Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

最近は記憶をなくす

2014年05月20日 01時10分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は退職者会の幹事会終了後、横浜駅で飲み屋街に繰り出した。豚足や豚の尻尾・耳・胃などを食べさせてくれる店である。年に数回は一人でも出かける店なのだが、他の人と行くのは久しぶりであった。
 焼酎を3杯ほども飲んで、急な階段を手すりにつかまって店の外に出たことと、一緒の人をタクシー乗り場まで送ったところまでは記憶に残っているが、それからの記憶が無い。
 家についてそのまま眠ってしまった。先ほど目が覚めて「お金を払ったかな?」とチョイと慌ててしまった。

 これはまずい‥。



人気ブログランキングへ

「絹と鋼」(神奈川県立歴史博物館)

2014年05月18日 21時29分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 本日はお昼に予定をたてた「絹と鋼-神奈川とフランスの交流史-」を神奈川県立歴史博物館を見に行ってきた。

 幕末の横浜開港以降、神奈川の地でフランスとの交流史を追ってみる企画となっている。
 1858年、日仏修好通商条約が締結され、横浜港をとおして日本の重要な蚕糸がフランスにも大量に輸出され、フランスからは造船・製鉄技術がもたらされ、日本の「近代化」に大きな「貢献」がなされた。近代化についての評価はさまざまあるという保留はしておく。さらに横須賀に製鉄所・造船所が設けられ、軍港都市横須賀が誕生し、横浜にはフランス領事館が設けられた。
 展示では数多くの当時の写真が展示され、それをとおして幕末・開港の頃の習俗が細かく見ることができる。
 私の眼を特に惹いたのは、1860年の「横浜大湊細見之図」(五雲亭貞秀)。これは神奈川の宿全体とこの宿から鳥瞰した横浜の開港地(現関内から海までの地)を細かく描いある。神奈川宿の二つの本陣を中心とした全体図を画面の下に、横浜道の起点である芝生村を右に大きく回り込んで、関内の開港地までの全体を見渡すことができる。
 芝生村の船着場と云われたところも描かれていた。さらに神奈川の宿のほぼ中心にある洲崎神社の海岸部に船着場があり、今の大桟橋のところにある当時の桟橋である象の鼻地区まで渡しで行き来していたことなどが分かる様な記載がされていた。
 この図面は是非手に入れたいと思ったが、ミュージアムショップでは販売されていなかった。当時の状況と神奈川宿の繁栄、関内近郊の賑わうが細大漏らさず見て回ることができた。
 多くの写真では居留フランス人の眼線で撮影されていて、これまで日本で流通していた写真とはちょっと違う雰囲気もあり、目のつけどころの違いなど興味深かった。当時の日本の子供の好奇心旺盛の輝いた目を納めた写真も面白かった。芸者などの写真は意外と少ない印象で、道ゆく人、職人、漁師と漁船、剣術の稽古など日常の一コマが新鮮に見えた。幕末・明治のころから比べて現代の日本人の顔は随分変化したという指摘もある。大きく変化して今では見かけないような顔と、今そこを歩いているような顔も散見して、どこか不思議な感じもする。
 そして意外と月代と髭を丁寧に剃っているな、という印象を受けた。日本に残っている写真は身構えて、正装して気張っている写真が多いが、今回展示されている日常風景の一コマ、旅の途中の一コマの写真は、武士だけでなく、庶民も職人も身だしなみには気を使っていたのかな、という印象を受けた。

      

 さらにこの企画展示は、世界遺産登録となる予定となった群馬県の富岡製糸場と絹産業遺跡群とのタイアップ企画である。そのパンフレットも同時に会場に置かれていた。
 横浜で生糸検査士として勤務していたフランス人ポール・ブリューナが゜明治政府と契約して、富岡に製紙工場を作ることになり、フランスの技術で完成。官営工場として創業したが、三井を経て1902年から1938年までは横浜の原三渓の経営する原合名会社の経営となっている。横浜-フランス-富岡という関連付けの展示になっている。

 もうひとつの収穫はピゴーの油絵が展示されていたことである。ピゴーも西洋画の技法と油絵を伝えるのに大きな功績があったと云われているが、その当のピゴーの油絵を見たことはなかった。鎌倉と思われる海岸の漁船などを描いた絵があった。見よう見まねでこのような絵を倣ったのかとしばらく見とれた。ピゴーにとっては専門ではない上に特に優れた油絵とは考えなかったが、当時の貪欲な知識欲を想像してみた。

   

 今回の展示については、横浜の関内にある、シルク博物館の「世界に羽ばたいたスカーフたち」展(~6/22)、横浜開港資料館の「蚕の化せし金貨なり‥」展(~7/13)との連携事業のようでもある。出来るだけ早めにこの2館を訪れようと思う。




人気ブログランキングへ

本日の予定‥

2014年05月18日 13時10分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は退職者会の会報の最後の編集作業。細部の調整などをして、印刷を始めた。プリンターが順調に作動してくれれば、間もなく仕上がる予定。約70枚裏表印刷。
 出来上がれば明日の幹事会での作業で他の退職者会ニュースとともに発送できる。

 印刷終了後には、乾燥注意報が出ているが天気は爽やかで気持ちがいいので、ウォーキングよりはゆっくりのスピードで散歩に出ようかと考えている。

 神奈川県立歴史博物館で、明治大学クリスチャン・ポラックコレクション「繭と鋼 -神奈川とフランスの交流史-」を開催している。~6月22日までの会期で、入館料は900円。





人気ブログランキングへ

「日本絵画の魅惑」展(その1) 風神雷神図の比較

2014年05月17日 23時44分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 今回の展示では、酒井抱一の「風神雷神図屏風」が呼び物の一つであった。これは同時期に東京国立博物館で開催されていた「栄西と建仁寺」展と通常展示での俵屋宗達と尾形光琳の二つの「風神雷神図屏風」と合わせて、三つが同時に東京で見られると話題になったものである。
 ということで、まずは4月の末に宗達・光琳のものを見て、このブログでも比べてみた。折角なので3作をここに並べてみることにした。



 上が宗達、中が光琳、下が抱一という贅沢な並べ方である。時代は上から下に下ってくる。

 前回私は宗達と光琳を比べて概略次のようにまとめた。

 背景の金箔は、光琳のものは黒い雲の割に金の部分が明るくないので絵が引き立っていない。
 色の対比が面白いが宗達の方はどうも白が少し退色しているのであろうかはっきりしないところがある。
 風神はともに雷神の方を見ている。しかし宗達の雷神の眼は中央の下を見ているのに対し、光琳の雷神の眼は風神を見ている。宗達では初めに雷神が雷を鳴らしているところに風神がそれに和するようにあとから登場しようとしている関係になっている。光琳の方は両者が初めから和するように雷と風を起こしている状況に思える。あるいは競い合っている、力比べをしているようにも見える。
 宗達の風神は左から中央への運動方向を示している。雷神はその場でステップを踏んでいる形だ。光琳の雷神は上目づかいに風神の方ににじり寄るような動き、中央へのベクトルを示している。風神の方がその場でステップを踏んでいるように見える。

 今回抱一のものを前2者と比べると、さすがに時代が新しいためだと思うが金箔も色も際立って鮮明である。特に白が鮮やかになって、風神雷神が強調されている。
 また黒くあらわされている雲は宗達のように薄くなり、風神と雷神が際立って強調されている。雲のおどろおどろしさよりも、一層風神雷神が大きく前面に浮き出てくるようになっている。
筋肉の表現は光琳のものはあまりに現実離れしている筋肉だが、抱一の筋肉はより現実の人間に近い。ただし足の指・爪などは獣のもののようにとんがって強調されている。
 衣装とくに褌などは色の対比が鮮明になっている。
 雷神の顔の表情はより若くなっていて、特に眉毛が若々しく太くなり、表情が明るくなっている。
 両者が見つめ合って呼吸を合わせて踊るような動きは、光琳のものを踏襲している。

 この程度が私の感じたものである。
 総じて差は微妙なのであるが、宗達→光琳→抱一とより図案化され、躍動感が強調され、色彩がより鮮明になって色の対比が強調されるようになっている。
 好みはそれぞれだと思うが、それぞれが独自色や違いを出そうと描いたというよりも、先行者に敬意を表して、忠実に模写した結果として、それぞれの特徴が浮き出た、という感じがする。
 いかがであろうか。



人気ブログランキングへ


弁才船模型

2014年05月17日 18時45分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど掲載した講座は、神奈川大学の横浜キャンパスで新築となった3号館で開講となったが、真新しい教室は実に広々としており、羨ましい限りである。



 この3号館は展示ホールも兼ねていて、神奈川大学の歴史展示と、日本常民文化研究所展示室を兼ねている。私は後者に興味がある。
 常民文化研究所の展示内容については後日じっくりと見て回ることとして、本日は地下に展示されている「小型弁財船(100石≒15トン)の実物大の部分模型」の展示を見てきた。

          

 本日の講座では、いわゆる千石船と同じしつらえで復元制作された「みちのく丸」の公開実験の映像を見せてもらったが、この展示の小型船、積載量が約10分の1とはいえ、目の前にすると大きい。これが一枚ものの帆をはればとてつもなく大きく見えるはずだ。積載量で10倍の千石船ということは概略換算すれば、縦・横・高さでそれぞれ約2倍ちょっとになる。かなりの大きさだと思う。
 事実この小型弁才船の全長17.0mに対して、みちのく丸の大きさは、全長32.0m、全福8.5m、喫水下3.0m、帆柱28mとのことである。
 多くの人が、江戸時代の船のイメージをもう喪失している。明治時代までは全国の港で弁才船が使われていたようであるが、もう私たちには具体的には想像が出来ない。

 この昆教授の講座は昨年度の前期から数えて3回目の受講である。私にとっては初めての知識なのでなかなか理解できなかったが、3回目ともなるとそれなりにわかるようになってきた。
 構造的な講義とともに和船の構造の歴史的な変遷、ヨーロッパのスタイルの船との違い、中国の船との違いなども少しずつ理解出来てきた。そして縄文時代以来の古代からこの和船の構造が環日本海、北方世界で広がっていたことなども教わった。
 私のもっとも興味のあるまた古代からの文化の伝播の視点や漁業などの視点、列島内の物流からのアプローチも少しずつ理解できるようになってきた。琉球弧での船の構造などのアプローチも興味の湧くところである。

 本日の講座でも触れていたが、復元された弁才船は今、4艘あるとのこと。1艘は新潟県佐渡島にあり、これはもともと山上に展示されているもので航海は前提とはなっていないとのこと。
 みちのく丸は現在自力帆走可能な唯一の復元船で本州を一周したようだ。しかし管理している「みちのく北方漁船博物館」が昨年度末で閉館となり、船自体の存続が危ぶまれているとのこと。
 また、大阪市の海事博物館「なにわの海の時空館」も、見学者の低迷による財政状況を理由に、大阪市長の橋下徹が「当時の市の責任だが、よくこんなものを作ったものだ」、「自分たちの責任として、担当部局に頑張ってもらうしかない」と酷評して閉館の憂き目を見た。そのあおりで国宝級の浪華丸も解体の可能性が強いとのことである。特に浪華丸は、全体が当時とまったく同じ作りで帆も木綿製とのこと。自治体の財政難を理由とした、また首長の文化無理解もあり、文化財行政は極めて厳しい時代である。
 もう1艘は、宮城県気仙沼にある気仙丸、おととしの津波にも耐えているようだが、今後どのような運命をたどるのであろうか。



 私は昨年来この講座を聞いて、和船の美しさに驚いた。木の美しさ、曲線の美しさに惹かれた。この造船技術が継承されることも願っている。この写真でもその雰囲気は伝わると思う。舳と艫がないので、曲線の美しさの全体が見えないのが残念である。この木を曲げる技術が和船の特徴でもあり、もっとも難しとのことも教わった。
 昆教授はおそらく「みちのく丸」の建造から帆走実験で本州を一周するまで、資金の調達、人材確保、公開実験のための様々な準備、マスコミ対策など実務者として苦労したことが、講義の内容から十分察することができる。みちのく丸をはじめとして浪華丸などのこれからの運命を我が子のように心配して熱く語る姿にも感銘している。

 今回の講座、これまでになく80名近くという大勢の参加であった。

 海洋国家と威張っていても、大事な和船の造船技術も航海技術も、その利用が頂点に達した物流の研究も、和船を利用した漁業の研究も脚光を浴びていないどころか、存続すら危ういというのは情けないものである。

 横浜も某市長時代に帆船日本丸の運命も危なかったのだろうか。




人気ブログランキングへ

本日からの講座「和船の世界」(昆政明)

2014年05月17日 11時36分35秒 | 読書


 本日から始まる講座は「和船の世界」(昆政明神奈川大学歴史紋族資料研究科教授)。昆教授の講座は今回で三回目。地味な世界と思われるが、なかなか魅力的な研究であり、話も大変魅力的である。
 青森県立郷土館学芸課長から定年を機に、こちらの大学に来られたとのこと。経営が厳しい行政の博物館で苦労された様子が伝わってくるので、私にはとても親近感がある。
 実はツィッターでいろいろ検索していたら「約200隻を収蔵・展示する国内最大級の漁船の博物館」というユニークな「みちのく北方漁船博物館」が3月31日付で閉館となっていた。
 このような博物館が閉館となっていくのは寂しいものである。大阪市の海事博物館「なにわの海の時空館」も橋下市長のもとで閉館させられてしまっているが、貴重な復元和船などの価値を考えれば、まだまだ対応を考えなければならなかったはずである。行政責任というもの、文化財というものについて考え直してもらいたいものである。

 今回の講座は「無料」ということなった。そしてみなとみらいの教室ではなく、横浜キャンパスになった。
 ここには和船模型が新たに展示されているとのことなので見学も兼ねて楽しみにしている。



人気ブログランキングへ

日本国憲法前文を読み返してみた

2014年05月16日 21時17分38秒 | 読書
 今朝、憲法前文についての私の思いを綴ってみた。折角の機会だから、当の前文を掲載してみることにした。
 押し付け憲法だから悪いとか、いいとかの話ではなく、この理念が目標として掲げることは正しいのか、意味がないのか、そこの議論をキチンとしてほしいのだ。
 理念だけで実効性がない、無力だというのは理想を捨てた、政治の目標を失った人間の言でしかないと私は思うが‥。

★日本国憲法 
前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。





人気ブログランキングへ

日比谷公園のバラ

2014年05月16日 20時29分41秒 | 読書
 本日は出光美術館で開催されている「日本絵画の魅惑」展の後期展示を見に行ってきた。後期展示では、「十王地獄図」(鎌倉・南北朝期)・「祇園祭礼図屏風」(桃山期)・「八ツ橋図屏風」(酒井抱一)・「桜・楓図屏風」(鈴木其一)・「桜・桃・海棠図屏風」(狩野長信)・「波濤図屏風」(長谷川等伯)などを見ることができた。

 特に長谷川等伯の「波濤図屏風」は素晴らしいと思った。2010年に東京国立博物館で「長谷川等伯」展が行われて多数の作品を見て、当時展示された禅林寺の「波濤図屏風」にいたく感銘を受けた。その絵と今回展示されているものを比べると、右双はほとんど同じ構図であるが、青い色と金箔の色がこちらの方がずっと印象的であると同時に、保存状態がいいのかもしれないと感じた。岩・波の輪郭がこちらの方がずっと鮮明である。
 岩と波の描き方に等伯という画家の大胆でスケールの大きさを感じた。
 詳細は図録のスキャンが終わり次第、掲載する予定。

         

 会場を後にしてから、すぐ近くの日比谷公園にバラを見に行った。鼻が効かない私でも多少匂いを嗅ぐことができた。

        

 日比谷見附側の一部にあるバラ園では、多くの人がベンチに座ってくつろいでいる中、バラの品種名などを追いながら一周した。
 帰りは心字池を巡って楽しむことができた。





人気ブログランキングへ

憲法前文

2014年05月16日 11時02分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日のブログをツィッターをとおして見た古くからの友人との会話をしていて、思い出したことを記載してみる。

 中学生になって国語の時間にいくつかの詩歌などを覚えさせられた。まずは松尾芭蕉の奥の細道の最初の段。さらに古今和歌集の仮名序、平家物語、徒然草、方丈記、枕草子、源氏物語などの冒頭部分など繰り返し声に出して読むことで、いつの間にか覚えていた。授業の一環として暗記することを求められたが、特につらかった覚えはない。また短歌・俳句、現代詩まで授業で暗記を求められたりはしなかったが、自然に暗記していた。
 中学3年生の時であったと思うが、当時の「政治・経済」の授業の時憲法前文を全部暗記させられたことを思い出した。当初は慣れない言葉が並び、硬い文章だったのでとても嫌だった。
 古典の文章と違って、この日本国憲法の前文はどう見ても口調が整っているわけでもないし、硬い法律用語に近い。かなり頭の中に入っていくには抵抗があった。そう簡単に飲み込めるものではなかった。
 不思議なもので、暗記するために必死になって口の中で唱えていると、次第に意味も飲み込めるようになったし、抑揚を覚えて来て妙に親しみの湧く文章になってきた。

 不思議なもので徹底的に覚えると、この理想主義的な「平和主義」の主張にとても親しみを感じるようになる。憲法本文全体に対する違和感は持ちつつも、この前文の理想主義は悪くないな、と思っていた。
 就職後も30歳の頃までは時々何かの拍子に、不意にこの前文が口をついて出てくることがあった。特に政治的な話を聞いたりしたりしている時ではなく、お酒を飲んでいるとき、道を歩いているとき、まったく関係の無い仕事をしているとき、ふと頭に浮かんできて、口が動いていた。
 それは冒頭にも記した日本の古典文学の冒頭部分についても同様であった。10代の頃の記憶、暗記というのはすごいものである。すっかり身に染みてしまったというのであろうか。
 私は憲法本体の条項についてはいろいろ意見がある。基本的人権などはいいとしても、環境権などは付けたすべきであろうし、89条に違反する私学への助成など現行のあり方が、憲法違反そのものである。地方自治ももう少し踏み込んだものがいいと思う。三権分立も実効性のある改善が必要ではないか。ここら辺は96条で十分対応できるし、対応しなくてはならないものもたくさんある。

 私は「憲法前文」を基本として9条は変更せずに、それ以外の条文を洗い直してしかるべきだと思っている。だから私は憲法9条を守れ、というだけの主張は今ひとつピンとこない。

 ただし、少なくとも今の安倍首相の解釈改憲はあまりにひどいもので、その解釈がまかり通るなら何でもありであろう、憲法が意味をなさなくなる、いや言葉が意味をなさなくなると感じる。そして法律体系が根底的に崩れてしまうと思う。これはどうしても許したくない。
 友人は「単なる平和主義ではなく、「絶対的な不戦の誓い」であった」と述べていた。そのとおりだと思う。
 わたしが昨日も記載したが、「「軍事力による誇り」よりも「軍事力に頼らない誇り」が気高い」と思う。それを実行するとてつもない困難は承知をしているつもりだ。付け加えるならば自衛隊の存在がいろいろ議論になるが、「武器を持たず、人を助けるための組織」が真剣に模索されることを願っている。

 もうひとつ付け加えるならば、本当のところの気持ちとしては、今の憲法から何しろ天皇条項は削除すべきであると思っている。政治的に関与してはならない天皇という制度が、政治の基本である憲法に規定されていること自体が自己矛盾である。到底私には理解できない。天皇制度が憲法に位置づけられているからこそ、政治的な利用が可能になってしまうという私の思いは、残念ながらとてもとても到達点としては遠いようなのが悲しい。




人気ブログランキングへ

いやな気分

2014年05月15日 21時21分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は、先日島根県の物産館で購入したトビウオの干物を食べた。トビウオの干物は初めて口に入れた。これまで煮つけや塩焼きは食べたことがあるのだが、そしていづれも八丈島・下田・館山と太平洋側の地の旅館で食べた。日本海で取れたトビウオというのも初めてであった。
 身が締まっていてとてもおいしい。私には適度な歯ごたえである。トビウオの旨みと思われる味を十分に感じた。皮がとても粘り気というか弾力があり、これも美味しかった。丁寧に身をほぐしながらゆっくりと食べたい魚である。また購入しに行きたいと思った。

 しかし夕食時に点けたテレビはいづれも、安倍晋三の記者会見ばかり。「密接な関係にある他国を守るために武力を使う集団的自衛権について、「与党協議の結果に基づき、憲法解釈の変更が必要と判断されれば、改正すべき法制の基本的方向性を閣議決定していく」」との内容に今更ながら腹が立って、せっかくの食事が楽しくなくなった。
 憲法解釈の変更、最高裁判断の憲法判断の変更が、「閣議決定」でなされるならば、三権分立を否定することにならないわけが無い。また「集団自衛権」発動で第一線に連れていかれる人間は「法」に基づく「解釈変更」ではなく「閣議決定」判断で行かされるのである。あまりにひどい話ではないか。
 今の憲法が「アメリカなどの連合国の押しつけだから、改憲を。せめて独自の軍を!」という人は、今回の変更が決して安倍晋三の日本の独自の解釈による変更ではなく、アメリカの世界戦略の変更と要請に基づく安倍晋三なりの回答であることを無視している。私は一方的な対米従属論というのには異論があるが、アメリカの世界戦略を無視して世界の状況は語ることはできないことは確かな現実である。その中で欧米も日本もお互いにひしめき合いながらその独自の地位を確保しようともがいている。安倍の判断は、見方によってはアメリカの世界戦略の手のひらの中で踊らされているともいえる。
 「積極的平和主義」なんて云っているが、それならば是非とも「軍隊を持たない積極的な平和外交」を推進してもらいたいと切に望みたいものである。それしか日本の外交が生きる道はないのではないか。軍事力による誇りよりも「軍事力に頼らない誇り」が気高い。

 たまたまある人から、戦時中に徴兵された人の家族にあてた手紙の解読を依頼され、その解読が終わったばかりであった。妻と歩き始めたばかりの子供のことを心配する手紙の内容を読み解いて、この記者会見のニュースを聞くととても暗い気持ちになる。



人気ブログランキングへ

「MY duo 2014 井上雅之 高木彩」展

2014年05月15日 11時16分16秒 | 読書


 ご案内をいただきました、「MY duo 2014 井上雅之 高木彩」展。

会場:Shounsandai MY Gallery(六本木栄ビル3階)
      地下鉄「六本木」駅又は「乃木坂」駅徒歩3~5分
会期:5月21日(水)~6月2日(月)  5月27日(火)は休廊日
12時~19時(最終日は17時まで)



 私は井上雅之さんのファンである。2月の銀座で開催された個展にもお邪魔させてもらった。

 今回は、「井上雅之、高木彩」のお二人の展示で、30号以下の小品展と案内状に書かれている。

 私は今回も是非訪れてみたい。作品の制作にあたってのお話を聞かせてもらうのが楽しみである。勉強になる好い機会である。





人気ブログランキングへ

そっと雨が降り始めた

2014年05月15日 02時31分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほどから我が家の周囲で、雨が降り始めた。微かに、しかししっかりと降っている。いつの間にか、雨がそっと忍び寄って来て、静かな音を携えてきた。
 電気を消して、少しぬるめの風呂に浸かって夜の音を聞いていると、忍び寄る雨の音が耳に入ってきた。さすがに団地の中は音がしなくなっている時間である。

 風呂に入る前、0時半から1時まで、団地の外回りを一周してきた。約3000歩ほど速足で歩いた。その時は雨の気配などまったくなかったのだが‥。
 尾根道に至る登り坂を割増料金を示す緑色の表示のタクシーが時々行き交い、酔った客を降ろしてはまた急いで横浜駅方面に引き返していく。疲れた顔の中年のサラリーマンがタクシーを降りて、足を引きずって闇夜に消えていく。
 甲高い靴音をたてて若い女性が前かがみになってこちらに向かってくる。覗き込んでいる携帯電話の明かりがボーッと浮かび上がる。照らされた顔だけが闇の中に漂っている。彼女の周囲には何も存在しないように。
 点在するスナックから乏しい明かりがこぼれ、ドアー越しに明るい笑い声と歌声が聞こえていた。
 団地の外周では、タクシーはまだ忙しい。携帯電話が連れてくる甲高い靴音はもうおさまっているだろうか。スナックの嬌声は扉からこぼれているのだろうか。

 今の時期、この時間に音を出すのは人間だけのようだ。虫も鳴かない。若葉も雨が降らない限り音を発しない。その若葉に雨があたって出す音は、新緑にふさわしく音を吸い取るような響きの少ない音である。雨音はこれ見よがしには聞こえてこない。遠慮深いのだ。

 そんな音に耳を澄ませていたい。夜明け前の電車の音を吸い取ってほしい、朝の時間をとめてほしい。




人気ブログランキングへ

本日の夕食はローストビーフ

2014年05月14日 22時53分47秒 | 料理関連&お酒
   

 本日はちょっと贅沢に牛肉のローストビーフ。横浜市医師会の市民向け広報誌「みんなの健康3.4月号」に掲載されていた。
 レシピは以下とのとおりだが、我が家なりに変更した点がある。

 まずは添え物のプルスケッタは省略。ローストビーフ(写真右上)については4人分600グラムだが、夫婦2人で半分の300グラムとした。
 また野菜はたけのこ・パプリカは我が家の野菜籠に入っていなかったので、有り合わせのアスパラガス3本、チンゲン菜1羽、玉ねぎ大1/2個とした。玉ねぎは、ソース用にすりおろす玉ねぎの残り。またソース(真ん中上)は酒とみりんであったが、ワイン100CCとした。
 その他のおかずとしては、レタス・ミニトマト・アボガド・アイスプラントのサラダ(手前)。そしてセロリ・エリンギの炒め物(左上)、ならびに氷頭膾の残りもの。
 これにご飯を各自茶碗に軽く1杯。
 お酒はワイン(4合瓶で800円のもの)

 ソースが玉ねぎとニンニクのすりおろしたものにワインと醤油を加えて作ったが、醤油ではなくバルサミコ酢と塩の方が良かったかもしれない。レシピでは酒とみりんの使用だったので醤油が合ったのであろう。ニンニクを2片使ったのでソースとしては何とか使えたが、あまり口には合わなかった。
 さらに肉の切り方を間違えた。繊維の沿ってスライスしたが、これは繊維を切るようにスライスしなくてはならなかった。肉が結構噛みごたえのあるものになってしまった。ただし、肉の味を十二分に味わうことができた。
 折角なので、「みんなの健康」に乗っている本文も掲載させてもらうことにした。





人気ブログランキングへ

紫陽花

2014年05月14日 21時04分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日、関東・東北は気温がかなり上がったという。横浜でも午前中から気温が上がり、今年最高の気温26.1℃を記録したとのこと。
 朝10時半からの講座のために9時30分少し前に予定よりも遅れて家を出て、50分で会場についた。今年初めて半袖、半ズボンを着用していたが、しかし汗が止まらない。やむなく洗面所で両腕、顔を石鹸で洗いさっぱりしたらようやく汗が引いた。
 帰途は、家と反対方向の関内まで歩いて所用を終えてから横浜駅までは電車を使い、若干の買い物と書店を見回った後帰宅した。が、家を出るとき財布とそこに入っている鍵を忘れ、家に入れない。妻は買い物に出たようだ。しかも携帯電話がつながらない。やむなく近くのコンビニに出向いてお茶と小さな菓子パンで休憩、その後、付近のウォーキングを行って時間つぶし。この時には厚い雲が空を多い、日がすっかりかげり少し寒くなってきていた。

   

 さて、横浜駅から歩いて帰る途中、低木の街路樹として植えられている紫陽花に花芽がついていることに気付いて写真を撮ってみた。よくよく見るとすでに咲き始めている。青い若い色が微かだが、鮮やかに見えた。

★紫陽花のあさぎのまゝの月夜かな  鈴木花蓑
★あぢさゐや軽くすませる昼の蕎麦  波多野爽波
★兄亡くて夕刊が来る濃紫陽花  正木ゆう子
★束縛もなく七変化 あなたは花  谷口むらさき
★紫陽花に思ひの丈を言ひ淀む  梅澤朴秀
★紫陽花が試験官の靴だったら  春名喜多
★紫陽花のあと一色は雨を待ち  泉本登貴子
★ヨハネの首と思ふ紫陽花切りにけり  岡田久彗

 紫陽花は恋の例えに結構使われるのかもしれない。これは最近のことなのか、古来からのことなのか、とんとわからないが‥。
 5句目はかなり理解に苦しむ句。どんな情景なのか見当がつかないが、試験会場の緊張感が靴音に張り付いている。登校の途中に見た紫陽花の鮮やかな青が、試験官の不気味な靴音を鳴らす靴についていたら、そしてがあの豊満な紫陽花の花房がその靴音とともに自分の横を通り過ぎたら、試験結果は良好になるのかもしれない。
 8句目、重い花房のたわわな重みが、暖かい血をしたたらせる生首に例えられた。緊張感と妖艶さが危うく同居している。危険な匂い、危うい生命の一瞬が垣間見えた。



人気ブログランキングへ

言いたいことは山ほどあるが‥

2014年05月13日 20時58分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本当は、時事問題についてアップしたいことはいっぱいある。少子高齢化のこと、地震のこと、放射能の問題、クリミア問題、日米韓関係のこと、中国・ベトナム紛争、靖国問題、改憲・集団自衛権問題、大阪都構想、NHK経営委員問題と中田宏の番組批判問題、浮上した「美味しんぼ」のこと、3.11に端を発する東北三県・とりわけ福島県の復興問題等々‥。
 いづれの議論も、世の中の趨勢としては私の思いとは違う方向に流れている。それゆえ私のいらいらが募る。それが募るのは精神衛生上とてもよくないのだが、かといって体験的議論を語ってもあまり生産的ではないし、検証もないいい加減なことは断じて言いたくない。原理的なことを本人が言っているつもりでも、想定外に、当該の人々を傷つけたり、軋轢を生じるのも本意ではない。なかかな難しい。
 そうは言っても政治的に自分なりの原則をいうという範囲では、発言を遠慮すべきではないという仲間の意見もある。確かに表現者がいい加減な表現を勝手にしておいて、批判されるや否や「表現の自由だ」と開き直る実態を見てみると、それよりは俺の方が配慮した表現をしているよ、表現の自由と身勝手な表現とは違うよ、とちゃちゃを入れたくなる。表現の自由とは裏を返せばとても重いものなのである。
 表現の自由と他者への影響・配慮の問題、あるいは左翼・右翼の不毛な対立の問題、政治と金の問題、どれもが私が1960年代末から70年代にかけて、そしてそれ以降今まで組合問題として関わった政治課題など私自身の原則的な考え方から紐解くことが原則的には簡単なものでも、とても捩れてしまっているという思いが強い。
 反原発は左翼固有の課題ではない。日中韓の課題も私は本来的には左翼と右翼の代理戦争の問題ではないと考えている。他者や他国、他国民をどのように尊重するか、という課題である。他国民・他民族の尊重なしにナショナリズムは成立しないはずだ。憲法問題も本当は右と左の対決課題ではなく共通課題なのだと思う。押しつけかどうかが判断の基本ではないはずだ。自然エネルギー・原発問題も同様である。国家による表現者への関与問題もしかり。地方自治拡大もそうである。右と左という仮象のもとに語られる不幸を乗り越えないと、これからの日本を語ることはできないところまで来てしまっている、というのは言いすぎであろうか。
 そんな配慮も出来ずに一国の総理をなってしまった安倍晋三、その彼を首相にしてしまった日本の国民、私たちは自分の播いた種で自らが不幸になっている。
 一言だけ言わせてもらえば、1960年代の新左翼はこのことを承知をしていたと思う。戦後秩序を前にソ連・中国擁護という一線を旧左翼が乗り越えられなかったのだが、このことを、当時の新左翼は乗り越えようとしていた。そのことを今こそ思い出してほしいと思う。戦後秩序の、右・左という国民の意識の分裂を乗り越えて新しい政治意識・国家像の提出をしようとしたあの若々しく、そしていろいろな課題を貪欲に引き受けようとしたエネルギーがなくなってしまっている。これは私自身の自戒も含めた現代の状況に対する批判である。
 新しい政治思想が残念ながら生まれて来ない中で、右・左対立という仮象のもと、不毛で、相互に容赦のない罵倒ばかりを投げ合う今の日本の社会の状況は、とても不幸であると思う。



人気ブログランキングへ