Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

オキーフ「グレーの上のカラー・リリー」

2017年08月03日 22時20分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日「ボストン美術館の至宝展」で見たジョージア・オキーフ(1887-1986)の「グレーの上のカラー・リリー」(1928)。オキーフの名は知っていたが、具体的な作品は記憶になかった。あるいはどこかの印刷物でこの絵を見たことはあったかもしれない。しかし実際の作品を見て、とてもドキリとした。
 水墨画のような背景に淡く着色した緑と白が静かに、控え目に浮き出ていた。41歳の作品だから中期の作品なのだろうか。具象画というよりもどこか抽象画のような感じもした。そして何よりも性的なこだわりを背後に秘めているような印象も受けた。
 背景はカーテンなのだろうか。カラーの茎ないし葉の緑が左側はグレーの布地に溶けてしまうように薄く消えていく。白い花の部分は周囲に対して融け込むようなことはなく、しっかりと存在感を示している。この緑色の周囲の空気や背景に融け込むようなイメージは何を象徴しているのだろうか。白い花を引き立てるためだけの処理とは思えない。
 もうひとつの気になったことは、水平・垂直の線がどこかで否定されて斜めに空間を構成している。それでいて白い花の部分は安定して自己主張している。不思議な空間構成である。
 またカーテン乃至布地と花弁と蘂には影が微かにある。しかし茎・葉には影がない。生殖器としての花とそれを囲む布地には存在感があるが、茎・葉には存在感が希薄であるという所から、私は性的なものを感じたのだろうか。
 この縦長の作品、とても気になり、そして惹かれた作品である。


「アルチンボルド展」&「ボストン美術館の至宝展」

2017年08月03日 18時31分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は午前中は関内で用件を済ませた後、その足で上野の国立西洋美術館にで「アルチンボルト展を見に行った。会場で美術展の開催期限を見たら9月24日となっていた。慌てて持参した無料観覧券を見たらこの券の有効期限が8月5日ということであった。
 昨日の記事は会期を8月5日と記したがこれは間違いであった。私の記事を信じた方、ごめんなさい。

 チケット売り場や美術館のロビーはさほど混んではいなかった。会場内は頭越しでなくともかろうじて見ることのできる程度の混雑、しかし小学生と母親という組み合わせが多かった割には、静かに見ることが出来た。
 同時代の画家の作品やアルチンボルトの博物学的関心なども分かる展示あったと思う。感想は後日にしたい。
 図録は2900円ということで高めなので購入しなかった。芸術新潮の特集版を後日購入することにした。こちらは1500円代ということがわかった。

 開場を出てから東京都美術館で開催されている「ボストン美術館の至宝展」に出向いた。こちらは65歳以上1000円ということで割安感につられて入城。
 こちらもなかなか惹かれる作品がたくさん展示されていて、とても充実した時間を過ごすことが出来た。
 尾形乾山の角皿、英一蝶の涅槃図、蕭白の風仙図、飲中八仙図、司馬江漢の秋景芦雁図、蕪村の柳堤渡水・丘辺行楽図、フランス絵画ではミレー、カミーユ・ピサロ、そしてゴッホでは私の好きな郵便配達人ジョゼフ・ルーランが目についた。
 オキーフの「グレーの上のカラー・リリー」は初めて目にしたのだが、とても気に入った。オキーフという画家、少し作品を探ってみたいと感じた。
 この図録は購入した。これをめくりながら楽しむことが出来そうである。こちらも出来るだけ早めにアップしたいものである。

「横浜の西洋人社会と日本人」(横浜開港資料館)

2017年08月03日 08時58分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日最初に訪れたのが横浜開港資料館で開催している「横浜の西洋人社会と日本人-異文化へのとまどい」展。
 ネットでの解説では、
★幕末に開港した横浜には、イギリスをはじめとする西洋諸国からさまざまな人びとがやって来て、自分たちの社会を築いていきました。開港直後にやって来たのは外交官や宣教師、そして少数の商人でしたが、間もなく多くの商人とその家族が来浜するようになり、日本で最大の居留地社会が誕生しました。一方、日本人も近隣だけでなく全国から、この新しいまちに集まり、西洋人相手の商売を始めたり、また外国商館やその家庭で働いたりする者も出てきました。仕事や日々の暮らしの中で身近な存在となった日本人と、その文化を理解することは切実な問題となっていきましたが、簡単なことではありませんでした。
西洋人たちは、本国の家族や友人への手紙、滞在記・回想録のなかで横浜での暮らし振りやすばらしい日本の風景とともに、日本人の風俗習慣も伝えました。
本展示では、初公開となるドイツ商人の妻が残した貼込帳をはじめ、当館が所蔵・保管する西洋人のこのような記録をもとに、横浜居留地での彼らの生活と、生活を通して彼らが描いたさまざまな日本人像を紹介します。

と記されている。

 今回の展示では、日本人から見た外国人ではなく、日本に来ていた西洋人から見た日本人、という視点での展示であるとのこと。
 まずヘボン式ローマ字表記で有名なヘボンと妻クララの人となりが手紙から読み取れた。また風刺画家ピゴーがヘボンを揶揄していない絵などからもその人となりが推測できる点などの指摘がされていた。ヘボン塾の在りようなども初めて目にしたものがあり、興味深く見ることが出来た。
 次に目を止めたのはイギリスの会合還アーネスト・サトウの事績の紹介。東海道の旅の紹介はなかなか面白いものである。
 最後に、ドイツ人貿易商の夫人クララの「貼込帳」は今回の展示の目玉のひとつ。「開港のひろば137」の2~3ページに詳しいが、1882年に新婚で来日したクララがパーティーの招待状や晩餐会のメニュー、コンサートのプログラムなどを2冊に分けて綴じていた。
 鹿鳴館開館式夜会の招待状、憲法発布祝賀会招待状、それらの夜会の帰りに仕立てられた特別列車の乗車券など、興味深いだけでなく、さまざまな意匠のカード、席次表など現代でも新鮮なデザインに驚くと同時に、当時の人びとの付き合いの仕方と現在とのあまり違わない在りようが新鮮に感じた。
 日本人の見た西洋人とその下で働くアジアの人々、西洋人からみた日本の社会と日本人、どちらかというと混同したまま、曖昧に見過ごしていたが、それぞれの視点に分けて頭の中に整理しないといけないようだ。

   

   

昨日の地震

2017年08月03日 00時22分31秒 | 天気と自然災害
 昨日の二度の震度4の地震、友人の入るところが2回とも震度4を記録している。朝、地震お見舞いのメールをしたがどういうわけか届かずに戻ってきた。夜に再度ショートメールをして被害の無いことを確認した。

 茨城県の北部で深さ10キロと、南部で深さ50キロ。発震のメカニズムは違うようだ。しかし実際に体感するとちょっと不安になるかもしれない。特に情報が伝わりにくい深夜と早朝である。

 私は最初の地震は初期微動の段階で目が覚めた。寝入った直後であった。朝7時の地震は最初は気が付かずに一番揺れが大きくなってから眼が覚めたようで、すぐにおさまった。そしてすぐにまた寝入ってしまった。いつものとおり8時に起きた時は、二つの地震がひとつだったか、別の地震だったか記憶があいまいだった。後の地震はカーテンの外が明るかったことを思い出して、ようやく二つの地震だったと記憶を取り戻した。