斬新な舞台設定に観る前からワクワクする。かなり広い空間に囲障を作り、観客側とコミューン側の違いを強調する。そしてあくまで我々は彼らを第三者として観ることになる。
最前列の中央起点部分が私の席なのだが、劇が始まってみると入り口となる囲障のトップが太い金属で、座ってみると残念ながらちょうど俳優たちの顔の部分に当たり彼らの表情が見えない。入口の戸の部分が左右の塀より15センチほど高いのだ。残念。いい席だと思ったが、全くその逆だった。
まあ、でもそれほど彼らの表情を追う展開でもなく、慣れて来るのでであるが、この農場コミューンがいわゆる原始共産制を意識するものであろうし、人類が文明として発展してゆくうえでの原始的スタイルであったのは言うまでもない。
現代において、急激に都市化した人々を郊外の農場コミューンに移動させたカンボジアのポルポト政権然り、現代人は欲望というものとどう闘っていけるかについて試行した劇ともいえるだろうか、、。
男性器を喪失させたり、感覚の源である眼球を摘出させたり、欲望を排してもこのコミューンは継続できるのか、幼稚な革命観、新たな分岐を派生させるのかなど、2時間という長尺だが、少々コメディタッチに描いてゆく。
暗くもないが明るくもなく、コミューンの実態を暴いてゆく。しかし所詮この囲障は僕をコミューンに導いてはくれない。寓話と考えてもいいのかな。
美術と俳優陣の演技と演出は秀逸だ。もっと若い時だったら、強い感銘を与えてくれたのかもしれないなあ、と思いながら劇場を出る。
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