出逢いがあれば別れもある。大きなサイクルで言うと、誕生が初めての人々との出逢いであり、死は最後の人々との別れである。そういう繰り返しを過ごし人間は進化し、今ここに僕たちがいる。
葬式は死者のためというより生者のための儀式である。残った者が心を癒すために営む儀式であります。だから、納棺もある意味生きている者たちのための儀式なのであります。誕生があれほど人たちから喜ばれ祝福を受けるのに、死が忌み嫌われるのは日本では特に神教の影響からか「穢れ」というもののイメージがあるためではないか、と思う。
映画ではそんな死を職業としている本木に幼い時の友人、そして妻までが「けがらわしい」から職業を変えろと注意する。子供が学校でいじめを受けるかもしれない。バスでは匂いがすると女子高校生から嫌がられる。それらはすべて多かれ少なかれ死に対する日本人の「穢れ」の考え方が影響している。
でも、どんな金持ちだって学者だってみんな生まれそしていつかは朽ち果てていくのだ。誕生だけが喜ばれ美しく、死は疎んじられ醜いということはないと思う。生と死は一対のものなのだ。人は死んでその後に新たに生まれる人に何かをバトンタッチするのだ。宇宙の大きなサイクルの中では日常的にそういうことが行われている。
映画はそんなまさに日常的な「死」を残った人たちのために送る儀式をすることにより、生者が死者を乗り越えようとする、その時を描き続ける。この納棺師はまさに死者と生者とを繋ぐ心の架け橋のような職業の人である。
映画ではいろんなエピソードがそれぞれ胸を打つ。観客はみんな、自分の経験を映像に託し見つめている。未経験の人は死の真実に驚き、おののく人もいるであろう。人間の旅路の終わりを描いた映画ではあるけれど、生き残るものにとっては今からが新たな旅路の始まりでもあるのだ。
映画はコミカルな部分も多く、また映像が実に美しい。また俳優陣の渾身の演技で、はかないようで確かな死を捉えている。納棺師の作法は実に能のように美しく死が決して穢れるべきものでないことを伝えている。日本映画、傑出した秀作を輩出したと言える。この映画との出逢いは僕にとっては大きな人生上の膨らみとなりました。
ただ、一つだけ言わせてもらえれば、ラストの余貴美子の打ち明け話は琴の糸のようにピーンと張ったバランスを崩すような饒舌さで、出来ればなかった方が良かったように思う。それでも、十分この映画の秀作振りを崩すことはない出来栄えであることは間違いない。久々に世界に誇れる映画を輩出した感があります。
葬式は死者のためというより生者のための儀式である。残った者が心を癒すために営む儀式であります。だから、納棺もある意味生きている者たちのための儀式なのであります。誕生があれほど人たちから喜ばれ祝福を受けるのに、死が忌み嫌われるのは日本では特に神教の影響からか「穢れ」というもののイメージがあるためではないか、と思う。
映画ではそんな死を職業としている本木に幼い時の友人、そして妻までが「けがらわしい」から職業を変えろと注意する。子供が学校でいじめを受けるかもしれない。バスでは匂いがすると女子高校生から嫌がられる。それらはすべて多かれ少なかれ死に対する日本人の「穢れ」の考え方が影響している。
でも、どんな金持ちだって学者だってみんな生まれそしていつかは朽ち果てていくのだ。誕生だけが喜ばれ美しく、死は疎んじられ醜いということはないと思う。生と死は一対のものなのだ。人は死んでその後に新たに生まれる人に何かをバトンタッチするのだ。宇宙の大きなサイクルの中では日常的にそういうことが行われている。
映画はそんなまさに日常的な「死」を残った人たちのために送る儀式をすることにより、生者が死者を乗り越えようとする、その時を描き続ける。この納棺師はまさに死者と生者とを繋ぐ心の架け橋のような職業の人である。
映画ではいろんなエピソードがそれぞれ胸を打つ。観客はみんな、自分の経験を映像に託し見つめている。未経験の人は死の真実に驚き、おののく人もいるであろう。人間の旅路の終わりを描いた映画ではあるけれど、生き残るものにとっては今からが新たな旅路の始まりでもあるのだ。
映画はコミカルな部分も多く、また映像が実に美しい。また俳優陣の渾身の演技で、はかないようで確かな死を捉えている。納棺師の作法は実に能のように美しく死が決して穢れるべきものでないことを伝えている。日本映画、傑出した秀作を輩出したと言える。この映画との出逢いは僕にとっては大きな人生上の膨らみとなりました。
ただ、一つだけ言わせてもらえれば、ラストの余貴美子の打ち明け話は琴の糸のようにピーンと張ったバランスを崩すような饒舌さで、出来ればなかった方が良かったように思う。それでも、十分この映画の秀作振りを崩すことはない出来栄えであることは間違いない。久々に世界に誇れる映画を輩出した感があります。
自分の中でいろんな顔が走馬灯のように浮かび、やがて自分に
も訪れる『死』というものを改めて感じさせられました。
納棺師という職業は素晴らしいものなんですね。
あのような見事な儀式は残された者にとっての悲しみの整理に
とても重要なことのように思います。
『死』を思う事は『生』の意味を感じること。
やはり、永久不変のものはこの世にはなく、常に移り変わっていくもの,,,人間は長い旅の途上にいるんだなぁ~と思います。
『おくりびと』まさしくその名にふさわしい題名ですね。
何気なく見た映画だったんで、その完成美には驚きました。
人を送るということは、また自分もいつか送られることに繋がるんですね。
諸外国の作法はあまり知りませんが、この映画は外国でも評判になるのではないでしょうか。
日本観がよく分かります。無論、私達日本人にとっても、、。
では、また。
見終わったあと、満たされた気持ちで映画館を出られるなんて、とても充実した日になりました。
私は・・・
パンフにコメントを載せておられる小林氏の講義を受けたことがあって、そちらの視点からの関心もあっての鑑賞でした。
私も自分の現場で、山崎努さんほどの配慮が出来るように頑張りまする。
この映画には、「生と死」という究極のテーマのほかに、その生を保たんがために採っている手段としての職業についての考察もしっかり入っていましたね。
みんな、自分だったらどうする、と考えるでしょうね、、。
そんな意味でも深い映画だったと思います。
このおくりびとは感動しました。
しかし、もし賞を取ってなかったら、邦画だしスルー予定だったんです。
今までにも邦画だし・・・と言う理由だけで、いっぱいスルーしましたが、今は、色んな作品が見たいです。
あと、本作品は死をテーマにすることで少し重いですが、死は、いずれは訪れるもので、送る側送られる側の何とも言えない感情が込み上げてきて、めっちゃ泣けました。
マジで、映画館でかなり泣きましたよ。
あと、泣けたと言えば、パコも泣けましたよ。
あの作品は、泣けるなんて思いもしなかった分、めっちゃ泣けました。
なんか、年齢のせいかな?
では、また。
ロビ子でした
先ほどパコを見てまいりました。
僕は考えたらアニメとかこういう子供向けのようなものは駄目なんです。
見始めてから距離を置いて見ていたんですが、みんなで劇を催すあたりから、その距離がなくなっていました。
こんなに大人までピュアにさせる映画を作った中島監督って、すごいです。日本映画でも珍しい部類の作品ですね。出演者の熱意も伝わってきました。素晴らしい秀作でした。
では、また。それにしても秋めいてきましたね。