鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

=天理教と聖書の奥義=10    ~使徒ヨハネと天理教教祖への啓示~

2023年05月04日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

イエスの弟子(使徒)たちの中で、ヨハネは特別な人でした。
彼は、『ヨハネの福音書』を書いていますが、学者的・神学的思考をする人でした。
 
その福音書には、イエスの言動の記録するだけではなく、彼自身の神学理論も書いています。
 
 
ヨハネの福音書のなかの聖句~
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
「創造神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
 
  (ヨハネの福音書、3章16節)
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
~は、有名ですが、これはイエスの言葉ではなく、彼自身の神学理論を記したものです。
 
 
@@@
 
彼はイエスの言動を観察・記録するだけでなく、イエスという存在を存在論的・神学的に理解することを
切望していました。
 
たとえば、十字架上で息を引き取ったイエスの脇腹を、兵士が槍で刺す場面があります。
 
そのときイエスの身体から「血と水」が出ました。
 
彼はそれを自分は間違いなく見たのだ、と念を押すように書いています~。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・兵士のひとりがイエスの脇腹を槍で突き刺した。
すると、ただちに血と水が出て来た。
それを目撃したものがあかしをしているのである。
そのあかしは真実である。
その人が、あなた方にも信じさせるために、
真実を話すということをよく知っているのである。」
 
     (ヨハネの福音書、19章34-35節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
~ここでヨハネが「それを目撃したもの」というのは、自分のことです。
その「あかし」というのも、自分の証言です。
 
ヨハネは、自分でそう言っておいてさらに「そのあかしは真実である」と自分でダメ押ししています。
 
のみならず、「その人(実は自分のこと)が真実を話すということをよく知っている」
と、また自分で言っています。
 
 
+++
 
どうしてそれまでにしていうか。
 
この出来事が幻でなく、現実に起きた出来事である、ということを確かなものにしようとしたのです。
 
そのうえで「血と水がでたのはなぜか」を知ることを切望したからです。
(人間の身体なら、血だけが出ます)
 
 
@@@
 
彼は、イエスとは、「イエスの身体とは何なのか」を、存在論的に知りたかった。
 
それを何年も考え続け、霊感を受けて、ついに答えをえました。
 
結論を、福音書を書く時点になって自らの福音書の冒頭に書きました。
 
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     「はじめにロゴス(創造神の理法)があった。
 
     ロゴスは創造神とともにあった。
     ロゴスは創造神であった。
 
     すべてのものは、この方によってつくられた。
      このかたによらずにできたものは一つもない」
 
       (ヨハネの福音書、1章1-3節)
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
ヨハネは、イエスは「創造神の理法(ロゴス)の具現体」だと認識するに至ったのです。
 
 
そして、それは結果的に、今日聖書を読むものにとってのイエスの存在論になっています。
 
われわれ福音書を読むものは、これをベースにして、イエスという「存在」を認識して解読しているのです。
 
(そこまで考えないで福音書や『黙示録』を読んでいるものも少なくはありませんが)
 
 
 
@@@
 
 
以上を心に留めて、天理教の教義を、今少し詳細に見てみましょう。
 
実は、天理教の教祖、中山みきは、信徒に親神を説明する前に、まず
 
「南無(なむ)天理王の命(みこと)」という言葉だけを唱えさせています。
 
 
 
+++
 
 
その意味は以下のごとしです~。
 
 
「南無」は「南無阿弥陀仏」の「南無」で「頼ります」という意味です。
 
「天理」とは(天の理法が具現した存在)です。
 
 そして、その方は創造主(親神)であって、創造者はすべての被造物の上位の存在であるから、
  一口に言えば、「王」です。
 
「命(みこと)」は、尊い方につける尊称で、「・・・様」と解していいでしょう。
 
 
つまり、
「南無天理王の命」は、「天理王様に頼ります」です。
 
教祖は最初に、「天の理法の具現体である、天理王様に頼ります」という言葉だけをまず信徒に、繰り返し唱和させよという啓示を得ているのです。
 
 
@@@
 
これを、ヨハネのイエス認識とならべ比べてみましょう。
 
ヨハネは、イエスを「創造神のロゴス(天の理法)の具現体」といっています。
中山みきは、(親神を)「天の理法(天理)の具現体」だといっています。
 
両者はほとんど同質的な認識です。
 
 
@@@
 
 
驚くべきことです。
 
一体、ヨハネより1800年も後の幕末の日本で、中山みきにこの認識を与えたのは、誰なでしょうか。
 
創造神なのか。 イエスなのか。 あるいは天使なのか。
 
そもそも、天理教とは一体何なのでしょうか?
 
聖書の福音とならべて、どう解したらいいでしょうか。
 
筆者鹿嶋が得た当面の考えを、心に浮かぶままに次回から記してみようと思います。
 
 
(続きます)
 
 
 
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=天理教と聖書の奥義=9    ~聖書と同質以上の神概念が!~

2023年05月02日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

ところが、天理教の教典には聖書にある神概念と同じものが記されていました。
 
いや、それだけではない。 聖書解釈で用いられる神概念と同質以上のものをも
含んでいたのです。
 
 
@@@
 
詳しく眺めてみましょう。
 
このシリーズの 3 にも書きましたが~
 
 
+++
 
1.この世界のすべては、創造神によってつくられている。
 
2.特に、人間は自分の子としてつくられている。
 
3.創造神は人間にとっては「親」であり、親神様である。
 
4.親神は、人間の親が子を慈しむように、すべての人を慈しんでおられる。
 
5.そのことを悟ると、人の心は不思議に「勇んで」くる(活性化する)。
 
6.すると、通常は「陰」であった気持ちが、「陽」に変わる。
  何をしていても、どんな境遇になっても「陽気」になる。
 
~と、天理教の神概念はまとめられる、と鹿嶋は述べました。
 
 
+++
 
ここには、創造神は人間の親でもある、という教えが明示されています。
 
たとえば~
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2.特に、人間は創造主の子としてつくられている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
~はそうです。
 
 
@@@
 
 
では、聖書ではどうか?
 
聖句を見ましょう。イエスの言葉です~。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
「・・・鳥のことを考えてみなさい。・・・(中略)・・・あなたがたは鳥よりもはるかにすぐれたものです。
・・・(中略)・・・ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。
・・・(中略)・・・しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。
・・・(中略)・・・あなたがたの父である神は、喜んであなたたがたに御国をおあたえになるからです。」
 
          (ルカの福音書、12章24-32節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
~ここでイエスは人々に創造神を「あなたがたの父」と語っています。
 
イエスは創造主を「父なる神」と読んでいますが、人間にも
「あなた方の父」といっています。
 
見逃しやすいところですが、ここでイエスは、人間も、「創造神の子」といっているのです。
 
 
@@@
 
これは聖書の重大な奥義です。
 
だがこの奥義は、従来の聖句解読では見逃されやすいです。
 
鹿嶋はその主たる理由は、「万物の創造者であることと、人間にとって父(親)である
ということが、一つの言葉に収めがたい」からだと考えています。
 
実際、聖句解釈ではそこは「創造主」とか、「主」とか言う言葉で片付けられてきています。
 
すると、創造神が(人間の)「父(親)」でもあることが放念されがちになるのです。
 
 
 
@@@
 
だが、天理教の教祖、中山みき、には、そのことが明確に啓示されていたのです。
 
それが「親神」という呼称によって啓示されています。
 
繰り返しますが、「親神」という呼称は、絶妙というか、すごいものです。
 
『親』という語には、「存在させた(生んだ)」という創造神のニュアンスと同時に、
「子の父」という意味も含まれています。
 
 
これによって、創造神が人間の「父(親)」でもあることが、示唆されうるのです。
 
 
+++
 
これには鹿嶋は感嘆・仰天しました。
 
筆者はこれまで『創造主」という語で聖書の神を述べてきました。
 
それしかない、と思って、『(人間の)父」であるという意味を呼称に含められずに来ました。
 
聖書訳者も、クリスチャンを自称する人も、みなそうだと思います。
 
 
+++
 
だが、『親神』という言葉があったのです。
 
天理教の教義は、それを教えてくれました。
 
筆者は以後、聖書解読では、この語を用いようと思っています。
 
 
(ああ、また ”異端!” と罵る自称クリスチャンが多出するだろうなぁ)
 
 
 
(続きます)
 
 
 
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=天理教と聖書の奥義=8    ~創造神理念は自然発生しない~

2023年05月02日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

以上のことを長々と述べた主な理由は、「万物の創造神」という神概念は、人間の心には自然発生しないことを示すためでした。
 
 
<在物神の神イメージ>
 
 
人類には、神という「見えない、超人的な力ある存在」へのあこがれと恐れの感情はありました。
 
だが、そのイメージは、「物質の中に存在する」というものでした。
 
+++
 
たとえば大きな樹木や岩や、山や海や空をみて、「そのなかにいる」、と想像するものでした。
 
筆者はそういう神概念を「在物神(じぶつしん)」と呼んでいます。
 
「物」の中に存「在」すると想像される「神」という意味です。
 
+++
 
人類の心に自然発生したのは、在物神の神イメージだけでした。
 
そうしたなかで、紀元前1500年頃のある日、モーセに「オレは創造神」であり、「まことで唯一の神」だという啓示が与えられたのです。
 
啓示というのは、超自然的な存在から投げかけられるメッセージです。
 
世の中には、霊感に優れた人間もいますが、彼の口から出る言葉でもありません。
 
 
 
@@@
 
だがそういう話を聞くと、人はまず「モーセもそういって自分の考えを述べていたのだろう」と思います。
 
ところが、『旧約聖書』に記録された啓示を読むと、そうではない、ことがわかってきます。
 
+++
 
彼が受けた啓示の言葉は、兄のアロンが記録しています。
 
それらは『創世記』や『出エジプト記』『申命記』など、旧約聖書の冒頭の五冊の書物に記されています。
 
「モーセ五書」と呼ばれる、それら書物に記された長大な言葉は、とても、人間が考案できるものではない。
 
「律法」だけでも、膨大な文章量です。
 
それを読んでいくと、一人の人間が考案できるものでないことが、容易にわかってきます。
 
 
@@@
 
モーセが受けた啓示の中に初めて、万物の創造神という神概念が、人類社会に登場するのです。
 
イエスも、その神概念を受け継いで、教えを展開しています。
 
+++
 
それ以外に、純粋な創造神概念は人類の意識に、自然発生してはいません。
 
以後、他の宗教で語られる創造神めいた概念は、「聖書」の援用であり「言い換え」なのです。
 
そのことを正確に認識することを主目的として、鹿嶋は前回までの話を記しました。
 
 
(続きます)
 
 
 
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=天理教と聖書の奥義=7    ~親鸞『正信偈』にも証言が~

2023年04月30日 | 天理教と聖書の奥義

 

 
前回述べた「浄土仏教はキリスト教の言い換え」という認識には、筆者はもうひとつ根拠を持っています。
 
日本では浄土真宗が盛んな地域の信徒は、いまでも月ごとに集まって、『正信偈(しょうしんげ)』というお経を唱和します。
 
また、葬式にお経を頼まれたお坊さんも、これをよく唱えますが、このお経は親鸞が作成したものです。
 
 
+++
 
「♬ 帰命無量寿如来」(きみょうむりょうじゅにょらい)」
 
~で始まるその偈文は、いまも、浄土真宗地域の「講」(スモールグループ)の人々が唱和する「お経」の定番です。
 
 
@@@
 
 
その経文の中頃に、「♬善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)」、というフレーズがあります。
 
講のメンバーは唱和を途中で小休止して、お茶を飲んだりしますが、後半の唱和に入るとき、リーダー役がこのフレーズを高々と唱えます。
 
これが意味するところは、次のごとしです~。
 
 
+++
 
「善導」はかの「言い換え」の集大成者、善導上人です。
 
「独明」は、「一人だけが明らかにわかっていた」です。
 
「仏正意」の「仏」は釈迦、すなわち、お釈迦様です。
 
「正意」は「本心」です。
 
 
つまり、「善導上人お一人だけが、お釈迦様が言わんとした本心を明察しておられました」
 
~と親鸞はいっているのです。
 
 
+++
 
 
まったく、よく言うよね。
 
「本心(真の意味)」とは「人間は仏の教えを信じると極楽浄土に行かれるよ」ということです。
 
だけど釈迦は、涅槃(心の平安)をうる方法を探求する際、
神仏など超自然な要素など一切考慮に入れておりませんよ。
 
いれていたら、あんな思考は出来ません。
釈迦の試みたのは、哲学なのです。
 
+++
 
なのに「その教え(の本心)は、実は、浄土仏教の教えだった」という。
「善導上人だけは、そのことを悟っていた」
~上記のフレーズは、それをチャッカリ言っているのです。
 
ホントにもう・・・。
 
 
@@@
 
だが、親鸞のこの知識は、法然から伝えられたものに他なりません。
そして法然は、浄土仏教が善導上人(613-681)によって集大成された知識の体系であることを、
その著書『観無量寿経疏』を通して知っておりました。
 
それがお釈迦様の本心であるかどうかはともかくとして、
とにかくこの言葉は~、
 
「浄土仏教が仏教僧たちが作り上げた、福音(聖書)の言い換えの断片的知識を、善導がまとめ上げたものである」ことを、結果的に証言しているのです。
 
+++
 
浄土仏教が、キリスト教の「言い換え宗教」であることは、もはや明らかです。
 
だが筆者、鹿嶋はそのことを公言しませんでした。
 
突然そんなことを言われても、日本人はついてこられないだろう。
 
「鹿島春平太も狂ったか・・・」と思われるのが関の山だとみて、今日まで沈黙を守ってきました。
 
だが、もうそれを言い残しておくべき、と決心しました。
 
 
 
(続きます)

 

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=天理教と聖書の奥義=6    ~「言い換え宗教」である根拠~

2023年04月28日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

ところで、「浄土仏教はキリスト教の言い換え」だというと、「鹿島春平太も突然なにをいいだすか」
と思う人が多いでしょう。
歳とって痴呆化したのか~という人もいるだろうね。
 
だが実態はそう単純ではありません。
 
口に出すのは今がはじめですが、実は鹿嶋は、以前から「浄土仏教はキリスト教教義の言い換え」という認識への根拠をもっていました。
 
 
 
@@@
 
筆者は現役時代から、中国経済の研究グループにも属し、現地調査も一度ならず試みていました。
 
研究の一環として歴史も調べ、唐の時代の長安については現地調査しました。
 
+++
 
現在、長安という都市はなくなっています。
だが、それを9分の一に縮小した都市、西安(しーあん)が保存されています。
 
これには、さすが中国、と感心しました。
 
そこには、かつて100万人が住んだという世界最大の自由都市・長安のエッセンスが保存されています。
 
 
@@@
 
 
西安の近郊には、人の身長より大きな石の板が埋められていた土地がありました。
 
それには、自由都市長安に花開いた諸思想に関する記述がありました。
 
あの偉大なる国家、唐の末期に玄宗というおバカ皇帝がでました。
 
彼は突然儒教以外の思想を全部禁止しました。
 
皇帝の権力を使って、徹底した宗教統制を行いました。
 
その結果、自由都市長安に花開いた諸思想が、すべてなきものにされていきました。
 
+++
 
だがその思想活動を、心ある人々が文章にして、大きな石の石版に彫り込みました。
 
これも中国ですね。
 
彼らが、後世に伝えようとして石版を土の中に埋めた。
 
中国には孔子の昔から、貴重な言葉を石版に彫り込んでおく、という伝統がありました。
 
 
 
@@@
 
 
石版の本物は、博物館に収められてあるそうですが、レプリカは見られました。
 
それを見に来る人々で一番多いのは、西欧のクリスチャンだということです。
 
 
筆者は中国語が読めませんので、案内者の解説たよりでしたが、玄宗は狂ったように思想統制をしたようです。
 
長安で栄えた諸思想をみな、弾圧、禁止し、中国古来の儒教だけを信じるように政治権力で強制した。
 
こういうことをすると、国民の精神は萎縮し、国が崩れていくのです。
 
巨大なる国家は、皇帝が一人の女(楊貴妃)に溺れたくらいでは、崩壊しないです。
 
 
+++
 
ともあれ、思想統制の結果、ネストリウスキリスト教も、仏教も一時的に衰えてしまいました。
 
だが、人々に広く受け入れられた思想は、深いところで存続し続けます。
 
それらの事実と、石版に彫り込まれた文章などよって、我々は浄土仏教の出来方も察知出来るのです。
 
 
(続きます)
 
 
 
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=天理教と聖書の奥義=5    ~法然、日本の浄土仏教を確立~

2023年04月25日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

中国、唐の百万都市で発展した浄土仏教思想は、玄宗皇帝の思想統制で一時的に衰えたが、しぶとく存続はしました。
 
日本の平安時代後期に、比叡山でこの仏教思想の集大成者、善導上人の著書に出会って目を開かれたのが法然です。
 
彼はまさか、それがキリスト教の「言い換え」宗教だなどとは、夢にも思わない。
キリスト教なんて知らないしね。
法然はその思想を元に、日本の浄土宗を確立し、比叡山を下りて人々に説きました。
 
 
@@@
 
親鸞はそれを学んで、庶民に広く伝道しやすい教義に展開しました。
これが浄土真宗です。 教義の根本は全くと言っていいほど浄土宗と同じです。
 
 
<蓮如、一大勢力にする>
 
親鸞の教えは、彼から八代後の教祖、蓮如によって、爆発的に広められました。
彼は信徒を「講(こう)」というグループに組織化し、浄土真宗を一大社会勢力としました。
 
一向宗とも呼ばれたこの教えは、「死んでも極楽に行かれる」という教義によって、信徒を死を恐れない人にしました。
 
+++
 
こうした信徒は戦国時代には一揆勢力をも形成し、戦国大名をも脅かしました。
 
徳川家康も、若い頃、三河一向一揆を沈めるのに、散々な苦労をしています。
 
加賀の一揆勢力は、城主を追い出し、自ら戦国国家を形成しました。
 
大阪の石山本願寺は織田信長とも互角に戦い続けました。
 
木曽川沿いの三角州に出来ていた農民集落・長島では、長島一向一揆を起こして信長と戦いました。
 
+++
 
筆者鹿嶋は、その宗教(浄土真宗)思想圏に完全に含まれる、近隣の農村、蟹江に生まれ育ちました。
 
子供の頃には、講の人々が毎月、誰かの家の仏壇の前に集まって、親鸞の『正信偈(しょうしんげ)』を経文として唱和していました。
 
筆者自身も、小学生の時期には、報恩講という冬の時期に、近隣のお寺に行って、お経を習いました。
夕食後に、子供が集まって、毎夜檀那寺の和尚さんのところに行ったのです。
今でも『正信偈』は、かなり暗記しています。
 
(これらの風習は伊勢湾台風を契機になくなりました)
 
@@@
 
後にこの宗派は、京都に全国の浄土真宗の寺院を統括、統治する管理機構も形成しました。
 
今も京都御所と敷地を接する、西本願寺、東本願寺がそれです。
 
(続きます)
 
 
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=天理教と聖書の奥義=4    ~浄土仏教の考案~

2023年04月24日 | 天理教と聖書の奥義

 

世界三大宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教といわれます。
 
イスラム教の教典『コーラン』は、紀元後7世紀にマホメットが書いたものですが、それは聖書を使って、その論理を改造したものです。
そこにはアブラハムもモーセもイエスも出てきますが、そこで述べられる「アラーの神」は、聖書の神理念を頂いたものです。
 
 
+++
 
仏教はいまや複雑になっています。
現在では、「涅槃仏教」と「浄土仏教」の二種類になっているのです。
 
BC6世紀に、釈迦が創始した仏教は、涅槃仏教でした。
涅槃(ねはん)は、心の平安を意味しています。
 
釈迦は、すべてが死んでいく、この無常な物質世界に住む人間が、
できうる限り心の平安を維持して生涯を終えるにはどうしたらいいかを、
探求した方です。
 
その成果知識を、弟子たちが広めたのが涅槃仏教です。
そこには、神仏という超自然的存在とか、極楽浄土(天国)という概念など、存在しない。
 
思考上、出てくるはずがありません。
それが釈尊の教えた仏教で、仏教は本来そういうものでした。
 
+++
 
ところが、思想構造からしたら、対極ともいうべき浄土仏教が
いまや「私も仏教です」と鎮座ましましている。
 
一体どういうことか。
 
浄土仏教はどうして仏教に入ってきたのか。
 
これが日本人に、そして人類にも、明確に認識されていない。
 
聖書を知らないという理由が大きいからですが、いまこれを説明しましょう。
 
 
+++
 
浄土仏教は、釈尊よりずっとあとの、紀元後7~9世紀の、中国、唐に生まれています。
 
それは結論的に言うと、ネストリウス派キリスト教の教義を、仏教用語に置き換えた
、パロディー(模倣)宗教です。
 
唐の都、長安は自由な国際都市でした。
ここに入ってきたネストリウス派キリスト教は、主流派としてローマに陣取るカトリック派キリスト教によって、追放された一派です。
イエスに関する見解の相違から、異端とされ、追放され中国方面に宣教の道を求めたのです。
 
そこで展開されるキリスト教には、人間の創造神による救いと天国への希望が説かれていました。
 
これが多くの中国人に受け入れられ、教団は大繁盛しました。
これをみた、仏教(涅槃)僧侶たちは、これを仏教に取り入れたのです。
 
+++
 
取り入れる、といっても結局それは、仏教用語を応用しての、キリスト教の「言い換え」となります。
僧侶たちは、様々な言い換えを考案しました。
 
キリスト教の「天国」を「極楽浄土」に、悩みを「煩悩」に、平安を「涅槃」に言い換えたりしてね。
 
それら善導という有能な僧侶が総合しました。
 
こうして極楽浄土(天国の言い換え)に希望を抱く、浄土仏教が出来上がり、
それがまた成長を遂げました。
 
これによって仏教は、涅槃仏教と浄土仏教という複合体になったわけです。
紀元後7世紀のことです。
 
+++
 
キリスト教(聖書)の言い換えならば、万物の創造神概念は入ってきます。
 
浄土仏教もまた、聖書の神概念を頂いているのです。
 
 
(続きます)
 
 
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=天理教と聖書の奥義=3    ~福音(聖書)の奥義を直言していた!~

2023年04月23日 | 天理教と聖書の奥義

 

筆者の病室は、入院棟の四階にありました。
フロアーの一角にはロビーがあって、そこには天理教の教義が書かれた本も置いてありました。
 
それらの本によれば、教義は、聖書読みの筆者には驚くべきものでした。
 
簡明に表現されたそれの内容を箇条書きで書けば、次のようなものです~。
 
+++
 
1.この世界のすべては、創造神によってつくられている。
 
2.特に、人間は自分の子としてつくられている。
 
3.創造神は人間にとっては「親」であり、親神様である。
 
4.親神は、人間の親が子を慈しむように、すべての人を慈しんでおられる。
 
5.そのことを悟ると、人の心は不思議に「勇んで」くる(活性化する)。
 
6.すると、通常は「陰」であった気持ちが、「陽」に変わる。
  何をしていても、どんな境遇になっても「陽気」になる。
 
7.すると、病も去り、すべてが好転する。
 
 
+++
 
以上が中心教義ですが、続きもありました~。
 
8.「陽気暮らし」こそが、親神様が、人間に望んでおられる生き様である。
 
9.これが得られると、人間には、「人を助けたい」という心が湧き上がり、
  助けるのが「喜び」となる。
 
10.これらが親神を悟ると、自然に実現する。
 
 ~これらが、教祖(しんとは「おやさま」と読んでいる)、中山みきに与えられた、神からの啓示でした。
 
 
+++
 
 
詳しくは後述しますが、これらは聖書(福音)の奥義を、ずばり、直言しているものです。
 
 
1.の「この世界のすべては、創造神によってつくられている」は、
「まことの神は唯一で、万物を創造された創造神である」という聖書の奥義と同じです。
 
人類は神という概念を、「見えない、力ある方」といったように漠然としか抱いてこなかった。
だが今から3500年前の紀元前150年頃、モーセに現れた神は自分を
「万物を作った創造神であり唯一のまことの神である」と啓示しました。
 
これが旧約聖書に記されています。
 
宗教は何らかの形で神を語りますが、この創造神の概念を示すものは、聖書を教典とするもの以外にはなかった。
 
それが日本の幕末にできた天理教の教義には、そのものずばりででていたのです。
 
(続きます)
 
 
 
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=天理教と聖書の奥義=2    ~人々の利己心が薄く「たすけ心」が濃い~

2023年04月23日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

広大な本殿の周囲には、各地からやってくる参拝者の白い「詰所」たてものが、数多く並んでいます。
みな広大で、四階かそれ以上の建物です。
 
中を見た人に聞いたところでは、廊下はピカピカ、左右に部屋があって
ホテルのようだそうです。
 
ある人が「信徒に寄付させたものでしょう」といいました。
確かにそうですが、この詰め所は、生活に困った信徒を無料で生活させるようにもなっているそうです。
 
ここが寄付金とりっぱなしの教団と違うところです。
だから、信徒は、安心して生活できているのですね。
 
本殿を囲んでこれらのビルが群がる地帯は、ディズニーワールドのような一つの世界といった感じです。
 
 
 
+++
 
筆者の入院した病院はそのビル群の中の、本殿に近いところににありました。
 
 
至れり尽くせりで、看護師さんも驚くほどに親切。
普通の人間にある「利己心」というものが極めて薄い。
代わりに「たすけごごろ」ともいうべきものが濃く感じられました。
 
+++
 
手術の前日には、教育担当の教会員が「手術前のお祈りをしていいですか?」といってきました。
「お願いします」素直に応じると、長い祈りをしてくれました。
 
わたしはこのついでに、天理教の「あしきをはろうて・・・」という「お手振り」と
その意味を尋ねてみました。
 
担当者は、そのセリフの旋律とお手振りの仕方も教えてくれました。
 
(続きます)
 
 
 
 
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=天理教と聖書の奥義=1

2023年04月21日 | 天理教と聖書の奥義
最近、奈良県天理市の「よろず相談所病院」に、白内障手術で一週間ほど入院しました。
この入院で、「聖書読み」の筆者には、驚きの体験がありましたので、
ここに記します。
 
ここは天理教が運営している病院です。
 
名前通り、はじめは「よろず相談所」として始まった。
相談の中には、病に関わるものもあり、対処すべく病院もつくった、というところです。
 
 
 
+++
 
この一帯の天理教関係建物群と碁盤の目に整理された広い道路に、まず驚きました。
 
近鉄線と、JR線が交わる天理駅から南方向に商店街を歩くと、広大な天理教関係の建物群がありました。
 
中央には「本殿」という祈祷所が常時開いており、全国の信徒たちが祈祷に来ています。
「あしきをはろうて、たすけたまえ、天理王のみこと」とあちこちでお手ふりをして祈っています。
 
本殿の中央には、土の広場があり、その中央には甘露台(かんろだい)という台柱がある。
そこは「いのちエネルギー」が降りるところで、その上方には天井も屋根もなく、空に開いています。
 
それを取り囲んで、東西南北に畳敷きの祈祷者の大空間がある。
信徒は東西南北から中央の甘露台に向かって「あしきをはろうて・・・」とお祈りをしている、という風景です。
 
 
(南側から見た本殿の風景です)
 
+++
 
それらの畳空間は、地面から三メートルくらいく高く作られています。
入るには、靴置き場で履き物を脱いで、階段を上がって木の廊下に出なければなりません。
その廊下が、東西南北にある畳敷きの祈祷空間を取り囲んでいます。
 
階段も、その手すりも、廊下も、ピカピカで塵一つありません。
やってきた信徒が思い思いに、ぞうきんを持って、常に磨いているのです。
 
廊下の一定の位置には、きちんとたたまれた「ぞうきん」が積んであって、
「使用したものはこちらに置いて下さい」とかいてある。
 
この自由意志での働きを、天理教では「ひのきしん」といっていました。
 
+++
 
東西南北、各畳空間の外側の廊下には、中央部分にトイレに降りる階段もあります。
祈りに来た信徒さんのトイレ需要にも、しっかり答えている。
すべてが行き届いています。
 
トイレへの階段も、トイレもまた、ピカピカに磨かれていました。
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