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鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

水のバプティスマ(洗礼)

2006年05月29日 | キリスト教活動の歴史
(写真はクリックすると拡大します)



この教会で行われたバプティスマ(洗礼)です。

洗礼には大きく分けて二つの方式があります。
一つは水滴を受洗者の額に2~3滴垂らす方式です。
これを滴礼(てきれい)ともいいます。

もう一つは、海や川あるいは水槽に入って受洗者の全身を水に沈めてから出すという方式。これは浸礼ともいわれます。

バプティスト教会は浸礼をします。
聖書に記されているバプティスマ(洗礼)は水に沈める方式だった可能性が高いです。彼らは聖句主義者ですから、それに則ってかたくなに浸礼方式を守っているわけです。

+++

なお、バプティストという名前は、次のようにして出来たようです。
彼らは欧州で初めは、アナ・バプティストと呼ばれていました。
アナというのは、「再び」という意味で、アナバプティストは「再洗礼派」とも訳されてきました。

どうしてそう呼ばれたかと言いますと、彼らは浸礼以外の方式でバプティスマを受けた人が、彼らの仲間に加わりたいと希望してくるときには、浸礼でもって洗礼をやり直した、つまり再び洗礼をしたからです。

昔は、川や海岸でやりましたから、おおやけの目に付きます。
で、それを見た人々は、「あれは再洗礼だ」「奴らは再洗礼派だ、アナバプティストだ」と言いました。

+++

これがニックネームになって、最初はアナ・バプティストと呼ばれていました。
しかし、みんながそう呼ぶようになりますと、もう、アナという接頭語をつけてなくてもなに言っているかわかるようになるわけです。

そこで自然にアナがとれていって、バプティストと呼ばれるようになってきたようです。人間はモノを認知するとき、簡便なものを求める性向をもちますからね。

+++

この教会では、講壇の真後ろの高いところに、大きな浸礼水槽が設置されていました。礼拝に出席している信徒は、正面に浸礼を見ることが出来るわけです。礼拝の直前にこれをして、礼拝を行っていました。

教会の名前は、ベスタビア・ヒルズ・バプティストチャーチでした。


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聖句に支えられた慈愛教育

2006年05月28日 | キリスト教活動の歴史
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子供をスモールグループに分けて、貧しい子供たちへのプレゼント袋を造らせています。

前回の聖句は、この部屋のホワイトボードに書かれ、表示されていたモノでした。(写真の向かって右側の列に座っている女の子たちの背中の後方に置かれていたと記憶しています)

子供は色紙を型紙に沿って切り、それらを組み合わせて簡単な人形を作ります。簡単な縫い物も造ります。四角い色紙に言葉を記します。それらを飴やガムと共に袋に入れ、プレゼント袋にする。

こうして貧しき者に慈愛を注ぐことを学んでいました。大人の教会員が彼らの学びをたすけています。サザンの教会は、ホントに教育熱心です。常に教育の場面が観られる。日本流に言ったら教育マニアという言葉がぴったりでしょう。

+++

こうした活動は、日本でもできるし、所々でしているのではないかと思います。
貧しい人にモノを与えることは、人をすがすがしい気持にします。

ただ、それだけですと、その場の気持的、情緒的体験で終わります。
情緒は時と共に流れ去ります。

このサザンバプティスト教会では、聖句をかかげ、その意味を子供なりに解釈させながら行います。そうすると、慈愛の精神が言葉によって支えられ、定着するわけです。この言葉を彼らは成長する中で目にし続けていきますから。

+++

こうした活動がほとんどのバプティスト教会でなされますと、この地域には安定的な慈愛心の育った人間の層が厚くなります。こうした風土に接した外部者はそれを特徴的に感じます。

 そこから「サザンホスピタリティ(南部の親切)」という言葉ができあがりました。それは教会の人に特に顕著で、春平太もそれに周期的に接し、お世話になり、忘れられないものとなっています。

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貧しき人を慈しむ者は

2006年05月28日 | キリスト教活動の歴史
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 これは別のバプティスト教会での写真です。
 ホワイトボードに、箴言14章21節の聖句が書いてあります。

 「貧しき人に慈悲深い者は(創主に)福を与えられます」

 小さな漫画が添えられていますね。
文字の書き方からしても、子供に向けたメッセージなようですね。

 はたして、なんのためのものでしょうか?
 次回に種を明かしますね。



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日曜学校教師準備室

2006年05月26日 | キリスト教活動の歴史


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 先回提示しましたリーダー会議がもたれていた部屋の入り口にかけられていた看板です。

 月曜日の10時から11時までは、サンディースクール教師が準備をするためにリザーブされていることを示しています。
サンディースクールとは、主として子供のための日曜学校です。

そこで教える教師(教会員のボランティアー)たちは、諸資料、道具などを個々に取りそろえ、会議し準備するわけです。

+++

写真の下部には、前回の写真でのスモールグループバイブルスタディのリーダー会議が日曜日夕方に使用するよう予約されているという看板がでています。リーダーがティーチャーとなっていますね。

前回の写真に見えている部屋に続いて、もう一部屋が奥にあります。

サザンバプティストの教会は、全般的に教育活動が盛んなようです。この教会も学校みたいでもありました。教師の準備作業も半端じゃないんですね。それを通じて担当のリーダーも成長していくんでしょう。


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スモールグループリーダー会議

2006年05月24日 | キリスト教活動の歴史
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 朝の礼拝前にバイブルスタディをするスモールグループをリードするために、リーダたちが事前にしているリーダー会議。
ご紹介している同じ教会のものです。

 聖句探求主義をとるサザンバプティストの教会は、バイブルスタディをいのちにしています。そこで礼拝前に、礼拝と同じ時間を取ってスモールグループを形成し、聖句解読の案をもちよって討議するのです。

 スモールグループにはリーダーを必ずおきます。これには例外がありません。選ばれたリーダーたちは事前に集まって会議します。この教会では取りあげるテーマを毎週共通にしていました。

 リーダーたちは、該当聖句について、どのような解読があり得るかなどへの見解を呈示しあっています。その他にも、新しい参加者が来たときにどのようにして緊張を解いてあげたらいいか、若い人の場合は、他の教会から移ってきた人の場合は、等々を、互いの経験を呈示しながら知恵を探ります。

+++

 写真は経験豊かなシニアーリーダーたちの会議です。より若い世代のリーダーは、社会の現役ですから、別の時間に集まったり、ぶっつけ本番で会をリードしたりしていたようです。シニアーの彼らは、日曜日の夕拝前に次週のバイブルスタディの準備として一時間討議します。それから夕拝にでるわけです。中央で会議をリードしている比較的若い男性は、副牧師です。


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夕拝後の子供ミュージカル

2006年05月22日 | キリスト教活動の歴史
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同じ「ハフマンバプティストチャーチ」夕拝後の、子供ミュージカルです。

音楽は「ユニバーサルランゲッジ(世界共通語)」といいます。
世界人類全てが、単調の和音を聞けば、悲しげでメランコリーな気持になります。長調の和音を聞けば、前向きで、明るく積極的な気分になります。これは人類共通なんですね。

+++

ミュージカルは、通常の演劇でのセリフに音楽の要素を組み入れていると思ったらいいのではないでしょうか。

音楽だけでは、伝えるメッセージが情緒的で、言葉のような論理的明晰さに欠けます。

けれども、言葉で論理だけを伝えられていると、人は飽きやすいです。
この飽きそうだなあ、という頃に、セリフを音楽に乗せて語らせる。

音楽によって加味された情緒に飽きそうな頃に、さっと、普通のセリフに切り替える。そして、最後の大団円では全員舞台に登場して劇のテーマを合唱する。

~~これがミュージカルの妙ではないでしょうか。

<小学校教育でも>


サザンバプティストの教会では、ミュージカルを子供に演じさせることによって、自己表現の意欲、技法を身につけさせようとする例が多いようです。

この地域の小学校でも、ミュージカルによる教育がしばしばなされます。父兄が参観しますので、親子のコミュニケーションにも役立っているようです。

でもこれはバプティスト教会の知恵を学校が取り入れたのでしょう。
このほかにも、バプティスト教会の教育の知恵が学校に(大学院にすら)取り入れられている例があります。おいおいご紹介出来るかと思います。


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シニア教会員のミュージカル合唱

2006年05月21日 | キリスト教活動の歴史
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 前回写真で紹介したミュージカルの最後に、全員が劇物語のテーマを歌っています。
ハーモニーも見事で、サザンバプティスト地域は“芸どころ”かと思わせます。
日本の沖縄のように。

 教会名は、ハフマンバプティストチャーチ。ダウンタウンのビジネス街に近い教会で、メンバーみずからがブルーカラーチャーチといっていました。

でも、みんな知的で、聖書を信頼し、生涯聖書を調べ続け、聖書によく通じていました。
教会の老人たちは、みな満ち足りて仕合わせそうな顔をしていました。



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サザンバプティスト教会夕拝でのシニアミュージカル

2006年05月21日 | キリスト教活動の歴史
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「ヨハネ伝」11章25節の聖句の解読が、一段落しましたので、世界の福音事情紹介に転じてみましょう。

これは米国南部アラバマ州のバプティスト教会。
この教会では日曜日が一日中教会デーになっていました。
朝はスモールグループのバイブルスタディをし、その後で礼拝をします。
昼食を各グループや自宅でとったりして午後は静養します。

そして夕方に再び教会に来て夕拝をするのです。
その後、ゴスペルシンガーを呼んでコンサートをしたり、教会メンバーによるミュージカルを上演することもあります。

写真は、シニア(年配者)によるミュージカルの一場面です。
よく練習されていて、セリフも歌唱も素人離れしていました。
福音を伝道してもてんで受け付けない婦人について「どうしたら伝えられるんだろうねぇ」と二人の女性が知恵を出し合っている場面です。

右後方にかすかに見えているのは、コーラス担当の老人たちです。
ストーリーが展開する中で、彼らは周期的に立ち上がって歌います。

左上方に見えている映像は、大型スクリーンに映された舞台の状況です。


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ギリシャ正教会の聖餐式

2006年05月01日 | キリスト教活動の歴史
連休で、春平太もまた一週間ほどお休みいただきます。
みなさん出来れば、過去の投稿を読んでみてくださいね。

(インターネットが使えたら、投稿したいと思っていますが・・)

+++

写真は、ギリシャ正教会での聖餐式です。
パンを葡萄酒に浸して、スプーンにのせて子供に食べさせています。

聖餐というのは、「聖なる晩餐」という意味です。

イエスは、十字架にかかって死ぬ前の夜に、弟子たちにパンを割いて与え「これは私の身体です、私を記念してこれを行いなさい」といいました。
また食事の後で葡萄酒を与え、「これは罪を許すために多くの人のために流される私の契約の血だ」と言いました。

 そこでカトリックの教会では、集まって礼拝するごとにこれを行います。
プロテスタントや聖句主義の教会では、毎週の礼拝の内、月に一度、これをします。毎週すると形式的になってしまうおそれがあるので、そうしているようです。

 カトリックでは、幼児洗礼をしますので、幼児はクリスチャンです。そこで聖餐をしてパンと葡萄酒を与えねばなりませんが、子供に葡萄酒を飲ませるのは難しいですよね。

 そこで、パンに葡萄酒を浸してあたえるという、ウルトラCのアイデアを考えつきました。
 ギリシャ正教会でもそうなっているのでしょうか、この写真は、葡萄酒を浸したパンを子供に与えている場面です。


ギリシャ正教会といっても、東欧の国のではありません。
米国ミシガン州の教会です。

米国には、こういう礼拝を好きな人もいるんですね。
するとギリシャ正教会も、成立し存続して行く。

こうして出来る多様性がいいですね。

+++

なお、聖餐におけるパンと葡萄酒に関する解釈も、カトリックと聖句主義教会では違います。
カトリックでは、それらはミサ(礼拝)における司祭の祈り(聖別の祈り)によって、キリストの肉と血に変化する、と考えます。もちろん見た目には変化しませんが、その実態が変化するというのです。

これを「聖変化」といい、また、こういう説を「化体(かたい)説」と言います。
ギリシャ正教会ではどうでしょうね。
同じではないでしょうか。

聖句主義の教会では、そういう変化をするとは考えません。
パンはパンで、葡萄酒は葡萄酒です。

そうではありますが、これをイエスが「私を記念して行え」と命じたので、その命令に従順して行うことに意義があると考える例が多いようです。


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バーミングハム日本人教会

2006年04月30日 | キリスト教活動の歴史

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アラバマ州バーミングハム市の日本人教会です。
米国の日本人教会は礼拝後に軽食の会を持つことが多いです。
愛餐会とよんでいます。
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ジュネーブアカデミー学生名簿

2006年04月29日 | キリスト教活動の歴史
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 「ジュネーブアカデミーの当時の学生名簿はありますか?」
と尋ねると、司書さんは「ある」と応えました。

 「内部を観たいのですが・・」というと、自らの手で(鹿嶋には触らせないで)開いて見せてくれました。

+++

 カルヴァンはある時、自らのプロテスタント神学を欧州の若者に伝えるべく、ジュネーブ共和国に神学校を設立しました。それがジュネーブアカデミーです。

 彼はそこで育成した若者を、全欧州に放ちました。

<長老派教会国教に>

 英国の卒業生たちは、英国スコットランドでカルバン神学を広め、教会を設立していきました。それが長老派教会と呼ばれるようになりました。

 彼らは英国教会が国教だった英国において、これと戦い長老派教会をスコットランド地区の国教にまで仕立て上げました。英国の北半分が、カルヴァン主義教会を国教にするようになったのです。

<オランダ独立運動>

 オランダではカルヴァン神学思想は、独立戦争を引き起こしました。
当時この地域は、カトリック宗主国スペインの属領になっていました。これにたいして人々は80年間という気の遠くなるような長期にわたり、カトリック勢力と戦い続けました。

 この根気はどこからやってくるのでしょうか?

 昔のカトリック軍隊は、ブッチャー(屋)ともいうべき存在で、異教徒を魚を料理するように殺していきました。あちこちで大殺戮を受けながら、オランダ人はとうとう独立を勝ち取りました。その理念の種は、ジュネーブアカデミー卒業生がまいたものでした。

 カルヴァン派の教会は、オランダではオランダ改革派教会、と呼ばれるようになりました。


<ユグノー戦争>

 フランスでも、カルバン神学は卒業生たちによって広められ、改革派の教会が各地に出現していきました。これを絶滅させようとしてカトリック軍隊が動き、宗教戦争が始まりました。

 フランスのカルヴァン派は「ユグノー派」と呼ばれました。それでこの戦争は「ユグノー戦争」とも呼ばれています。
 
 フランスでは、カトリック勢力が強固で、途中二転三転しながらも、最後はカトリックが支配権を手中にしました。けれどもジュネーブアカデミーがこの国で巻き起こした渦は、やはり強烈なものがありました。

 それは後のフランス革命の理念地盤になっていきます。

<気宇の大きい人物だった>

 一般に、「ルターはドイツにプロテスタント運動を開花させ、カルヴァンはそれを全欧州に拡散させた」といわれます。まさに彼の働きは人類史船の舵をぐいと切り変えるものでした。

 インク手書きの名簿には、入学生の名前と出身国が列挙されていました。初年度からかなりの数の留学生を受け入れ、2年目にはその数は二百数十名に達していたように記憶しています。

 これには春平太は驚きました。
普通、新しい学校を始める時我々は、「小さく産んで大きく育てる」というようなことを考えます。でも、カルヴァンにはそんな観念は毛頭なかったようです。

 自分の寿命の残っている間に、全欧州に宗教改革を根付かせねば、と考えたのでしょうか。最初からすごい数の学生を受容していった。どうやって面倒みたのだろうか、その費用の捻出は? 鹿嶋のような凡人は考えてしまいます。

 カルヴァンは気宇の大きな人物だったんですね。大物官僚の器。
 手書きの名簿は当時の空気をなまなましく発散し、またしても唖然と口を開ける春平太でした。

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カルヴァン古書室

2006年04月27日 | キリスト教活動の歴史
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カルバン関係資料の古書室です。
カルバン資料館の中にあります。

カルヴァン当時の彼の著書や、使用図書、草稿など、ジュネーブにあったものをかき集め保存した一室ということでした。
そこだけは鉄格子のついた扉で区分されていて、鍵がかかっていました。

貴重な古文献が多いようで、中は、湿度温度が調整され、書類の劣化がなるべく進まないようにされていました。

案内の方の計らいで特別に、古書類司書(写真の女性)の方と同行で入室させてもらいました。背表紙にカルバンの手のあとと息吹が残っているかのようで、唖然として口を開け眺めている春平太です。

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カルヴァン資料館

2006年04月26日 | キリスト教活動の歴史
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 カルヴァンカレッジの中にあるカルヴァンに関する資料を集めた資料図書館です。

 上部に書かれている名前は、おそらく寄付者の名でしょう。
 米国では寄附控除制度がとても進んでいて、資産家はよく寄附します。
大学の建物には、人の名前が付してあるものが多いのですが、ほとんどは寄付者の名です。

 ロイス・ホールはロイスさんが寄附して建てた建物、と言うが如くです。

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カルヴァンカレッジ

2006年04月26日 | キリスト教活動の歴史
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米国ミシガン州にあるカルヴァンカレッジ(大学)の看板前。

宗教改革の立役者、ジャン・カルヴァンの神学を研究・教育する神学校から始まって、現在大学に発展していますが、大学の中核は依然として神学校です。

設立・維持・運営しているのは米国のオランダ改革派教会です。

宗教改革時代、カルヴァン神学で運営される教会は、本部のジュネーブでは「改革派教会」と呼ばれていました。

 それが英国では「長老派(プレスビテリアン)」と呼ばれ、
 フランスでは「ユグノー派教会」と呼ばれ、
 オランダでは「オランダ改革派(ダッチリフォームド)教会」と呼ばれるようになりました。

 呼び名は異なりますが、ルーツはカルヴァン派で同じです。

 そして、カルヴァン派の諸活動はいまでは米国で中心的に行われています。欧州はほとんど「もぬけの殻」といった印象です。

 そのうちでカルヴァン神学の研究・教育の本山が、このカルヴァンカレッジとなっています。

 向かって左側の方は日本人の神学者で、この日鹿嶋のためにキャンパスを案内してくださいました。

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さわやかで洗練された広告

2006年04月23日 | キリスト教活動の歴史
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 1998年に米国でバス旅行したときに、長距離バス会社グレイハウンドバスの駅内部の壁にあった広告ポスター。

  「一緒にいたい人と一緒にいなさいよ」というキャッチコピーと、暖かくもさわやかな写真。下方に小さく(そっと、さりげなく)「グレイハウンドで行こう」の文字。洗練されたクリエイティブセンスが印象的でした。

 これって、このままたとえばチョコレートの広告にも使えそうではありませんか? もちろん、長距離バスよりはつながりは薄くなりますけれど。

 広く奥深いイメージ世界を提示すると、ブランドとのつながりもまた奥深いところでそっと柔らかに形成することが出来ます。すると効果の持続する広告が成立します。

 「ベニーヒンクルセード」ボルティモア聖会に向かう途中でした。

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