昨日から1泊で尾道に旅行して来ました。尾道はかれこれ3回目で7年ぶりです。
尾道ほど地方で映画のロケ地に起用されたことが多いのも珍しく、古くは小津の「東京物語」から大林宜彦の尾道3部作、新3部作、新藤兼人の作品群など名作が多い。
尾道は平地部分が少なく切り立った山に軒並み家が建っている。必然的に石段の多い年寄泣かせの地形である。でもそこがとてもいい。ちょっと上に歩き下を見れば尾道水道が横に見える。海なのに川のように思える不思議な景観である。
行きは古寺めぐりをし、志賀直哉旧居を訪ねる。ちょっとしたハイキングなのだが、如何せんもう寄る年には勝てない。帰りはロープウェイで麓まで下る。そこに「転校生」の一夫と一美がお茶を飲んだ「こもん」がある。昼食のつもりで入ったが、あいにくワッフルのコースしかなかった。多少甘いのも食べないではないが、、。店内は女子高生でいっぱいだった。
最初の究極の目的地、それは「転校生」で神社の石段で転がり落ち一夫と一美が入れ替わる御袖天満宮だ。この神社の急な石段は映画そのままだ。近くに鐘楼がある。誰もいないのを見計らい静かに鐘を鳴らす。その音の心地よい響きに心ときめく。
考えれば小津の「東京物語(1953)」から大林宣彦の「転校生(1981)」まで28年。そしてそれから現代まで早や33年。小津と大林との間隔の28年は日本がものすごく変貌した時代のように思える。日本ではなく私自身に目を向ければ、誕生から多感な思春期を過ぎ、そして青年に達し子供も設けている。
朝10時ごろ尾道駅に着いたが、目的の浄土寺に到着した時はもう午後3時ごろになっていた。あいにく浄土寺はなぜか工事をしていていつもの静かな趣ではなかったが、それでも「東京物語」で笠智衆と原節子がラスト、二人で尾道水道を見て「さあ、今日も暑くなるぞ」と浄土寺を離れるシーンが今でも目に浮かぶ。あの石灯籠は健在であった。
さて今回の最後の最後の目的地。浄土寺から歩いて5分ほどのところに「ふたり」で千鶴子がダンプから落ちてくる木材の下敷きになって亡くなる現場がある。海徳寺の入り口近くだった。このシーンは怖くていつも見られないが、それでも重要なシーンであり気になるのだ。あの瀟洒な家は今は人が住んでいないようであった。住んでみたいナと思う。
その後10分ほど歩いておのみち映画資料館に行く。ここは小津安二郎の資料が多く残されている。奥のフィルム上映室で「東京物語」の予告編を見る。当時は世界映画史上ベストテンに入る映画だとは思ってもいなかっただろうなあ。
次回尾道をまた訪れるのはいつの日になるだろうか、尾道のセンター街を疲れた足でとぼとぼ歩きながら考えていた。もう尾道駅が見えている。
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