Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

時にはこのような句も‥

2017年08月30日 23時31分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★啄木が死んだこの頃の白つつじ    中塚一碧楼
★草に寝れば空流る雲の音聞ゆ     芹田鳳車
★船をのぼれば島人の墓が見えわたり  野村朱鱗洞


 いづれも荻原井泉水が編集する新傾向俳句の「層雲」に掲載された句である。読みかけのままパソコンの横の棚に放置していた「俳句の変革者たち」(青木亮人、NHK出版、2017.4)所収。
 今は新傾向俳句や自由律俳句はほとんど埋もれてしまい、尾崎放哉などが読まれ続けている以外はその成果は滅多に眼にすることもない。私もほとんど知らない。
 ときたまこのような本に紹介されるのを目にするくらいだろうか。たまに見るということだけの理由ではなく、とても新鮮である。個人の心象風景にこだわり、そして定型にこだわらずに作る人の内的・個人的なリズムに重きを置いた作品におおいに惹かれる。
 大正期初めの時代を踏まえつつ、味わいたいと思うがなかなか能力がない。

 私の勝手読みのそしりは免れないと思うが、次のような感想をもった。

 第2句、特に季節は限定する必要はない。季節ということに囚われずに、自己と観念が空という自然に溶け込んでいくようす、自然を前にさまざまな人間社会の軛を解き放ち、解体してく自己が感じ取れる。穏やかな風景や時間へのあこがれと解釈すると途端につまらなくなる。「雲の音が聞こえる」という不思議な感覚を手繰り寄せると、人間関係のわずかな綻びが次第に大きな軋轢となって自分を押しつぶそうとする、という強迫に近い観念が見えてくこないだろうか。
 そんな思いは多分、「空流る」という表現から連なってくるリズムの綻びによるのではないか。6-5-8と読むか、6-8-5と読むか、6-5-5-3と4つの句に切るか、区切り方による逡巡と不可分ではないようだ。
 音律と意味との不思議な関係がいつもこれらの句につきまとう。私はそれが好みでもある。

大雨警報・注意報は解除

2017年08月30日 21時42分34秒 | 天気と自然災害
 17時45分に大雨注意報が大雨警報に変ったが、19時15分にふたたび大雨注意報に戻り、20時前にはその注意報も解除になった。雷注意報は継続したまま。レインアイよこはまの画像を追っている限り大雨警報というのは少し早めに過ぎたのかな、と思う反面、それだけ大気の状態が不安定で予測が困難なのか、遅れて出して被害が出てしまったはまずいという判断なのか、勝手に想像してみた。

 本日六本木の新国立美術館で開催されているジャコメッティ展を見てきた。会場を出た直後、かなり雲行きが怪しくなり、一雨来そうな雰囲気であった。16時から17時かけてかなりの雨が降ったらしい。ちょうどその直前に地下鉄日比谷線に乗車したので、雨には合わずに助かった。横浜では大雨注意報も解除され、ところどころ雲の切れ目があり、上限の半月が美しい。しかし星は本日も見ることは出来なかった。

ジャコメッティ展

2017年08月30日 19時50分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昼過ぎに家を出てジャコメッティ展を見てきた。思ったよりも人は少なく、ゆっくりと鑑賞できた。
 ジャコメッティ展に行く前に鑑賞のポイントを私なりに整理してみた。
1.どうしてあのような細い彫刻表現になったのか、
2.きわめて細い作品ながら作品のもつ現実感、リアリティはどこからもたらされているのか、
3.現実の目と、出来上がった諸作品を生み出した目、どのような違いを感じ取ればよいのか、

 一応この点に沿って作品を見て回ったものの、具体的で納得できる視点はわからなかった。折角図録を購入したので、読みながらそれなりの時分の感想を求めたいと思っている。はたしてできるだろうか。自身はまったくない。


午後には雷雨の予想だが‥

2017年08月30日 10時34分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 8時過ぎに起きたのだが、セキセイインコの籠の掃除をしたのち、9時半には再び寝てしまった。食卓テーブルの前に座っていたが、あまりに眠いのでベッドにフラフラとたどり着いて40分ほどうつぶせで熟睡。眼が覚めた時は自分がどこにいるのか、どういてベッドの上なのか、しばらく考え込んでしまった。

 本日は午前中の天気は良いようだが、午後からは雷雨をともなった雨も降るらしい。気温も正午以降下がる一方との予報が出ている。
 出かけるのは避けようかとも考えたが、ジャコメッティ展に行く日が他にないので、出かけることにした。これから支度‥。