本日の広島の平和記念式典で安倍首相は、「核兵器禁止条約」には触れず、批判が相次いでいる。あいさつの中で安倍首相は「真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です」と述べた。

ところが共同通信では安倍首相は6日に「非核三原則の法制化不要」と述べたという。この記事が正しいとして、この安倍という政治家は、何のために広島に行ったのか、私には理解できない。また自らが述べた「我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です」ということばの意味を知ってあいさつしたのかはなはだ疑問であるとしか言えない。
そして私はこのあいさつ文そのものに違和感を持っている。「国際社会を主導していく」ということばに違和感を持つ。自らが指導者然として高所からのものいいである。どこの国の政権トップであっても、それは日本という国家と同列の主権を持つ。この人の頭の中には常に指導と非指導、主導と追随者、導くものと導かれるもの、とが存在するらしい。少なくとも国際社会や国家間の関係の中で「主導」しようなどという姿勢は反発を招くだけである。
国際社会の中で、「戦争の惨禍を繰り返さないために、そして被ばく国の立場として、率先して「隔世のない世界」に向けて努力したい」といえないのか。その提起の裏付けとして「非核三原則の法制化」や「各兵器禁止条約の批准」を言えないのか。
この人のことばはあまりに軽い。戦争の惨禍を招いた国の政治家として、そして惨禍を受けた人々の思いを受け止める政治家として、重みのあることばが求められる。この人は自分が述べたことばに責任を持つという社会人としての基本的な倫理観が欠如していることは、政権発足後の今日までの国会答弁や、選挙演説を聞く限り、明白ではないだろうか。
政治にことばの重みを取り戻したいものである。

ところが共同通信では安倍首相は6日に「非核三原則の法制化不要」と述べたという。この記事が正しいとして、この安倍という政治家は、何のために広島に行ったのか、私には理解できない。また自らが述べた「我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です」ということばの意味を知ってあいさつしたのかはなはだ疑問であるとしか言えない。
そして私はこのあいさつ文そのものに違和感を持っている。「国際社会を主導していく」ということばに違和感を持つ。自らが指導者然として高所からのものいいである。どこの国の政権トップであっても、それは日本という国家と同列の主権を持つ。この人の頭の中には常に指導と非指導、主導と追随者、導くものと導かれるもの、とが存在するらしい。少なくとも国際社会や国家間の関係の中で「主導」しようなどという姿勢は反発を招くだけである。
国際社会の中で、「戦争の惨禍を繰り返さないために、そして被ばく国の立場として、率先して「隔世のない世界」に向けて努力したい」といえないのか。その提起の裏付けとして「非核三原則の法制化」や「各兵器禁止条約の批准」を言えないのか。
この人のことばはあまりに軽い。戦争の惨禍を招いた国の政治家として、そして惨禍を受けた人々の思いを受け止める政治家として、重みのあることばが求められる。この人は自分が述べたことばに責任を持つという社会人としての基本的な倫理観が欠如していることは、政権発足後の今日までの国会答弁や、選挙演説を聞く限り、明白ではないだろうか。
政治にことばの重みを取り戻したいものである。