気象庁のデータを見ると本日の最高気温は昨晩1時前の23.2℃の表示のままとなっている。現在もその程度の気温なのであろう。
そして昨晩からの弱い雨が続いている。この雨の区域は神奈川県内では横浜・川崎・横須賀のごく一部にかかっているだけであるが、停滞している。私の住んでいる地域だけが降っているとすら思えてしまう。
長雨と気温からは梅雨の時期かと思ってしまう。これに紫陽花が咲いていれば間違いなく梅雨である。
小雨なので蝉が控え目に鳴いている。弱々しく聞こえる。しかし季語はすでに「秋の蝉」である。
★やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭 蕉
★蝉鳴けり泉湧くより静かにて 水原秋櫻子
★聞くうちに蝉は頭蓋の中に居る 篠原 梵
★秋の蝉高きにありて愁ひあり 柴田白葉女
第1句、死は常に突然である。それは人間に限ったことではなく、動物全体に言えるのではないか。小さな動物ほど、小鳥や昆虫・小魚ほどその死は突然である。彼等が個体として死を自覚しているか、認識しているか、それは人間にはうかがえない。それゆえにといったらいいのか、その死は美しさと裏腹である。
第2句、泉が滾々と豊かに湧き上がるように、蝉の声は膨らんでくる。1匹が鳴き始めると次第に周囲の蝉を引き込んでやがて庭の一角、ひとつの山全体が蝉の声で溢れる。その膨らみ方は動的で、かつ「静かに」という形容がピッタリである。
第3句、蝉の声は同じ繰り返しである。だから脳内に居ついてしまう。ごく自然に。雨などがふと強くなって蝉が突然鳴き止んでも、頭の中では蝉の声が居座っていることがよくある。これがしつこくて厭わしい、という人もいれば、好ましい記憶と結びついている人もいる。
第4句、秋となると蝉の生も切羽詰まってくるように思える。短い最後の生の輝きが、弱々しく感じてしまう。個々の蝉にとっては鳴き始めたばかりなのかもしれないが、全体としては鎮まる傾向として哀愁を誘う。