前作「ハート・ロッカー」のあの極度の緊張感を、この作品で何と3時間も続かせるこの演出力は、キャスリンを巨匠と読んでも差支えない出来である。それほどの快作であり、けれど立派な娯楽作でもある。
冒頭の、唐突に死にゆく被害者の声を集めた音声だけの映像。これを聴いてまず最初に10年前の3・11を観客に思い起こさせる。そしてこれだけのことをやってのけた、もしくは非人間的な悪魔の集団に対して、何の遠慮・呵責もない状況、伏線を作っておく。
後は悪魔退治に一気に突っ走るキャスリン。
だから我々はアルカイダに対する容赦ない拷問も目をそむける必要もない。むしろ爽快感を感じる人もいるかもしれない。この映画にはそんな暗い、深い悪意の目が隠れている。マヤが目をそむけるのは映画的演出としては当然な自己防衛でもある。
後は同僚の子持ちママがテロに遭うことから、マヤが精神的に突っ走って行く過程がジェットコースターのごとく描かれる。そしてラスト20分の超豪華なビン・ラディンの処刑(退治)。観客の胸の高まりはいくばくか、キャスリンはそれを知っている。
ラスト、一人特別機で帰る機内でのマヤの懊悩さを観客に見せつける。でもこれもマヤの女性であることを意識した観客への配慮と映画的演出である。この映画ではみんなビン・ラディンを最初から捕えるとか言っていなかった。そう最初から殺すことを前提に処刑は始まっている。とてもリアルである。
このように起承転結明瞭な、ある意味アメリカ版忠臣蔵を構築したエンターテインメント秀作の出現である。だが、実際はコワイ映画なのである。それを止め置く心のピン止めが必要である。
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