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ボーイズ・オン・ザ・ラン (2010/日)(三浦大輔) 75点

2010-02-24 13:37:47 | 映画遍歴
『ゴールデンスランバー』で「無様な姿をさらしてもいい、生きろ」というセリフがあったが、【堺雅人】はそれどころかすごくカッコ良く立ち回った。この映画の主人公田西君はその意味では本当に等身大の人間だ。

そのつもりがなくとも彼は無様な生き方を迫られ、日常の絶壁から這い上がれず何かを超えることができないでいるどこにでもいる若者の一人だ。ヒーローではなく、アンチヒーローで、無様な生き方をここまで堂々と見せられては応援もしたくなるというものだ。

ガチャポンなんていう社会の片隅でひっそりと活躍している商品を(メーカーの方ゴメンナサイ)堂々とスポットライトを浴びせた功績は大きい。この現代社会からすると、ガチャポンはマイナーの代表でもあるだろう。(またまた怒りを買いそうで、、)だって、興味のない人からすると邪魔でいつも薄埃をかぶっている気がする代物だが、(またまたここでパンチが来そう、、)実際的には社会に立派にその位置を占めているのだ。

このガチャポンを扱う会社は会社全体からすれば超マイナーな存在である。そして田西君の勤める会社は遊技産業でも超零細である。そしてその会社に勤める田西君はその会社でもマイナーな存在なのだ。仕事・生き方も不器用。当然女の子からもモテない。そして当然鬱屈した生活を送っている。

でも、そんなマイナー尽くしの存在って、算数上からは超狭い占有率だろうが、実際の日常からは絶対値が高く、いわゆる大勢の人たちがフツーの生活を送っている。すなわち、ヒーローには最初からなれないその他大勢の、僕たちはフツーの人々である。

だから、田西君は最後の最後で女の子を動き始める電車にぶっ飛ばす。彼にとっては初めての攻撃だ。相手会社に殴り込みに行くことは攻撃ではない。何故ならあの企画を落としたのは他ならぬ上司たちであり、企画を盗まれたわけでなないのだ。会社同士はある意味社会的存在からは仲間なのだ。

田西君は初めて攻撃した。女の子をぶっ飛ばすことにより初めて社会に攻撃を加えた。だからこそ走らねばならない。永遠に。みんな、恐らく小さな世界に迎合するのではなく、攻撃しなくてはならないのだ。でも、やらかした後は走り続けなければならない。

それが我々にできるか、、。「田西君は我々でもある」ということをフツーの人間は解からなくてはならない。

単純そうで、結構深い映画でもある。こういう絵パズルはでも面白い。たまには、無様な人間をじっくり見るのもいいです。何故かこの手の映画は少なかったですね。みんな、現実を見たくないからかなあ、、。

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