Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

高血圧と背中の鈍痛

2017年08月20日 23時32分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は会議からもどったら何故か背中の肩甲骨の間の背骨のあたりが痛い。いつものとおり妻に頼んで背中を強く推してもらって少しは楽になった。この症状は血圧が上がると出るようだ。念のため血圧計を出してきて計測すると、何回はかっても168-98前後で推移する。とても高い数値である。やはりということで、降圧剤を1錠服用。いつも寝る前に服用するように指示をされているが、血圧が高くなったらその都度服用するように、とも言われている。何年かぶりの高い数値であった。
 服用して1時間ほどで135-88という程度に下がり、背中の痛みも消えた。いつも不気味なのがこの背中の鈍痛である。複数の内科医に聴いたが、いつも高血圧とこの背中の痛みの関係はわからないらしい。一応上が135となったので、温い風呂に短めに入って、もう1錠降圧剤を服用して就寝。朝は130-83で安定。
 50代始めに鼻血が止まらなかったことがあるが、その時も血圧が高くなっていた。確か最高血圧が170を超えていたと思う。背中の痛みを自覚するようになったのはその頃である。
 本日もウォーキングから帰って測定しても123-78と低めで安定していた。薬はあと1週間分あるが今週中にいつもの医師に相談することにした。
 20代後半から40代半ばまでは110-70と低めの血圧で推移していたのだが、50代になって急に高血圧といわれるようになった。1日1錠で安定しているのだが、ときどきこのような高い数値になり、肩甲骨の間の背骨のあたりの鈍痛が気になる。年に数回あった症状もここ数年は起きていなかった。

本日のウォーキング

2017年08月20日 21時22分17秒 | 山行・旅行・散策
 今夜も横浜市内で一部地域で雨が降っている。ただし昨晩程のひどい雷雨ではなく、弱い雨である。昼間も厚い雲が空を覆い、湿度も高い鬱陶しい天気であった。
 午前中はニュースの作成を少し始めた。まだ軌道にはなっていないが、23日の水曜日までには最初の稿を印刷所送信することになっている。
 しかしまだ一部原稿が届いていない。何とか早く送ってきてほしいのだが‥。

 昨日に続いて午後はウォーキング。かなりの汗をかいた。湿度が高いと熱中症のような症状になり易い。現に昨日も本日も折り返し地点では汗が止まらなくなり、イートインコーナーでスポーツドリンクと梅干で一服して、体調を整えた。
 その店のあるみなとみらい地区は家族連れで賑わっていた。いつものことながら小さな子どもにとっては南みらい地区のメイン通りの広い歩道空間と横浜美術館前の噴水がお目当てのようである。

 特に買い物や見るものもなく、ひたすら歩いて戻ってきた。汗だくの姿で横浜駅の自由通路を歩くのは恥ずかしかったが、気にせず突っ切ってきた。途中で書店に寄ったが、きっと汗臭い匂いをまき散らしていたに違いない。

稲妻と遠雷

2017年08月20日 12時11分32秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨晩の雷雨はすさまじかった。今朝7時過ぎにようやく最後まで残っていた大雨注意報が解除となった。

 加藤楸邨の雷や稲妻の句からいくつか。

★稲妻のきらめく畔に稲負へり   (「寒雷」の「古利根抄」(1931-34))
★遠雷やみなものおもふ石仏    (「沙漠の鶴」の「大同の石仏」(1944))
★稲妻の降りそそぐ蟇うごきだす   (「野哭」の「野哭抄」(1946~1947))


 第1句、だいぶ近くで稲妻がきらめいたのであろう。暗くなった空のきらめいた稲妻に照らされた人は、稲の束を重い足取りで背負っているのであろうか。稲妻がきらめいているといえども刈った稲を運びきらなければならない。切羽詰まった生活の厳しい状況が映し出される。
 第2句、戦争末期、土屋文明などと大本営報道部嘱託として中国に出向かされた時の句集が「沙漠の鶴」。以降も加藤楸邨はシルクロード紀行で日本と異質の気候風土の中で俳句に挑戦する。それが成功したか否か、私はわからないが、これらの紀行の作品ではあまり惹かれるものは今のところない。
 しかしこの「大同の石仏」の一群は惹かれるものがある。「疲れきてすがる晩夏の仏かな」「涼しさの乳露なる女体仏」「み仏に燕(つばくろ)に戦(いくさ)いつやまむ」などの句が並ぶ。
 遠雷に少し怯えながら、短い時間で石仏群を見たのであろうか。それでも石仏の表情はそれぞれに違い、何かを思っている。瞑想している。日本では小さな五百羅漢などが彫られているが、おそらく乾燥した大地の巨大な仏像なのではないか。広大な広さの中の個性的な顔が並ぶ光景を思い浮かべる。そして何を思っているのか。個の救済の瞑想なのか、「戦いつやまむ」という思いなのか。ひょっとしたら現代のように爆破されてしまう運命の仏たちだったかもしれない。
 第3句、こちらはいかにも多雨な気候の世界。水をかけられ蘇生したような気分になる。稲妻の光った刹那そこに視線が集中して、一瞬でこの蟇は世界の中心に座る。雨の水を意識した蟇の生命があらたな動きで証明されるかのように足を動かす。
 どこか戦後の世界の胎動を彷彿とさせるものも感じた。