Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

運動不足

2014年06月21日 23時40分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日具合が悪かったが、昨日からはすっかり元気になった。
 今日は朝から天気が良かったので、久しぶりに新横浜までの往復10キロ超のウォーキングをしようかと思ったが、どういうわけか思っただけで終わってしまった。朝9時からの歯医者の予約があってそれを理由に、何となくサボったような結果になった。

 少し運動不足が続いている。みなとみらいの教室までの往復だけではどうも汗の出方が中途半端のような気がする。しかも講座を受講するには汗だくになってはまずいので、スピードは控えめにならざるを得ない。毎日ではつらいが週に2~3回は存分に汗をかきたいものである。
 明日は時間的に厳しい。明後日午前中は可能だが、雨の予想。
 逡巡してグズグズと先延ばしにならないようにしないといけない。

 そろそろ退職者会のブロックの会報7月号の編集作業に入らなければならないようだ。7月号は順番から行くとA4で4頁仕立ての予定。報告記事がそれだけあればいいのだが‥。

 本日は「アート鑑賞を楽しむ西洋美術基礎」の4回目が終了。再来週が最終回。もっともさらに3回、7月から9月まで同じ講師で美術展の見どころ・解説を中心とした講座も受講予定となっている。小人数だが(少人数故にか)楽しい講座である。
 そして明日は「宮沢賢治を読む」の最終回。

 昨日「宮崎進」展の感想の第1回目をかろうじてアップしたが、2回目も鋭意努力しないといけない。どの程度頭の整理が出来るか、わからないことをまず整理しないと前に進めない。何かとても難しい宿題を背負込んだ感じだ。

 最近お酒を一緒に飲んだ仲間から「いぶりがっこ」を1本いただいた。愕関節症で治療中なので噛めないが、せっかく貰ったのでどうしようか悩んだ。やむなく、3ミリ角位に小さく刻んで、熱いご飯の上にのっけて食べたらおいしかった。
 噛み切れないので残念ながらお酒のツマミにはできない。
 しかしあの匂いがいい。妻に言わせると「燻(いぶ)くさい」というのだそうだ。昔の囲炉裏端、あるいは一昔前の山小屋の匂いである。懐かしいという言葉がぴったりである。最近は薪ストーブの山小屋もなくなったので、そんな匂いもしなくなった。


 と、本日の反省と、しなくてはいけないことを少しだけ整理して、本日は早めに就寝することとしよう。



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ゴッホ「ひまわり」

2014年06月21日 20時39分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ゴッホのひまわりは全部で12点あることになっているが、私が見たひまわりはどれだったか、覚束ない。見た記憶はあると思っているが‥。ということで過去の図録を調べてみた。
 1976年の国立西洋美術館での展覧会の図録にはひまわりの作品は出品されていない。同じ国立西洋美術館で行われた1985年の展覧会の図録にもない。1995年に横浜美術館で開催された「オランダクレラー=ミュラー美術館所蔵 ゴッホ展」にもひまわりは無い。昨年仙台の宮城県美術館で開かれた「ゴッホ展-空白のパリ時代を追う-」でも見ていない。
 ということは、本などで見たことしかないことになる。見たという記憶は記憶違いということになりそうだ。

 そして昨日損保ジャパン東郷青児美術館に行ったとき、ゴッホの「ひまわり」(1888年)を目にした。ロンドンのナショナル・ギャラリーの「ひまわり」(1888年8月)をもとに描かれたものということの説明がある。

まず、その大きさにビックリした。1メートル×76センチほどの大きさ。思った以上に大きい。ガラスケースに入っている実物は上が私の頭のはるか上である。大きいゆえの迫力もある。しかしそれだけではない迫力がある。
 画面全体が黄色のグラデーションといってもいいくらい黄色が溢れている。茎や愕、蕊、花瓶とテーブルの輪郭線の緑と青を除けば、テーブルも花瓶も背景の壁も黄色である。このような配色では花は却って目立たないと思うのだが、不思議なことにこの絵を目の前にするとそんなことは微塵も感じられない。
 黄色の着色がひとつひとつの花で微妙に使い分けられ、さらにタッチが非常にこまやかである。ひとつの花に着目すると、他の花が光景に追いやられ、その花だけが目にいっぱいに広がってくる。これはとても不思議な感覚である。これはテーブル・花瓶・壁のタッチと花ひとつひとつのタッチ、絵の具の厚みの違いが大きく作用しているようだが、それ以上の詳しいことはわからなかった。
 さらに盛りを過ぎた花は横向きに多く描かれている。左下の花などはかなり盛りを過ぎているようだが、茎があんなに曲がっていては下に垂れるだけで、あのような形で静止することなどあり得ない。あり得ない時間と空間を強引にひとつにまとめ上げて、不思議な空間を作り上げることに成功している。
 日本の絵の特徴として時間の推移が一つの画面に混在することがあげられるが、ゴッホは同時にありえない空間もひとつの画面に映し込んでいるのではないだろうか。
 ゴッホのひまわりの人気の秘密に触れたような気がした。



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シューマン「クライスレリアーナ」外

2014年06月21日 12時26分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 朝からシューマンの「クライスレリアーナ」(1838年、作品16)を聴いている。
 シューマン(1810-1856)という作曲家はあまり聞く機会が無いのだが、伊藤恵が「シューマニアーナ」と題してシューマン全曲演奏を録音したものの第1巻を聴いて惹かれた。
 特にこの「クライスレリアーナ」はシューマン自身が「自己のピアノ曲の中でも最良のもののひとつ」といっていたものという。
 第2曲のメロディーは病みつきになる。

 一緒に収録されているのは「幻想小曲集作品12」(1837)と晩年の「幻想小曲集作品111」(1851)。この晩年の作品111も私の好みの曲想である。
 親しみの湧く曲想ということならば、ピアノの作曲家では多くの方はショパンの方につい手があがってしまう。私もそうなのだが、ピアノの演奏家はシューマンへの評価が高い方が多いと聞いたことがある。そこらへんの秘密を教えてもらえると聴くときの参考にしたいと思っている。
 私にはシューマンという作曲家はどうも曲によって惹かれる・惹かれないの落差が大きい。多分私の聴く姿勢に問題があるのだろうが、もっと聞き込むか、勉強をしなくてはいけないようだ。



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