Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

港の見える丘公園から元町・中華街へ

2016年07月18日 23時09分44秒 | 山行・旅行・散策
               

 県立神奈川近代文学館の「花音朗読コンサート#12」の終了後、港の見える丘公園の花壇を散策。百合の花が満開の見頃であった。丘を下り、元町を散歩して中華街まで歩いた。中華街の入口にある四五六飯店別館で早目の夕食を食べた。



 1500円のセットを2人前注文したが、二人ではとても食べきれなかった。二人共食べる量が減ったと思われるが、出される量ももともと多かった。ひとり分から提供してもらえたので、簡単な点心をひとつとこのセット一人分でも十分だったかもしれない。また私は生ビールの次にウィスキーのハイボールを注文したが、とてもアルコール度が高く、お得であったがそれだけですっかり酔ってしまった。
 膨れてしまったお腹を抱え、千鳥足でやっと関内まで歩いた。途中横浜駅で買い物につきあい帰宅。

 初めてスマホのカメラ用の接写レンズを使ってみた。×10というタイプしかなかったのでかなり近づかないとピントが合わない不便さがあるが、それなりに使えるようである。もう少し距離を取って写せるレンズの方がありがたい。×3~×5位がありがたいのだが‥。


花音朗読コンサート#12

2016年07月18日 20時24分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は県立神奈川近代文学館で行われた「花音朗読コンサート#12 茨木のり子 生誕90年・没後10年記念~ひとりの女流詩人が残したもの~」に参加した。
 茨木のり子の詩は初めての体験である。生前に刊行された8つの詩集からそれぞれひとつずつ計8つの詩の朗読が前半。休憩後茨木のり子が戦後すぐに作った童話「貝の子プチキュー」の朗読、そして没後に刊行された「歳月」から7つの作品の朗読が行われた。
 各詩の朗読の合間にはピアノの演奏が挟まり、楽しく、また十分に作品を味わいながら鑑賞することが出来たと思う。

 わたしが一番きれいだったとき  (「見えない配達夫」より)

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 街で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しかしらなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね

 自分の感受性くらい     (「自分の感受性くらい」から)

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だってはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいなはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



 優しい言葉がつながり、取り立てて注釈などいらない詩である。畳みかけるように連なることばはしかし作者自身に突き刺さるように、強さがある。自分に厳しい詩人の在り様が十分に伝わってきた。
 これを機に茨木のり子の詩に少し触れてみようかと思った。

フォーレ「小品集、前奏曲集、ヴァルス・カプリス」

2016年07月18日 10時14分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 ジャン・ユボーのピアノによるフォーレのピアノ作品全集の4枚目を聴いている。これまで漫然と2~3回だけ聴いてそのまま聴くことのなかった4枚目だが、本日はこれを聴いている。収録されている曲は「小品集全8曲 作品84」、「前奏曲集全9曲 作品103」、「ヴァルス・カプリス全4曲 作品30~62」、「マズルカ 作品32」。いづれもなかなかいい作品だと感じた。
 小品集は第8曲目が夜想曲第8番と同じ曲ということである。統一性を追求した曲集というよりは、異なる時期に作られたものを集めた曲集であるらしい。
 前奏曲集は解説書によれば、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」と同時期に作られたが、和声も語法もまったく別物、ということらしい。第2から第4までの3曲は舟歌の書法・様式ということである。また配列にも配慮があり、ひとつのまとまった作品としてとらえることが出来るそうである。確かにひとつひとつの曲が変化に富んで、さまざまなピアノの表情を見せてくれる。
 ヴァルス・カプリスとは不思議な名である。ワルツでかつ同時に奇想曲ということらしい。確かにショパンやウィーン風のワルツとはまったく趣きを異にする。ワルツというよりは奇想曲=カプリスである。解説では前2曲と後半2曲では趣も構成も違いがあるとのこと。作曲の時期もフォーレの作品時期の第1期と第2期に分かれている。