Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

世界平和アピール7人委員会のホームページから

2016年07月01日 21時44分44秒 | 読書
 今月のことば#27として、以下の文章が本日付でアップされている。

イギリスの騒動に思う
                               高村 薫
 先月、親しい友人たちと珍しくプライベートな旅行に出かけたのだが、みな現役の仕事人間ばかり。出発当日はイギリスの国民投票の開票日と重なり、朝から旅路そっちのけでスマートホンの速報に見入った末に、昼ごろBBCが離脱派の優勢を伝えたときには、みな呆然自失したものだった。
 イギリスがEUから離脱するなんて--。よもやほんとうに起きるとは思わなかったことが起きたとき、イギリスの外ではこうして多くの人がただただ絶句した。そして、最初の衝撃が去ったいまは、この先世界が向かってゆくだろう未来の暗い予感に押しやられながら、誰もが為すすべもなく当面の混乱を見守っているのである。
 EUの一員でいることのメリットとデメリットを冷静に秤にかけたなら、離脱という答えが出るはずもないが、それでも現実の国民感情はきれいに二分され、最終的に離脱が残留を上回る。これを「衆愚」やポピュリズムと呼ぶのはたやすいけれども、そうした間尺に合わない国民感情の噴出は、いまやイギリスに限った話ではない。移民の増大による社会不安と、EU域内の種々の規制への不満は、フランスの国民戦線のような極右勢力の伸張というかたちで顕在化しており、それが域内各地の独立運動の機運にも火をつけているのだ。
 そこには弁舌巧みに人心を扇動する政治家や指導者がおり、それに躍る人びとが従来の常識では考えられない極端な結果を生み出してゆくのだが、それはアメリカ大統領選挙の共和党候補トランプ氏や、フィリピンの新大統領ドゥテルテ氏、そしていくらかは日本の安倍政権も同様だろう。そこで否定され、排斥されるのは既存の権力構造とエスタブリッシュメントであり、人類全体を視野に入れた思考や理性、忍耐は退場させられる。
 私たち日本人をふくめ、2017年の世界はこうして確実に冷静さと忍耐を失いつつあるのだが、その根底には経済の低迷と民主主義の行き詰まりがあり、その結果としての生活のしにくさや将来不安、そして難民問題に代表される社会の不安定化があると言われる。そしていずれの問題も、有効な解決策が見つからないまま、企業家や投資家は当面の利益の確保に走り、抑圧された生活者たちのなかに、不満のはけ口を求めてポピュリストの扇動に熱狂し、足下の不平等をうみだしている社会の転覆に喜んで荷担する者が増えているのである。
 しかも、こうした扇動ではおおっぴらに嘘が語られる。先般のイギリスの国民投票でも、離脱の旗を振った元ロンドン市長らが離脱の根拠としてきたEUの分担金について、その金額自体が誇張だったことを選挙直後にあっさり認めるという無責任ぶりだった。
 しかし古今東西、政治とはそもそも、そんなものだったのだろう。為政者は己が欲望のために堂々と嘘を語り、その嘘に躍る民衆がおり、気がつけば誰も想像もしなかった道へと踏み出している--世界の歴史はこうしてつくられてきたのかもしれない。歴史を動かすのは高邁な意志や理想ではなく、欲望に躍ったり躍らされたりする人間の本態なのかもしれない。イギリスの騒動を眺めながら、つくづくそんな思いに駆られたことである。
 賢くありたいと願いつつ、けっしてそうはなれないのが人間であるなら、せめて、何事においても慎重でありたいと思う。

⇒【http://worldpeace7.jp/?p=895

泡盛「光龍」

2016年07月01日 21時18分13秒 | 料理関連&お酒
   

 4月末に沖縄に行ったときに購入した泡盛をすっかり忘れていた。夕食前に思い出した。那覇市内の国際通りで購入した2種類の泡盛の100CCの瓶6本。
 その内3本は同じ銘柄。「光龍」という名である。古酒で9年、6年、3年もの各1本。本日は贅沢に一番古い9年物の蓋を開けた。いづれもアルコール度は30度。30CCほどはそのまま味わった。30度とは思えないまろやかさを感じた。
 残りはペットボトルの水、「南アルプスの水」で倍にわった。15度だから日本酒のアルコール度数にした。味はこの方が判るような気がする。どのような味なのか、といわれるととても表現できないのがもどかしい。
 飲むペースとしては一日100CC1本がちょうどいい。この100CCの小瓶を購入するのが、沖縄を訪れた時の私の楽しみの一つである。


中原中也「蛙声」

2016年07月01日 11時14分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
  蛙声(あせい)

天は地を蓋(おほ)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く‥‥‥
--あれは、何を鳴いているであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?

天は地を蓋ひ、
そして蛙声は水面に走る。

よし此の地方(くに)が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感(おも)はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。


 これは最後の詩集『在りし日の歌』(亡くなる一か月前の9月に小林秀雄に原稿が託され、翌年刊行)の最後に掲載された詩。7月発行の雑誌に発表された生前最後の詩でもある。8月には心身の衰弱が激しく、妻子と帰郷する決意したが、かなわず10月に入院し、22日永眠した。

 年譜と対照してこの詩を読むと、蛙の声は死への誘いのように聞こえてくる。蛙の声が「空より来り、空へ去る」はこの意であろう。ふと力を抜くとそのまま無意識の闇へ誘われるギリギリのところで心身の衰弱と格闘していたのかと想像する。
 「転」にあたる第4連、望郷の念の理由として「此の地方が湿潤すぎる」ことが挙げられる。「疲れた我等が心」は、都会での交友関係の濃密さと、その引き受けた関係のキツさに押しつぶされた詩人の心を指すのであろう。「湿潤」はこの関係のキツさの比喩と思われる。
 人との関係がべとつくように自分の肌に纏わりつく感覚、これを多くの人はどこかでうまく処理し、シャワーで洗い流すようにしながら生きていくことを強いられている。しかしこの術がうまく働かなくなった時、人は立ち往生し、闇の中の手探りに膨大なエネルギーをむなしく費やす。この術をうまくコントロールしている働きを、人は10代半ばまでという短い時間の中で獲得しなくてはいけない。この術は時間をかけて醸成しないと、成熟した術にはならない、と断言することは出来ないか。早すぎる才気にはそれが後追いとなってしまう悲劇がまとわりつく。この術は親からのアドバイスや公教育で獲得できるものではない。10代の内の自らの格闘でしか身につかないと、私は実感してきた。自らの内部での自問自答、社会体験の中で醸成するしかない。多分、中原中也という個性は、このことに私などよりはより繊細で、より真摯に悩んだのではないか。だからこそ詩人という資質に磨きがかかったといえる。
 30歳という若さで燃焼してしまう才気、文学の友人関係は自ら進んで極めて濃密さを求めたのではないか。そしてその処理の過程で心身に影響が出てしまった、と推察している。多くの友人がその死と詩を悼んだのはその証である。自ら求めた濃密な人間関係を、繊細にコントロールする術を失いながらも、なおその関係から離れることのできずに求めて彷徨する。そんな姿を中原中也の「晩年」に見ることが出来る。
 周囲には濃密な関係を求めつつ、その関係になかなか癒されることのない繊細な心は「柱」を「乾いたもの」と見てしまう。湿潤ならば木の柱にも湿気を嗅ぎ分け、湿気を感じ取る心性もあるはずだが、この作者は「乾いた」と体感する。

 自己の心性と、周囲との関係が分離し、自分から遊離していく。自己の統御が不可能になって、外界と内部が互いに関係を失って並行して時が流れる。それをまた統御不能として眺めるだけでしかない自己をこの詩は示しているようだ。