Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

大岡信とミロ「絵画」

2017年08月27日 21時35分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 芸術新潮の2009年2月号「国立西洋美術館のすべて」をめくっていたら、ジョアン・ミロの「絵画」(1953)が目に入った。大きな複製でとてもいい発色である。そして「私の好きな西美の1点-ミロを買った日」という大岡信のエッセイが掲載されていた。
 この記事によると1963年10月から11月にかけて、32歳の大岡信氏が山村徳太郎氏とパリを訪れこの作品を購入し、山村コレクションに加えられたと記載がされている。
 私が好きなこのジョアン。・ミロの作品が、私が惹かれることの多い大岡信氏の助言により山村コレクションに加えられ、結果として西洋美術館の所蔵となったと聞いてびっくりした。このエッセイには購入に至るパリへ出向いた想い出で終わっており、作品そのものについての大岡氏なりの鑑賞は書かれていないのは残念であるが、そこには「帰国後一年ほどして出した最初の美術論集『眼・ことば・ヨーロッパ 明日の芸術』の中で、断片的にだが、今でも自分でなつかしく思うたくさんの小エッセイを書いた」と記している。
 こんど図書館で探してみることにしたい。

本日の読了「江戸の花鳥画」(今橋理子)

2017年08月27日 16時27分56秒 | 読書

 すいぶんと時間がかかってしまったが、ようやく読了。いつものように覚書として。



 「将軍は四季を通じて思うままに鷹狩に興じ、大名たちは邸宅内に所狭しと珍鳥を集め、飼鳥する。巷では舶来の植物や鳥類の育て方を指南する書物が飛ぶように売れ、民衆は春は総出で花見に遊び、木戸銭を払っては〈奇獣〉の見世物小屋へと足を運ぶ労を惜しまない。それぞれの動機や興味は異なるもの、自然物を無条件におもしろがり、愛で、楽しむということが、‥江戸時代にはあらゆる階層の人々の生活の中にあった」
 「江戸時代の博物学や植物図譜の輝きは「近代化」の三文字の上に、歴史の隅へと追いやられた。して自然科学研究の急速な発展は、最終的には江戸の科学=「博物学」を過去の遺物として貶め、「博物学」だけが持ち得る、多くの豊かな世界観を打ち消したのだった。この〈江戸時代博物学〉の否定は、そのまま〈江戸博物図譜〉の忘却へとつながり、そこに展開された科学と美術・芸術との、深く親密な連携の様相とその美しさを私たちは長い間しることもなく過ぎてしまった」
 「ゴンクールが歌麿の花鳥に深い共感を得たり、クリストフル社の職人が真剣に日本の「禽鳥帖」を写し取ろうとした背景には〈博物学〉と、それを応用し成熟させる美術が、確かに根付いている社会が存在していた」
 「18世紀以降、江戸の人々が熱狂的に西洋の博物書を手に入れ、模写しようとしたのかがわかる。それは繰返すまでもなく、西欧が「大博物学の時代」を迎えていたその時、極東の江戸の地もまた〈江戸博物学〉の爛熟の時代を迎えていた。〈博物学〉という、「共時的む文化の
中に生まれた〈博物図譜〉という絵画は自然界を理解する「視覚言語」として、給与得されるべきものとして存在」した」
 「明治維新を境に、日本人は‥〈江戸博物学〉という一つの文化遺産を、歴史の中に置き去りにしてしまった。‥〈江戸博物学〉と〈江戸博物図譜〉は‥そのせいようからの光が当てられることによって、歴史的意味をいきいきと語り出す。江戸という時代の特異な〈過去の遺物〉ではなく、「自然と人間」あるいは「科学と芸術」という、時代や地域を超えて、美術において普遍的に追及されるべき重要なテーマを担い、私たちの前にそれを率直に提示している」

 江戸時代中期以降の「博物学」的な絵画を、江戸時代のさまざまな文化・芸術・芸能にも言及しながら幅と奥行き深く論じている。
 小野田直武の位置付けから狩野派、大名間の鳥を中心とした博物学の流行、鷹狩の文化史的位置付け、花鳥図の浮世絵版画などなど興味は尽きなかった。
 私がとりわけ注目したのが、歌川広重の花鳥画。俳諧が添えられた作品は多数が図版として掲載されている。どれもが魅力的である。これは是非彩色された図版で、まとめて見たいものである。


昨日の宴会

2017年08月27日 11時04分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は夕方から楽しく宴会。帰宅したのは23時。雨が降るかもしれないというので小さな折畳傘をリュックに入れていったが、使わずに済んだ。
 お蕎麦屋さんを借り切った宴会だったが、定休日にもかかわらず対応してくれたという。私も現役時代には何度かお昼に食べに入った懐かしい店である。お蕎麦はとても美味しい。しかし昨日はそのお蕎麦は出なかった。煮物など美味しいものがたくさん出てきた。蕎麦焼酎を割る蕎麦湯は、前の日に用意をしてくれていたようだ。
 今度久しぶりに、お昼過ぎに寄ってみたい。

 結局近くの店で6人で二次会、野毛まで出向いて三次会まで付き合ってしまった。

 作っていった亡くなった方のミニアルバムと遺影はとりあえずは好評だったので、ホッとしている。