Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

とんでもない失態をしてしまった

2016年07月02日 22時51分43秒 | 読書
 本日の講座、「大江健三郎と「沖縄」」(講師:小森陽一東京大学教授)では、この本の「集団自決」の記事をを巡って、岩波書店と大江健三郎を当時の軍の指揮官と遺族が2005年になってから名誉棄損で訴えた。その第一審の大阪地裁での大江健三郎の陳述書が、資料として配布となった。講座ではこの資料を中心に講座が行われた。講座終了後、喫茶店でこの陳述書を詳細に読み込んだ。
 詳細かつ丁寧なこの陳述書は是非とも読み込む必要があると感じた。

 さらに「自分の中に歴史を読む」(阿部謹也、ちくま文庫)を読んでから、横浜美術館によって「メアリー・カサット展」を駆け足で一巡した。「メアリー・カサット展」ではちょうどギャラ―トークが行われており、解説を聴きながら一巡することが出来た。図録は2300円。 後日再度この展示を見てから、図録を購入して感想をアップすることとしたい。

 実は大変な失敗をしてしまった。本日夕刻からの夜間特別鑑賞会が当たっていたのだが、娘を含めて家族で会食をすることになっていた。会食が終わって、先ほど帰宅してからこの鑑賞会があったと思い出した。我ながら情けなかった。
 信じられない失態であった。どこかのネジが緩んでいたとしか思えない。

モーツアルト「ピアノ協奏曲第5番、第6番外」

2016年07月02日 18時12分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 内田光子のピアノ、シェフリー・テイト指揮のイギリス室内管弦楽団の演奏によるモーツアルトのピアノ協奏曲の全集である。1989年の録音である。私が購入したのは1992~3年ころから順次購入したと思う。当時はまだ現役で購入するゆとりがあった。しかも労働組合の分裂、再建で小さな支部を立ち上げたばかりで、絶対多数派と組織戦争の真っただ中の時期。小さい支部故に、組合員の獲得と組織拡大、組織運営の確立という人生最大の大事の最中であった。旅行や家族サービス、趣味などの楽しみなどはまったくたしなむ物理的時間も無く、精神的なゆとりもない中で、夜中にワープロでレジュメをひたすら書いていた。そのときに小さな音でCDを聴くのが唯一の楽しみであった。小遣いを使うことはほとんどなく、大半は組織確立のための費用として羽根が生えたように飛んで行った。そんななかで月に1~2枚のクラシックのCDを購入する費用だけは何とか残していた。だからこの時期に買い貯めたCDがかなりある。
 今から思うとこのピアノ協奏曲の全集は、ピアノソナタの全集と並んでとても懐かしい。

 第5番は実質的に最初のオリジナルなモーツアルトの協奏曲とされている。17歳のとき、1773年の作曲である。ザルツブルクでの作品。モーツアルトはこの曲に愛着があったらしく晩年までこれを演奏していたという話があるようだ。
 第6番は1777年、21歳の作品。これもザルツブルクで作曲された。
 明るい初期のモーツアルトを堪能できる。

      

中原中也「おまえはもう静かな部屋に‥」

2016年07月02日 11時14分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 講談社の文芸文庫に「中原中也全詩歌集」上下2巻と「全訳詩集」1巻が私の中原中也のテキストである。全詩歌集下巻に収録されている「未完詩編Ⅲ」の最後、つまり全詩歌集の最後に「秋の夜に、湯に浸り」が収められている。解説では未完詩編は「製作年時をも配慮しつつ、モチーフの類似と響き合いとを目安として分類を試みた」とあり、最後に配置されているからといって、死の直前ではない可能性もある。だが私はこれは最後のメモのようなものとして読んだ。
 実は50歳の時に入院し退院した直後に、理由はないがふとこの本を取り出し、これを読んだ。

 おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
 
 煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火を後に、

 おまへはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。

 そして心の呟きを、ゆつくりと聴くがよい。



 多分死を意識して、暗い闇に向かって退場していく自分を背後から眺めているように思える。死の床にいる自分をその部屋の天井付近から眺めていたという臨死体験がよく語られるが、これは上下の垂直方向から、手前と奥という水平方向に回転させたもので、臨死体験のバリエーションのひとつかもしれない。
 夜の床で静かに何かを思っているときに、ふと生への意志の力が抜けて、分離した自分がどこかへ歩み去るのを遠くから眺めているような情景を思い浮かべる。
 死の直前に妻子と郷里に帰るという決断をした中也の意識と、生への断念の微かな意識が重なって読んでしまう。

 私も体力を消耗した入院時の回復のあてがないのではないかと、夜中にベッドの中で生きることへの諦念に近い意識に見舞われたことを思い出しながら、この4行を読んだ。なんという偶然かと思い、身震いしたことがある。

 退院して感銘を受けた本はいくつかある。これもそのひとつである。それ以降、時々ふと頭の中に浮んでくる4行である。

本日の講座「大江健三郎と「沖縄」

2016年07月02日 08時45分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は午後から、「大江健三郎と「沖縄」」(講師:小森陽一東京大学教授)。
 実は大江健三郎の沖縄に関する論考は1970年に岩波新書から出版された「沖縄ノート」だけである。
 後にこの本の「集団自決」の記事をを巡って、岩波書店と大江健三郎は当時の軍の指揮官と遺族が2005年になってから名誉棄損で訴えている。
 裁判は2011年、最高裁が上告を棄却して、原告の主張は却下されている。
 しかし2007年の教科書検定問題(集団自決の期日削除問題)にまで発展する。

 沖縄は、一貫して戦後政治の負の歴史を押し付けられている。否、明治維新以降の近代日本の負の側面といった方が適格であるといった方がいい。

光化学スモッグ注意報

2016年07月02日 01時31分06秒 | 天気と自然災害
 昨日の15時過ぎに横浜には今年初めての光化学スモッグ注意報が出た。17時過ぎに解除になったようだ。
 15時少し前に家を出て横浜駅まで歩いている最中にこの注意報発令のメールが届いた。確かにムッとする暑さで、日も差していた。
 熱中症の方が心配になった。明日は30℃になる可能性もあるらしい。

 昨日は、夕刻から「自分の中に歴史を読む」(阿部謹也、ちくま文庫)を読み始めたら、止まらなくなり、いつの間にか24時を回ってしまっていた。まだ半分までしか読んでいないが、阿部謹也の自伝のようなもの。しかしとても含蓄がある。もっと早くに阿部謹也の著作に接していればよかったと感じている。
 実は30代の半ばに学生時代の友人が進めてくれたのだが、読むゆとりがなかった。当時網野善彦をはじめ中世史ブームの時であった。2006年に亡くなったときも読む機会はあったのだが‥。