またまたお気に入り劇団。何といっても劇団員さんたちみんなが若くて華やか。見ているだけでさわやか感が充満する感じ、と言ったら失礼だろうか。
僕が演劇を見ているのは映画とは違い、若い人たちの汗と熱気を感じたいがため。何かを信じて何かに打ち込んでいる人間の姿は老若男女通してとても美しい。その瞬間を見たいのだ。
この劇団が、お堅い文学ものをやるという。シアトリカルは浄土宗の寺だから、真宗の開祖親鸞が登場するこの戯曲はおそらくとてもやりづらかったろう。しかも、仏教ものとはいえ、僧が花街に入りびたりになる人間の本能を真正面から見つめた人間味たっぷりの話である。
そもそも親鸞って、僧でありながら結婚しているという前代未聞のことを成し遂げた人なんだ。キリスト教でいうと、プロテスタントといえるのだろうか、だからこの話は結構、仏教というよりキリスト教的な言い回しが多い。
ストーリーは、だいたい原作通りの展開で意外である。花街での描写が多く、無名劇団は若い女性が大勢いることもあり、遊女に感情移入のシーンが多いのはこの劇のポイントであろう。
そして彼女たちの哀しみと侠気が浮き彫りにされる。演技的には泉侃生の親鸞は120%頑張ったと思う。驚いたぜ。
やはり今回の劇はこんな現代人も忘れている戯曲を現代によみがえらせたことだろうと思う。その勇気を買いたいデス。
感想待ってました(笑) そして楽しみにしてました。
高評価ですね。
関係者ではないですが何か嬉しいですね(笑)
無名劇団の方々はこのブログは御存知なのかなぁ。。
感想はまた(笑)
一応、投稿しておきましたが、、。
昨夜は満席でした。よかった。
前、普通の公演を見にいったとき、島原さんがアンサンブルで出演していたのに気づき、驚きました。
人気劇団で座長をされてる方が、まさかと思い確認したら島原さんでした。
演劇が好きで好きで仕方がないんでしょうね。
今一番欲しいものという質問にアトリエと書かれてました。彼女の病気はずっと続くかも。
それでは、また。
無名劇団は『ざわざわ、ぞわり』が初観劇。大大阪舞台博覧会を挟んで『無名稿 あまがさ』『恋人がビッグフット』『無名稿 機械』と観劇してきてます。
倉田百三や『出家とその弟子』の名前は知っていたもののセントさんとは違い不勉強で未読(笑)ただ私は一般的な日本人の中では宗教には詳しい方だと思う(基礎的知識は歴史学方面からも無いことはないw)ので楽しめました。また原作に興味を持つ公演でした。セントさんが仰るように
「やはり今回の劇はこんな現代人も忘れている戯曲を現代によみがえらせたことだろうと思う。その勇気を買いたいデス」
と思います。
「ストーリーは、だいたい原作通りの展開」
なんですね。青空文庫で読めるみたいなので読んでみようかな。。こりっちの観てきた!で
「ストーリーがやや難解でした」
と書かれていた方がいらっしゃいましたが私が過去に観てきた中條作品の中では断トツで分かりやすかったですね。ある程度真宗について知識があった方が楽しめたのかな。。日本人は宗教に詳しくないから(笑)まぁ、でも今回の作品は「愛」や「他人を許すこと」など人間にとって普遍的な内容だったのでそこまで宗教チックでもなかったしなぁ。
セントさん「流石ァ」と思ったのが
そもそも親鸞って、僧でありながら結婚しているという前代未聞のことを成し遂げた人なんだ。キリスト教でいうと、プロテスタントといえるのだろうか、だからこの話は結構、仏教というよりキリスト教的な言い回しが多い。
の部分。公演中、「隣人」という台詞に引っ掛かって。キリスト教の言葉ですからね。そして私も中学生くらいの時にキリスト教の宗教改革によるプロテスタントは日本では鎌倉仏教の浄土宗や浄土真宗と相似的だなぁ、と考えていて。調べてみると倉田百三はキリスト教の影響も受けて『出家とその弟子』を書いたみたいで。
演技については
「泉侃生の親鸞は120%頑張ったと思う。驚いたぜ」
は大賛成です(笑)
疑問を呈したいのは「〔遊〕廓(くるわ)」という言葉が作品中に出てきていて鎌倉時代に「くるわ」なんてあった(wikipedia大先生によると成立は安土桃山時代)のかなぁ、とか。他に言葉が無かったのでしょうが。。
以下個人的感想。
無名劇団の『出家とその弟子』は今まで観てきた中條作品の中では一番分かりやすかったし一番好みだった。中條岳青さんが前説で「エンタメ」と仰ってて「無名劇団がエンタメ?」となったけど110分厭きずに観られた。
ただ出だしの親鸞と真仏の台詞が聞き取りにくかったのはマイナス(私は発声にはうるさい)。
また最後の楓が「南無阿弥陀仏」と手を合わせて終幕するのが「唯円とああいう別れをしたのに阿弥陀仏に帰依するの?」と納得いかなくて。私が何か観逃してるのかなぁ。
あとは髪長いままは真宗は剃髪にうるさくないのかもしれないが役者根性という点ではマイナスかなぁ、とか(笑)
【印象に残った役者】
善鸞役の島原夏海さんはどんどん上手くなったはりますよね。他劇団にも出演されてますし(劇団競泳水着etc.)。
朝香役の今井桃子さんも前から気になってて。 表情に色気があらはるなぁ、と。島原さんとの台詞応酬場面は好きでした。
唯円役の中谷有希さんは前から落ち着いた台詞回しが好きだったのですが脇役が多かったイメージ。もっと前に出る役をしてほしいと思ってたら今回は重要な役どころ。ただ善鸞にキレる場面の早い台詞回しの滑舌や火を放つ場面の狂気の迫力は今一つだったかな。
親鸞役の泉侃生さんは時折若さが見えた(肉体的に若いから隠しようのないこともある)ものの演技は大きかった。確かに驚きました。誰かに演技指導を受けはったのかな、って。
真仏役の太田雄介さんは後半になるにつれて良かった。男らしいイケメンのうえ雰囲気は持ったはるし今後も楽しみ。
楓役の笹川未希さんは可愛らしい雰囲気で印象に残った。他の役で拝見したい。
弥生役の中村美樹さんは発声と台詞回しが印象に残る。
阿弥陀婆役の黒木保子さんも発声と台詞回しが印象に残る。
「島原氏の観劇の病膏肓に入る」は島原氏の演劇の病膏肓に入る」の間違いですね(笑)
唯円は原作では一番の主役でなかったかと。
中谷有希さんは、体も華奢でどう考えても男には見えないのですが、それだけでミスキャストとは言えないでしょう。
客演をもっと増やせば余裕も生まれるのでしょうが、いくら何でも高校生の東田一将さんが演じるにはちょっと教育上問題ありかも。
ということで、中谷さんには荷が重い役柄だったのかもしれません。ちょっとした宝塚とも思いましたが、、、。
それでは、また。
親鸞役の泉侃生さんはこの公演に際し、親鸞の書物を大量に読破されたそうです。
若い人ってすごいですね。
それでは、また。
セントさ~ん。誤解で~す(笑)
【印象に残った役者】と書いておいたのでプラスの方ばかりなんです。中谷さんも(笑)今回も落ち着いた台詞回しがステキでしたし真摯な雰囲気が親鸞の高弟な感じがして私は好きでしたよ(笑)その中で欠点と思ったことを挙げただけで(笑)中谷さんお顔も仏顔ですし(笑)たぶん(笑)
東田一将さんは『恋人がビッグフット』の時に印象が残りましたね。あの時は中学生だったはず。中学生にしてはやるなぁ、って(笑)
残りの方も書いとこうかな(笑)
涼役の柊美月さんは過去作品では上品な役が多い印象。今回は台詞もほとんど無く難しい役でしたかね。
村萩役の東田萌希さんは『恋人がビッグフット』の時に初めて拝見したのかな。他劇団員と力量差を感じたのを覚えています。今回も演技が強い感じがしましたね。自然じゃないというか。あくまで個人的好みかもしれませんが今の演技はあまり好きじゃない。一番お若いのかな。今後ヒロイン役もあると思うので今後の成長を期待したいです。
小梅役の紫月璃奈さんは所属劇団のcrushrurhで2回拝見してるんですがcrushrurhが私の好みと合わなくて。紫月さんは今まで拝見した中では今回が一番好きな演技でしたかね。
念のため断っておきますが東田萌希さん、紫月璃奈さんともに含むところは何も無いですよ(笑)純粋に感じたままを。御二人とも接客などでは感じが良いイメージがありますので
追~伸~めっちゃ嬉しいですゥ~(笑)そういう情報セントさんから頂けるなんて望外の喜びでホンマに嬉しいです。これからもお願いしますゥ~
「一応、投稿しておきましたが、、。」
とコメ返いただいて「どこに?」と思ってたんですがこりっち観てきた!だったんですよね(笑)拝見しました。
ただ今回の泉さんの役作りについては御本人からも伺ってました(笑)裏付けが島原さん→セントさんで取れて良かったです(笑)
親鸞の体格については
身体のほうは、デッサンのようにラフに描かれていますが、がっちりしておられるように見えます。実際、栃木県の高田本寺に、遺品として伝わっている「笈(おい)」のサイズから見て、親鸞聖人は、六尺(約180センチ)を超える偉丈夫だったと考えら れております。
まあ、それだけの、体格に恵まれた方であったからこそ、平均寿命は25歳程度と言われていた時代に、90歳という長寿を得られたのではないでしょうかね。90歳というのは、現在でも相当な高齢ですが、よほど、お身体のお丈夫な方だったのでしょうね。(紫雲寺 H P「釋昇空法話集・第50話」『末法の世に』親鸞さまに遇う(2011年11月13日 報恩講法話)」より。)
※セントさんのブログのコメントはaddressを弾くことがありますね。
とあるので泉さんは適役かと。私の父方が浄土真宗仏光寺派なのですが住職の体格が立派で(笑)言い方悪いですがイギリスなどは体格で階級が分かるらしいですね。日本でも真宗坊主は良いものを食べていたから遺伝的に体格が良いイメージ(親鸞は宗祖だしわからない。ちなみに友人の西本願寺派僧侶は体格は小さいw)があります(笑)
無名劇団さんはこりっち観たい!に
受け答えは
いつも丁寧。
この劇団さんの気持ちの良い対応にいつも感心しています。
ともありますが無名劇団は公演前の受付や制作などスタッフ作業も劇団員がされてますしね。
内容もさることながら気持ちよく観劇できるというのも大事なことですから。
また一般論として常連客としては顔を覚えていただけてると嬉しいものですしね(笑)
http://ameblo.jp/exileonmainst2/entry-12274262219.html
公演前はガンガンTwitterやブログを更新するのに公演後は全くしない劇団よりする劇団が好きで(笑)
昔は必ず見てたのですが最近は観劇数が増えたので気になる劇団だけ見るくらいですが。
中谷さんの振り返り
( https://mobile.twitter.com/yuki327ri196/status/864072136893243397 )
【無名稿 出家とその弟子 思い出写真館4】
真仏役ゆうすけと。ゆうすけの「御仏の御心のままに」のときの決め顔が好きでした笑 ゆうすけがやることによってどこか憎めない悪になってた真仏。唯円はなんだかんだぶつかったりしつつも真仏のこと信頼してます。
を見て「う~ん」と。ちょっと筆がスベったんだと思いますが真仏は悪か?と。中谷さんそういう理解してたのかなぁ、と。
道徳的に登場人物の中で一番悪いかな、と思えるのは善鸞だろうし法律的には放火した唯円でしょう。真仏は唯円や善鸞から見ると悪ともいえるが親鸞や教団を守ろうとして唯円の所業を親鸞に密告したり善鸞に偽の父子の絶縁状を渡したりしただけで真仏なりの正義があったわけです。
もっというなら劇中の私の理解としては「人間大なり小なり皆罪人」なわけでだからこそ「赦し」という言葉があったわけで。
中谷さんの理解が乏しいのかなぁ、と思っちゃいます。
言葉を軽々しく使ってほしくないな、と。
『出家とその弟子』青空文庫のを打ち出しました。読むのが楽しみです。
真仏って劇では通常の一般的な僧として捉えられていたと思います。つまり、俗世間に住んでいる一般人と変わらないというか、観客と同一位置にいるような。
まあ、僧としては俗っぽいことをしたことで中谷さんはそんな表現をされたのでは。
そもそも人間みな悪人であることから始まることが真宗の基本なんですから。
それでは、また。
http://blog.goo.ne.jp/ponyasu007/e/43834d2e47d914be5b304e4803e9d14d
長い。。最近では珍しい。
私も気に入ったんですよね(笑)
確かに観やすかったし。そこは劇団側も狙ってやったのかと(笑)
『出家とその弟子』半分くらいまで読みました。戯曲形式で読みにくい。そして今回の公演ほぼ戯曲の後半を取り上げたみたいですね。