Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夕陽を浴びて汗だく

2017年08月05日 23時47分36秒 | 山行・旅行・散策
 16時半過ぎにウォーキングに出かけた。3日間で5万5千歩程と、それなりにハードに歩いたし、本日は久しぶりに強い陽射しと30℃を超えていたので、本日はゆっくりと歩いた。昨年膝を痛める直前まで歩いていた新横浜駅までの往復2万歩近くのコースを途中で引き返してみた。8か月ぶりのコースである。往復で約1万2千歩。2時間近くかけて歩いた。実質時間当たり6千歩とゆっくりの歩き方。しかし途中まで夕日が厳しくあたり、かなり汗をかいて疲れた。
 脱水症状になってはいけないので、途中のコンビニでスポーツドリンクを飲んで15分ほど休んだ。これでかなり回復。
 久しぶりに公園では頭から水を被ってさっはりとした。

 夜は近くのコンビニまでアイスキャンディーと明日の朝食用の牛乳とヨーグルトを購入。結局本日は1万5千歩。明日も晴れるようなので、このくらい歩いてみたい。明後日は雨の予報、ウォーキングは中止をして、足を休めたい。

「ボストン美術館の至宝展」

2017年08月05日 22時01分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 「ボストン美術館の至宝展」は当初はあまり関心がなかった。しかし私のブログにリンクの貼ってある「時には本の話でも・・・」の管理人である「葦原の山姥」様の勧めもあって、上野に行った折りは是非見学しようと思い直した。
 チラシにおおきく取り上げているゴッホの「郵便配達人ジョセフ・ルーラン」(1988)と「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」には目を見張った。実際に見ることはなかったが、様々な解説書に取り上げている作品で私も気に入っていた。特に「郵便配達人‥」は私のお気に入りの一枚でもある。しかしやはり実際に目にするととても親近感が湧くものらしい。
 色彩の研究に没頭していたゴッホならでは作品だと思う。詳しくはいづれ別記事で。他にはオキーフや蕭白、英一蝶、コロー、ミレー、モネなど充分に堪能できたと思う。北宋の徽宗の「五色鸚鵡図巻」も感銘を受けた。鸚鵡の図もいいが、書が気に入った。アメリカのオールストンという画家の「月光」(1819)という作品にも惹かれた。いづれもおいおい取り上げてみたい。
 展示構成は
1.古代エジプト美術
2.中国美術
3.日本美術
4.フランス絵画
5.アメリカ絵画
6.版画・写真
7.現代美術
となっている。

 私にとっては至福の時間を過ごすことが出来た。

   

      

溜息が出そうな土曜日

2017年08月05日 16時18分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく明日の会議のレジュメと参考資料・写真が出来上がった。あとは今晩打ち出して終了。印刷・製本は明日の10時の会議開始に間に合うようにコピーすればいいだけとなった。

 本日はこれから天気は下り坂という。夕方早めにウォーキングをしたいと思っていたが、もう16時過ぎてしまった。とはいっても雨が降りそうな気配はない。

 さて本日でとうとう66歳になってしまった。


「風仙図屏風」(曽我蕭白)

2017年08月05日 09時00分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「ボストン美術館の至宝展」にて曽我蕭白の「風仙図屏風」を見た。すでに一度目にしており、印刷物でも何回か見る機会があった。
 辻惟雄の「奇想の系譜」では曽我蕭白は取り上げられているもののこの「風仙図屏風」は取り上げて論じてはいない。

 私はいつもこの作品を見るたびに違和感を覚える。たった一人で池に住む龍を退治して天の水門を開けて干ばつを救ったという中国の陳楠(ちんなん)を描いたとされるこの作品は、経世済民の実を失った当時の武士に対する痛烈な批判であるらしい。
 龍はの黒雲として描かれ風を巻き起こしている。そして陳楠の従者ないし同僚はその風を受けて、陳楠の後方でみっともなく倒れている。さらに作品の右端では2頭のウサギが何事もないようにのんびりと対話している。画面の左手の樹は龍の巻き起こす風で大きくゆがんでいる。あるいは空間そのものが歪んでしまうほどの強い霊力の龍である。風を巻き起こす龍を黒い渦で表現しているのはなかなかである。従者ないし同僚や、ウサギ、陳楠の後ろの風になびく樹の表現なども秀逸だと思う。

 だが、龍を退治する陳楠の描き方が何とも云えず滑稽すぎる。まず眼が向かって左、従者乃至同僚の方に剥けられている。こんなに強い霊力ないし暴風に対峙する場合は龍の方をにらみつけるのが普通の仕草であろう。また足2本が互いにとんでもない方向を向いている。実際にはあり得ない揃え方である。そして一番おかしいのは、風に対峙しているのに、膝は棒のようにまっすぐで、腰は前のめりである。これでは踏ん張っている姿勢ではない。膝を曲げ、腰を落として両足を軽く前後にずらして踏ん張らない限り、後ろで倒れている二人のように風で倒されてしまう。剣を持っても力が入っていない。振り下ろして空振りをしたような仕草にしか見えない。
 私はいつもこの滑稽な姿勢におおきな違和感を持つと同時にわらってしまう。曽我蕭白という画家の作品、私は「雲龍図」はとても好きである。その迫力には脱帽である。しかしこの風仙図の主人公陳楠だけはどうしても理解できないでいる。