
愛する人を駅や港でひたすら待つ女をコン・リーの「妻への旅路」などで見てきた。本作もその類の映画かなと思ったが、2年間失踪した夫を待つ若い女(尾野)を田中と双極させ配置することで、田中自身の心の闇を分解させるという思い切ったストーリー観を提供した。そして1人の女性の「待つ」という行為の意味を鋭く追及することになる。
尾野の夫を自分の夫とオブラートさせることで田中はやっと自分の人生にけじめをつけることができる。30年という時間は彼女にとっては一体全体何だったのだろうか、、。なぜ彼女は30年も待っているのだろうか、、。
白石も言っていたように、人を待つというのは途方もないつらさを伴う。息子が海に出て行方不明になってから彼女は待つことの意味を厭でも実感させられる。
ダンカンも愛する人をずっと30年待っている。でも愛は一方通行だと成立しない。それでも彼は女を待っている。待つということで人生を棒に振った男のようにも思える。でも実際、田中が夫を待ち続けることと、ダンカンが田中を待ち続けていること、この二つは全く同じことであると思う。待つことに意味はなくとも彼らはただただ時間を貪り食って生きている。
さて、僕は何を待っているのだろう、、。
この映画、実に稀有な俳優陣を僕らの前にさらしている。長内美那子はほんと久々で相変わらず気品がある。白石佳代子は老齢俳優のそろった中で一人妖気が見える役者である。田島玲子の老齢ぶりは哀しいが、それでも確かな人生が垣間見える。
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