Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「宮沢賢治を読む」の二回目

2014年06月15日 21時03分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 巷では日曜日であるが、本日は13時半から「宮沢賢治を読む」(講師:安藤礼二氏)の2回目。全3回の講座なので後1回でおしまいになる。消化不良であるが、もともと宮沢賢治についてほぼ知識が無いに等しいので、宮沢賢治という作家の思想の背景に言及した今回の講座はとてもありがたかった。
 宮沢賢治の思想的背景、当時の仏教の改革運動や鈴木大拙、ニーチェ、そして進化論などの生物学をはじめとした科学論、父との葛藤、ユートピア思想などが複雑に絡み合っていたことを教えてもらった。引き続き機会があれば、今回習ったことをベースとして理解を深めたいと思った。
 残念ながら感想を述べるほどの理解はまだまだ出来ていない。好き嫌い・感想ならばできるかもしれないが‥。今のところ記述したい衝動、必然性が私の側に無い。無いというよりも理解していない証であるのだろう。

 本日は「宮崎進」展の感想を書くべく、購入した図録の解説を読んでいる。果たして感想を書けるだけの能力が私に備わっているのだろうか。



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神奈川湊

2014年06月15日 19時40分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先日の講座の時に昆政明教授に「神奈川湊の洲崎神社の目前の浜には大型の弁才船が描かれている絵図があるが、品川沖に停泊したという千石船とは荷に差があるのか?」という質問をしてみた。
 答えてもらった内容は「千石船が停泊する深さはなかったと思われる。千石船ではなく500石未満ではないか?」とのことであった。これまでの講座で聴いた内容から判断すると、江戸での消費を前提とした積荷ではなく、保土ヶ谷宿経由の荷、ならびに保土ヶ谷宿の手前から八王子への道があり八王子・甲斐方面の荷ではないかと想像できる。
 その洲崎神社は神奈川宿のほぼ中央に位置する。当初は洲崎神社のすぐ北にある権現社が宿の中心的な社であったようで、その社から北側に降りていく参道の下に本陣ふたつが向かい合っていた。またさらに北側のすぐそばには17世紀まではあったらしい将軍の泊まったという御殿跡もある。
 しかし南に隣接する洲崎神社の目の前が神奈川湊と云われたところのようで、舟の荷の上げ下ろしで洲崎神社に賑わいや信仰が移動したような推論を私はしている。洲崎神社というのは名前からして海運・漁労に関係する神社であったと思われる。
 実は私も誤解をしていたが、広重の東海道五十三次で今の台町あたりが神奈川宿のように思う方が多数いるようだが、あの台町は神奈川宿の北側の端の方である。あのあたりより江戸よりに約4キロにわたって神奈川宿があったことになっている。とても大きな宿であった。人口約6000名、旅籠60軒近くの記録もある。浦島太郎伝説でも有名になっている。

 本日はその洲崎神社の祭りの日である。例年入梅時期なのでこの祭りには雨が降ると云われているが、今年は3日間とも晴れ、にぎやかであった。神輿の担ぎ手にたくさん出会ったのだが、肝心の神輿を担いでいる場面には出くわさなかったので写真を撮るのを忘れていた。横浜駅から歩いて帰る途中、神輿自体はいくつかの町内の倉庫前で見たのだが‥。来年には写真を掲載しようと思う。



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