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無名劇団‏ 私戯曲 りんごのうた(作・みずしまみほこ 演出・島原夏海)(於・シアトリカル) 80点

2017-11-15 22:46:09 | 演劇遍歴

昨年クリスマスイブにみた「ハッスルライフ」の実質的再演である。前作では血縁の祖母に対する憎しみまでを沸々と凝縮し、そしてビッグバンごとく爆発させたが、今回は多少島崎の心情の変化もあったのか、後半からラストになるにつれ、祖母への赦し、また自分自身への赦しが色濃く出ていた。

かなりの変化である。それが島崎の人間的成長でもあり、それをばねにして再出発を図ろうとする意図もあったのだと思う。そこがよく理解でき、ファンとして安心もする。

ただ、前作と本作の祖母と彼女との関係性を考えるに、この独特の執着心と愛憎はやはり異様である。

通常の母娘の愛憎は文学等にもかなり描かれており、納得はできるのだが、この祖母・孫の関係においては、母親(祖母においては娘、孫からすれば母親)の存在がキーであるべきなのに、ほとんど語られることはないのである。ある意味、空白が存在するのである。

だから、祖母からすると孫を育てるということは疑似母親になっているわけだから、2回目の子育てをする羽目になるということになる。責任感を重度に感じ、プレッシャーも強くあったはずだ。

一方孫からすれば、肝心の母親はおらず、慈しみ優しく接してくれるはずの祖母の姿は全く見られず、異様に母親たろうとする力んだ疑似母親が自分を支配しようとしているのである。

そこに見られるのは如何にも不幸な関係性である。お互いに真の「娘&母親」の不在が、お互いの関係をぎこちなくしているのみである。それはやはり不幸であるというしかないのであろうか、、。

でも、熱い血というものが二人を結びつける。彼らの関係は不幸ではあったが、お互い血縁という絶対的なものから逃れることはできず、それは本能的にも孫の方から赦しという特別の感情が湧き出てくるのだ。

祖母も赦し、そしておのれを許すことで孫は次の人生のステップに立つことができる。それは彼女の大いなる再出発の時でもあるのだ。

島崎は若いのに、自伝ともいえるこの題材を正直に真正面からストレートに描いている。立派だ。彼女の誠実さにやはり拍手を送るべきだろうと思う。秀作です。


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