでもある。
 
全存在界の最高の権威者である創造神に対してさえ、どこまでも敵対する、という本性だ。
 
敵対心の極地は「殺意」だ。
 
それが創造神の子、イエスを殺すことによって明るみに出た。
 
証拠があがった。
 
+++
 
これで天国(そこには創造神が統治する政府があり、裁判所もある)の裁判所で裁きが下った。
 
天国は地上界の上位にあるので、その判決は宇宙にも、地上界にも貫徹する。
 
悪魔には有罪の判決が下った。.
 
悪魔は刑の執行を待つだけの身分となった。
 
悪魔はもう、従来容認されていた死の波動を駆使できなくなる。

「破壊の権威」を取り上げられる。
 
こうして聖句にある「悪魔のワザ(力)を打ち壊す」は実現されたこととなる。

 
 
 
<罪の代償作りも枝の一つ>
 
もう一つの枝もある。
 
罪無きイエスの死が、人類の罪の代償になったことだ。
 
この波動体の内に意識を住まわせた人間には、それが実現する。
 
これがいわゆる「救い」の道が開かれたことだ。
 
この場合の復活は、イエスが罪なき存在であることを証明した(証拠づけた)ことになる。
 
このように、「救いの道」というのは復活がもたらす枝の一つなんだ。
 
イエスの死と復活という事件は、多くの枝を持っているのだよ。
 
今回はここまでにしよう。
 
 
 
 
 
 
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62.人間は復活する

2018年07月08日 | 安全なキリスト教の学び方

 

 

創造神の波動ワールドを構成する意識波動体、今回は ⑥「復活」だ。


復活という意識波動体は、いくつかの論理の枝を持っている。

話は若干複雑になるよ。

+++

まず「復活」は「死なないこと」ではない。

一旦「死んで」「生きかえること」だ。

波動で言うと、一旦、死の波動が優越するんだね。

+++
 
ちなみに、人間の五感ベースの経験ワールドでは、死の波動の優越状態はそのまま続くことになる。

なぜなら人間の五感は、肉体しか認知できない。

五感はまた、肉体は死んだら崩壊して消滅すると認知する。

だからそういう認識が、そのまま人の全存在のありかただと受け取られるんだ。

簡単に言うと、「人間死んでおしまい」という認識になるんだね。
 

 
 
<まずイエスが復活>

他方、天の意識波動ワールドでは、この死の波動を「いのち波動は圧倒し、逆転する」と認識する。

それを「人の子」イエスの復活でもって創造神はまず実証する。

こうして「死の波動はいのち波動に勝てない」ことを、思い知らせる(悪魔に)という論理になっている。

 
 

<人間も復活する>

そして、復活は人間にも起きる、という。

最初は、イエス再臨の時だ。

話はこうなっている。

イエスは復活して天に上って王座に就いたが、その彼はあるとき、(多くの天使を従えて)空中に現れるという。

この時、イエスの名に伴う波動ワールドに、意識が住まわっていた状態で死んだ人の霊が、(霊がそのまま)身体となって復活する。

+++

残りの霊は、いわゆる「最後の審判」のときに復活する。

聖書は、この宇宙は最後に火で焼かれて消滅する、としている。

このとき、残りの人の霊はみな身体となって復活するのだ。

彼らに対しては、各々その行いに応じて裁きがなされる、という論理になっている。

+++

「残りの人」となって復活して裁かれる人は心配かも知れないね。

そんなことなら、肉体のように、死んだら消滅した方がいい、と思うかも知れないなぁ。

でも、創造神ワールドでは、五感ワールドでの人間の姿を、「人は死の恐怖につながれた、死の奴隷となっている」とみる。

五感ワールドの住人は「みんな同じだ、仕方ない」と思っているが、死の恐怖を抱いて生きるのも、また、楽なことではない。

 
復活の論理の枝はまだある。

だが今回はここまでにしておこう。








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61.富裕実現~「世の方法」と「天の方法」

2018年07月04日 | 安全なキリスト教の学び方

 

 

創造神の波動ワールドを構成する意識波動体、今回は ⑤「富裕」だ。

 
富裕とは、「この世で物的富が豊かに存在すること」である。
 
これをもたらすにも「世の方法」と「天の方法」がある。
 
 
 
 
<「経済学の父」アダムスミス>
 
「世の方法」は、自然物に働きかけて、もの(財貨)を生産する方法だ。
 
古代、中世を通して、人々の生産効率は低く、人類は貧しかった。
 
近世になって「経済学の父」アダム・スミスは、生産効率を急速に高める方法を見つけ出した。
 
社会に分業を行き渡らせる、というのがそれだった。
 
 
 
 
<分業は生産の機械化をもたらす>
 
分業とは、生産の作業を細かく要素(部分)に分けて、人々が割り当てられた作業に専念することだ。
 
分業が広がると、個々の生産作業は単純化する。
 
たとえば、釘を造るという活動には~、
 
「仕入れた針金を伸ばし」「短く切り」「一方の端をたたいて頭を造り」「他方の端をヤスリで削って先を造り」「火入れと水による冷却によってヤキを入れ」~などの作業が含まれる。
 
中世までは、この一連の作業を一人の職人がすべてやっていた。
 
+++
 
だが近世になると、人々を工場に集め、各々の作業を各人に専門的に担当させるという方式が現れた。
 
スミスはこの方式を社会に普及させることをすすめた。
 
この方式を採ると、生産効率は急上昇する。
 
個々人の作業は単純化し、それを繰り返すと熟練して技能が上がる。
 
さらに、単純化した作業部分は、機械に置き換えやすくなる。
 
それを水車などの動力につなぐと、生産は自動化し、生産量は飛躍する。
 
スミスはこの方式が社会に広がることが、富裕化の鍵だとみた。
 
+++
 
こういうことが、様々な生産分野で起きたのが、産業革命だ。
 
それが進展して今の人類は、かつてなかった富裕を享受している。
 
 
 
 
<創造神波動界の方法>
 
創造神波動ワールドの方法は別だ。
 
これは、イエスが「魚とパン」を次々に出現させた状況に見ることが出来る。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・
「イエスは言われた『あの人たちに何か食べるものをあげなさい』
しかし弟子たちはイエスに言った『ここにはパンが五つと魚が二匹よりほかありません』
 
するとイエスは言われた『それをここに持ってきなさい』
そしてイエスは、群衆に命じて草の上に座らせ、五つのパンと二匹の魚をとり、天を見上げてそれらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
 
人々はみな、食べて満腹した。
そして、パン切れの余りを取り集めると、12のかごにいっぱいになった。
食べたものは、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった」
      (マタイによる福音書、14章16-21節)
・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 
この事態を、物理学的に理解させてくれるのが、量子物理学(量子力学、量子論、も同じ意味)だ。
 
量子論はすべての存在の元は波動であることを明かした。
 
その波動が凝集した部分が粒子となり、粒子は組み合わさって物質を形成する。
 
(魚にもパンにもなる)
 
イエスが行ったのはこれだった。
 
つまり、波動を物質に様態変えさせたのだ。
 
(『創世記』冒頭に期されていると同様な「創造」のわざをしたのだ)
 
+++
 
富裕実現の「天の方法」を現代流にいえば、財布の中に忽然と貨幣が出現する、といったような現象だ。
 
創造神の波動ワールドに住まい、意識波動が共鳴することによって、それはもたらされるのだ。
 
 
+++
 
 
アダム・スミス流の「世の方法」もいいが、こちらでは天然資源が細って行くにつれて、生産物も細っていく。
 
だが、創造神の意識波動を構成する意識波動体は「天の方法」を実施する波動体だ。
 
こちらでは資源は無限にある。
 
それは波動であって、創造神から全被造界に際限なく放射され続けているのだからね。
 
 
 
 
<「信じる」はオンゴーイングの状態>
 
日本の牧師さんに言うけど、「世の方法と天の方法と、あなたはどちらを採るか!」と二者択一を信徒に迫ったらいかんよ。
 
それは「天の方法を100%信じるか、全く信じないか(ゼロ%信じるか)」と迫ることで、「百ゼロ思考」だよ。
 
信じたらもう100%信じねばならないと誤解して、目をつむって突進する思考。
 
+++
 
聖書読みは、「信じる」というキーワードを正確に解する必要があるよ。
 
それは「創造神の波動ワールドに住まうこと」だ。
 
そして、成果が実現されるには、自分の意識波動がそれに共振・共鳴せねばならない。
 
「信じる」とはこの共鳴を期待し、共振に努めているという「進行中(ongoing)」の状態でもあるのだ。
 
 (その間は、「世の方法」も併用して肉体を食べさせていかねばならない)
 
 
だからね~
 
「信じたら(すぐに)実現されま~す。実現されないのはあなたの信仰が足りな~い。キィ~ッ」なんて講壇から叫んでたらいかんよ。
 
知的不全の教会員しか残らなくなるよ。
 
 
今回はここまでにしておこう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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