Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

祭りのあと、再論

2014年06月18日 20時06分09秒 | 読書
 昨日「祭りのあと」の記事を掲載したら、ツイッターとブログに、返信とコメントをいただいた。そして、吉田拓郎の「祭りのあと」の歌詞の引用にまで至った。5名の方にコメントをいただいたのだが、久しぶりに吉田拓郎という名前を思い出すことになった。昔はそれなりに聞く機会があったが、久しくご無沙汰していた。
 1972年から1973年、21歳から22歳にかけては、私は実にいろいろ悩んだ時期でもあり、社会的にもとても凄惨な事件が相次いだ。個人の内面の悩みと社会の事象が、私の思考をとても暗く、下方に引き下げていた時期である。
 それをうまく表現できないできた。今も表現ができない。

 先日、神奈川県立近代美術館で宮崎進展を見た。いつものことであるが、展覧会というと作品の制作年にとてもこだわって作品を見ることにしている。作品が描かれたとき、作者は何をしていた頃か、そして私自身が何をしていた頃か、それを思い返しながら作品を見る。そうすると作品を理解できる糸口をつかんだような気になることが多々ある。 本当は作者と私の間には共用した時間などまったくないのだが、あの時期の社会の動きを作者はどのように感じたか、私はこう思っていたよ、とその作品を前にして対話をしているような気になる。それがとてもいい時間である。作者と時間を共用した気になることができる。作者がとても身近な存在に見えることが多い。

 だが、今でもたとえば同年代の作家などの作品を見ても、1972年から1975年くらいまでの作品について、虚心で向き合うことは難しい。何かしらの拒否反応などを押し殺して作品と向き合う。同年代の作家のものでなくとも、その当時の作品だけはかなり身構えてからでないとつい通り過ぎてしまうこともある。
 不思議なのだが、この時期私なりにいろいろ悩んでいたわけだが、ある作家なりが明るくその時期を過ごしていたとすると、あるいは明るい未来を信じたような作品を描いていると、その途端に拒絶反応が内臓と頭脳の両方から湧き上がってくる。そんなことを経験したことが、読者の皆さんにはないだろうか。
自分の若い頃の経験をキチンと扱っていないと、どんな作品もダメな作品に見えてしまう、そんな自己絶対化のようなことが繰り返して行われていないだろうか。作品を鑑賞する態度としてとてもまずいことのような気がしている。
 私にはそんな瞬間がよく訪れる。



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大量の汗をかく

2014年06月18日 18時29分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日、横浜の最高気温は23℃を下回ったようだ。湿度は64パーセントとのこと。小雨が降り、家を出た時は少し肌寒いくらいに感じたが、どうも体調が朝からピリッとしなかった。講座が開かれているみなとみらい地区まで、本日は歩かずに電車を利用して桜木町駅経由で向かった。電車の中やビルの冷房がつらかった。23℃未満だから冷房の必要はないはずなのだが、除湿のためなのだろうか、冷房が使われていた。通過するビルによって冷房の強弱に差があり、雨降る外も歩いて会場に向かったが、とても体にこたえた。普段はその気温や景色の変化を楽しむゆとりがあるのだが‥。
 お昼になって講座が終了すると同時に、所用で東横線で日吉駅まで行ったのだが、駅を降りると汗が後頭部から背中の肩甲骨にかけて大量に吹き出てきた。
 いつも登山に携行食として持っていく栄養補給用の菓子を塩分補給を兼ねてひとつ購入し、お茶と一緒に食べてみた。しばらくして発汗は止まり、落ち着いたので蕎麦屋で昼食。その後は落ち着いていたが、夕方帰るときに30分ほどゆっくり歩いたらまた大量の汗が出てきた。
 帰宅後汗を流してしばらく休養をとってようやく落ち着いた。血圧は特に異状はなかったが、何が原因だったのだろうか。急に湿度が高くなったためだろうか。あるいは冷房による体温調節がうまく機能しなかったのだろうか。
 ネットで大量の汗をかく症状を調べると、甲状腺機能障害だとか、糖尿だとかの情報が飛び交っているが、ともにあてはまらない。




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