Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雷鳴・雷光・雷雨・落雷

2017年08月19日 22時46分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 レインアイよこはまで見る限り、一時は私の住んでいる地域にも時間換算雨量で80ミリを超える雨が降ったようだ。洪水警報も未だ発令されたままである。
 雷もすごかった。これほどの雷は久しぶりであった。ひっきりなしに雷鳴と雷光が続いた。団地の会議の途中も一時的に室内灯が消えるなどの影響も出た。家のパソコンの電源を入れたまま出かけたので心配であったが、さいわい無事であった。
 現在横浜市内では強い雨の個所はなく、降っているところも北部と南部の一部の地域だけとなった。

 多摩川の河川敷では落雷でけが人が出たようだ。

 しかし雷というのは、被害のことを考えないと、爽快でもある。安全な建物の中でじっとしていると、光と音があれだけの大きさ、明るさに感動すら覚える。こちらの持っている力を超える力を見せつけられ、完全に圧倒されて無防備になる。身構えることを忘れてしまう。

★夜の雲のみづみづしさや雷のあと    原石鼎
★はたた神七浦かけて響(とよ)みけり   日野草城


またも大雨警報

2017年08月19日 18時09分10秒 | 読書
 神奈川県内全域に竜巻注意情報が出ており、横浜市内には大雨警報と洪水・雷注意報が発令されている。レインアイよこはまを見ると23区内から川崎にかけて80ミリ以上の極めて強い雨の区域があり、南下している。横浜市内では鶴見区に一部かかっている。
 15時半にウォーキングに出かけた時は腫れて、暑い陽射しに心配したが、30分ほど前から厚い黒い雲が空を覆い、雷鳴が鳴り始めた。私の住んでいるところはまだ降り始めてはいないが、今にも降り出しそうである。
 夜からは団地の管理組合の会議。本日も22時までには終わりたいものである。
 明日からは今度は退職者会のニュース作りに精を出さなくてはいけない。


「ことばが飛び出してくる瞬間」

2017年08月19日 15時20分30秒 | 読書
 大岡信の「日本語の豊かな使い手になるために」に次のような一文がある。

「ことばが形をとって現れ出る瞬間には、それらはことばになっていない気分とか意欲とかの大群に取りまかれている。あることばはそういうものをぐうっと押しのけて、飛び出してきたわけです。けっして、ことばだけがすんなりと存在していたわけではない。‥ことばが何かを押しのけて飛び出してたということを、いかに実感として伝えるかということがテーマになっていくるのではないでしょうか。‥ことばが何かを押しのけて出てくる、その瞬間には必ず、緊張と解放の合わさった快感があったはずだし、ある満足感があったはずですね。その快感がことばを生み出す喜びに変わっていく。開放感が、想像する喜びにかわっていく。」

 私にはとてもよくわかることばである。読むことと話すこと、あるいは書くということとの間には実におおきな溝がある。溝というよりも、越えがたい深い断崖絶壁のこちらと向こうのような開きがある。しかしある瞬間にこれがふと超えられてしまうことがある。この瞬間の感覚は何ともいいようがなかった。空中浮揚の会館と共に、いつ断崖の下に急降下して、底にたたきつけられるかもしれないという恐怖も同時に味わうこともあった。

 むかし中学・高校と「作文」と称した自己表出を強いられたとき、自我の成長に伴って、ふと何かがはじけるように気に入った文章が書けることがあった。小難しい言葉をこねくり回していた中に、自分のことばの端っこを掴んだような気になることがあった。
 それを自覚していなかったと思う。今から思うとそんな瞬間は確かに在った。学生時代になって、既存の概念のことばを繰り返し使う自分に出くわした時に、発語する自分に強烈な違和感を抱いた。それ以来、ことばを発することがとても怖くなった。
 それが次第にほどけてきて、ようやく今の自分になったような気がする。