Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日の講座は「沖縄を知る」第4回目

2016年07月22日 23時39分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は昼間横浜駅までの往復で9500歩。22時半から45分のウォーキングで6500歩。昼間は時間換算で7000歩ほど、夜は8500歩ほどのスピードであった。1日2万歩近く歩きたいが、最近2年ほどはとても波がある。



 明日は13時から講座。連続講座「沖縄を知る-歴史・文化・社会」の4回目。「化外の民と越境広場」という題で、講師は西谷修立教大学特任教授。連続講座の題と今回の題からするとどのような切り口になるのであろうか。題名からするととても惹かれる。

 本日は雨は降らなかったのは助かったが、しかし涼しかった。昼間横浜駅まで歩いた時は、はじめ半袖で寒く感じた。明日は曇りで雨は降らないようだ。最高気温は28℃とかなり蒸し暑いとの予想。


期待したい「レンブラント リ・クリエイト展」

2016年07月22日 21時02分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 横浜のそごう美術館で「院展」を見た時にチラシを貰った。7月30日(土)~9月4日(日)までの会期で、「オランダ レンブラント・リサーチ・プロジェクト公認「レンブラント リ・クリエイト展」が開催されるとのことである。来週の土曜からはじまる。

 案内で歯、「レンブラント研究の第一人者であるレンブラント・リサーチ・プロジェクト委員長エルンスト・ファン・デ・ウェテリンク教授の監修により、レンブラントが描いた当時の作品の色調やサイズを徹底的に検証。経年劣化で変色する以前のオリジナル色を取り戻すだけでなく、盗難で行方不明になった作品や損傷を受けた作品、《夜警》をはじめ一部が切断されてしまった作品を、最新のデジタル技術で17世紀の姿へと複製画で忠実に再現した『レンブラント リ・クリエイト展 2016』。世界中に散らばる349点のレンブラント作品から自画像全41点を含む、厳選された約200点がそごう美術館に集結します。」と記されている。
 「夜警」は完成当時よりも上部と左が切り取られており、今より横長で描かれている人も3人多いそうである。自画像についても「全41点の自画像を通して、その表情から人生の“光と影”にも注目してください」とチラシの裏面に書かれている。
 見ごたえのある展示と期待したい。


中原中也「干物」

2016年07月22日 12時08分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ここ数日、気持ちが退行していることを自覚するようになった。少し意識の上で慌ただしかったのだろうか。たいしたことは何も考えていなかったようには記憶している。ただ普段通りに呼吸していただけだと思う。あるいはそれがいけなかったか。何も考えず、自分との対話を怠ったためなのだろうか。
 自分の意識の中で、何が「退行している」というふうに感じたのか。いくつかのことがある。
 まず、チェロの豊かな音色を聴きたくなってベートーベンのチェロソナタのCDをひっぱり出してきたが、これがうまく聞き取れない。私の期待したチェロの音で無いように感じてがっかりしたし、耳に入ってこない。もっともベートーベンという作曲家を選んだこと自体がチェロの音を楽しむ、という点からは不向きなのである。朗々と響き渡るこの楽器の音色に身を浸すためには他の作曲家の曲を選ばなくてはいけない。そんな選択の失敗をした上に、その曲に期待をかけて聴いたのがさらに気分を落ち込ませた。
 その前に、茨木のり子の詩集を購入して読んだ。これは特に私の意識が「退行している」というふうに思ったり、そのきっかけになったとはとても思えない。問題はその後から起きた。
 なんとなく戦後の詩を読んでみたいと思いながら本棚を覗いていたら昨日取り上げた和泉式部集が目に入った。何気なく開いた頁からいくつかの作品を抜き出してみたが、わずか10首に目を通しただけで、もう気分がそこから離れてしまう。根気がないといえばそれだけの話かもしれないが、執着心がまるで湧いてこない。いくつかをまとめて、今の気分に沿って私なりに何を読みこんだか、まとめようとする気分がどこか遠くへ飛び去ったように感じた。開いた頁から次の頁へ移ろうとする意欲ない。
 これは変だ、と少し慌てた。
 そういえば、横浜駅にある広い有隣堂の書籍売り場ではいつもゆっくりとぶらついて、本の表紙の洪水に身を浸しているのが好きである。その行為に最近ゆとりがない、と思い当たった。ここの文庫本ので一冊ぱらっとめくり、料理本のコーナーまで足を伸ばし目次だけを見て立ち去る。書店を離れて周囲を一周してからこんどは海外旅行の本のコーナーで手に取ってページも開かずに元に戻す。こんなことを短時間で繰り返している自分を思い出した。
 本日も、自宅の本棚の前に立って右往左往している。落ち着きがない。そんな自分を呆れてみている自分がいる。
 そうこうしているうちに、作品社という出版社が1987年ころに出版した「東京詩集」Ⅰ~Ⅲが目についた。1860年から1986年まで3巻に分けて、鮎川信夫、北村太郎、吉本隆明が「東京」を読みこんだ詩を網羅し、「東京」の経て来た時代を浮かび上がらせようというものである。明治維新、関東大震災、敗戦をそれぞれの画期として整理している。
 1923年から1945年までのⅡの中に、中原中也の詩が掲載されていた。

  干物

秋の日は、干物の匂ひがするよ

外部の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷 森の梢のちろちろと
空を透かせて、われわれを
視守る 如し。

秋の日は、干物の匂ひがするよ

干物の、匂ひを嗅いで、うとうと
秋蝉の鳴く声聞いて、われ睡る
人の世の、もの事すべて患(わづ)らはし
匂いを嗅いで睡ります、ひとびとよ、

秋の日は、干物の匂ひがするよ
    (未完詩編、1930)


 この詩に、私の「退行」する意識と重なるように思えた。視覚、嗅覚、味覚、聴覚の微妙な変化に、自分の意識の変化や、意識の現在を見ることが、人間の特質かもしれない。さらに飛躍して社会の変化の兆しや社会の現在をも感じ取ってしまうという、錯覚に近いことまでする。これは人間の特質というよりも本質ともいえる。
 ここで中也は「干物の匂い」を懐かしく慣れ親しんできたものとして感受している。
 「匂い」は、「人の世の、もの事すべて患らはし」と感じて「うとうとと睡」る行為に繋がる契機となっている。睡っている空間には「秋蝉の鳴く声」がやさしく充満している。
 下町の住宅地の真ん中ならばいざしらず、外苑の舗道、千駄木の森の秋の日ざしに干物の匂いをかぎ分けるというのはかなり鋭敏な嗅覚である。あるいは微かな匂いは、現実ではなくとも感覚として匂った気分になる。病とは言えずともよくある幻覚の一種とも考えられる。喧騒を離れた都会の一隅に生活の匂いを引きづる意識を、分析したくなる衝動を感じるのはこの詩に対する誤解なのだろうか。

 私は、いわゆる腐臭以外の匂いにはとても鈍感なので、匂いがこのように何かの意識の変化の象徴になるということはない。しかし、視覚・聴覚というのは「なるほど」と思うことはある。若干の味覚もひょっとしたらあり得ると思う。私の場合は味を感じなくなるということで、精神状態の変化を感得しているかもしれない。

 慣れ親しんだ感覚に身を浸して、退行する意識の回復への道行をはかる、というのは本能に近い行為であるかもしれない。退行する意識の回復には論理的分析や、外部からのカンフル剤は効果がない。それは毒にも近いものである。「病」へと進展させてしまうものでもあると思う。
 自然の発するさまざまな音や、聴き慣れた音楽。自然のもつ色彩や景色・景観や、親しんだ美術等々に身を浸す行為は、意識の回復のための無意識の選択であろう。

 さて、今回の私の退行する意識には、何が相応しいのだろうか。