一夜分の歴史
その夜は雨が、泣くやうに降つてゐました。
瓦はバリバリ、煎餅かなんぞのやうに、
割れ易いものの音を立ててゐました。
梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、風が襲ふと、
他の樹々よりも荒つぽい音で、
庭土の上に落ちてゐました。
コーヒーに少し砂糖を多い目に入れ、
ゆつくりと掻き混ぜて、さてと私は飲むのでありました。
と、そのやうな一夜が在つたといふこと、
明らかにそれは私の境涯の或る一頁であり、
その私も、やがては死んでゆくといふこと、
それは分り切つたことながら、また驚くべきことであり、
而(しか)も驚いたつて何の足しにもならぬといふこと‥‥‥
--雨は、泣くやうに降つてゐました。
梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、他の樹々に溜つたのよりも、
風が吹くたび、荒つぽい音を立てて落ちてゐました。
「未完詩編Ⅲ」から。
以前もしるしたとおり、「その私も、やがては死んでゆくといふこと、それは分り切つたことながら、また驚くべきことで‥」という心的に重い「納得」ということが、「梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、風が襲ふと、他の樹々よりも荒つぽい音で、庭土の上に落ちてゐました」という風な自然現象によってもたらされるのだという。
このような心性は取り立てて日本的というよりは、自然との対話によって生を生きながらえてきた人類の、古代的な心性として一般化できるのではないか、と私は考えてきた。
さまざまな人知を超えた自然現象に自然の生命体の発現を見る心性が、一神教としてのキリスト教的な一元的な世界観の前に押しつぶされながらも、人々の意識の下に残っている自然に対して畏敬と怖れに基づく世界は、伏流水のように湧き出てくる場面はありうる。
日本でも、ヨーロッパの世界がなだれ込んだ近代という時代を経ながらも、さらにヨーロッパ的近代の底の浅さ故に、自然に対する心性が強く残っていた可能性はある。近代的な言語感覚に強く彩られながらも、そして近代詩の豊穣の世界にも、中原中也のような自然に対する古くからの心性に依拠する精神が強く表れたいるのだと私は思っている。
それが中原中也の詩が戦後も、そして多分現代にも繰り返し再評価される根拠だと思う。
だが気をつけなければいけないのは、この自然に対する畏怖や怖れという心性が、政治的な理念や言語とたやすく慣れて結託することは許されることではない。逆にこの心性を扱えずに、ヨーロッパ的な近代にぶら下がる政治的理念や言語は、かならずこの心性に返り討ちに合う。戦後日本の不幸は、この心性とヨーロッパ的政治理念とが、保守と革新、復古と進歩という構造に並列してしまったこにあると思う。このことを超える政治思想・理念がこれからどのように作られるのであろうか。
こんなことを40数年間、思い続けている。
その夜は雨が、泣くやうに降つてゐました。
瓦はバリバリ、煎餅かなんぞのやうに、
割れ易いものの音を立ててゐました。
梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、風が襲ふと、
他の樹々よりも荒つぽい音で、
庭土の上に落ちてゐました。
コーヒーに少し砂糖を多い目に入れ、
ゆつくりと掻き混ぜて、さてと私は飲むのでありました。
と、そのやうな一夜が在つたといふこと、
明らかにそれは私の境涯の或る一頁であり、
その私も、やがては死んでゆくといふこと、
それは分り切つたことながら、また驚くべきことであり、
而(しか)も驚いたつて何の足しにもならぬといふこと‥‥‥
--雨は、泣くやうに降つてゐました。
梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、他の樹々に溜つたのよりも、
風が吹くたび、荒つぽい音を立てて落ちてゐました。
「未完詩編Ⅲ」から。
以前もしるしたとおり、「その私も、やがては死んでゆくといふこと、それは分り切つたことながら、また驚くべきことで‥」という心的に重い「納得」ということが、「梅の樹に溜まった雨滴(しづく)は、風が襲ふと、他の樹々よりも荒つぽい音で、庭土の上に落ちてゐました」という風な自然現象によってもたらされるのだという。
このような心性は取り立てて日本的というよりは、自然との対話によって生を生きながらえてきた人類の、古代的な心性として一般化できるのではないか、と私は考えてきた。
さまざまな人知を超えた自然現象に自然の生命体の発現を見る心性が、一神教としてのキリスト教的な一元的な世界観の前に押しつぶされながらも、人々の意識の下に残っている自然に対して畏敬と怖れに基づく世界は、伏流水のように湧き出てくる場面はありうる。
日本でも、ヨーロッパの世界がなだれ込んだ近代という時代を経ながらも、さらにヨーロッパ的近代の底の浅さ故に、自然に対する心性が強く残っていた可能性はある。近代的な言語感覚に強く彩られながらも、そして近代詩の豊穣の世界にも、中原中也のような自然に対する古くからの心性に依拠する精神が強く表れたいるのだと私は思っている。
それが中原中也の詩が戦後も、そして多分現代にも繰り返し再評価される根拠だと思う。
だが気をつけなければいけないのは、この自然に対する畏怖や怖れという心性が、政治的な理念や言語とたやすく慣れて結託することは許されることではない。逆にこの心性を扱えずに、ヨーロッパ的な近代にぶら下がる政治的理念や言語は、かならずこの心性に返り討ちに合う。戦後日本の不幸は、この心性とヨーロッパ的政治理念とが、保守と革新、復古と進歩という構造に並列してしまったこにあると思う。このことを超える政治思想・理念がこれからどのように作られるのであろうか。
こんなことを40数年間、思い続けている。