Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

顎関節症-その後

2014年06月08日 22時00分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 顎の関節が痛くて歯医者に行ったところ、「食いしばり」による顎関節症といわれマウスピースを作ってくれた。
 確かに口を強く噛みあわせていることに気付いた。マウスピースを嵌めることによってそのことを強く意識するようになった。しかしマウスピースをしたからといってすぐにその癖、習慣を無くすことなどできない。顎がカックンカックンいうようになったのは中学生になったかならないかの頃であるから、すでに50年近くそのようにして過ごして来た。
 最近のことだとしても30歳前からジョギングを始めたころ、あるいは少なく見ても2年少し前から再開したジョギング・ウォーキング時に強く口を噛みしめていたのが原因としか思えない。癖・習慣が直るには時間がかかりそうである。
 そしてこんなことを言っている本日は、食いしばりはしていなくても顎の関節が疼いてきた。痛みが夜になって強くなってきた。先々週に症状が出てきた時のような痛みである。

 完治するまでこのような痛みが繰り返しあるとすると少々辛い。




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「宮沢賢治を読む」

2014年06月08日 21時31分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日から始まった講座は「宮沢賢治を読む」(講師:安藤礼二) 。
 私はこの間ずっと宮沢賢治の良き読者ではなかったし、今も決して近い存在ではない。
 しかしとても気にかかる存在である。その発端は、中学生の時に習った国語の教科書に載っていた「永訣の朝」(春と修羅所載)である。一読して私はとても感動した。
 一人っ子の私は兄弟姉妹の愛情というものがこんなにも濃密なものなのかということに羨ましいと感じた。
 現実の家族関係はそんな美しい関係とはとても思えなかった。人は自分の子に接する以前に親・兄弟姉妹とさまざまな家族関係を経ており、その経験をどのように表現するかは微妙に差がある。
 自分の親が、それぞれの兄弟に対して日ごろの慣れ親しみにも関わらず発する厳しい言葉・批判が私の脳裏にいつも残っていた。私はもし自分に兄弟姉妹がいたとしても、彼らに対して濃密な愛情をそそぐということには少し距離を置いた地平に置かれていたかもしれない。
 だがこの「永訣の朝」はそんなことを考慮することなどはなから拒否をしている強さ、兄弟姉妹という家族関係を疑うことなどありえないような生涯を送っている人の強さを感じた。そんな家族への思いの強さに圧倒されたと思う。自分には持っていないもの、私の家族が持っていないものが表現されていることに対する、私なりの嫉妬だったかもしれない。
 そして私は宮沢賢治の著作については、童話がとても苦手で、「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」以外に読んだことがない。言葉がどうしても頭の中に入ってこない。拒否反応の方が強くて、読み続けようとすることが出来なかった。しかしどういうわけか「春と修羅」はすんなりと読み続けられた。今でもちくま文庫の8巻の全集のうち、詩集にあたる最初の3巻は大切に持っている。「春と修羅」の生前刊行されたものは何回となく読み続けた。確かに読むにあたって私はことばのひとつひとつを丁寧に解釈していたわけではないが、難しい言葉もすんなりと頭の中で入り込んでいったと思っている。
 一人の作家を読み解くというのはそのような曖昧な読みを許さずに、丁寧に読んでいかなくてはいけないのはわかっているつもりではある。
 今回の講義では「春と修羅」の「小岩井農場」に出てくる「光炎菩薩」、「青森挽歌」に出てくる「ケツヘル博士」の解説があった。宮沢賢治を読み解くマクラとして取り上げてくれている。
 私は自分なりに読んでいた時、「光炎菩薩」は仏教用語の「菩薩」としてだけ読んでいたし、「ケツヘル博士」は一般的な科学者を指す言葉として理解していた。本日の講座では「光炎菩薩」は当時のニーチェの「ツァラトゥストラ」を「光炎菩薩」と訳した登張信一郎の造語であったこと、「ケツヘル博士」がダーウィンの進化論の後継者の「ケッヘル」であったことなどを教わった。
 このことを手掛かりに宮沢賢治の思想を読み解いていく手法に、期待をかけてみたい。私にとっての新しい宮沢賢治の像が結ばれることを大いに期待したい。



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非日常の時の組織

2014年06月08日 11時08分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では、約40時間ぶりに大雨警報が解除された。しかしまだ雷注意報は解除されていない。
 気象庁のデータでは、今回の横浜の72時間雨量が260ミリを超えて、6月としては観測史上最大雨量とのこと。72時間雨量の最大値は330ミリ程で8月に記録しているらしい。
 昨夜来、もう解除されてもいいのではないかとも思えたのだが‥。私のもとの職場では金曜日の夕方から配備体制が敷かれていたと思われるが、長時間の作業・パトロール・点検・各種連絡と大変であったと思われる。人が非日常として40時間近くも約半数近い職員が集まるのであるから、人の和を維持するのもなかなか大変である。

 こういう時には、職制による指揮命令系統による上下関係だけで乗り切るのは無理がある。必ず上意下達の人間関係でははかることのできない力学が作用する。それは人の和をうまく動かす潤滑油となるキーパーソンが場面場面で入れ替わりながらあらわれるものである。彼らを上手に生かす人もまた現れるものである。
 こういう時には上下関係、命令関係だけでこなそうとすると必ず失敗する。管理職(上に立つ者)=経験豊富で万能、という意識を捨てられるか否か、が上に立つ者の力量・甲斐性となる。
 普段とは違った底力を発揮するものをどう使うか、そしてかなりの場面では通常は組織の最高責任者といえども、彼らの働きを称揚し、それだけでなく彼らに従うこともしなければいけない。その応用力が非日常の事態を乗り切る力となる。
 「人の上に立つ」ことに慣れきったもの、「人の上に立つ」ことだけが価値だと思い込んでいる人間には、このような事態は乗り切れない。肝心な時に下のものから愛想をつかされ、組織はバラバラになり機能を失う。
 まったく無能な人間が上に立っていた方がまだいい。目的がはっきりしている間は、「上の者」をまったく無視して、「下の者」だけで事態は収まる。しかし無能なくせに人を支配しようとするもの、威厳だけは保とうとするものが人の上に立つと、人の組織は機能しなくなる。特に非日常の事態となった時にそれが露骨に表れる。

 行政では、災害時にもっともそのことが明確になる。見方を変えれば、災害時、非日常が現出した時に、組織のトップの力量がいやおうなしに現れるのである。災害時に逃げ出す首長は論外だが、首長がいなくても対応できる組織は二種類ある。
 そのひとつは、優れた首長が自分の不在時の組織をキチンと作り上げるだけの人材を養成していたか、その首長に大きな人望があるか。もう一つは、その首長が作った成果ではなく、無能な首長だからこそ組織が機能する場合である。
 これは会社組織でも、町内会組織でも、趣味の組織でもまったく同じである。

 さらに言えば、たった一つのトラブルでも組織は崩壊する。非日常である非常事態が起きた時、災害時に組織の全力量が問われる。いわゆるベンチャー企業などが、法的なトラブルや失敗に直面した時に、上下関係だけで力を発揮してきた組織がどうか明確に表れる。そのような非常事態の時に組織として乗り切れるかどうか、が組織の力の発揮のしどころである。トップがこけた時、いなくなった時、戦列を一時離れざるを得なくなった時、組織がそのまま胡散霧消・解体して、無責任に消滅してしまうことが多い。存在したこと自体が忘れ去られてしまう。
 しかし組織というのは、それなりの存在意義と末端の組織員に対して責任がある。存続することだけが価値ではないが、「その組織がなぜ存在したか」をキチンと検証し、さらに企業なら購買者やかかわりのあった他企業に対する責務・債務をキチンと清算し、末端の組織員の今後の身の振り方に責任ある対応をとって、解散しなくてはならない。それが出来てはじめて人はひとつの仕事に責任をもって関わったという評価がなされるのではないだろうか。再起するときにはそのことが鋭く問われる。
 ベンチャー企業の多くが「出る杭は叩かれた」式に「既存の既得権勢力に負けた」と語るのは、人の所為にした逃げ口上でしかない。要は組織の力を醸成できていなかったことの証でしかない場合が大半である。責任者が人間の組織を切り盛りする能力に欠けていたことの証でしかない。




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