Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

中原中也「頑是ない歌」

2016年07月11日 22時38分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  頑是ない歌

思へば遠くきたもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空になり響いた
汽笛の湯気は今いづこ

雲の空いたに月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しょうぜん)として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気に茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆうては
なんだか自信がもてないよ

さりとていきてゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るものだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方ない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ



 リフレインの響きが美しく、声に出して読めばいつの間にか暗唱してしまいそうな、いかにも中原中也らしいわかりやすい詩である。
 なお、竦然とは「怖れてぞっとするさま」のことという。
 そう来月は私も65歳、年金の手続きで今月中に手続きをしい関係するところに手続きに行かなくてはいけない。それはそうと、「思へば遠く来たもんだ」はここ十年あまり、いつも口に出てくるリフレインである。
 歌謡曲の世界でもこのような感慨が流されているのを聞いたような気もする。
 このような句が頭に浮かぶときは、45年来の友人の顔を思い浮かべ、死んだ友人の目の輝きを思い出すのがいい。

ようやく業務終了

2016年07月11日 14時27分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく退職者会のニュースの原稿が出来上がった。A3で裏表の2頁。実質3日かかった。予定よりは一日余分にかかったようだ。朝から写真6枚の貼り付けをした上で、いつものとおり妻に誤字脱字のチェックをしてもらい、自分でも2度ほど目を通して、微調整を行った。枠の模様も取り替えも行った。あと4行ほどは他の方に書いてもらう算段をしている。15日ひるまでに訂正・加筆を行って終了。

 フォーレのピアノ曲の夜想曲をかけていたが、ほとんど頭に入らなかった。今晩じっくりと聴くことにしたい。

 暑い一日であるが、これから買い物に付き合って横浜駅まで。一段落付いたのでコーヒータイムとしたい。


フォーレ「夜想曲全13曲」

2016年07月11日 10時10分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 モーツアルトの曲は好きである。美しいと思う。しかしどういうわけかいくつも続けて聴くと飽きてしまう。
 ベートーベンの曲も好きである。メリハリがあり、構成的なところが好きである。しかしどういうわけかいくつも続けて聴くとくどく感じる。
 内田光子の演奏による、モーツアルトのピアノソナタに続いてピアノ協奏曲を連続して聴き始めたが、やはりどうしても飽きてしまう。聴いていて美しいと思うが、連続しては耳を通して刺激を受けると、脳に飽和感が湧いてくる。
 これがブラームスだとモーツアルトやベートーベンで感じる感想は湧いてこない。不思議なものである。曲の感じが好きだからか、聴きあきることがないから好きなのか、そこらへんは不明である。しかし何かの原因があると思う。音の配列、構成‥どこかでそれが説明が出来れば嬉しいと思うが、そんな能力は残念ながらない。

      

 本日の作業のお供の曲として、フォーレの夜想曲を選んでみた。
 フォーレの曲もフランス系の音楽といわれる中では好きである。どこか懐かしい感じがいつもする。ドビュッシーはどうもつかみどころがない。フォーレの内省的で、夜の世界を徘徊するような雰囲気が好きである。
 この夜想曲も当初はそのつもりで聴いていた。しかし意外にもちょっと激しい部分も出てくることがある。本当は「」と共に、「夜想曲」は夜の作業に向いている。それも弱い雨が降っているといい。