先ほど掲載した講座は、神奈川大学の横浜キャンパスで新築となった3号館で開講となったが、真新しい教室は実に広々としており、羨ましい限りである。
この3号館は展示ホールも兼ねていて、神奈川大学の歴史展示と、日本常民文化研究所展示室を兼ねている。私は後者に興味がある。
常民文化研究所の展示内容については後日じっくりと見て回ることとして、本日は地下に展示されている「小型弁財船(100石≒15トン)の実物大の部分模型」の展示を見てきた。
本日の講座では、いわゆる千石船と同じしつらえで復元制作された「みちのく丸」の公開実験の映像を見せてもらったが、この展示の小型船、積載量が約10分の1とはいえ、目の前にすると大きい。これが一枚ものの帆をはればとてつもなく大きく見えるはずだ。積載量で10倍の千石船ということは概略換算すれば、縦・横・高さでそれぞれ約2倍ちょっとになる。かなりの大きさだと思う。
事実この小型弁才船の全長17.0mに対して、みちのく丸の大きさは、全長32.0m、全福8.5m、喫水下3.0m、帆柱28mとのことである。
多くの人が、江戸時代の船のイメージをもう喪失している。明治時代までは全国の港で弁才船が使われていたようであるが、もう私たちには具体的には想像が出来ない。
この昆教授の講座は昨年度の前期から数えて3回目の受講である。私にとっては初めての知識なのでなかなか理解できなかったが、3回目ともなるとそれなりにわかるようになってきた。
構造的な講義とともに和船の構造の歴史的な変遷、ヨーロッパのスタイルの船との違い、中国の船との違いなども少しずつ理解出来てきた。そして縄文時代以来の古代からこの和船の構造が環日本海、北方世界で広がっていたことなども教わった。
私のもっとも興味のあるまた古代からの文化の伝播の視点や漁業などの視点、列島内の物流からのアプローチも少しずつ理解できるようになってきた。琉球弧での船の構造などのアプローチも興味の湧くところである。
本日の講座でも触れていたが、復元された弁才船は今、4艘あるとのこと。1艘は新潟県佐渡島にあり、これはもともと山上に展示されているもので航海は前提とはなっていないとのこと。
みちのく丸は現在自力帆走可能な唯一の復元船で本州を一周したようだ。しかし管理している「みちのく北方漁船博物館」が昨年度末で閉館となり、船自体の存続が危ぶまれているとのこと。
また、大阪市の海事博物館「なにわの海の時空館」も、見学者の低迷による財政状況を理由に、大阪市長の橋下徹が「当時の市の責任だが、よくこんなものを作ったものだ」、「自分たちの責任として、担当部局に頑張ってもらうしかない」と酷評して閉館の憂き目を見た。そのあおりで国宝級の浪華丸も解体の可能性が強いとのことである。特に浪華丸は、全体が当時とまったく同じ作りで帆も木綿製とのこと。自治体の財政難を理由とした、また首長の文化無理解もあり、文化財行政は極めて厳しい時代である。
もう1艘は、宮城県気仙沼にある気仙丸、おととしの津波にも耐えているようだが、今後どのような運命をたどるのであろうか。
私は昨年来この講座を聞いて、和船の美しさに驚いた。木の美しさ、曲線の美しさに惹かれた。この造船技術が継承されることも願っている。この写真でもその雰囲気は伝わると思う。舳と艫がないので、曲線の美しさの全体が見えないのが残念である。この木を曲げる技術が和船の特徴でもあり、もっとも難しとのことも教わった。
昆教授はおそらく「みちのく丸」の建造から帆走実験で本州を一周するまで、資金の調達、人材確保、公開実験のための様々な準備、マスコミ対策など実務者として苦労したことが、講義の内容から十分察することができる。みちのく丸をはじめとして浪華丸などのこれからの運命を我が子のように心配して熱く語る姿にも感銘している。
今回の講座、これまでになく80名近くという大勢の参加であった。
海洋国家と威張っていても、大事な和船の造船技術も航海技術も、その利用が頂点に達した物流の研究も、和船を利用した漁業の研究も脚光を浴びていないどころか、存続すら危ういというのは情けないものである。
横浜も某市長時代に帆船日本丸の運命も危なかったのだろうか。
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