Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

衰えた歩き方

2017年08月31日 21時46分22秒 | 山行・旅行・散策
 本日は引き籠り生活。夕方に近くのドラッグストアまで簡単な買い物を頼まれて往復歩いただけ。穂数は3500歩ほど。
 昨日気が付いたのは、2月の坐骨神経痛以来、太ももをあげないで引きづるような歩き方になっていた。最近どうも階段を昇ると足がつらいと思っていた。ウォーキングの歩数は稼いでいても、太ももがあがらず、足を引きづるような、そして歩幅の短い歩き方になっていた。情けない歩き方になっていた。
 早速少し大股に、また太ももをあげて歩くようにしてみた。わずか3500歩だったが、太ももが疲れた。これではいけない。明日からのウォーキングに生かしたい。明日からまたウォーキングの再開。


台風15号の足踏み

2017年08月31日 19時32分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 台風15号は小笠原諸島で停滞している。本日の寒さは大型の台風に吹きこむ北風のためである。風が少しずつ強くなってきている。

 台風の句を取り上げるにはまだ早いかもしれないが‥。

★台風を充ちくるものゝ如く待つ    右城暮石
★台風来る青年の忘れしものを持ち   庄司遅舟
★ぐい呑みに時満ち満ちて野分だつ   菅原涼聖


 第1句、久保田万太郎に「あきかぜのふきぬけゆくや人の中」という句がある。また飯田蛇笏に「亡骸(なぎがら)や秋風かよふ鼻の穴」という句もある。風が自分の体内を吹き抜けていくという思いは私にはとてもわかる。高台に建って秋の風に身を晒す時、冬の風ならもっとすさまじく、わが身が自然にさらされる。また自分が死んだら骨の標本になって地球上のあらゆる風、大気の流れをとおしてみたいと思う。そんな風に自分の体に地球上の水が満ち溢れて、そしてこぼれていったら、とても満たされた気分になれるのではないか、という観念がいつも私の中にある。こんな人から言わせるとちょっと変わった思いが通じるような句である。
 第2句、台風というのはもったいぶっている。いつも気をもませながら、そして人の命を皿って行く。それが当然のように。時々は静かに台風が過ぎるのをじっと待っている人を皿っていく。時には好奇心旺盛に自然を体感したくて外に出た人だけをさらっていく。時には人生の過去の思い出を持ち来たって、人の気持ちを騒がせる。台風の恐怖と、過去の自分の観念におびえさせる。そうやって人を追い詰めて、ひょっとしたらそれに耐えきれない人もさらっていく。
 第3句、どのような「時」なのであろうか。私の想定では作者の過去の、人知れず悩んだ10代の頃の体験であろうか。ほろ苦いとか、今となっては懐かしいとか、そんな一般的なことばでは語り尽くせない体験であろう。人は誰もが、他人には代替え不能な過去の「時」を抱えている。墓場まで持参するしかない「時」である。それはその人にとっては台風のように生死を左右し、そして現在の作者をも押しつぶしかねない圧倒的なエネルギーを秘めている。小さなぐい呑みに、過去が野分の風のように湧き上がってくる。

「晦日」と「みそか」

2017年08月31日 09時57分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜市内には、大雨・強風・波浪注意報が出ている。今のところ多いところでも5ミリ未満の雨でおさまっている。雨の区域は東南東から西北西にながれている。発表されている風は北風4メートルとなっており、雨の区域の動きと風向きは違いがある。気温が23℃と低い。なお、9時には21.7℃とさらに低くなった。室内の方が格段に高い。窓ガラスを受けると冷気が室内に流れ込んでくる。寒いくらいである。本日はこのような天気が終日続く予報となっている。

 本日は8月の最後の日。晦日と表記するのは旧暦(太陰太陽暦、和暦)のことなので、新暦(太陽暦、グレゴリオ暦)にはそぐわない。晦日の「晦」の字は、隠れる、という意味で、新月の前の日に使われた。月の満ち欠けと連動しない新暦では「晦日」という漢字表記はそぐわないのだ。
 ただし「みそか」という和語は「三十日」の意味なので、ひらがな表記ないし読みとしては新暦でも月の最後の日の意味で使うことは問題はないとのこと。

 これは混乱する。新暦の最後の日を表すときは、「晦日」ではなく「みそか」と表記しなくてはいけないということになる。

 一日家に籠って3日の団地の会議に向けた資料作り。本日中に仕上げてしまいたい。読書とジャコメッティ展の感想はお預けである。