Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

自分を顧みる

2017年08月18日 23時30分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日の葬儀に参列したが、亡くなった方の写真を幾枚が印刷している。最近は退職者会の先輩と荒廃が続けて亡くなった。

 寂しい思いもあるが、会の性格上やむを得ない感がないではない。

 人を送る、ということは自分の生きざまを振り返ることでもある、ということを痛切に感じている。人の死は、自分を見つめ直す機会である。そのための葬儀でもあるし、そういうことを気付かせてくれる先輩というのはありがたいと思う。

 私はいい友も大切だが、いい先輩を持ちたいとこの歳になっても思う。

天候不順の影響を耳にするようになった

2017年08月18日 22時40分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は退職者会の役員会の後はいつものとおり、近くの安い店で暑気払いという名の飲み会。皆つい長く居座ってしまいとうとう9時過ぎにようやく清算をして引き上げた。その間4時間半あまり。それでも会計は一人3000円以内で済んだ。
 今月は幹事会は休会なので、少人数の役員会。といっても10数人。夜はさいわい雨が降らなかったので、早めに切り上げたらかなり歩けたのだが、酔っぱらってしまって、本日はトータルで1万4千歩で終わってしまった。

 明日の夜は団地の管理組合の会議。それまでに資料の最終チェックを終えて、印刷をしなくてはいけない。それほどの時間はかからずに終るはずなのだが‥。

 しかし8月に入っての天候不順、日照不足の影響がまずは野菜の値段に現われた。本日の飲み会でも、小さな孫がいる仲間は孫のストレスが溜まっているので大変だと行異口同音に嘆いていた。海も山もプールも、野球やサッカーの観戦も取りやめているらしい。地域の経済にも大きな影響があるようだ。
 来週少しは天候は回復するのであろうか。今月の28日からは新学期が始まるとの話も出ていた。

夏草や‥

2017年08月18日 11時25分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★夏草や汽罐車の車輪来て止る     山口誓子
★夏草や墓は母国の文字を彫る     野見山朱鳥

 第1句、あまりに有名で、中学・高校の教科書にも採用されていた。現在はどうなのであろうか。緑の夏草、暑いレール、強い夏の陽ざし、黒く圧倒的に量感の汽罐車と大きな鉄臨、そして吐き出される蒸気、大きさに似合わずぴたりと予定の位置に止るスムーズな動き、ブレーキの音、汽笛、運転者の指差し呼称、これらが一体のものとして読者に迫って来る。

 第2句、「墓は母国の‥」の句を読んで、最初の印象は今から50年前の山手や根岸の外国人墓地である。今はきれいに整備されているが、横浜にある山手の外国人墓地や、根岸の外国人墓地は私が中学生・高校生の頃は放置されていたものが多数ある。特に根岸の外国人墓地は鉄の重い門が固く閉じられ、中に入れず敷地自体も放置されていた。
 山手の墓地は道路沿いに墓石を覗くことが出来た。読める範囲では英語やフランス語が主であったようだ。ドイツ語の墓銘碑もあったと思われるが、当時の私には判読できなかった。そして日本人が入れないように柵をした駐留軍の軍属の広い芝生の白い平屋の住宅地域と同じように、わたしたちを頑なに拒む外国人墓地は、夏草が伸び放題であった。軍属の住居は芝生がいつもきれいに刈り込んであるのとは対照的であった。しかし私たちを拒んでいることは同じ。亡くなっても頑なに私たちを拒む姿勢が、伸び放題の夏草と、彼等の母国語の墓銘碑に象徴されているように当時は感じていた。反米闘争華やかりしころでもあった。
 しかし今思うと、外国人墓地に眠る人々は、日本人を頑なに拒んでいたわけではなさそうである。遠い極東の果ての地で、彼等はひょっとしたら彼等自身の母国からは売れ入れてもらえない何らかの事情があったのかもしれない。母国喪失者であったかもしれないと重いようになった。
 翻って日本語を母国語とする人々もやはり、南米などへの移住者として日本から追われるように出国していった方も多い。彼等は墓銘碑はどのようにしたのだろうか。日本国内では欧化政策でアルファベットでの墓銘碑は日本人の石工でも作れたであろう。だが日本語を母国語とする人々は現地では漢字・かなを彫ってくれる石工はほとんどのぞむべくもなかったように思える。母国語で記したい人も断念したかもしれない。いや、それ以上に日本への違和=日本語の拒絶とという選択をした人も多いのではないか。
 第2句には、明治以降の日本の近代化とそこに暮らした人々、そして日本の近代化から放逐された人々の存在など、さまざまな歴史を連想する句である。