こういうテーマは本屋であれほど積み上げられているのにみんな手に取ろうともしない。けれど映像ではハードルも低く、歴史に潜む事実をじっくり体験することができる。映画というメディアの有り難さを痛感する。
冒頭に長い字幕入りの説明があり、「国家の政策に純粋に協力しただけと言っても、その事実は一人一人が責任を問われる事になる。国家に尽くした日本国民は加害者であって被害者であった」。
僕は後段のところ「加害者であって被害者であった」という部分を反芻しながら映画を見始めることとなった。「被害者であったが、加害者でもあった」というのが通常の表現ではないか、と。
でも映画を見ていくうちにやはり「加害者であって被害者であった」が正しいと思うようになった。並列の意味は、権力に導かれ行動しようとも、開拓団の行った行動は良くないことであり、そのためまず第一に「加害者であった」、そしてあの悲劇は「被害者であった」のだ。
権力のせいにしてはいけないということである。権力を批判できるチカラを我々庶民は持ち続けなければならないということだ。暮らしが少しでもよくなるということで権力の嘘を見逃してはいけないということなのだ。
最初から長くなりました。
この映画、劇映画ではありますが、ドキュメンタリータッチです。その題材からも余計なセンチメンタリズムは排しています。ラスト近くの和尚と愛娘との再会も突如映像に現れ、じわじわと観客を泣かせてはくれません。
でもそれでいいのです。この映画の作品自体が一つのメッセージなのですから。事実だけを一つずつ訴えていこうという姿勢がよく分かります。僕たちはまず事実そのものを知ることから始めないといけないのです。
秀作です。
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