横浜では、昨晩遅くから雨が降り始めた。今朝まで降り続けたようで、9時少し前まで降っていた。九州では強い雨で被害が出ているようだが、今この横浜で降っている雨は様子が違う。
空の色は意外と明るかった。今は雨があがり明るさが増している。梅雨時は樹木の葉が鬱蒼としてあまり明るくは感じられないし、樹木の少ないビル街では空の割合が小さいのでやはり暗い。だが、住宅街や平地の畑の多いところに行くと、あるいは海岸に行くと意外と明るく感じられる時がある。
そんな時は、降り続く雨が庭木や畑作物の葉や、家々の屋根などにあたる音も柔らかさがある。梅雨でも、強い雨の時や台風や真夏の激しい夕立とは違って、若い生命力を受け入れる包容力を感じさせる雨がある。強くたたきつける雨は壮年期の大地の生命力に対する挑戦のごとき棒のような強靭さがある。梅雨の時の雨は二つの顔があるのだろうか。
秋の雨は老境に入ろうとする生命力に再度生命力を与えようとする慈雨の雨の様相もある。冬の空っ風は生命力をさらっていくように大地と空気と生命体から水分をさらっていく。
この列島あるいはモンスーン気候それとも照葉樹林と言っていいのか、このような地帯に住む人々は、四季の変化に人生の時間を重ね合わせることをしてきた。そんな文化伝統のもとに生れてこのかた63年近く住んでいると、それが当たり前に思えて、いつの間にかそのような発想以外の思考があることに思い至らなくなることがあ
る。他者の文化に対する許容力は、たぶんの生命力の若さに比例する。
他者の文化どころか、他者を受け入れる思考にゆとりが無くなっていると思うことがある。せめてそんな退化を自覚できる感性だけは衰えさせないで維持していたいものである。
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