Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

縄文時代の耳飾り

2014年06月19日 23時04分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 縄文時代の耳飾りについて、私もこれまではごく小さいものかと勝手に想像していた。しかし、実際はかなり大きなものをしていたようだ。
 東北歴史博物館でもかなり大きなものをしていたことを教えてもらった。横浜市歴史博物館でも本日確認してきた。写真の人物模型がつけているもので直径3センチ位であったろうか。ガラスケースの中の中央にあるもので直径は5~6センチはありそうであった。
 弥生時代の展示ではそもそもが女性の姿についての展示がなかった。これは是非復元してほしいと感じた。
 次は神奈川県立歴史博物館と東京国立博物館で確かめてみる予定。



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「佐久間象山と横浜」展

2014年06月19日 22時26分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜市歴史博物館で「佐久間象山と横浜-海防、開港、そして人間・象山」展を見てきた。
 佐久間象山については私はほとんど知らない。吉田松陰の海外渡航の企てに連座(多分冤罪)して、蟄居させられた松代の真田藩出身の人、程度の知識しか持っていなかった。
 本日の展示で、ペリーが横浜に藩の軍議役として横浜に滞在し警護の役を担っていたこと、横浜開港を幕府に進言していたこと(ただし警備上の観点から水などの補給港としての横浜開港論であり、貿易港の礎を築いたということではない)、42歳の時に25歳年下の勝海舟の妹をめとり、海舟の義理の弟にあたる、などを知ることができた。勝海舟の「海舟」が佐久間象山の開いていた「海舟書屋」に由来することも初めて知った。
 また京都で暗殺されたとき、洋風の鞍をつけた馬に乗り、洋装で京都市中を闊歩したということで、攘夷派の攻撃をまともに受ける出で立ちであったらしい。
 解説のチラシは展示物の解説をそのまま引用したもので、展示物を思い出しするにも役に立つものであった。
 目を惹いた展示の中に、自作のエレキテルを妻順子のコレラの治療に使ってみたり、種痘を行っていたことなどがある。
 なかなか押し出しも強かった面もあるようで、チラシの表に掲載されている絵を見ると、壮士風の振舞いの人でもあったようだ。

         



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「佐久間象山」展へ

2014年06月19日 12時59分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 梅雨とはいえ晴れれば夏の陽気なので外に出るときは野球帽で日よけをしなくてはいけなくなった。これまではこの野球帽は、100円ショップで売っているメッシュ部分がプラスチックのもの、あるいはメーデーの時毎年所属組合で配布してくれる野球帽を利用していた。夏山登山でもこれを利用する。
 しかしそれなりの値段の帽子の方が形も整っているので、見た目も多少は良くなるよ、とのアドバイスがあり、昨日イトーヨーカドーで大手スポーツ用品のブランド名のロゴが前面に出ているメッシュ生地のものを購入してきた。値段は高いもので3000円ほどから何種類があった。
 有名ブランド名のロゴが描かれているが、かなり地味な色合いでロゴが目立たないのが取りあえず気に入った。ロゴが無ければベストなのだが‥。ブランド名を誇示する気などさらさらないし、そんな行為に加担することは拒否したい、といつも考えている。しかしだからといって、わざわざそのようなものを探し回る気力などさらに無い。この程度で妥協する気になった。
 そしてその品物が幸いなことに、一番安い1490円であった。お金を払う段になって1500円出したら、「外税なのであと109円」といわれドギマギした。なかなか外税には慣れないものである。
 確かに100円ショップで購入するものに比べると形はしっかりしている。何回洗っても、生地も縫い目も多分そう簡単にはほつれてこないように見える。当面はこれを活用することにした。

 本日は講座は16時から。ということでこれから横浜市歴史博物館に寄って「特別展 佐久間象山と横浜」を見てからみなとみらまで行く予定。佐久間象山、名前は幾度も聴いているが、どんな仕事をした方かほとんど認識が無い。横浜とどういう関係があったかも知らない。




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