昨日「祭りのあと」の記事を掲載したら、ツイッターとブログに、返信とコメントをいただいた。そして、吉田拓郎の「祭りのあと」の歌詞の引用にまで至った。5名の方にコメントをいただいたのだが、久しぶりに吉田拓郎という名前を思い出すことになった。昔はそれなりに聞く機会があったが、久しくご無沙汰していた。
1972年から1973年、21歳から22歳にかけては、私は実にいろいろ悩んだ時期でもあり、社会的にもとても凄惨な事件が相次いだ。個人の内面の悩みと社会の事象が、私の思考をとても暗く、下方に引き下げていた時期である。
それをうまく表現できないできた。今も表現ができない。
先日、神奈川県立近代美術館で宮崎進展を見た。いつものことであるが、展覧会というと作品の制作年にとてもこだわって作品を見ることにしている。作品が描かれたとき、作者は何をしていた頃か、そして私自身が何をしていた頃か、それを思い返しながら作品を見る。そうすると作品を理解できる糸口をつかんだような気になることが多々ある。 本当は作者と私の間には共用した時間などまったくないのだが、あの時期の社会の動きを作者はどのように感じたか、私はこう思っていたよ、とその作品を前にして対話をしているような気になる。それがとてもいい時間である。作者と時間を共用した気になることができる。作者がとても身近な存在に見えることが多い。
だが、今でもたとえば同年代の作家などの作品を見ても、1972年から1975年くらいまでの作品について、虚心で向き合うことは難しい。何かしらの拒否反応などを押し殺して作品と向き合う。同年代の作家のものでなくとも、その当時の作品だけはかなり身構えてからでないとつい通り過ぎてしまうこともある。
不思議なのだが、この時期私なりにいろいろ悩んでいたわけだが、ある作家なりが明るくその時期を過ごしていたとすると、あるいは明るい未来を信じたような作品を描いていると、その途端に拒絶反応が内臓と頭脳の両方から湧き上がってくる。そんなことを経験したことが、読者の皆さんにはないだろうか。
自分の若い頃の経験をキチンと扱っていないと、どんな作品もダメな作品に見えてしまう、そんな自己絶対化のようなことが繰り返して行われていないだろうか。作品を鑑賞する態度としてとてもまずいことのような気がしている。
私にはそんな瞬間がよく訪れる。
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1972年から1973年、21歳から22歳にかけては、私は実にいろいろ悩んだ時期でもあり、社会的にもとても凄惨な事件が相次いだ。個人の内面の悩みと社会の事象が、私の思考をとても暗く、下方に引き下げていた時期である。
それをうまく表現できないできた。今も表現ができない。
先日、神奈川県立近代美術館で宮崎進展を見た。いつものことであるが、展覧会というと作品の制作年にとてもこだわって作品を見ることにしている。作品が描かれたとき、作者は何をしていた頃か、そして私自身が何をしていた頃か、それを思い返しながら作品を見る。そうすると作品を理解できる糸口をつかんだような気になることが多々ある。 本当は作者と私の間には共用した時間などまったくないのだが、あの時期の社会の動きを作者はどのように感じたか、私はこう思っていたよ、とその作品を前にして対話をしているような気になる。それがとてもいい時間である。作者と時間を共用した気になることができる。作者がとても身近な存在に見えることが多い。
だが、今でもたとえば同年代の作家などの作品を見ても、1972年から1975年くらいまでの作品について、虚心で向き合うことは難しい。何かしらの拒否反応などを押し殺して作品と向き合う。同年代の作家のものでなくとも、その当時の作品だけはかなり身構えてからでないとつい通り過ぎてしまうこともある。
不思議なのだが、この時期私なりにいろいろ悩んでいたわけだが、ある作家なりが明るくその時期を過ごしていたとすると、あるいは明るい未来を信じたような作品を描いていると、その途端に拒絶反応が内臓と頭脳の両方から湧き上がってくる。そんなことを経験したことが、読者の皆さんにはないだろうか。
自分の若い頃の経験をキチンと扱っていないと、どんな作品もダメな作品に見えてしまう、そんな自己絶対化のようなことが繰り返して行われていないだろうか。作品を鑑賞する態度としてとてもまずいことのような気がしている。
私にはそんな瞬間がよく訪れる。
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