Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

悩んでいる

2014年06月23日 23時42分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 今日あらためて宮崎進展の図録を見ている。その2を書くためにもう一度私の頭を整理しないといけないと思ったからだ。ただしそんなに立派なことは書けないと思っている。土台いくつかある著作もまだ読んでもいないし、購入してもいない。感想を書く資格はないと云われるかもしれない。
 でも絵画であり、彫刻作品なのだから著作を介さずとも感じた何かは書けるはずだと、図々しく思っている。

 いくつかわからないままのものはそのままにして後日理解出来たらまた書くしかない。そのわからないことのひとつが副題にもなっている「立ちあがる生命」という名をつけられた彫刻作品のあの青い色。他の作品には使われていないあの輝くような鮮やかな青。これがあまりに唐突に思える。他の作品の色は、色自体の自己主張というよりも画家の思いに従属するようにしかその役割を与えられていない。しかしこの作品は青い色が、色として自己主張しているように見える。それが画家の体験とどう結びついているのか、わからない。

 感想を忘れているのではなく、どう書いていいかわからなくて悩んでいる。著作は今週中には取り寄せの注文をする予定なので、ひょっとしたらそれを手に入れてから、その3が書けるかもしれない。その3は多分だいぶ先になりそうである。



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誇りを持てないのはこの手の政治家がいること

2014年06月23日 21時20分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今回の都議会でのセクハラ野次問題、あまりに情けない日本の政治家の資質をあらためて見せつけた。「自虐史観で教育された日本人は自国に誇りを持てない」という論理がまかり通っているが、「誇り」を持てないのはこの手の政治家がいることなのではないのか。こんな政治家が「国益を守る」「国家を守る」といっても信用してはならないと思う。
 以下限られた情報の範囲で私の感想を書いてみた。

 今や企業でも公務員の職場でも、人権研修は今や最低限の課題になっているはずである。社会人として最低限身につけなければならない事柄である。ところが議員こそ人権研修が必要だというのはあまりにひどい話である。企業や公務員の職場でこんな発言をしたら、間違いなく懲戒処分対象である。
 議員も公務員である。公務員としての最低限の倫理、社会人としての最低限のマナー・規律が守れなければ政治家であることなど失格である。「政治家だから身につけていなくてもいい」というものではない。政治家の特権など、社会の常識とかけ離れてはあり得ないのである。即刻議員を辞職してもらいたいと思う。私はあの発言は犯罪に等しいと思っている。
 しかも、自民党の石破幹事長が「結婚したくても、できない人たちのためにも、党全体として、さらに強力に政策の実現に取り組む」と述べたが、基本的な認識が間違っていると断定できる。
 子を産み、育てたいと思える社会をつくること、あるいはそれができる社会環境・労働環境の整備は当然にも行政と政治の責任というのが前提であるが、「結婚する、しない」「子を産む、産まない」は男女の関係の中で当該の男女が判断するべき内容である。「結婚したくても、できない人」とは何を意味しているのであろう。私には理解できない言質である。男女の関係にはさまざまな事情があるはずである。
 当の鈴木章浩都議は「私の不適切な発言で、東京都議会や都民に多大なるご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」と述べているが、他人事のようなこの発言にも大きな違和感を持つ。「不適切な発言」といういい方はいかにも「本意ではない」という言い訳が隠れている。「本意ではない野次」というのは誰かにそそのかされてしゃべったとでもいうのであろうか。野次というのは人から強いられて云わされるものではない。それはどう考えても「本意」である。
 これは本人の政策・公約である「子育て支援の充実」「女性が働きやすい社会の実現」が実のところは、女性が「生むだけの存在」「女性だけが育児」という男女共同参画の精神からは程遠い意味での公約でしかななかったことを示している。野次であのような意見を表明するならば、立候補の時からそれを言明すべきである。選挙公報に記載すべきである。
 さらにマスコミの取材に鈴木都議のすぐ後ろに座っていた吉原自民党幹事長は、やじが聞こえたかという質問に対し「わからなかった」と述べている。また野次に対して「歌舞伎での掛け声と同じ」と擁護の発言した自民党都議もいる。この人たち責任も問われなければならない。
 会派離脱ということもおかしい。ことの重大さを考えれば記者会見では、党の都組織としての謝罪と同時に、即座に対応出来なかった自民党会派全議員が対象の処分があってしかるべきである。そして当該議員に対し、除名・除籍処分が当然ではないのか。その上で辞職勧告をするのがけじめのつけ方ではないのか。
 鈴木彰浩都議というのは石原前知事の申し子のような都議であったようだ。尖閣に上陸したりと「国士」「壮士」気取りであるが、「目的のために手段を選ばず」「手段は目的のためには正当化される」という発想は許されるものではないことがわかっていない。

 私は、本会議という公式の発言の場であっても激励の意味の掛け声もあることは否定しない。逆に本会議での公式な発言であっても、不適切な発言に対して抗議することもある。もし鈴木彰浩都議が演壇で今回野次った内容を発言したら、それこそ不適切発言としてその場で抗議の声を上げなければならないと私は思う。議会でヘイトスピーチのようなことがあれば、許されるべきではない。

 ただし、私は本会議で発言した女性都議の会派・党派の主長を宣伝するためにこの意見を掲載しているのではない。とてもあの党派の主長には賛同できない。また当該の女性都議の発言趣旨にも賛同しているものでもない。まして当該女性議員が「有権者、都民が判断することだと思う」というのもおかしい。議会の存在意義から考えれば、次の議会選挙まで先延ばしするのではなく、今の議会の中できちっと処理すべきものではないのか。




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