Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の作業は終了

2016年07月09日 23時17分12秒 | 読書
 退職者会ニュースの作成はようやく50%余りが出来た。今月号は思ったよりも時間がかかっている。11日(月)に第一稿を送ることになっているが、明日中に出来上がるであろうか。かなり心もとない。基本的な原稿は出来上がっているのだが、文書の打ち込み、写真の貼り付け、校正などどうしても2日位はかかりそうである。
 原稿と写真を送って割り付けから校正まですべて頼んでしまえば簡単なのだが、それでは費用もかかるし、意外と自分なりの紙面づくりにこだわっている自分の生きがいに近いものがある。
 本日はこのこの辺で作業は終了としたい。



 昼間、雨の中を横浜駅まで出かけて、友人から原稿と写真のデータを受け取り、プリンターのインクを購入。その後喫茶店で「詩文のなかに歴史をよむ」(阿部謹也、ちくま文庫)を読了。中高生向けの本ということで、語り口は確かにやさしいようだが、なかなか著者の思想にとって重要なポイント、本質的なことを述べている。
 要約を載せるほどの力量はないが、気になった個所はとりあえず印だけはつけておいた。

 明日は朝から団地の管理組合の諮問機関の会議。午後からの作業となる。

中原中也「一つのメルヘン」

2016年07月09日 22時20分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  一つのメルヘン

秋の夜は はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで珪石か何かのやうで、
非常な固体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかなる音をたててもゐのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶が、
淡い、それてゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました‥‥



 これは教科書にも載っているような有名な中原中也の詩である。多くの仕掛けや解釈のヒントがあり、多くの人が口ずさんでいる。
 中也の詩の魅力のひとつに繰り返し、それもリズミカルで口ずさみやすい言葉が連なる。この詩でも「さらさらと、さらさらと」というリフレインが愛唱されるゆえんでもある。また「ありました」という何でもない丁寧語が「韻」のように配置されている。こんな仕掛けが愛唱される理由であると思う。

 ただこれらの仕掛けとは別にいつも私が感じることがある。それはこの詩を読んで最初に受けた印象なのだが、とても乾いた印象がする。川を流れる水をうたっているが、そこに配された小石や蝶には水の湿った印象はどこにもない。陽に照らされて乾いた輝きが詩からうける印象だと思う。
 この乾いた印象はこれまでの日本の詩歌には無かったものではないかという気分になった。古くは古今集や新古今集、芭蕉や、そして明治以降の新しい詩を読んでも私は「湿気」というものをいつも強く感じた。肌に纏わりつく湿気、清浄なものの象徴としても、死や生の在り方の消長としても、この湿気、ぬめり、まとわりつく粘り気というものをいつも感じている。それが好きな点でもあるが。
 身近にいえば、「岩間とちし氷も今朝はとけそめて苔の下水みちもとむらん」(西行)にしろ、「古池や蛙飛び込む水の音」(芭蕉)にしろ、「永き日に富士のふくれる思ひあり」(正岡子規)、「しつとりとなみだを吸へる砂の玉なみだは重きものにしあるかな」(石川啄木)にしろ、湿気がないと成立しない詩歌が多い。むろんそうではない「いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ」(石川啄木)のような歌もあると指摘されるかもしれないが、この歌とて海の潮の粘つく湿気のイメージが無ければ成立しない。
 中原中也のイメージの斬新さは、この乾いたイメージにあると思っている。

モーツアルト「ピアノ協奏曲第13番、第14番」

2016年07月09日 16時16分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の作業のお供はモーツアルトのピアノ協奏曲第13番と第14番。モーツアルトが27歳、28歳の時の作品である。ウィーン時代の売れっ子としてデビューした頃の華やかな曲である。結婚2年目、3年目の時期でもある。

 第13番(K.415、1782~83)は前回ふれたとおりウィーン時代の幕開けとして作られた。この曲にはトランペットとティンパニーが加わるという新たな試みがなされ、華やかになったということが云われている。また第3楽章に短調が挿入されるという当時としても冒険が加えられている。そして予約演奏会には皇帝ヨーゼフ2世が臨席したという。
 第14番(K.449、1784)と続く第15番から第19番までと同じ年に6つまとめて作曲されている。
 これまでと同様、内田光子のピアノ、指揮ジェフリー・テイト、イギリス室内管弦楽団の演奏で、1987年の録音。